第十章 無自覚最強の店長防衛戦
魔王軍は思っていたよりも、醜悪だった。
ゴブリンの群れ、オークの戦列、火竜の編隊。
そしてそれらを率いる、人型の将軍。
身長は、三メートルを超える、巨人のような男だった。
両手に、巨大な双剣を、持っていた。
「我はグルド、魔王軍先遣隊長」
その声は、王都中に、響いた。
「降伏せよ抵抗、すれば、皆殺し」
王都の城壁の上では、騎士団が震えながら剣を構えていた。
正規軍の騎士は三千。
魔王軍は千。
数の上では、こちらが勝っていた。
しかし王国の兵士たちは、すでに二十年魔王軍に敗北し続けていた。
その経験が彼らを震えさせていた。
俺は店の屋上にいた。
手元には、店の設計図と消火設備の、マニュアル。
それから二十年引き継いできた、危機対応の業務マニュアルだった。
「副店長、火竜が来たらスプリンクラーを一斉作動。店の上の貯水タンクから空中に水を撒く」
「了解」
「ゴブリンの突撃にはレジ袋の罠。城門の前にビニールシートを敷いてその上に水を撒く。霜が降りる、滑って転ぶ。その隙に騎士団が矢を放つ」
「はい」
「オークの戦列には業務用台車を転がす。坂を利用して自重で潰れる。台車にはガラクタを満載」
「了解です」
俺はただ店の設備で店を守るときの手順を、戦場に転用していただけだった。
火事のとき、強盗のとき、台風のとき。火竜のとき、ゴブリンのとき。
店長の仕事は似ていた。
危機の種類が、違うだけで、対応の原則は同じだった。
最初の波が来た。
ゴブリンの突撃、二百匹。
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、城門に向かって走り込んできた。
その瞬間、彼らは一斉に滑った。
レジ袋を凍らせて撒いたビニールシートの上で、てんとう虫のようにひっくり返っていた。
ゴブリンは、もがいて、起き上がろうと、した。
しかし隣の、ゴブリンに足を、引っ掛けてまた転んだ。
その上に、騎士団の、矢が降った。
第一波、撃退。
死者、こちら側ゼロ。
向こう側、二百。
二の波。
オークの戦列、百体。
体格は人間の倍。
棍棒や戦斧を振り回して、坂道を登ってきた。
俺は屋上から、合図を送った。
坂道の頂上に、配置していた業務用、台車が一斉に、坂を、転がり始めた。
満載のガラクタ空き瓶、空き缶、鉄パイプロープ、業務用肉解凍機、廃棄予定のレジ釣銭機。
それらが坂道を加速しながら転がり落ちた。
オークの戦列に直撃した。
オークは、ガラクタの雪崩に、埋もれて、動けなくなった。
その隙に騎士団の長槍が、突き立てられた。
第二波、撃退。
三の波。
火竜、十頭。
巨大な翼を広げて、低空を、飛んできた。
口から紅い炎を吹いた。
俺は屋上の貯水タンクの、コックを握った。
「副店長」
「はい」
「スプリンクラー一斉、作動」
「了解」
宇都宮が合図、した。
王都の上空に霧雨が降った。
店の、貯水タンクから業務用、消防設備すべての配管を、駆使した緊急、放水。
火竜の炎が霧雨に接触した。
蒸気が爆発した。
火竜は、自らの炎で自らの体を、蒸し焼きに、した。
うろこが剥がれ、翼がもげた。
地に落ちた、火竜は、すでに食材だった。
戸塚が、屋上から、ぽつりと呟いた。
「あれ捌けば晩飯になりますね。塩振って焼けば結構いけると思います」
「あとでお願い、する」
俺は答えた。
第三波、撃退。
将軍、グルドが唖然と、俺の店の方を見上げていた。
巨人が両膝をついてしまった。
両手の双剣が、ぽとりと地に、落ちた。
「ななんだ、これは戦か、これは戦なのか」
俺は屋上から、グルドを見下ろした。
両手に、扇風機のリモコンとシャッターの開閉ボタン。
それから、消火栓の、ハンドルだった。
「グルド将軍」
俺は声を張った。
「当店は、本日まもなく閉店時刻です」
俺は深々と頭を下げた。
「お引き取りいただけますか」
グルドはしばらくぴくりと、動かなかった。
それからゆっくり片膝を、ついたまま、頭を下げた。
「真壁と申したか」
「はい」
「貴殿の戦は我らが知る戦ではない」
グルドは、絞り出すような声で、言った。
「これは、戦ではない、我らはただ店長に、追い、返されたそれだけだ」
「ええそれだけです」
「貴殿の、店はいつか、必ずまた訪れる、その時は、客として訪れたい」
「ええ、お待ちしております」
魔王軍は退却した。
死者、こちら側ゼロ。
向こう側、三百以上。
将軍、グルドは最後、まで、頭を下げたまま撤退、した。
王都は、しんと静まり返っていた。
そして。
爆発的な歓声が、湧き、上がった。
「真壁卿、万歳」
「補給卿、万歳」
「異邦人の店、万歳」
俺は屋上の手すりに、寄りかかった。
足が震えていた。
二十年店長を、やってきて、ここまで、疲れた日は、なかった。
エルナが屋上の階段を駆け上がってきた。
「真壁様、ご無事で」
「ええ」
「あなたは本当に人を、殺さずに戦を、勝た、れました」
俺は苦笑、した。
「人を殺すと店が汚れますから」
エルナはしばらく俺の隣に、立っていた。
二つの月の光が屋上に降り、注いでいた。
王都の人々の、歓声がまだ下から、響いていた。
その光景は、奇跡のように、美しかった。
「真壁様」
「はい」
「お腹空きませんか」
俺は笑った。
「火竜の肉、食べに、行きますか」
戸塚が、すでに地下で火竜を、捌き始めて、いるはずだった。




