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13 評議ー本当に私が裁くのねー


 時間ちょうどに岡田裁判長を先頭に3人の裁判官が部屋に入って来た。


 立ち上がって礼をしようとした年配の男性の裁判員を岡田裁判長は制した。


「そのままで結構です」


 大きな窓を背負う位置に裁判官たちは着席した。


「皆さん、昼休みはゆっくりとお休みになれましたか」


 裁判員たちは頷いた。


「それはよかった。ではさっそく評議を始めてまいりましょうか」


「よろしくお願いします」


「まず、事実認定からいきましょう。事実認定とは被告人が起訴された犯罪事実を行ったのかどうかを証拠から判断することです。その判断は初日に皆さんにお話したように合理的疑いを残さない程度に証明したかどうかを判断すればよいのです。この点についてこちらをご覧ください」


 裁判官が手元のノートパソコンを操作した。


 評議室にある大型モニターに「公訴事実」というタイトルが映し出された。そして公訴事実として、あゆみちゃんが殺された日の日時や場所、そして殺害の態様、凶器などが示された。


「要はこれらの事実が、証拠により合理的に疑いを残さない程度に証明されているかどうかを検討すればいいのです。では1つずつ検討して行ってみましょうか」


 男性の裁判員が手を挙げた。


「よろしいですか」


「はい、どうぞ」


「被告人は全部認めていますよね。いまさら証拠を検討しなくてもいいんじゃないのですか」


「いい質問です。失礼ですが民事訴訟の経験はおありですか」


「はい。経営している会社の方で訴訟をしたことがあります」


「やはりそうでしたか」


 岡田裁判長が納得したかのように頷いた。


「皆さん、自白は刑事訴訟と民事訴訟では扱いが違います」


 岡田裁判長は裁判員を見回すようにして言った。


「昔から自白は証拠の女王と言われて来ました。それゆえに、自白を取れば有罪だとして、自白させるために拷問などが行われていた時代もありました。そこで、今は、刑事訴訟法第319条2項で被告人は自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされないと定められており、自白以外に被告人による犯罪行為を証明する証拠がなければ、被告人に対して有罪の判決を宣告することができないのです」


 評議室は静まり返った。


 私は何だか難しい話でよく分からなかったが、要は自白以外の証拠が大事ということなのだろうか。


「ところが、民事訴訟は別です。これが誤解を招くもとです。民事訴訟では弁論主義の原則から裁判所は原告被告間で争いの無い主要事実については判決で真実であるとして扱わなければならず、これに反する判断を裁判所が下すことはできないとしています。仮に真実とは異なる事実であっても当事者間で自白が成立している場合には裁判所はそれに反する事実を認定することはできません。これは、民事訴訟は当事者間の紛争を解決する手段ですので、当事者が争わない事項についてまで判断する必要は無いこと、また真実の発見という点においても利害のかかっている当事者に任せた方が真実により近づくということの現れで、真実をないがしろにするものではありません。でも裁判における自白の扱いは真逆になるのです」


 岡田裁判長は質問をした男性の方を向いた。


「よろしいですかな」


「はい。よくわかりました」


 私は理解が追いつかなかった。


「あのう」


 おそるおそる手を挙げた。


「はい、何でしょう」


「今のお話が良くわからなかったのですが」


 岡田裁判長がにっこりと笑った。


「民事訴訟では当事者が認めた事実、すなわち自白した事実は証拠がなくても、既成事実として判決の判断のもとにします。これに対して刑事訴訟では、被告人の自白だけでは有罪にできず、必ず自白以外の証拠で裏を取る必要があるということです。分かりましたか?」


「は、はい。ありがとうございました」


「では、被告人の自白以外に被告人が公訴事実に該当する犯罪行為を行ったという証拠を確認してみましょう」


 岡田裁判長が隣に座っている瀬戸裁判官に目配せをした。


 瀬戸裁判官が資料を配った。証拠が羅列してある資料だった。


「まず、被告人の自宅の自室から被害者を刺した包丁が家宅捜索で押収されました。甲第3号証です。包丁は被告人が事件前日に買ったというホームセンターで扱っていたもので、ここでも犯人しか知らない事実と一致しています。それが甲第4号証の捜査報告書です。次に、包丁の柄からは被告人の指紋が検出されました。これが甲第5証です。さらに包丁に残っていた血痕をDNA鑑定したところ被害者のDNA型と一致しました。これが甲第6号証です」


 私は、犯罪事実の認定とはこういう風にするものなのかと思った。普段見慣れている刑事ドラマなどのシーンよりずっと地味で地道な作業だった。


「さらに被告人の自室のダンボールの中から、被告人の供述の通り被害者の返り血のついたジャンパー、防犯カメラに映っていた犯人が被っていたものと同一の野球帽も見つかりました。またダンボール1箱分の被害者の写真集やCD、サイン色紙なども押収されています」


「裁判長、どうして被告人は自宅にそんなものを置いたままにしていたのでしょう」


 裁判長は右に座っている井上裁判官の方を向いた。


「それは私からご説明します。乙第2号証の検察官面前調書にその旨が供述されています」


 そう言うと井上裁判官は手元に積まれた記録の山からファイルを1つ取り出し読み上げた。


「犯行に使った物については、不用意に捨ててそれが見つかり、犯人であることが分かってしまうのが怖くて自宅の押入れの中にしまったままにしていました。私の部屋の押し入れの中は、家族でも決して中を開けたりしないので1番安全だと思ったのです」


「いかがですか。被告人は血痕のついた包丁をどこかに捨てて、そこから足がつくことを恐れていたのです」


 岡田裁判長が補足した。


「なるほど。分かりました」


「他に何かご質問はありますか」


「いいえ」


「では被告人が被害者を刺したという事実は自白以外の証拠から合理的疑いを残さない程度に証明されたということでよいですか。よろしければ挙手をしてください」


 全員の手が挙がった。


「ありがとうございます。では殺意の点はどうでしょう」


(殺意? 今、被告人は被害者を殺したのだと認定したばかりじゃないの)


 私が怪訝な顔をしているのを岡田裁判長は見逃さなかった。


「被告人が刺したのは事実でも、殺意の点も認定しないと殺人罪で有罪にはなりません。殺意がなければ傷害致死罪になるからです」


 私の方を見て岡田裁判長は続けた。


「殺意の認定も被告人の自白だけでなく、できるだけ客観的な証拠で判断をする必要があります。ではさっそく証拠を見ていきましょう。証拠として凶器となった包丁、死体検案書、司法解剖の鑑定書がありますね」


「ではまず、司法解剖の結果を見てください。刺した時包丁の刃の向きはどうですか。刺し方はどうなっていますか?」


 岡田裁判長はパソコンを操作すると評議室のモニターの画面に被害者の写真を映し出した。


「この傷を見てください」


 私はグロテスクな写真に眉をひそめた。


「この傷口から鑑定医は包丁の刃が上向きの状態で刺されていて、しかも引く時に包丁をまわすような力を加えていることが分かります」


「こんなものを見せて、どういうつもりですか」


 裁判員の1人が不快そうに言った。


「皆さん殺意も客観的事実から判断をしなければなりません。人を殺めても『殺すつもりはなかった』と強弁する被告人もいるからです。だから攻撃の対象の部位、攻撃に用いた凶器の形状、攻撃方法などを検討します。そうした事実が被告人の内心を物語ってくれるのです」


 岡田裁判長は、人体の模型図のような画面をモニターに映し出した。


「一般に人間の人体の枢要部に対する攻撃は殺意が認められやすくなります。人体の枢要部とは四肢を除く、頭部や胸部、腹部などを指します」


 矢印のポイントで、モニターに映し出された人体図の胸部や腹部を指した。


「また刃物を用いた攻撃の場合、切るより刺すほうが危険です。刺す場合も刃を上に向けて刺す方が危険です。さらに刺した状態でひねったり、抜くときこねると致死のダメージを与えることができます」


「では、被告人はどこを刺しましたか。では佐藤さん、いかがですか」


 裁判長は男性の裁判官を指名した。


「お腹です」


「刃の向きは傷口の鑑定から医師はどう判断していますか」


「上向きです」


「さらに傷口は何を語っていますか」


「刺した後抜くときに捻ったような痕があります」


「ではお腹をそのように刺されたらどうなります」


「死にます」


「医師の鑑定書ではどう書いてありますか」


「ほぼ確実に死亡するとあります」


「被告人が被害者を刺した回数は何回ですか」


「3回です」


「常識から考えて、人体の枢要部である腹部に包丁で刃を上に向けた危険な刺し方で、3回も刺し、刃を抜くときにこねた場合、相手を殺害するという意思は認められますか、それとも認められませんか」


「殺害する意思が認められます」


「では殺意ありということでよろしいですか」


「はい」


「井上裁判官、どうですか」


 岡田裁判長は右に座っていた裁判官に訊いた。


「佐藤裁判員が認定した通りで間違いないと考えます。証拠上も明らかです」


「では被告人の供述はどうなっていますか。瀬戸裁判官」


「はい、裁判員の皆さん、乙第2号証から第4号証を御覧ください。特に乙第2号証の検察官面前調書ではっきりと殺意をもって刺したと供述しています」


「動機はなんですか」


「これは乙第4号証の員面調書で詳しく述べられています。アイドルであった被害者に恋愛感情を抱いていたが無視され、さらに被害者が他の芸能人と付き合っているという報道を見て、嫉妬心から激情にかられ、被害者を自分だけのものにしたいと考えるようになり、殺意を持ち殺害するに至ったのだとしています」


 岡田裁判長は大きく頷いた。


「公判廷における被告人質問でも被告人は裁判官より事前に黙秘権の告知を受けた上で、同様の供述をしています」


 ダメ押しするように岡田裁判官が付け加えた。


「では殺意の認定についてはいかがでしょうか。証拠により証明されたと判断された裁判員と裁判官は挙手をお願いします」


 全員が挙手した。


「結構です。それでは被告人が有罪である旨は決まりました」


 私は安堵した。


 時計を見た。午後2時半だった。もう90分も議論していたのだ。


(有罪ということで、これで終わりかしら)


 だが、それは私の見当違いだとすぐに分かった。


「次に量刑を決めなければなりません。ここからが本題となります」


(えっ、ここからが本題って、今までの議論は前座だったの)


 私はドッと疲れが出てくるのを感じた。


「ただし、長時間評議をしましたので、ここで15分ほど休憩を取り、2時45分から再開したいと思います」


 そう言うと裁判官たちはいったん部屋を出て行った。


 私はスマホを取り出して、メールやメッセージをチェックした。特に急ぎの連絡や重要な知らせはないようだった。




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