第二十六章 戸塚と漁師少年の手紙
秋の終わり、戸塚が、店長室に入ってきた。
「店長、ちょっといいですか」
「うん戸塚何だ」
戸塚はいつもの仏頂面だった。
しかしその目には、わずかな揺れがあった。
「店長、これ」
戸塚はポケットから一通の紙片を、取り出した。
折りたたまれた紙だった。
「これ夢で見たんです」
「夢」
「夕べ、夢で漁師の少年が出てきた。こちらに伝えてほしい、と」
戸塚は紙片を机に置いた。
「目が覚めたら、これが枕元にあった」
俺は紙片を手に、取った。
開いた。
中の文字は、確かに漁師の少年の文字だった。
しかしそれは、日本語だった。
「戸塚海神様、お元気ですか。わたしは毎日、出刃を研いでいます。戸塚さんからもらった出刃まだ切れます。漁港、毎日魚たくさん捕れます。わたしはもう漁師になりました。村の皆元気です。二つの月の世界、平和です。戸塚海神様、またいつかお会いしましょう。漁師ヴィレム」
俺は紙片を戸塚に戻した。
戸塚は紙片をしばらく見ていた。
「戸塚、夢から紙を持って帰ったのか」
「分かりません。でも、これは確かにヴィレムの字です」
戸塚の目に、涙が滲んでいた。
戸塚が泣いているところを見るのは、初めてだった。
「戸塚」
「店長、俺、向こうのヴィレムにまた会いたい」
「うん」
「俺、向こうで初めて、誰かに海神と呼ばれた。生まれて初めて誰かに尊敬された。専門学校中退の俺が、専門学校中退でここで鮮魚のバイトやっている俺が」
戸塚の声が、震えていた。
「向こうで俺、ヴィレムに教えること、たくさんあった。初めて誰かに教える立場に立てた。初めて誰かに頼られた」
「うん」
「戻って来てよかった。戻って来て、店長の隣で出刃を研いでいてよかった。でも、もう一度向こうに行けたら、ヴィレムにもっと教えたい」
俺は頷いた。
「戸塚、お前もうここでも、誰かに教える立場だぞ。本部の研修で誰かを教えている。青葉店、漁港の若い職人にも教えている。お前はもう教える人だ」
戸塚は頷いた。
「ええ、知ってます店長、ありがとうございます」
戸塚は紙片を、ポケットに、しまった。
「店長、これ引き出しにしまいます。いつか向こうに戻れた時、ヴィレムに見せる」
「うん、しまえ」
戸塚は、店長室を出ていった。
俺は机の、引き出しを開けた。
中には、エルナの手紙と氷川の、手紙それから戸塚の、紙片。
三通の二つの世界の手紙だった。
俺は、引き出しを閉じた。
その日の午後、店の、鮮魚売場で戸塚が出刃を、研いでいた。
その横で、地元の漁港から来た、若い職人が戸塚の、手元を見ていた。
「戸塚さん、こうですか」
「もっと角度、浅く、四十五度より少し、寝かせて」
「こうですか」
「そう」
戸塚は淡々と教えていた。
二つの月の世界の、ヴィレムに教えた、のと同じ、教え方だった。
そしてそれを、こちらの、若い職人にも、教えていた。
俺はそれを見ながら、頷いた。
戸塚は、二つの世界で誰かを、教えていた。
それは確かな、繋がりだった。
夕方、店閉店後戸塚が、もう一度店長室に入ってきた。
「店長」
「ん」
「俺、本部の社員、受けます」
「えっ」
俺は、驚いた。
「お前、店長の隣で出刃、研ぐ方が、好き、だって」
「ええ、好きですでも、本部の社員になって、青葉店の地位を、もう少し上げたいです」
「青葉店の地位を」
「ええ。青葉店は地方ロードサイドの店です。本部は目を離せばまた潰そうとする。それを本部から止めたいです」
戸塚はいつもの仏頂面だった。
しかし、その目には、明らかな決意が、あった。
「俺、専門学校中退です本部社員、まずは難しいと思います、でも店長推薦、してください」
俺は頷いた。
「ええ、もちろん推薦、する」
「ありがとうございます」
戸塚は深々と頭を下げた。
「ただし本部の社員になっても、月二回青葉店に戻って出刃研ぎたい」
「ええ。それは本部にも頼んで、おく」
「ありがとうございます」
戸塚は出ていった。
俺は机の上の書類をしばらく、見ていた。
戸塚の、推薦状を、書き始めた。
「戸塚海斗二十歳、水産専門学校中退、ただし青葉店鮮魚部、バイト二年入社後独学で、神経締めから、出刃の研ぎまで習得本部フラッグシップ店の新作、刺身の開発貢献品質、向上二倍、彼の、現場の技術は本部社員、誰一人として追い、付いて、いないぜひ、本部の社員として、採用を、推薦する、青葉店店長、真壁悠斗」
俺は、推薦状を封筒に入れた。
明日本部に、送る。
戸塚は、必ず本部に、入ると思った。
二十年前の氷川の跡を、継いで、本部から現場を、守る、男になる。
それは、青葉店の戸塚海斗の、新しい、誇りだった。




