第二十二章 二十一年目の春
春が来た。
青葉店の駐車場の、植え込みに、桜が咲いた。
店の、二十一年目の春だった。
研修講師として東京本部フラッグシップ店に出張していた、ミッチ姉さんが戻ってきた。
「店長お疲れです」
「ミッチ姉さんお疲れ、ご苦労、様」
「東京、すごいね。ビルぎっしり、駅混んでて。青果、東京の若い子は頭固いわよ。マニュアルばっかり見て、リンゴの艶を見ない」
ミッチ姉さんは、笑いながら紙袋を、差し出した。
「これお土産、東京駅で買って、きた」
中には、和菓子の、箱だった。
「ありがとうございます」
「ねえ、店長」
「ん」
「東京本部の若い子に青果の見方を教えている時、ね」
「うん」
「私ふと思い出したのよ」
「何を」
「王都の市場で、商人ギルドの長老に評議会の議席を勧められて断った、あの時」
俺は頷いた。
「私あの時、断ったの。店長の青果の方が楽しいからって。本部の若い子に教えながらね、思い出した。私、青葉店の青果が好きなんだ。本部より、フラッグシップ店より」
ミッチ姉さんは、ふっと笑った。
「店長、私、青葉店続けるわよ。定年まで絶対辞めない」
「ええ、お願いします」
ミッチ姉さんは、青果売場に、戻っていった。
俺は、彼女の後ろ姿を、見送った。
午後戸塚も、東京、本部から戻ってきた。
「店長ただいまです」
「お疲れ、戸塚」
「本部、若い社員が包丁の握り方を知らないです。教えるの大変でした」
「お疲れ」
戸塚はいつもの仏頂面だった。
しかしその目には、わずかな誇りが宿っていた。
「店長もう本部、行かなくて、いいですか」
「いや、本部から来月も来てくれと、要請が来てる」
「えー」
戸塚は、初めて嫌そうな、声を出した。
「店長の隣で出刃研いでいる方が好きです。東京、人多すぎ」
俺は笑った。
「分かった。月に二日だけ行ってくれ。それでいいか」
「了解」
戸塚は、鮮魚売場に、戻っていった。
夕方、沙耶ちゃんも戻ってきた。
「店長、ただいま」
「お疲れ、沙耶ちゃん」
「東京、楽しかったです。息子を看護学校の見学に連れて行きました」
「いい、息子だな」
「ええ、店長のおかげです。息子、最近看護師になると言っていて」
「立派だ」
「店長、息子ね、お母さん王城で子供たちに計算を教えていた姿を覚えている、と言いました」
俺は頷いた。
「息子、覚えているんだな。二つの月の世界」
「ええ子供は、覚えているらしいです」
沙耶ちゃんはレジに、戻っていった。
夕方、仁科さんと、田所さんも戻ってきた。
仁科さんは本部フラッグシップ店の新作パンの、レシピを持って、帰っていた。
「店長、これ本部の新作。王都の白パンと似ています」
「ええお疲れ、仁科さん」
田所さんは、ほうきを両手で握りしめていた。
「店長、青葉店の床が心配で心配で、もう東京に行きたくない」
俺は笑った。
「田所さん、来月から東京研修の回数を減らします」
「ありがとうございます」
田所さんは、すぐに入口の床を、磨き始めた。
その夜、店の閉店後、俺は事務所で書類を整理していた。
宇都宮、副店長が入ってきた。
「店長、本部からメール、来てます」
「うん」
「青葉店、年間廃棄ロス一・三パーセント達成本部全国、二百店舗中一位です」
俺はぽかんとした。
「一位ですか」
「ええ、店長。本部表彰らしいです。来月、本部表彰式に店長と各部門の代表が招待されてます」
俺は頷いた。
「皆に報告、する」
「いえ店長、もう皆知っていると思います」
「えっ」
「ミッチ姉さんが午前中、青果売場ですでに叫んでいました。本部一位、と」
俺は笑った。
「あの人、口、軽いな」
「ええ、いつものことです」
宇都宮は深く、頭を下げた。
「店長、私、副店長として二十年ずっと、店長の隣にいました。これからも店長の隣にいさせてください」
俺は頷いた。
「副店長、ありがとう」
「いえ、ありがとうは私の方です」
その夜、店の屋上で俺は缶ビールを飲んだ。
二缶。
一缶は自分の、分。
もう一缶は氷川の、分。
「氷川、青葉店本部一位、だぞ」
「お前が潰そうとした店本部、一位、になったぞ」
「来月本部表彰式、行ってくる」
「お前のご家族にもお会い、する」
俺は缶ビールを、ことんと隣の缶に、当てた。
夜空に満月が一つ、輝いていた。
その隣にもう一つの月が見えた気がした。
幻だった。
しかし、それは確かに、俺の目には見えた。
二つの月。
二つの月の世界の王女エルナの姿が、満月の光の中に重なった気がした。
俺は缶ビールをもう一口飲んだ。
冷たいビールが喉を流れた。
「エルナ王女様、こちら側、いい店を続けています」
「ええいい、店続けて、います」
俺は缶ビールを、飲み干した。




