【第15話】色のある世界
「……ここは?」
目を覚ました俺は、見慣れない白い天井を見上げていた。
「医務室……か……」
薄く開いた窓からは、朝の光が優しく差し込んでいる。体を動かそうとして、俺はハッとした。上半身を起こし、信じられない思いで自分の右側を見た。
ある。
昨日、スケイルマンティスの鋭いカマに、無残に切断されたはずの右腕が、しっかりと繋がっていたのだ。えぐられていたはずの脇腹に手を当てても、傷痕一つ残っていない。
「どうして……腕が……」
呆然と自分の掌を見つめ、指を動かしてみる。間違いなく自分の腕だ。
カチャ。
その時、医務室のドアが静かに開いた。
「あ、レイモンド様。気が付かれたんですね!」
部屋に入ってきたアリアの姿を見た瞬間、俺の胸がドクンと大きく跳ねた。
彼女がまとう、優しい亜麻色の髪。驚きに少しだけ開かれた、柔らかなピンク色の唇。そして、俺を真っ直ぐに見つめる、新緑のように美しい若草色の瞳。
『こちらがお嬢様の瞳の色に似て、とてもお似合いになられます』
あの時の、ブティックの店長の言葉が脳裏によみがえった。
(君は、緑の瞳をしていたんだね……)
俺はこの時、心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。
色がある。
五年もの間、ずっとモノクロの世界に閉じ込められていた俺の視界が、色鮮やかな色彩を取り戻していたのだ。
朝の光に照らされた彼女は、俺が色のない世界で想像していた何百倍も、何千倍も美しかった。
「……きれいだ」
俺は思わず、魂の底からそう呟いていた。
「え?何かおっしゃいましたか?」
アリアが不思議そうに小首を傾げる。
「い、いや。なんでもない」
慌てて誤魔化す俺に、アリアはふわりと微笑み、手に持っていた俺の着替えをベッドの脇に置いてくれた。
「立てそうですか?」
「あ、ああ。何ともない。いや、むしろここ数年で一番調子がいいかもしれない」
「よかったです。もし、何か食べられそうでしたら食堂にきてください。もうすぐ朝ごはんですよ」
そういってアリアは、亜麻色のポニーテールを揺らしながら医務室を出ていった。
彼女の後ろ姿を見送りながら、俺は色を取り戻した自分の手をもう一度見つめ、きっと彼女が起こしてくれたであろう奇跡の大きさに、ただただ打ち震えていた。
――
私が朝食の準備のために食堂に戻ると、不思議な光景が広がっていた。
副団長のセドリック様が、なぜか食堂の隅で背筋をピンと伸ばして正座をしていたのだ。
「おはようございます。どうされたんですか、セドリック様?」
私が驚いて声をかけると、セドリック様はバツが悪そうに視線を泳がせた。
「よ、よう、おはようアリア。まぁ、……反省だな、これは」
その時、厨房の方からドリスさんが声をかけた。
「いいのよ、アリアちゃん。しばらくそうさせといてちょうだい」
普段はおっとりと優しいドリスさんの、いつもより少し低い声に、私はますます首を傾げてしまった。
不思議な状況に戸惑っていると、エスター様が朝食を食べにやってきた。
「あちゃー。セドリックさん、さすがにちょっと可哀想だわ」
「えっと、これはどういう状況ですか?」
私はエスター様に尋ねてみた。
「あーそっか、姫は知らなかったわね。ドリスさんは、セドリックさんの冒険者時代の先輩なのよ。昨日の討伐で、年長者かつ副団長っていう立場でありながら、団長を死にかけるほどの危険にさらしたって大目玉を食らってるのね、あれは」
「え!?そうだったんですか!」
私は驚愕して、優しそうに微笑みながらスープをかき混ぜているドリスさんを見た。
「ドリスさん、現役時代はかなり有名な冒険者だったみたいよ。今でも頭が上がらない人たちが、白や青の騎士団にもいっぱいいるらしいわ」
ドリスさんの意外な過去には驚いたものの、昨夜のパニックの現場で誰よりも肝が座っていて、一人冷静に対処していたことに、逆に深く納得ができた。
「おはよう、アリア。みんなも」
医務室から食堂にやってきたレイモンド様が、いつものように私に微笑みかけてくれた。その顔色はとてもよく、昨日の凄惨な大怪我が嘘のようだ。彼の碧い瞳が、今日はなぜかいつも以上にキラキラと輝いているように見えた。
「おはようございます、レイモンド様」
いつもの平和な日常が帰ってきたことに、私は心の底から安堵した。
「おはよう、姫!」
「おはようございます、姫様!」
「姫、今日の朝飯はなんだ?」
食堂にやってきた団員のみなさまが、次々に私に親しげに挨拶をしてくれる。最初はあれほど冷たかった視線はもうどこにもない。
「あっ!団長ォォォッ!?」
「もう立ち上がって大丈夫なんですか?」
「団長!聞いてください、姫が!」
「聖女の力ですよ!あの歌が団長を救ったんです!」
「本当に凄かったんです!アリア姫が歌った瞬間、団長の傷が……!」
興奮した団員たちが、レイモンド様を囲んで口々にまくし立てる。
その言葉を聞いたレイモンド様は、驚いたように目を見開いた。
「やっと一つになったな、この騎士団も」
「そうですね」
朝食のトレイを手にしたバーナード様とトビー様も、賑やかな様子を嬉しそうに眺めている。
私がこの黒の騎士団の寮母としてやってきて半年。
さまざまな壁や試練があったけれど、今日ついにこの騎士団が、本当の意味で一つにまとまった朝だった。
――
数日後。
黒の騎士団寮に、白の騎士団の副団長であるローレンス様がお見えになった。
「おはようございます、ローレンス様。先日はコンサートのチケットをありがとうございました」
私が玄関で深くお辞儀をすると、ローレンス様は優しく微笑んで首を振った。
「とんでもない。あんなものじゃまだまだお礼になっていないよ」
「レイモンド様ですよね。すぐにお呼びいたします」
「ありがとう。あとアリアさんにも同席してもらいたいんだが、いいかい?」
「は、はい。わかりました」
そうして私たち三人は、応接室のソファーに腰をおろした。
「連絡を受けておどろいたよ。体はもう大丈夫なのか?」
ローレンス様が心配そうに身を乗り出すと、レイモンド様は力強く頷いた。
「ああ。まったく問題ないよ。これも全てアリアのおかげさ」
「そうか、よかった。……アリアさん、君には僕たち兄弟の過去をきちんと話しておこうと思う」
そう言ってローレンス様は、お二人の過去、レイモンド様が学生時代に兄を庇ってバジリスクの呪いを受けたことについて、静かに話し始めた。
「……と、いう理由だったんだ。レイモンドの命を救ってくれただけでなく、呪いまで解いてくれるなんて。本当に感謝してもしきれない」
「いえ、そんな……」
「僕はレイモンドに申し訳ない気持ちでずっと過ごしてきたんだ。レイモンドはそんな僕を気遣い、いつも明るく振る舞っていた。君はレイモンドだけでなく、僕の心も救ってくれたんだよ」
ローレンス様が深く頭を下げる姿を見て、私はお二人の兄弟の絆を強く感じた。
「さぁ、ここからが本題だ。アリアさん、君の力について僕なりに調べてみたんだ。文献を探したところ、どうやら君は『ミューズ』という力を持つ聖女のようだ」
「ミューズ……ですか」
「ああ。ミューズはその歌であらゆる傷や病を癒し、穢れや呪いを祓ったとされる、歴代でも最高位の聖女だ。過去に現れたのはたったの二人。最後の記録は三百年も前だ」
私は自分がそんな高位な存在であると言われても、まったく実感が持てなかった。だって私は、手の届く大切な人たちしか癒すことが出来ないんですもの。
ローレンス様は、今度はレイモンド様を真っ直ぐに見据えながら話を続けた。
「レイモンド、もうお前の呪いは解けた。つまりバジリスクを探すため、最前線で魔獣と戦う必要はなくなったんだ。そしてアリアさん。……二人がよければ、一緒に白の騎士団に配属を変えないか?」
たしかにレイモンド様は、自分の呪いを解く手がかりを探すために、この黒の騎士団へと来られたのだ。
少しの沈黙の後、レイモンド様ははっきりと答えた。
「いいや。俺はここで魔獣と戦い続ける。俺はこの黒の騎士団で、大切な仲間たちができた。今度はこの騎士団を、穢れた存在なんて呼ばせないように、世間の認識を変えるために努めていくつもりだ」
その言葉に、ローレンス様は優しく目を細めた。
「アリアさんは、どうだい?」
「私は歌手になる夢を叶えるまでは、黒の騎士団の寮母を続けます。ここは私にとっても大切な場所なんです」
「……そうか」
私たちの答えを聞いたローレンス様は、すっと立ち上がって応接室の入口へと歩き出し、いきなりガチャリと勢いよくドアを開けた。
「うわっ!」
ドドド……ッ!
開いたドアの向こうから、聞き耳を立てていた騎士団のみなさまが、雪崩のように重なり合って部屋の中へと崩れ落ちてきた。
「ははは……すみません……」
一番下に敷かれていたエスター様が、バツが悪そうに照れ笑いをした。
「お前ら……」
レイモンド様が呆れたようにため息をつく。
「だ、そうだよ。みなさん」
ローレンス様は楽しそうに笑っていた。どうやら最初から勧誘する気などなく、団員たちの不安を払拭しようとしてくださったようだ。
「アリアさん。君には助けられてばかりだ。近々必ず、きっちりとお礼をさせていただくよ」
そういってローレンス様は帰っていった。
玄関でその背中を見送りながら、レイモンド様がポツリと呟いた。
「俺は、アリアがいてくれるこの日常があれば、それでいい。それだけで……十分すぎるくらい幸せなんだ」
「はい。私もです」
……ん?
あまりにも自然で温かい彼の言葉に、私はつい反射的に返事をしてしまった。
「あ、私、そろそろお昼の支度に行ってきます!」
あまりの恥ずかしさに、私はその場をそそくさと立ち去ってしまったけれど、少し振り返ると、後ろを向いたままのレイモンド様の耳は、真っ赤に染まっていたような気がした。




