【第14話】歌姫の覚醒
秋が去り、王都に厳しい冬がやってきた。
今日も朝食後の食堂では、張り詰めた空気の中で黒の騎士団の作戦会議が行われていた。前方でレイモンド様が低い声で説明をはじめる。
「今日の討伐対象はスケイルマンティスが三体だ。穢れの森の結界と、シェンケル区の中間にある林に潜んでいるらしい。トビー、解説を」
「はい。スケイルマンティスはいわば、硬いウロコのあるでかいカマキリです。巨大なカマも脅威ですが、今回はノーマル個体が二体、それに加えて瘴気を纏った黒い個体が一体いるのが厄介です。ノーマルをそれぞれ団長と第一部隊が対処し、黒い個体を残りの三部隊で総力を挙げて叩きます」
剣の腕だけで入団二年で団長になったというレイモンド様だが、彼と精鋭の第一部隊がそれぞれ一体ずつを単独で引き受け、他の三部隊がかりでようやく黒い個体一体を抑えるというその戦力差に、私は改めて彼の強さと責任の重さを感じていた。
「いってらっしゃい、みなさま」
「いってくるわね、姫」
「いってきます、姫様」
「いってくる、姫さん」
以前とは違い、私の見送りにも三人の部隊長を筆頭に、多くの団員たちが笑顔で返事を返してくださる。言葉を返してくれなくても、小さく頭を下げて通り過ぎる団員も随分と増えた。本当にあともう少しで、私が本当の意味でこの黒の騎士団の一員になれそうな気がしていた。
「じゃあ、いってくるよアリア」
「はい。おいしい夕食を作って、待ってますね」
最後に残ったレイモンド様を笑顔で見送り、黒の騎士団は冬の冷たい空気が張り詰める魔獣の討伐へと向かった。
――
俺達は、スケイルマンティスが潜むという王都近郊の林に足を踏み入れた。
冬枯れの木々が立ち並び視界は悪く、落ち葉を踏むカサカサという足音が緊張感を掻き立てる。
「ここからは慎重にいくぞ」
俺達はなるべく足音を殺しながら、薄暗い林を奥へと進んだ。そして、数十メートル先の木陰で蠢く三つの巨大な影を見つけた。
「よし、お前ら。トビーの作戦通りに三組に分かれるぞ」
セドリックさんの静かな指示で、それぞれが担当する個体に向けて隊列を組み直した。
「いくぞ!」
黒の騎士団の約四十人が、一気に魔獣との距離を詰める。
その時だった。三体のカマキリの奥から、もう一体の異形の影が林の奥から這い出してきたのだ。
「なに!?もう一体だと!」
足を止めた騎士団が見たものは、三体のスケイルマンティスと、巨大なトカゲ型の魔獣、バジリスクだった。
ギシャーーッ!
威嚇の声を上げる魔獣の姿に、エスターが舌打ちをする。
「ちょっと、聞いてないわよ!勘弁してよ!」
その時俺は、現れたバジリスクに強烈な違和感を持った。
「トビー、あのバジリスクの背中は何色だ?」
「赤です、団長!」
俺は確信した。奴だ!五年前にローレンス兄さんと遭遇し、俺から色を奪った特殊個体。ついに見つけた!
「お前ら、バジリスクは俺が一人で相手をする!あいつが俺に呪いをかけた個体だ。俺ならこれ以上、あいつの呪いに警戒する必要がない!」
俺の叫びに、セドリックさんが鋭く返す。
「わかった団長!ただカマキリの相手はどうする!戦力が足りないぞ」
「すまない!三体をみんなで対処できるか?」
俺が問うと、部隊長たちが覚悟を決めたように武器を構え直した。
「やるしかないわね!」
「死ぬなよ、みんな!」
俺は叫び、長年の宿敵に向かって一直線に地面を蹴った。
――
ガキィィィン!!
鋭い爪と俺の剣が激突し、火花が散る。
「はぁ、はぁ、……どうしたトカゲ野郎!まさか俺を忘れた、なんて言わないよな?」
俺は猛攻を仕掛け、ついに奴を太い木に追い詰めた。
「こいつで、終わりだっ!」
ザシュッ!!
俺の渾身の一撃が、バジリスクの急所、頭部を深く貫いた。
ギギャーーッ!!!
断末魔の叫びと共に、巨体がドサッと地面に崩れ落ちる。
「はぁ、はぁ、やった……やっと……これで呪いが……」
ついに俺は宿敵を倒した。これで俺の視界に色が戻る。アリアのあの美しい姿を、色の有る世界で見ることができる。……はずだった。
「視界が……戻らない」
視界は、無慈悲にもモノクロのままだった。
呪いをかけた魔獣を倒せば、呪いが解けることがある。
そんな、あまりにも不確かな噂を信じ、心の拠り所としていた。
学園を卒業してから、二年半。
その可能性に縋るように、この騎士団で死にもの狂いになって剣を振るってきた。
傷を負っても、立ち上がり、何度も魔獣に挑み続けた。
すべては、いつか呪いを解くために。
それだけを信じて、戦い続けてきたというのに。
「俺にできることは……もう……」
その時の俺は、呪いが解けなかったという絶望的な事実に動揺し、戦場のど真ん中で警戒を解くという、騎士として一番やってはいけないことをしてしまったのだ。
「レイモンド、危ないっ!!」
背後からセドリックさんの悲痛な叫び声が林に響き渡った。
振り返った俺の目に映ったのは、真横から迫るカマキリの巨大な刃だった。
ザシュッ!!
――
「うん。おいしく出来たわ」
スープの味見をしたドリスさんが、満足そうに微笑む。
「アリアちゃん、そろそろみんな帰ってくるころかしらね?」
「そうですね。討伐は未達成でも、暗くなる前には撤退しますので、そろそろかと……」
私が夕食の仕上げに取り掛かろうとした、その時だった。
ガチャリ!ドタドタドタドタッ!
重い玄関の扉が乱暴に開かれ、複数の慌ただしい足音が響き渡った。
「姫っ、大変だ!団長がっ!」
血相を変えたエスター様が食堂に駆け込んできた。
「え、エスター様!レイモンド様に何か!?」
「姫にしか無理だ!頼む、団長を助けて!」
その直後、レイモンド様を担いだバーナード様が食堂に飛び込んできた。
「姫さん、医務室に早く!」
バーナード様が叫ぶが、その言葉を血まみれのレイモンド様が弱々しい声で遮った。
「いや、……ここでいい。みんなの顔が見える場所に……たのむ」
「医務室からシーツを持ってきな!」
状況を察したドリスさんが、青ざめた顔の若手団員に鋭く指示を飛ばす。
食堂の床に敷かれたシーツの上に寝かされたレイモンド様を、団員全員が悲痛な顔で取り囲んだ。
その惨状を見て、私は息を呑んだ。
血まみれのレイモンド様は右の脇腹が大きくえぐれ、そして……右腕の二の腕から下に、無残に切断された腕が添えるように置かれていたのだ。
「レ、レイモンド様!!」
あまりのショックに、私は取り乱して叫んだ。
「追い詰められた黒いカマキリが、死に物狂いで他のカマキリを巻き込んで大暴れしたんだ。バラバラになって撒き散らされたカマキリの鋭いカマが、レイモンドに直撃したんだ!」
セドリック様が、ギリッと歯を食いしばりながら悔しそうにつぶやいた。
「とりあえずこれを飲んで!」
エスター様が無理やりポーションを飲ませるが、傷が深すぎて完全に焼け石に水だった。
このままでは、レイモンド様が死んでしまう……。
でも、私にこんな大怪我が治せるの?
これまで瘴気や呪いを祓ってはきたけれど、物理的な大怪我を治療したことなんて一度もない。
もし失敗したら?
もう二度と、あの優しい笑顔に会えなくなるの?
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
極度の恐怖とパニックで、私の呼吸が浅く激しくなる。
「姫っ!……だめだ、過呼吸だ!誰か、紙袋を!」
エスター様が慌てて団員に指示を飛ばす。
「アリア……最後に君に、謝りたいことが……あるんだ」
途切れ途切れのレイモンド様の声が響く。
「しゃべるな、レイモンド!」
セドリック様が叫ぶが、彼は無理に言葉を紡いだ。
「君をここに連れてきたのは……俺の呪いを、解いてもらおうと思ったからだ……。だけど……君を利用するために連れてきたと、思われるのが怖くて……言い出せなかった。……俺は……君を金貨一枚で買うような真似をした……本当に愚かな男だ」
レイモンド様の痛切な懺悔に、私の胸が締め付けられる。
やがて彼の碧い瞳から、スッと焦点が失われていく。
「でも、信じてくれ、アリア……。俺は、君のことを本当に大切に……思っていたんだ。……また一緒に、コンサートに行くって約束を……果たせなくて……すまない」
「くそっ!呼吸が止まった!」
セドリック様が顔面を蒼白にさせ、必死に心臓マッサージを始める。
「姫様、団長を助けてください!」
「姫さん、頼む!」
トビー様とバーナード様の悲痛な声が響く。
ダメだ。
頭が真っ白で、何も考えられない。
恐怖で喉が引き攣り、今の私に歌を歌うなんてことは到底できそうになかった。
「あんたたち!落ち着きなっ!」
その時、ドリスさんの力強い一喝が響き、食堂は水を打ったように静まりかえった。
彼女は私の頭をそっとその温かい胸に抱き寄せ、優しく耳元で語りかけた。
「大丈夫さ、アリアちゃん。レイモンドは強い子だ。こんなことで死にはしないよ。アタシには、みんなが何を言ってるのかはわからない。でも、アリアちゃんならレイモンドを、助けることができるかもしれないんだろ?大事なのは落ち着くことだよ。一番強い人間は、どんなピンチな場面でも冷静でいられる人さ」
ドリスさんの力強くて優しい声と、背中をさする手の温もりに、私の張り詰めていた心がすーっと解け、冷静さを取り戻していった。
「……ありがとうございます、ドリスさん。もう大丈夫です」
そうだ、私は聖女だ。
一番大切な人を助けられなくて、何が癒しの歌姫だ!
私は深く息を吸い込み、レイモンド様に向き直った。
両手を胸の前で強く組み、歌を歌いはじめる。
曲は、初めて出会った夜にダイニング・オリエッタの路地裏で、レイモンド様に「もう一度歌ってもらえないだろうか?」と言われたあの曲。
『勇者の帰還』
歌い始めると同時に、私の体から眩いほどの淡い光が溢れ出した。
私はレイモンド様との出会いから、今朝彼を見送るまでのすべてを思い返しながら、彼の無事を強く、強く祈り続けた。
(もう、会えなくなるなんて絶対にいやだ!ずっと一緒にいたい!私が愛する、この人と!)
「な……なんて美しい歌声と、温かな光……」
団員たちも、溢れだす光に包まれながら、その幻想的な光景に驚きを隠せない。
もっといける!
私の歌は、相手を想う強さが効果に反映される。レイモンド様を想う自分の心の力が、どこまでも際限なく強くなっていくことを歌いながら感じていた。
私が放つ淡い光は、やがて食堂を満たし、騎士団寮全体をすっぽりと包み込む巨大なドームへと成長した。
「こ、こいつは……エリアヒールなんてもんじゃないぞ!」
セドリック様が、信じられないものを見るように辺りを見回した。
私が祈りの歌を歌い終わると同時に、寮を包み込んでいた淡い光のドームは、無数の小さな光の粒子となって虚空へと溶けるように消えていった。
「……レイモンド様」
私が恐る恐るレイモンド様を見下ろすと、先程まで死の淵にいた彼の頬はピンク色に染まり、すうすうと穏やかな寝息を立てていた。
えぐれていた右の脇腹もすっかり元に戻り、切断されていた右腕も、傷跡一つ残さず完璧に元通りにくっついていたのだ。
「うぉっ、俺の傷がきれいに治ってる」
「お、俺もだ!」
驚きの声が次々と上がる。なんと、レイモンド様だけでなく、討伐で傷を負っていた他の団員たちまですっかり綺麗に治っていたのだ。
「や……った。やったよ、姫!」
エスター様が泣き崩れるように私に抱きついた。
「すげえ!やっぱり癒しの歌姫様だ!」
「ああ、さすが姫さんだ!」
うおぉぉぉぉぉっ!
騎士団の食堂には、いつまでも歓声が響き続けていた。その喧騒を聞きながら、私はただ涙をこぼしていた。
もう、二度とこの人の笑顔を見られないかと思った。
歓声がいつまでも鳴り止まないその場所で、ただひたすらに、レイモンド様の穏やかな寝顔を見つめ続けていた。




