第十七章 冷血侯との対峙
俺が最古のヴェルディスの呪いを封印体ごと抱え上げた、その瞬間。
封印庫の奥の扉が開いた。
足音がこちらに近づいてきた。
俺は振り返った。
冷血侯、氷川透が立っていた。
ローブの裾を引きずり、紫色の紋様が頬で蠢いていた。
「真壁」
氷川は薄く笑った。
「ここまで来たか、よく見つけた、ここを」
「氷川」
俺は封印体を足元に下ろした。
「お前、最初から知っていたな、俺がここに来ることを、お前は待っていた」
氷川は答えなかった。
代わりに、短い剣を抜いた。
「魔王様には報告していない。お前との決着は、俺の個人的な仕事だ」
俺は台帳を戸塚に渡した。
「沙耶ちゃん、棚卸し続けて。戸塚は護衛」
「店長は」
「氷川と、話す」
戸塚はしばらく俺を見ていた。
そして無言で頷いた。
俺は武器を持っていなかった。
ただ両手を広げて、彼の前に立った。
「氷川、なぜこっち側に来た」
「効率の問題だ」
氷川は剣を構えた。
「人類はもう頭打ちだ。現場の小手先で世界は変わらない。上からシステムごと書き換えるしかない。それを俺は、本部で二十年学んできた」
「お前は、それを魔王に教えたのか」
「教えた。奴は優秀な生徒だ。人口削減と流通絞り、それを徹底すれば食料問題は解決する。奴は二十年続けて、ようやく効果が見え始めていた。お前らが来るまでは」
俺は深く息を吸った。
「氷川、お前と俺は同期だった」
「過去の話だ」
「青葉店開店の年、お前はまだ現場にいた」
俺はゆっくり言った。
「あの夏祭りの日、お前と俺は屋上でビールを飲んだ、覚えてるか」
氷川の剣が、わずかに震えた。
「真壁、やめろ」
「お前はあの夜、言ったよな。俺たちの仕事は、誰かの毎日のご飯を支える仕事だ、世界一地味で、世界一誇らしい仕事だ、と」
「やめろ」
「お前は本部に異動して、現場を離れた。それでも最初の数年は、よく青葉店に寄ってくれた、覚えているか」
「真壁」
「最後に寄ってくれたのは、二〇一二年の冬だった。お前はその日、俺と缶ビールを飲んで、こう言った。本部にいると見えなくなるものがあると、現場に戻りたい、と」
氷川の剣の切っ先が、揺れた。
「いつからお前は、数字しか見なくなった」
「真壁」
「いつからお前は、誰かの毎日のご飯を支える仕事を忘れたんだ」
氷川は剣を振り上げた。
その動きが止まった。
俺は両手を広げたまま、彼の正面に立っていた。
「氷川、お前の本当の敵は俺じゃないお前自身だ」
氷川は剣を下ろした。
ゆっくり、と。
そして、その剣の柄を自分の胸に押し当てた。
「真壁」
氷川の声が震えていた。
「俺はな、あの夏祭りの夜が、人生で一番楽しかったよ」
「氷川」
「お前と缶ビールを飲んだ屋上の、あの夜が」
その時、奥の扉がばんと開いた。
巨大な影が現れた。
魔王、その人だった。
二メートルを超える暗紫色の肌、額に二本の角。
口は笑っていた。
しかし、その目は笑っていなかった。
「冷血侯、何をしている」
魔王の声は、地響きのようだった。
「私の最強の呪いが、勝手に棚から降ろされている」
俺は振り返った。
沙耶ちゃんが、ちょうど、最後の古い封印を棚から、降ろした、ところだった。
戸塚と、ミッチ姉さんがそれを、台車に、積んでいた。
田所さんはなぜか、封印庫の床をほうきで、掃いていた。
「お客さんが、来るから綺麗に、しておかないと」
田所さんはにっこり笑った。




