Origen
「――――メリム?」
窓から身を乗り出し、叫んでいるのは亜人の少女だ。
「なにしてるんですか! 捕まりたくないなら走りなさい!」
(捕まる?――考えてる暇はない、か)
駆け出して窓から部屋の中に飛び込む。
俺が中に入ると、メリムはすぐに窓を閉めた。
「そのまま伏せて。見られていない保証はないですから」
「……お前、なんで」
俺を助けたのかと、聞こうとしたその時。
「うぉっ!?」
ドォオン!、と鈍く強大な衝撃音が、腹の底に響いた。
まるで巨木が倒れる瞬間だ。それは振動を伴って建物を揺らし、部屋の調度品が、ガタガタと音を立てる。
「いまのはなんだ?」
「馬鹿! 伏せてなさいと言ったでしょう!?」
起き上がると、メリムから厳しい注意が飛んだ。
そんなことを言われても、気になるものは気になる。
「……見つかっても知りませんからね」
自由を尊重する優しい声と、生温かいまなざしに感謝しつつ。
窓に近づき、メリムの隣で慎重に外の様子を窺う。
目を凝らすと、濃霧の様な砂ぼこりの中に、人影が見えた。
「あいつらは?」
「王都治安統制局の局員です。さっきの違法魔力反応を捕捉して、飛んできたのでしょう。彼らは勤勉ですから」
「統制局?」
「この国の治安を維持する機関の名称。中でも彼らは、魔法や異能の問題に対処する専門家です」
つまり、警ら隊のような連中の元締めか。
(警ら隊が姿を見せないと思えば……そういうことか)
どうやら、割りとシャレにならない状況だったらしい。
捕まっていたらヤバかった……まだ安心は出来そうにないが。
「出遅れたか……魔力の残滓を解析しろ」
聞こえてきたのは、鍛えられた喉を思わせる質感の声だ。
低く太く響き、端々に残る荒々しさが、威圧感を放っている。
やがて砂ぼこりが治まり、局員の姿が視認できるようになってきた。彼らの身体は、淡く青白い光に覆われている。なんらかの魔法によるものかもしれない。いかにも神聖だの、清廉だのといった、胡散臭い言葉が似合いそうな見た目だ。
灰色に輝く、金属の胸当てと肩当て。その下に着ているのは鎖帷子だろう。その鎖帷子の袖口の先、深紅の制服には金糸の刺繍が施され、夜風に深紫のマントがはためく。
胸当ての中心には、剣と杖が交差した紋章が刻印されていた。
(四人……全員魔法使い、あるいは魔法持ちか。ただの兵隊じゃなさそうだ)
彼らからは警ら隊のような、腑抜けた気配を感じない。
威厳と規律を感じさせる雰囲気は、まさに訓練された兵士のそれだった。
四人のうち三人は、開閉式の面当て付き兜を被っている。装備していない一人が、明らかに他の三人とは雰囲気が違っていた。振る舞いや声色から漂う重厚な気配は、紛れもない強者のものだ。
「あの真ん中にいる髭面は?」
「もっと言葉を選びなさい。魔導査察官ガレオ。局内でも人望、実績のある御仁です」
――魔導査察官ガレオ。
黄褐色の短髪に、もみあげと顎髭が繋がる厳つい顔。無駄なく鍛え上げられた肉体は、まるでそれ自体が鎧のようだ。あの男は、魔法に頼らずとも戦えるのだろう。
なにより、現場を鋭く見回す褐色の瞳が、幾度も修羅場を潜ってきたことを物語っている。
(アレは覚えておいた方が良さそうだ。出来れば関わりたくない相手だな)
「その男は死んでいるのか?」
符穏の様子を見ている男に、ガレオが声をかけた。
「いえ。辛うじて生きています。拘束後、すぐに治療を開始してよろしいですか?」
「拘束は身体のみの、簡易的なものでいい。治療を優先しろ。決して死なせるな」
「心得ました。お任せください」
指示を受けた男が、不穏の身体に両手を翳す。
男の腕には、太い鎖が巻きつけられていた。
「——"四肢をもがれし骸の在処。声も届かぬ穴蔵を探れ"」
符穏の使用した大儀式型の魔法とは違う、一節の単式魔法だ。
男が唱えると、巻き付いていた鎖が意思を持った様に、不穏の身体を拘束する。
「——"獅子の眠りは安らかに。永き戦いに木漏れ日を"」
鎖が両手足を拘束すると、男はそのまま、別の魔法を唱え始めた。不穏の身体が、温かな陽だまりのような、橙色の光に包まれる。おそらく魔法で治療しているのだろう。
別系統の魔法の行使。
これこそが、魔法持ちと魔法使いの決定的な違いだ。
魔法持ちは詠唱を必要としない。だが、その力の系統は単一のものに限られる。
そもそも両者の力は、名前が同じだけの別物なのだから違っているのは当然だが。
「ガレオ隊長、解析が終わりました。使用されたのは洗礼魔法、術者はこの男です。術者同士の争いではなさそうですが……」
「この気配……町に良からぬものがいるな。追跡は可能か?」
「申し訳ありません……追跡はおろか、正体を探ることさえ出来ませんでした。私の、力不足です」
「お前はよくやっている。その手に余るのであれば、局内の誰にも出来はしないだろう」
ガレオは一度だけ顎鬚に触れて部下を見据え、静かな重さを感じる声で言い放った。
(人望のある御仁、ね……いかにも自分は武人だ、とでも言いたげな振る舞いだ)
しかし、その場にいなくとも、後から探ることが出来るのは厄介だな。コイツらがどこまで調べられるものなのか。『この場に誰がいたのか』まで分かるようなら危険だが……。
「そんなに心配なさらなくても、あくまで魔力検知です。魔法も異能も使用していない貴方のことは、あの場にいたかどうかさえバレませんよ」
「……そりゃどうも」
どうやら顔に出ていたらしい。隠し事や騙し合いは得意なはずなんだが。察しがいいのか、そもそも亜人が心の機微に敏感なのか……いや。単純にコイツが人をよく見ているのか。
「ガレオ隊長! この男、手配中の李符穏です」
治療を終えた男が、符穏の仮面を外し、驚いたように声を上げた。どうやら、奴はお尋ね者だったらしい。そういえば、シヴィラが殺人鬼がどうとか言っていたな。
「李神父……そうか。であれば、この場に居たのは悪魔だろう」
「悪魔、ですか? とどめを刺さなかっただけ、優しい気もしますが」
「そうではない。例えではなく――本物の方だ」
その瞬間、見るからに場の空気が一変した。
ガレオの目が細まり、ひと際厳しさを増している。しかし、その険しい視線は、現場も局員も見ていない。僅かに首を反らし、空を見上げていた。
闇の中に潜むなにかを。あるいは、この先に起こる事態を見据えているかのように。
局員たちは全身を固く強張らせ、ガレオの放つただならぬ空気にのまれている様だった。呆然とガレオを見つめる様子は、あの男だけが、事の重大さを認識している。そんな光景だった。
「あの、隊長。本物とは……いったい」
一人が怯えるように口を開いたその時。
「隊長。周囲に不審な人物は見当たりませんでした」
男の言葉を遮り、ガレオの前に、上空から一人の局員が降り立った。どうやら、空から周囲を探索していたようだ。
走って逃げなくて正解だった。メリムがいなければ、いまごろ見つかっていただろう。
「すでにこの付近にはいまい。李神父の様子は?」
「治療は完了しました。じき、目を覚ますかと」
「神父を連れて急ぎ局へ戻る。中央に連絡を。この一件、我々だけでは手に負えん」
「そんな……中央にまでお話が?」
緊迫感を漂わせた簡潔な指示のあと、隣で絞り出すような声が耳に届いた。
「…………お父様」
メリムだ。目をやると、俯いて小さな肩を震わせている。窓枠にかけた両手は、指先が白くなるほど、強く握りしめられていた。
(……なるほど? だいたいの事情は読めてきたな)
悪魔たちが、何故コイツを追っているのかは分からないが。やはりロクでもない話のようだ。
メリムから視線を外し、再び外の様子に目を向ける。すると、治療を任されていた男が、神父の鎖と自身の身体につけたベルトを接続していた。
それが終わると、ガレオの後ろに、三人が横並びに整列する。
「――”遥かなる旅路、船は黄昏の風と共に”」
単式魔法を唱える厳かな声が、耳を震わせた途端。
ゴウッ!と空気を一気に押し下げるような、重く低い音が響き、連中の身体が空へ打ち上げられた。噴出する青白い光の尾を残し、四人は瞬く間に飛び去っていく。
「ああやって飛んできたのか。便利なもんだ」
ひとまず危機は去ったと思っていいだろう。
俺が追われる理由も無さそうだ。
といっても、本当に安全かどうかは——。
誰も居なくなった外から視線を戻す。
ほぼ同時に、俯いていたメリムが顔を上げた。
(——俺を助けた理由の読めない、コイツの目的次第だが)




