【第13話】レイモンドの気持ち
すっかり秋めいた日曜日の朝。私はレイモンド様に声をかけられた。
「アリア。今日は出かける時間を取れるかい?」
「はい。大丈夫ですよ。ちょうどコートを買いに行こうと思ってたんです」
田舎から出てきた時に着ていた薄手のスプリングコートでは、王都の厳しい冬を過ごすのは難しいだろうと思っていたところだった。
「じゃあ、コートを買った後に、少し俺に付き合ってもらえないか?」
「はい、喜んで」
私はレイモンド様と一緒に出かけることにした。
玄関に向かうと、なぜかエスター様、バーナード様、トビー様の三人が揃って立っていた。そして、私たちに向かってにこやかに手を振って送り出してくれた。
「いってらっしゃい」と、楽しそうな三人の笑顔に少し首を傾げながら、私たちは寮を後にした。
私たちは王都の中心街へと歩みを進めた。
人混みに入ると、レイモンド様はごく自然に私の手を握り、私の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくださる。その気遣いが嬉しかったが、今日のレイモンド様はなぜか普段の私服ではなく、仕立ての良いスーツを身にまとっていた。
少しくたびれた普段着の私だと、こんなに素敵な彼の隣を歩くのは気恥ずかしくて、私はちょっとうつむき加減になってしまった。
やがて、大通りに面した高級感あふれるお店の前に到着した。
「ここは兄さんが経営してるブティックなんだ」
レイモンド様がお店の前に立つと、待機していた二人の店員が恭しく両方のドアを開いて私たちを招き入れた。
「お待ちしておりました、レイモンド様」
中から現れたのは、店長らしきとても綺麗な大人の女性だった。洗練された身のこなしで私たちを案内してくれる。
「すみません、私こんな格好で……」
場違いな自分の服装を恥じて私が縮こまっていると、店長さんは優しく微笑んだ。
「とんでもないです。良い素材の物を大切に着られてますね。こんなお嬢さんにこそ、当店の服はふさわしいのですよ」
「アリア。この後に、ドレスコードのあるところに行こうと思うんだ。だから全身トータルで欲しいものを選んでくれ」
「え、……すみません。今日はそんなに手持ちがなくて……」
私が慌てて財布の中身を思い返していると、店長さんが口を開いた。
「お嬢様。本日はオーナーから最大限のおもてなしをするようにと、ことづかっております。お代も全てレイモンド様から先にお支払いいただいておりますので、ご心配無用です」
戸惑いながらレイモンド様の方を見ると、彼はただニッコリと優しく微笑んで頷いてくれた。私はそのご好意に甘え、ドレスを選ばせていただくことにした。
美しいドレスが並ぶ店内で私が決めかねていると、店長さんが一着のドレスを手に取った。
「こちらがお嬢様の瞳の色に似て、とてもお似合いになられます」
提案してくれたのは、上品な深いグリーンのドレスだった。光沢のある柔らかな生地が、ひと目で高級品だとわかる。
「よし、じゃあそれにしようか。すまないが、あと、ここからここまでのドレスとコート。追加で普段着に使えそうなものを二十着ほど。それと今日着ているものをまとめて、黒の騎士団寮に届けておいてくれ」
「はい、承知いたしました」
「じゃあ、アリアをよろしくお願いするよ」
「おまかせください」
レイモンド様がフロアのラックを指さして、とんでもない買い方をしたような気がしたが、驚く間もなく店長さんが私の手をとって奥の別室へと引っ張っていく。
「え、店長さん?レイモンド様!」
私が振り返ると、レイモンド様はにこやかに手を振って私を別室へと送り出してくれた。
――
……三十分後。
ガチャリ。
別室のドアが開き、着替えを終えたアリアが姿を現した。その瞬間、俺はドクンと大きく胸が跳ね、顔が一気に熱を帯びるのを感じた。
「レイモンド様……私、おかしくないですか?」
少し不安そうに裾を握る彼女は、しっかりとプロのメイクを施されていた。普段はポニーテールに結んでいる亜麻色の髪をふわりと下ろし、両サイドの編み込みだけを、俺が贈ったあの銀の髪飾りで後ろに留めている。
上質なドレスと控えめに光るアクセサリーを身にまとっているが、俺には彼女自身の美しさに対して、そのドレスでさえ力不足に思えた。
この光景がもし色を帯びていたなら、いったいどれほどの美しさなのだろうか。想像するだけで息が止まりそうになる。
「レイモンド様?」
俺が言葉を失って固まっていると、アリアが不思議そうに首を傾げた。
「あ、ああ、すまない。君の美しさに見とれていたんだ」
正直な感想を口にすると、彼女はぱっと頬を染めた。
「ふふっ、お世辞を言っても、なんにも出ませんよ」
照れくさそうに笑うその仕草が、たまらなく愛おしい。
「じゃあ、行こうかアリア」
俺がエスコートのために手を差し出すと、彼女は嬉しそうに頷いた。
「はい、レイモンド様」
アリアはその小さな手を俺の手に乗せ、花が咲くように微笑んだ。
――
俺は彼女と共に、王都最大の『ハドリー劇場』に足を踏み入れた。
なんだか今日は視線をやけに感じる気がする。なぜか俺は女性からジロジロと見られることは多いのだが、今日は男性からの視線も感じている。……違う、男性が見ているのは俺じゃなくアリアだ。
なんなんだこの、美しいアリアを見せたいような、隠したいような複雑な気持ちは。
「レイモンド様、ここって……」
アリアに声をかけられ、俺は我にかえった。
「ああ、今日はジュリアン・ローのコンサートを見に来たんだ」
「え!?チケットが買えたんですか?」
「実は兄さんとジュリアンは学生時代からの親友らしいんだ。君が歌手を目指してるって伝えたら、チケットを融通してくれたんだよ」
「すごい……憧れのジュリアン様のコンサート!レイモンド様、ありがとうございます!」
アリアのキラキラした瞳を見て、彼女は本当に歌が好きなんだなと感じた。
兄さんが用意してくれたのは、VIP席の中でも一番の特等席だった。
金色の長い髪を後ろで一つに束ねた、美しい青年のジュリアンが現れると、それだけで劇場に大喝采が起きた。
ジュリアンのコンサートは本当に素晴らしかった。普段コンサートなど全く興味のない俺が、その美声に酔いしれたほどだ。だがそれでも、俺にはアリアの歌声の方が心の奥底に響くと感じた。
俺は途中からずっとアリアの横顔を眺めていたが、アリアが夢中で楽しんでくれていたことに、彼女を誘ってよかったと心から思った。
「今日は本当にありがとうございました、レイモンド様」
コンサートからの帰り道、彼女は俺を見上げながら、とびきりの笑顔で微笑んだ。
「喜んでくれてよかったよ。また一緒にいこう」
「はい。……とても素敵でしたね。いつか私も小さくていいから、劇場に立ってみたいです」
「絶対立てるさ。君の歌はジュリアンより素晴らしい」
「もう、またそうやってからかう。あ、痛っ」
アリアが急に顔をしかめ、立ち止まった。
「どうした?」
「ヒールに慣れてなくて、ちょっとくじいちゃいました」
「無理して歩いちゃいけない。よし、俺がおぶってあげよう」
俺が背中を向けてしゃがみ込むと、彼女は慌てて手を横に振った。
「え?!いや、そんな、だ、大丈夫です!誰かに見られたらちょっと恥ずかしいですし……」
「もしアリアの足がこれ以上悪化したら、俺がみんなに怒られる。それにこの道は寮に向かう人しか使わない。誰にも見られないさ」
「じゃ、じゃあ……すみません」
そう言って俺の背中にアリアがおぶさったその時、想定外のことが起こった。
とても大きく、柔らかい感触を背中に感じたのだ。俺の全神経が背中に注がれる。
「どうされました、レイモンド様?あ、ひょっとして私、重かったですか?」
「ぜ、全然重くなんかないさ!逆に軽すぎて、びっくりしたんだ。アリアはもっと食べた方がいい。そうだ、今度はみんなで食べ歩きにいこう!」
動揺を隠すように早口でまくしたてる俺に、彼女は背中で嬉しそうに笑った。
「はい。すごく楽しみです!」
他愛のない話をしながら俺は、ずっとこの時間が続けばどれだけ幸せだろうかと思った。
(……そうか、俺はアリアのことが好きだったんだ)
夕日に照らされ、一つに重なった長い影は、とてもとてもゆっくりと、寮への道を進んでいた。




