第二十四章 二十一年目の夏
その年の、夏。
青葉店開店、二十一周年記念、夏祭りが、開かれた。
地元の町内会、商店街、PTA、子供会。すべてが協力した、店主催の夏祭りだった。
駐車場に屋台が並んだ。
焼きそば、たこ焼きかき氷、わたあめ林檎飴、金魚すくい輪投げ、射的。
子供たちが、はしゃいでいた。
その、子供たちの中に、氷川の息子の姿、も、あった。
東京から、わざわざ、夏休みを使って、青葉店夏祭りに来て、くれた。
俺は店の屋上にいた。
宇都宮、副店長が、缶ビールを両手で抱えて上がってきた。
「店長お疲れです」
「ああ副店長、お疲れ」
「皆、楽しんでますよ」
「うん」
宇都宮は、缶ビールを二本、取り出した。
一本を俺に、渡した。
もう一本を、彼自身の手に持った。
「乾杯、店長」
「乾杯」
ぷしゅっと缶を開ける、音。
ことんと缶同士を軽く当てる、音。
冷たいビールが喉を流れた。
宇都宮が、ぽつりと言った。
「店長、覚えてますか」
「ん」
「二〇〇五年の夏祭り、店長と氷川さんがここで、缶ビール飲んでましたよね」
俺は頷いた。
「ああよく、覚えてる」
「私はまだ入社二年目で、駐車場で屋台を手伝ってましたけど、二人がここで缶ビール飲んでいる姿、ずっと印象に残ってました」
「そうか」
「店長が氷川さんにこう言ってましたよね。俺たちの仕事は、誰かの毎日のご飯を支える仕事だ。世界一地味で世界一誇らしい仕事だ、と」
俺は缶ビールを口に当てた、まましばらく、動かなかった。
「副店長お前、それ聞いてたのか」
「ええ、聞こえてました」
「いつも思っていたんです。店長と氷川さんのその会話を聞いた夜から、私はずっとその言葉を抱えて副店長をやってきました」
宇都宮は、缶ビールをぐっと飲んだ。
「店長私の、副店長の誇りは、その夜の店長と、氷川さんの缶ビールです」
俺は頷いた。
涙が滲んでいた。
「副店長、ありがとう」
「いえ、ありがとうは私の方です」
宇都宮は、缶ビールを、ぐっと飲み干した。
そして缶を、もう一本出した。
「店長、もう一本」
「ああ、もらう」
ぷしゅっ。
俺は夜空を、見上げた。
夏の夜空。
満月が一つ、白く、輝いていた。
その、月の隣に、もう一つ月が見えた気がした。
幻だった。
しかし、それは確かに、俺の目には見えた。
二つの月。
二つの月の下で俺と、七十三人は二ヶ月、生き、抜いた。
王女エルナと出会い、ロドリゲスと戦い。グルド将軍を追い返し、氷川と向き合い、魔王の貯蔵庫を棚卸しした。
そして、戻ってきた。
戻って来て、俺は店長を、続けている。
下から、子供たちの、歓声が聞こえてきた。
花火が、上がった、らしい。
二〇〇五年からずっと、変わらず、上がっている、地元の町内会の花火だった。
しかしその花火が今、俺には二つの月の世界の王都の花火と、重なって見えた。
二十年ぶりに、王都の夜空に上がった、花火。
宮廷魔導士長が新しく、開発した魔法の、花火。
赤青緑紫金銀、様々な色が二つの月の間に咲いた花火。
俺は缶ビールをぐっと飲み干した。
「副店長」
「はい」
「いい夏祭り、だな」
「ええ最高の夏祭りです」
その時、屋上の階段から足音が、した。
七十三人の主要メンバー。それから氷川の息子。
七人上がってきた。
「店長皆さん、屋上で花火見たい、って」
ミッチ姉さんが缶ビールを持っていた。
「いいよ、上がって、おいで」
七人、屋上に上がってきた。
それぞれが、缶ビールや、ジュースを、持っていた。
「乾杯」
ミッチ姉さんが缶を上げた。
「乾杯」
七人、それぞれの、缶を軽く合わせた。
ことんことん、ことんと缶同士が当たる、音が続いた。
それはまるで、二つの月の世界の王都の勝利の祝宴の音と似ていた。
氷川の息子がぽつりと言った。
「真壁、おじさん、父はここで、缶ビール、飲んでいたんですね」
「ええ、二十年前」
「俺もいつかここで、父と缶ビールを飲みたいです。もちろん二十歳過ぎてから、ですけど」
俺は笑った。
「絶対、お父さん待って、いるよ、屋上で」
息子は頷いた。
夜空に花火がまた、上がった。
赤い花火。
青い、花火。
緑の、花火。
紫の、花火。
金の、花火。
銀の、花火。
それぞれの色が、満月の横で、咲いた。
ミッチ姉さんが、ぽつりと呟いた。
「店長」
「ん」
「私、王都の花火思い、出した」
戸塚が頷いた。
「俺も」
沙耶ちゃんが頷いた。
「私も」
田所さんが頷いた。
「私も」
仁科さんが頷いた。
「私も」
福田さんが頷いた。
「私も」
宇都宮、副店長が頷いた。
「私も」
俺は頷いた。
「俺も」
夏祭りの、屋台の向こうに二つの月の世界の、王都の夜が、重なって、見えた。
それは確かに、俺たちの目には見えた。
七十三人、全員の目には見えた。
エルナの姿、ロドリゲスの姿、王の姿グルド将軍の姿、氷川の、姿。
そして青葉店の避難民の子供たち、王都の職人たち、農民たち、老人たちの姿。
全員満月の、光の中にいた。
「店長」
ミッチ姉さんが、缶ビールを軽く、当てた。
「私たちいい、二ヶ月、過ごしたわよね」
「ええいい、二ヶ月でした」
「私たちの現場、二つの月の世界、でも、ちゃんと、報われたわよ」
「ええ」
「そして、こっちの世界でも、ちゃんと、続いている」
「ええ続いて、います」
俺は深く息を吸った。
夏の夜の空気だった。
蚊取り線香の匂い、屋台のソースの匂い、夏の夜露の、匂い。
すべてが青葉店、の夏祭りの、匂いだった。
そして、それは確かに、二つの月の世界の王都の勝利の祝宴の匂いと繋がっていた。
両方とも、誰かの毎日のご飯を支える、仕事の、匂いだった。
両方とも、誰かの暮らしを守る仕事の、匂いだった。
俺は夜空を、見上げた。
満月が一つ、輝いていた。
しかし、俺の目には二つの月が見えた。
それでよかった。
俺は缶ビールをぐっと飲んだ。
「副店長」
「はい」
「来年も夏祭り、やるぞ」
「ええもちろんです」
「再来年も、その次の年もその次の次の、年も」
「ええ、毎年やります」
「俺が店長、を続ける、限り」
「ええ」
俺は頷いた。
胸の、ポケットの中の、エルナの手紙と、氷川の手紙がわずかに温かかった。
二つの世界の二つの手紙。
それを抱えて、俺は店長を続ける。
それでよかった。
それでいいんだ。
俺は缶ビールをもう一口飲んだ。
冷たいビールが喉を流れた。
「いらっしゃいませ」
俺は心の中で、呟いた。
「青葉店本日開店中です」
そして、明日も開店、する。
明後日も開店、する。
毎日毎日開店、する。
それが店長の仕事だった。
それが現場の、誇りだった。
それを、二十年続けてきた。
これから、二十年続ける。
それでよかった。
それでいいんだ。
夜空に最後の、花火が上がった。
最大の、大輪だった。
満月の隣で、咲いた。
七十三人全員と氷川の息子が、声を上げた。
「綺麗」
俺も、声を上げた。
「綺麗、だな」
夜空には二つの月の、影がまだ見えていた。
俺の目には、それが確かに、見えていた。
そしてそれでよかった。
それでいいんだ。
俺は目を閉じた。
夏の夜の風が頬を撫でた。
その風の、向こうに確かに、王女エルナの、声が聞こえた、気がした。
「いらっしゃいませを、ありがとうございました」
俺は目を開けた。
夜空に二つの月、はもう見えなかった。
満月が一つ、輝いていた。
しかしそれでよかった。
俺の、心の中に二つの月の、世界は確かに、生きていた。
そしてそれでいいんだ。
俺は缶ビールを、飲み干した。
「皆さん」
俺は屋上の皆に、声をかけた。
「明日も開店です、よろしく、お願いします」
七人が頷いた。
「店長明日も、よろしく、お願いします」
俺は屋上の階段に向かって、歩いた。
ふと振り返った。
七十三人全員が、夜空の満月を見上げていた。
満月の、光が彼らを、包んでいた。
それは、二つの月の世界の、王都の二十年ぶりの、祝宴の光と同じ、光だった。
俺は頷いた。
そして階段を、降りた。
下では、青葉店の夏祭りが最高潮を迎えていた。
子供たちが走り、回っていた。
大人たちが屋台で、笑っていた。
老人たちが椅子に、座って、ビールを、飲んでいた。
俺は屋台の中央に立った。
そして深々と頭を下げた。
「いらっしゃいませ」
俺は言った。
「青葉店夏祭り本日開催中です」
子供たちが笑った。
大人たちが笑った。
老人たちが笑った。
俺も笑った。
それは、二〇〇五年から二十一年目の笑顔だった。
そしてこれから二十二年目、二十三年目と続いていく笑顔だった。
俺は深く息を吸った。
夏の夜の空気だった。
それは青葉店の、空気だった。
そして、二つの月の世界の、王都の空気、と確かに、繋がっていた。
両方の世界で、俺は店長を、続ける。
両方の世界で、俺は、誰かの毎日のご飯を、支える仕事を、続ける。
それでよかった。
それでいいんだ。




