Premonición
自分でやった事なのに、思いがけない事がある。
反射的な行動だとか、突発的にというやつだ。そして、その手の行動は、だいたいロクな結果に繋がらない。
だとしても、いまのはさすがに軽率だった。自分の命を投げ出すなんて、これ以上最悪な条件反射もないだろう。
「困ったわシヴィラ。怒らせてしまったみたい」
眉をひそめて、「どうしましょう?」などと宣う悪魔。
シヴィラより感情表現豊かな彼女らしい、紙より薄っぺらい心配だった。
「シヴィルが悪いのでは? 偏屈……傷つきやすい青年への配慮が足りていなかったかと」
「いや、私は飲み込んだわよ……踏み込んだのはアンタでしょ」
「記憶の捏造が速いですね。姉ながら流石です。この人を見て下さい。呆気にとられてますよ」
「殺す気満載の目が、アンタにはそう見えるのね……」
シヴィルがうんざりと肩を落とし、シヴィラから視線を外す。
その目が俺を見た。こちらをじっと見据える、赤い瞳。
どう見ても満載の殺意とやらを、恐れている様には見えない。
結局コイツにとっては、人間如きがなにをしようと同じなのだ。少なくとも、脅威を感じるような対象だと思われてはいない。
しかし、ここまで相手にされないと、逆にどうにかしてやりたくなるな。
「殺気立ってないで、アンタも落ち着きなさい。私たちには敵わない。無駄に痛い思いをするだけよ」
諭すでも宥めるでもなく。
ただ淡々と事実を述べるように、シヴィルは言った。
考えを見透かされたか。けれど、確かにその通りだ。
わざわざ言われるまでもない。
初めから、疑う気さえおきないほど理解している。
正直に言えば、殴りかかったことを死ぬほど後悔しているくらいだ。なぜこんな馬鹿な真似をしたのか、自分でもよく分からない。
(……俺はいま、怒っていたのか?)
まず、その自覚がなかった。
だとしたら、俺はいったい、なにに怒りを覚えたのだろう?
「変人……変わった人ですね。いまにも飛びかかってきそうな目をしているのに、本人は気づいていない。病気でしょうか?」
「おい悪魔。言い直せてないぞ」
「男性の器は広く大きい方が良いと、私は思いますよ」
「……はぁ」
シヴィルが下らないやり取りに呆れたように、大きなため息をつく。感情表現は薄いが、シヴィラの方が性格に難があるような気がする。たぶん何かしでかしても、しれっと切り抜ける種類の人間……悪魔に違いない。
「とにかく、妹が悪かったわ。別に、敵対するつもりはないの」
仕切り直すようにそう言うと、彼女は俺に向き直った。
「だから教えて? メリムを庇いたいのかもしれないけど」
「聖人とはよく言われるが、勘違いだ」
「……アンタが聖人なら、私たちはこの世に必要ないわね」
「庇う気がないのでしたら、全部さらけ出せばいいと思います。身内びいきはキモい……良くないです」
どうにかしてコイツを一度、分からせてやれないものか。
真剣に考えたいが、その前にいま、おかしな言葉が紛れていた気がする。
「なんの話だ? 俺がメリムを匿ってるとでも言いたいのか?」
刻雅ならまだしも、なぜ俺があの亜人と身内になるんだ?
その要素がなにも思い当たらなかった。殺されかけたことまであるのに、メリムを庇う理由など、あるわけがない。
「なにって、だってアンタはメリムの――」
ふいに、シヴィルが俺の知らないなにかを言いかけて、口を噤む。そして、なにか嫌なことでも思い出したように、顔から表情が抜け落ちた。
「シヴィル。時間切れのようです。来ますよ」
「……これ、シヴィラのせいだからね?」
「待て。お前らはさっきからなにを言ってるんだ?」
二人は互いに顔を見合わせ黙り込む。
なるほど。俺の質問に答える気はないらしい。
「アンタも早く、逃げた方が良いわよ」
「なに?」
その直後、バサッ、と風を押し返すような音が耳に届く。
なんの音かと思った時には、二人の姿が消えていた。
「――また会うかもね。きっと、近いうちに」
周囲を見渡す間もなく、空から降り注ぐ不吉な予言。
見上げれば、蝙蝠のような翼を広げ、一対の悪魔がそこにいた。まるで、夜空に楔を打つように。
「二度とごめんだ」と言ってやりたかったが、すでに二人は居なくなっていた。なにからなにまで規格外の生き物だ。あんな奴らと、自分から関わろうとする人間の気が知れない。
そうして独り取り残され、空を眺めて、今更ながらに気づく。
今夜はずっと雲が出ていて、月も星も見えないことに。
「にしても、おかしなことばかり言っていたな……時間切れ? 逃げろだと?」
浮かんだ疑問を言葉にして、俺の目はピタリと、それに合わせられた。虚空を引き裂くように、尾を引く青白い光。
凄まじい速さで、流れ星の如く、ここに向かってくる何か。
空から迫りくる四つのそれは、夜闇を払う箒のようだった。
「なんだ?……ひょっとして、アレのことか?」
視認した途端、腹の底がひやりとした。アレが良くないものだと、身体が訴えている。無意識に足の裏が地面を捉え直し、呼吸が止まった。
すぐにでもここから離れた方が良い。そんな気がして、胸がざわめきだした。だが、この場から素直に走り去るのは不味いかもしれない。
路地は見通しが良すぎるのだ。
アレが何なのか分からないが、こちらを見ているのだとしたら……路地を走る姿は、逆に悪目立ちしそうだ。
この暗闇でも、空から俺の姿は見えているのだろうか?
アレとどれほど離れているか、距離感が上手くつかめない。
けれど、視認できる光は戦慄するほど速く、大きくなっていく。尋常じゃない速度で、近づいているようだった。
(――あまり時間がなさそうだ。どこかに隠れるか?)
周囲を見渡すが、ゴミ一つ落ちていない路地はまっさらだ。
おまけに曲がり角さえ離れている。路地の脇、左右には高い民家の壁。以前のように登ろうにも、その窓には外格子がなく、足場になるものが見当たらない。
そもそも登ったところで、アレは空から来るのだ。
屋根の上など意味がないだろう。
「まったく、次から次へと退屈しない夜だな。本当に」
どうすべきか、そこから先が詰まる。
状況を整理すればするほど、身動きが取れなくなっていく。
結論を出せずにいると、耳に微かな、「キィィン」という高い音が響いた。まるで耳鳴りのようなその音は、常識外れの速さで音量を上げていく。
見上げれば、蒼い光の塊の中にうっすらと、人の形が見えるほどまで近づいていた。
まさかの事実だが、どうやらアレは人間らしい。
「ちっ……ここで馬鹿みたいに突っ立っているよりかは、走った方がまだマシか」
というよりもう、それしか俺に出来ることはなかった。
(とりあえず、あの曲がり角まで――)
そう決めて振り返り、走り出そうとした瞬間。
右手にある民家の一階の窓が、バンッ!と音を立てて開いた。
「こちらへ! 早く!」
「お前――――?」
窓から身を乗り出して叫んでいたのは、予想だにしない人物だった。




