【第16話】夢への一歩
「アリアちゃん、お手紙が届いているわよ」
私はドリスさんから一通の手紙を手渡された。
「ありがとうございます。実家からかしら?……あ、ローレンス様からだわ」
宛名を確かめると、レイモンド様宛ではなく確かに私宛になっていた。部屋に戻り封書を開け、中から便箋を取り出す。
『アリア様。前略…………というわけで、私の歌手の友人に、プライベートレッスンを依頼しておきました。もし興味があれば、次の週末に一度話を聞きにいっていただければ幸いです。もちろん話を聞いてから断っていただいても大丈夫です。あなたの夢に一歩でも近づけますように。ローレンス・ランカスターより』
なんということだろう。
黒の騎士団の寮母になってから、お給料もよく出費も少ないおかげで、実はかなりお金が貯まってきていた。そろそろ音楽院の定期レッスンなどを調べ始めようとしていた矢先だったのだ。
「プロのレッスン……」
私はローレンス様へのお礼の手紙の中に、「ありがたくお受けいたします」と力強く返事を書いた。
――
そして、約束の日曜日。
「これでおかしくないかしら?」
私は鏡の前で、珍しくお化粧を頑張ってみた。服は先日レイモンド様からいただいた、普段着用のワンピースだ。普段着用とはいえ上質な生地と洗練されたデザインで、寮の仕事中に着るにはもったいなくて、着るタイミングに困っていたのだ。
身支度を整え、部屋のドアをカチャリと開ける。
「あ、姫、おはよう。あら、おめかしして。どこかにお出かけ?」
「おはようございます、エスター様。はい、ちょっと出かけてきます。遅くはなりませんので」
「そう。楽しんできてね」
エスター様に笑顔で見送られ、私は期待に胸を膨らませながら、王都の西区にある高級別荘地へと足を向けた。
――
「さて、私もそろそろカフェにでも行こうかしら」
エスターが自室から玄関に向かおうとしたその時だった。
「おう、エスター。出かけるのか?」
「だ、団長!何やってるんですか、こんなところで!姫と出かけたんじゃなかったんですか?!」
寮の廊下を歩いてきた私服姿のレイモンドを見て、エスターは目を丸くした。
「いや、そんな予定はなかったが。アリアはいないのか?」
「珍しくメイクをして、可愛い格好で出かけるって言ってたから、てっきり団長と遊びに出かけたもんだとばかり思ってましたよ」
「き……聞いてないぞ……俺は」
レイモンドは明らかに動揺し、声が上ずっていた。
「あーあ。どうみてもデートですよあれは」
「で……デート……どこにいったんだ?」
「知らないですよ。帰ってきたら自分で聞いてみてください。じゃ、私はカフェに行きますんで」
エスターが呆れたように言うと、ちょうどそこへ大柄な人影が通りかかった。
「おう、カフェに行くのか?俺も一緒に行っていいか?」
バーナードの申し出にエスターは嬉しそうに頷き、二人は連れ立って街へと繰り出していった。
レイモンドは一人、誰もいなくなった廊下で呆然と立ち尽くしていた。
――
「そろそろ時間かな?」
青年は腕時計で時間を確認し、小さく息を吐いた。
「ローレンスの頼みだからレッスンを引き受けたけど。詳しく聞いたら、完全な素人なんだよね。まぁ、数回レッスンをしてアドバイスをしてあげれば気が済むだろう」
「ここかしら?」
私は王都の西区にある高級別荘地、その指定された住所にやってきた。立派な門に備えられたボタンを押すと、奥の屋敷からリンゴンと低いベルの音が鳴った。
しばらくすると、屋敷から一人の青年が現れた。長い金髪を後ろで束ねた、細身の美しい青年。
「あ、あの方は……ジュリアン・ロー様?!」
私が思わず声を漏らすと、青年は優雅に微笑んだ。
「やあ。君がローレンスからの紹介の娘だね。僕はジュリアン・ローだ」
「ぞ、存じております。私はアリアです。平民ですので、姓はありません」
「さぁ、入ってくれたまえ」
ジュリアン様に案内され、屋敷に入る。お庭も屋敷も非常に広かったが、なぜか人の気配がまったくない。
「ジュリアン様は、ここにお一人でお住まいなのですか?」
「いいや、自宅は中心街のほうさ。ここは僕のアトリエで、曲を書くために借りてるんだ。ピアノを弾いたり、歌を歌っても周りの迷惑にならない場所を探してここに決めたんだ」
ジュリアン様に案内された部屋は、ソファーセットとグランドピアノが一台だけ置いてある、非常に広い空間だった。少し変わっていたのは、全ての壁と天井に、小さな穴の開いた木の板が綺麗に貼り付けられていることだった。
「この板はなんですか?」
「ああ、吸音板だよ。音の反響や残響を抑える効果があるんだ」
こういった本格的な音楽設備もはじめて見た私は、自分の知識の乏しさに、本当にこんなすごい方のレッスンを受けてもよいのだろうかと少し不安に思った。
「僕のことは知ってるみたいだね。アリアだったよね。よければ君のことを教えてもらえるかな?」
「はい。学園を卒業してすぐに、歌手になるために王都にきました。ローレンス様の経営されてるダイニングで働いていたことが縁で、今は黒の騎士団の寮母をしています」
「なるほど。そういう関係だったんだね。……とりあえず今の君の実力を知りたい。一曲歌ってくれないか」
ジュリアン様は流れるような所作でピアノの椅子に腰掛けた。
「はい。わかりました」
私は深く深呼吸をして、最近河原でよく練習していた『麦穂ゆれる丘』をアカペラで歌いはじめた。
私の声を聞いた瞬間、ジュリアン様が少し目を丸くして驚いているような気がした。けれど、私は歌に集中し、最後まで心を込めて歌いきった。
歌い終えると、ジュリアン様は静かに立ち上がり、私をソファーへと案内した。
「いいね。君には可能性を感じるよ。どうだろう、毎週日曜に二時間のレッスンを受けないか?」
なんという提案。国中を飛び回り活躍するジュリアン様からの個人レッスンなんて、プロの歌手でもそうそう受けられるものではない。
「あ、ありがとうございます。ただ……私がお支払いできるのは、おそらく二、三回分の費用だけだと思います」
ジュリアン様ほどの方のレッスンは、音楽院のレッスンの何倍もの費用が必要なはずだ。私が不安そうな顔をしていると、ジュリアン様はやさしく微笑んだ。
「お金の心配はいらないよ。僕が君を気に入れば、その費用はすべてランカスター侯爵家が払ってくれることになっている。君は何の心配もなく、レッスンを受ければいい」
ローレンス様がそこまで考えてくださっていたなんて。有難いと同時に、申し訳ない気持ちにもなった。でも、このチャンスを逃せば、二度とジュリアン様のレッスンを受けることなんてできないだろう。
「そ、そうだったんですね。それでは、よろしくお願いいたします!」
私はジュリアン様からの申し出を快諾した。今日からさっそく二時間のレッスンを受け、私は胸いっぱいの感謝と共にジュリアン様のアトリエを後にした。
「なるほどね。ローレンスにどんな娘か聞いても、『会えばきっと気に入るよ』としか言わなかった理由がよくわかったよ」
ジュリアンは二階の窓から、遠くに小さく消えていくアリアの背中を見送っていた。
「でも、まさかあの夜風に乗って聞こえてくる歌声の主が、アリアだったなんて。まだまだ荒削りな部分は多いけど、駆け出しのプロよりもよっぽど魅力のある歌声だ。彼女はきっと、大きく羽ばたくはずだ」
ジュリアンは満足げに微笑み、窓を閉めた。
――
ガチャリ。
「ただいま帰りました……って、レイモンド様?」
寮に帰ると、なぜか玄関ホールでレイモンド様がうろうろと歩き回っていた。
「お帰りアリア。えーーっと……お出かけは楽しかったかい?」
(そうか、レイモンド様はローレンス様から今日のレッスンのことを聞いてたのね)
「はい!とっても楽しかったです」
私は夢への第一歩を踏み出せた喜びで、満面の笑みでそう答えた。
「そ、そうか……それならよかったよ」
そう言ってレイモンド様は、なぜかひどく落ち込んだように肩を落とし、心ここにあらずといった雰囲気で自室へと帰っていった。




