第三話「決断」
次の日の昼過ぎ。
奏はまた、あの参道を歩いていた。
自分でも理由はよくわからなかった。
暇だったからかもしれないし、実家にいても息が苦しいからどこかへ逃げたかっただけかもしれない。
―—あるいは。
昨日、帰り際に見たスイの顔が、妙に頭に残っておいたからかもしれない。
木漏れ日の道を抜け、古びた県道へ出る。
すると。
「あっ!!!」
ものすごい勢いで小さな影が駆けてくる。
スイだ。昨日よりずっと嬉しそうだった。
「また来てくれた……!」
「いや、まあ……」
抱きついたまま、すりすり頬を押し付けてくる。
距離感がおかしい。
暑いから離れて、と半ば強引に彼女を引き離す。
「そうだ!」
スイがいきなり叫ぶ。
「奏のお願い事、叶えといたよ!」
「……は?」
あまりにも自然に言うものだから、意味が分からなかった。
スイは胸を張る。
「奏、“ないてい”欲しいってお願いしてたでしょ?」
「いや……なんで僕の願い事の内容知ってるの?あと、名前……僕、言ったっけ?」
「神様だから知ってるの!妹尾 奏くん!」
えへん、と得意げな顔。
僕は現実感が湧かないままスマホのメールアプリを開く。
新着メールが一見届いていた。
企業名を見る。
面接結果待ちの会社だった。
正直、記念受験みたいなものだった。
周りの就活生のだれもが名前を知っているような大企業。
面接でも手ごたえなんかなかった。
絶対落ちたと思っていた。
なんなら、受かるつもりで受けてない。
「………え?」
固まった。
採用通知だった。
何度も読み返す。間違いじゃない。
本当に。
本当に受かっていた。
「え、なんで……」
のどが渇く。
実感が全くわかない僕の隣で、スイは得意げに笑った。
「ね?叶ったでしょ?」
「…いや、いやいやいや」
偶然だ。
たまたまだ。
そう思おうとするのに、昨日のお願い事が頭から離れない。
僕はスマホを見つめたまま呆然とする。
そんな僕の姿を見てスイは満足そうにうんうんと頷いた。
「よかったぁ。奏、ずっと辛そうだったから」
スイは子供みたいに無邪気な顔で笑っていた。
でもその目だけが、少し寂しそうだった。
「幸福の神様だからね。人を幸せにするの、得意なんだ。久しぶりだったけどちゃんとお仕事で来た!」
温い風が木々を揺らし、日差しが古びた神社を照らしていた。
その日の夕方。
奏は、近所のコンビニへ向かう途中で、立ち話をしている老人たちの声を聞いてしまった。
「あそこも、とうとう壊すらしいな」
「山の廃神社か?」
「そうそう。来週、お祓いして更地にするんだと」
足が止まる。
「危ないもんなぁ。崩れかけてるし。」
「誰も行かんしな。俺が最後に見に行ったのも10年以上前かもしれん」
「神さんも、もうおらんだろ」
そのまま会話は遠ざかっていく。
僕だけがその場から動けなかった。
取り壊し。
お祓い。
――ここ、わたしの神社だもん。
――五十年ぶりのお参りの人だもん。
――人を幸せにするの、得意なんだよ。
胸の奥が妙にざわついた。
次の日。
僕は放っておけなくて、また神社に来た。
スイは石段の途中で座っていて、奏を見つけた瞬間に顔を輝かせた。
「奏!」
ぱたぱた駆け寄ってくる。
その姿を見た瞬間、涙が出そうになった。
……この子は、何も知らない。
この神社が終わることも、自分が“忘れられた神様”だということも。
「ねぇ奏、今日はね――」
「スイ」
言葉を遮る。
スイはきょとんとしていた。
自分は何か、大変なことをしようとしてるのかもしれない。
悩んだけど、それ以上にスイが放っておけなかった。
「うち、来る……?」
「ん?」
「僕が一人暮らししてるアパート。大学の近く」
スイは目をぱちぱちする。
「なんで?」
境内の隅には箒でまとめられた落ち葉の山、しっかりと目立てされてる砂利道。
言わなきゃいけない。
そう思っているのに、なかなか口が開かなかった。
「…奏?悲しい顔してる。昨日のお願い叶ったの、うれしくなかった……?」
「…いや」
思わず目線を落としてしまう。
胸の奥が重い。
こんな話をしたらきっと泣くと思った。
自分の居場所がなくなるのだ。
この神社はきっと、彼女にとってはきっと存在意義そのものなはずだ。
悲しまないはずがない。
ゆっくり息を吐いた。
「……この神社さ」
「うん?」
「来週、取り壊されるらしい。」
スイが瞬きをする。
「とりこわし?」
「壊して、更地にするって」
「さらち…」
「…何もなくするってこと」
しばらく沈黙。風が吹く。木々が揺れる。
スイは「ふぅん」と小さくうなずいた。
「それで……お祓いの人も来るらしい」
「えっ!?」
スイがものすごい勢いで顔を上げた。
「おはらい!?」
「う、うん……」
「なんで!?」
思っていた反応と違った。
もっと静かに落ち込むと思っていたのに。
「え、待って待って!なんでお祓いするの!?」
「いや、みんなスイが怒らないかとか気にしてるんじゃない…?」
「怒らないのに!!」
スイは駄々っ子みたいに叫ぶ。
「お祓いって、悪くて怖い神様にするやつでしょ!?」
「まあ……たぶん」
「スイ、祟ったことないよ!?」
「う、うん」
「百姓の子が神社の柿勝手に食ちゃった時も怒らずに一緒に遊んだし!」
「うん」
「雷も落としたことないし、呪ったこともないし!」
「うん」
「カエル大量発生とかもしてない!」
「最後だけ怪しいな…」
「してないもん!」
真剣に抗議しているのに、僕は思わず吹き出しそうになる。
慰めの言葉をたくさん考えてきたけど、必要なさそうだな。
――でも。
「ちゃんと、幸福の神様してたもん………」
しょんぼり呟く。
「みんなが笑ってるのが好きだから……お参り来た人には頑張ってお願い叶えてたし……」
その声はひどく小さかった。
胸が少し痛む。
「なのにお祓いされるの?」
不安そうに見上げてくる。
「スイ、悪い子だった…?」
違う。
でも、人に忘れられた神社。
取り壊される場所。
誰も必要としていない。
気味悪がられるのも仕方なかった。
「……少なくとも、僕は助かった」
「……え?」
スイが目を瞬く。
「内定もらえたし。スイは、ちゃんと僕の幸福の神様だよ」
スイはぽかんとしていたが、じわじわ顔が赤くなる。
「……えへへ」
照れくさそうに笑う。
明日車で迎えに来るから、お祓いされちゃう前にここを出よう。
そう伝えて、神社を後にする。
僕に就職先という居場所をくれた彼女に、今度は僕が居場所を与えたい。
それが僕が彼女にできる唯一の恩返しだと思った。




