第二十八章 春、戸塚の本部入社
翌年の春、戸塚海斗が本部の社員として採用された。
本部人事の宮原くんが、わざわざ青葉店まで内定書を届けに来てくれた。
「戸塚さん、本部フラッグシップ店配属、研修期間半年、その後、本部商品企画部に配属です」
戸塚は無言で内定書を受け取った。
そして深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
宮原くんは笑顔で頷いた。
「戸塚さん、本部新人で最も注目されています。専門学校中退ですが、現場の技術はトップクラス。本部の若い社員皆、戸塚さんを目標にしています」
戸塚はいつもの仏頂面だった。
しかし、その目には確かに誇りが宿っていた。
その日の午後、店の閉店後、店長室でささやかな戸塚の送別会が開かれた。
ミッチ姉さん、沙耶ちゃん、宇都宮、田所さん、仁科さん、福田さん。それから店の若いバイトたち。
「戸塚、おめでとう」
俺は缶ビールを手渡した。
戸塚はまだ二十一歳だった。
ぎりぎり飲める歳だった。
「店長、ありがとうございます」
「乾杯」
「乾杯」
缶を軽く合わせた。
ことんと軽い音がした。
ミッチ姉さんが、戸塚の肩を叩いた。
「戸塚、本部行っても青葉店、忘れちゃダメだよ」
「忘れません」
「青葉店の出刃、月に二回研ぎに来るんでしょ」
「ええ、店長と約束しました」
「いい子」
ミッチ姉さんは嬉しそうに笑った。
沙耶ちゃんが戸塚に紙袋を差し出した。
「戸塚、これ、息子から」
中には手作りのお守りが入っていた。
「看護学校、息子は毎日勉強していて手作りです」
戸塚はお守りを両手で受け取った。
「ありがとうございます」
田所さんが、ほうきを手に持っていた。
「戸塚、本部の床、磨きが甘い。絶対、本部の床を磨いておいで」
「了解します」
仁科さんが白パンを差し出した。
「戸塚、本部のパンはまだまだです。貴方が本部のパンを改善してください」
「鮮魚じゃないんですか」
「鮮魚とパン、両方お願いします」
戸塚はいつもの仏頂面のまま、頷いた。
副店長の宇都宮が缶ビールをぐっと飲んだ。
「戸塚、本部に行ったらまず現場を見てこい。本部の机の上、書類ばかり見ないで現場を見て来い」
「ええ、店長から教わってます」
「氷川さんが最後に後悔していたこと、お前繰り返すなよ」
戸塚は頷いた。
「絶対、繰り返しません」
俺は缶ビールをぐっと飲んだ。
「戸塚」
「はい、店長」
「お前は青葉店の誇りだ。本部に行っても、青葉店の戸塚でいてくれ」
「ええ、絶対青葉店の戸塚でいます」
「青葉店の出刃、月に二回研ぎに来い」
「ええ」
「青葉店の新人、教えに来い」
「ええ」
「青葉店の夏祭り、絶対来い」
「ええ、絶対来ます」
俺は缶ビールを戸塚の缶に当てた。
ことんと軽い音がした。
それは二〇〇五年の夏祭りの夜、氷川と屋上で当てた缶ビールの音と、同じ音だった。
そしてそれは、二つの月の世界の王都の勝利の祝宴の音とも繋がっていた。
戸塚は深々と頭を下げた。
「店長、二年、青葉店でお世話になりました。本当にありがとうございました」
戸塚はいつもの仏頂面だった。
しかしその目には、確かに涙が滲んでいた。
「戸塚、お疲れさん」
「店長、お疲れさんです」
俺たちは、もう一度缶ビールを当てた。
ことんことんと、軽い音が続いた。
それは、青葉店の新しい始まりの音だった。
戸塚はその翌週、東京の本部に、引っ越した。
しかし約束、通り月に、二回青葉店に、戻ってきた。
そして、鮮魚売場で出刃を、研ぎ、若いバイトに、教えていた。
「戸塚さん、今日もお疲れさまです」
「お疲れさまです」
戸塚は月に、二回、青葉店の戸塚海斗に、戻った。
そして、月の残り二十八日、は本部フラッグシップ店の、戸塚海斗として、働いていた。
戸塚は本部フラッグシップ店でたちまち、伝説になった。
本部新人で、初めての鮮魚部、エースの座を手に、入れた。
新作の刺身を、五種類、開発した。
すべて本部フラッグシップ店のヒット、商品になった。
そして、本部の若い社員皆が、戸塚海斗を、目標に、するようになった。
俺は、戸塚の姿を月に二回、青葉店で、見ていた。
そして、誇らしい、気持ちになった。
戸塚お前は、青葉店の誇りだ。
そしていつか本部で店長を、超える男、になる。
それが、俺の夢でも、あった。




