【第11話】兄と妹
バーナード様と共に私たち一行が足を向けたのは、王都の閑静な住宅街にあるリヒター子爵邸だった。
バーナード様はリヒター家の四男で二十二歳。八歳になる年の離れた妹さんがいるらしい。私にも同じ八歳の双子の弟妹がいるので、年の離れた妹がいるという彼に、私はとても親近感を持った。
「お帰りなさいませ、バーナード様。今日はお客様が大勢ですね。すぐにお茶の用意をいたしますね」
屋敷に着くと、品の良い初老のメイドさんが一人だけ出迎えてくれた。子爵家の屋敷にしては使用人の姿が少ない気がしたが、この方は元々バーナード様の乳母で、今は妹さんの専属メイドをしているそうだ。
「ティーナの様子は?」
バーナード様が玄関先で小声で尋ねた。
「ちょうどあの時期で、あまり良くありません」
メイドさんの言葉に、バーナード様の大きな背中が少しだけ強張った。
あの時期?その言葉の響きに、私は少し嫌な予感がした。
私たちはメイドさんに案内され、二階の奥にある部屋へと向かった。
コンコンコン……。
「ティーナ、俺だ」
「兄さん?……どうぞ」
扉の奥から、消え入りそうな細い声が聞こえた。
カチャ、とバーナード様が静かに扉を開ける。
通された部屋は白を基調とした、可愛らしい子供部屋だった。ただ、幼い子どもが読むにしてはあまりにも大量に思える絵本や児童書が、本棚から溢れ出しているのが少しだけ不自然に感じられた。
そして、部屋の奥にあるベッドには、バーナード様と同じ茶色の髪をした少女が寝かされていた。透き通るような白い肌をした、とてもかわいらしい少女だった。
「今日はお客様がいっぱいですね……ごほっ、ごほっ」
「大丈夫か?」
バーナード様が大きな体を丸めるようにしてベッドの脇にしゃがみ込み、ティーナちゃんの上半身をゆっくりと起こして優しく背中をさする。
「レイモンドお兄ちゃんたちもいらっしゃい」
ティーナちゃんが苦しそうに息をしながらも、無理に笑顔を作って挨拶をしてくれた。
「久しぶりだなティーナ。うん、前より顔色がいい。きっとすぐ良くなるよ」
レイモンド様がベッドに近づき、安心させるように優しく声をかける。
「うふふ……そうだといいですね……ごほっ」
「さぁ、もう横になって」
バーナード様がティーナちゃんをそっと寝かせ、丁寧にシーツをかけ直した。
その後、ティーナちゃんを休ませるため、私たちは部屋の窓際にある丸テーブルで、メイドさんが用意してくれたお茶をいただくことになった。
本屋でエスター様が私をここへ連れて来たのは、きっと私の歌でティーナちゃんを治せるかもしれないと思ったからだ。
私は最近、自分のこの不思議な力について少しだけ分かった気がしている。
オルドさん、トビー様、そしてエスター様。
おそらくこの歌の力は、相手のことを深く知り、その人を強く思えば思うほど、癒しの力が強くなるのだ。
ティーナちゃんのために歌うには、彼女のことをもっと深く知らなければならない。
「あの……ティーナちゃんはご病気なのですか?」
私が思い切って尋ねると、バーナード様は私と目線を合わせようとせず、テーブルの上のティーカップをじっと見つめたまま黙り込んでしまった。
その時、隣に座っていたエスター様が静かに口を開いた。
「バーナード、姫にティーナちゃんのことを話してやってくれないか?」
「……お前たち、最近この娘のことをなんで姫なんて呼んでる?弱みでも握られたのか?」
バーナード様はエスター様の頼みが聞こえなかったかのように、訝しげな顔で問い返した。
「そりゃ姫様が、癒しの歌姫だからですよ」
トビー様が横から得意げに割って入る。
「癒しの歌姫?……この娘は魔導師なのか?」
少し驚いたように問うバーナード様に、エスター様がまっすぐな視線で答えた。
「いいや、アリアは聖女だ」
エスター様のその言葉を聞いた一瞬、今まで私たちのやり取りを、ただじっと聞いてるだけだったレイモンド様の顔色が変わったような気がした。驚愕なのか、戸惑いなのか、彼の碧い瞳が大きく見開かれ、私をじっと見つめている。
「ほ、本当なのか……?」
バーナード様が、今日初めて私に向かってまっすぐに声をかけた。
「……自分が聖女かどうかはわかりません。ただ私の歌には、人を癒す力があるようなのです」
私が正直に答えると、バーナード様は深く息を吐いた。
「にわかには信じられんな……」
バーナード様がそう言った時だった。
「バーナード」
エスター様が声をかけ、彼の目の前に自分の右手を、手のひらを開いたまま突き出した。そして、ゆっくりと右手を開いたり閉じたりを繰り返してみせた。
ガタッ!
その光景を見た瞬間、私以外の三人が同時に椅子を揺らして立ち上がった。
「お前……呪いが……解けたのか?」
バーナード様が信じられないものを見るように、エスター様の右手を見つめている。
「解けたんじゃない、姫が解いたんだ」
エスター様の言葉に、バーナード様はハッとして私を見た。
「でも、今まで国中の高名な何人もの聖者や聖女の祈りを受けたがダメだったんだ……。聖女かどうかわからない少女の歌など……」
希望を持つのが怖いのだろう。過去に何度も期待しては絶望してきたのだということが、彼の震える声から伝わってきた。
「バーナード。試すことに損はないんだ。アリアを信じてみないか?」
レイモンド様が、バーナード様の肩に手を置いて強く背中を押した。
「そうだな……。なあ、俺は何をすればいい?」
すがるような目で私を見るバーナード様に、私は落ち着いて答えた。
「私の力は、相手を知って、その人を深く思うことで力が強くなる気がするんです。どうか、ティーナちゃんのことを教えてください」
バーナード様は一度深く目を閉じ、やがて静かに語り始めた。
「うちは父親が三人の妻を娶っている。俺と同じ母親なのはティーナだけだ。俺たちの母親は、ティーナがお腹にいる時に馬車での移動中に、はぐれ魔獣に襲われ、その瘴気を浴びてしまった。母はティーナを生んだ直後、瘴気汚染の影響もあり亡くなった。そしてティーナは生まれながらにして、瘴気汚染を患っていた」
私は息を呑んだ。魔獣との直接の関わりがなくても、生まれながらに瘴気汚染を患っているなんて。外で遊ぶこともできず、この部屋の本棚にある沢山の絵本だけを友として過ごしてきた幼い少女の苦しみと孤独は、どれほどのものだろうか。
「俺は、同じ様な人をこれ以上増やさないために黒の騎士団に入った。騎士団の給料や討伐の報酬は全て聖者や聖女のお布施にして、今までさまざまな治療をためした。しかし生まれながらの瘴気汚染は、肉体との結びつきが強すぎるらしく、今まで誰一人として祓えなかった」
自分の身を削って最前線で戦い続け、それでも妹を救えなかった無念さ。
バーナード様が騎士団にいる理由を知り、この人はいつも自分以外の誰かのために戦っているんだと、私は深く心を打たれた。
「話してくださってありがとうございます。……私、やってみます」
私が決意を込めてそう言うと、エスター様が「ありがとう、姫……」と、私の手をぎゅっと強く握りしめてくれた。
私たちは窓際のテーブルを離れ、ティーナちゃんの眠るベッドの元へと静かに歩み寄った。そして、そっと彼女を起こした。
「こんにちは、ティーナちゃん。私はアリアよ」
私が微笑みかけると、ティーナちゃんはパチクリと目を瞬かせた。
「こんにちは……。お姉ちゃん、さっきから姫って呼ばれてるけど、本当にお姫様なの?」
「えっと、それは……」
私が言葉に詰まっていると、横からトビー様が身を乗り出してきた。
「そうだよ、このお姉ちゃんは歌姫様だよ」
私が否定しようとした言葉を、トビー様が遮って笑顔で答える。ティーナちゃんの瞳が、きらきらと輝きを増した。
「そう……そうなれればいいなって思って、今練習しているの。私の歌を聞いてくれる?」
私は先ほど街の本屋で買ったばかりの歌集を取り出し、ティーナちゃんに手渡した。
「歌ってほしいお歌はある?」
「え?……私に歌ってくれるの?」
ティーナちゃんは信じられないといった様子で、嬉しそうに歌集のページをめくり始めた。
「これ、好きなお歌だ。これを歌って、お姉ちゃん」
ティーナちゃんが小さな指でさし示した歌集のページは、家族や兄弟の深い絆と愛情を歌った名曲『風渡る故郷』だった。
私は静かに目を閉じ、ティーナちゃんとバーナード様のこれまでの苦難の道のりを強く胸に思い描いた。妹を救うために血の滲むような努力を続けてきた兄と、一人ベッドの上で病魔と闘い続けてきた妹。
どうか、この二人に心からの安らぎが訪れますように。
私はありったけの祈りを込めて、歌を歌いはじめた。
その時だった。
以前エスター様たちを癒した時と同じように、私の体から淡い光が溢れ出し、瞬く間に部屋の全員を優しく包み込んだ。
「こ、これは!?」
バーナード様が驚愕の声を上げる。
「すごい……なんて優しい歌声」
「これが……アリアの力……」
「温かい……あの時僕が聞いた歌声と同じだ」
エスター様とトビー様が、部屋全体にどんどん広がる光を見つめている。
(以前より、力が強くなっている気がする……)
私自身もその光の強さと温かさに驚きながらも、心をこめて最後まで歌い続けた。
やがて歌が終わると共に、部屋を包んでいた光はすっと虚空に溶けるように消えていった。
「すごい!お姉ちゃん。とってもお歌が上手だね!」
「気分はどう?ティーナちゃん」
ティーナちゃんの顔色はあきらかに良くなり、頬にはほんのりと健康的な赤みが差していた。
「……苦しくない」
そう呟いたティーナちゃんは、自らゆっくりとベッドから降りた。
「お兄ちゃん!」
そして、信じられないほどの身軽さで、バーナード様にぴょんと抱きついたのだ。
「ティ、ティーナ……お前、治ったのか?」
バーナード様は、自分の腕の中に飛び込んできた小さな体を抱きとめながら、震える声で尋ねた。
「うん!今まで生きてきた中で、一番いい気分なの!」
「ティーナ!」
バーナード様は大きな体でティーナちゃんを強く抱きしめ、二人は抱き合いながら大粒の涙を流し続けた。
その時、ぎゅっと背後からエスター様が私を強くハグした。
「ありがとう……ありがとう、姫……」
エスター様の声も涙に濡れていた。
みなさまはきっと何年も、ティーナちゃんのことを助けようと必死に頑張ってきたのだろう。その苦労が報われた瞬間に立ち会えたことが、私も心から嬉しかった。
やがて、ティーナちゃんから体を離したバーナード様が、ゆっくりと私の方へ歩み寄ってきた。そして、感極まった様子でいきなり私をぎゅっと強くハグした。
「ありがとう!本当にありがとう!姫さん!」
「バーナード様……」
私はまっすぐなその言葉と、彼から伝わる不器用で温かい感謝の気持ちに、胸の奥が熱くなった。
その感動的な瞬間の、直後だった。
「お、おい!バーナード!女性に断りもなく触れるんじゃない!」
「そうですよ兄貴!姫様に気安く触らないでください!」
突如としてレイモンド様とトビー様が血相を変えて飛んできて、私からバーナード様を引き剥がそうと大騒ぎを始めた。そのあまりの必死な焦りように、エスター様が腹を抱えて大笑いを始めた。
「す、すまない!」
我に返り、慌てて私からパッと手を離したバーナード様は、少し顔を赤くした後、みなの顔を見てつられたように大きな声で笑い出した。
部屋中に明るい笑い声が響き渡る。
この時が彼にとって、ティーナちゃんが生まれてから初めて、心の底から笑えた瞬間だったのかもしれない。




