2.ゴースト・セーバー
◎
――桜坂から通話し、幾度か言葉を交わしたタイミングでそれは現れる。
「――逃しませんよ、ゴースト・コントローラー」
桜坂邸の最寄りのスーパー、その入口である自動扉の前にて雪代は女に声を掛けられた。
鋭い瞳を囲う薄いフォルムの眼鏡、その長身にはきっちりとしたスーツを纏われている。できる女――キャリアウーマンといった風貌。
雪代には知る由もないが名を園田という。
彼女は値踏みするかのような視線で雪代を睨めつける。
「あなたが、ねぇ…………」
「まさか霊能力者!?」
どんな霊能力か、握っていたスマホが弾き飛ばされた。桜坂が苦戦するとは微塵も思っていないが敵は思ったよりも計画的に事を進めている。
こんな場所を狙ったのも――こちらの戦意を削ぐためだろう。平和なはずの一都市でさえ、安全ではない――と。
「こんなところで霊力を使うなんて…………!」
「反射球」
言葉を交わす暇などある訳ない。
園田の掌に現れた霊力の球体から無数の弾丸が無秩序に放出された。テニスボール程度の塊は店内にある壁や、商品に激突しながら反射する。その度に速度は上昇し、軌道を目視することは至難だ。
あっという間にスーパーは混乱に包まれる。
奇妙な現象と、その中心にいる二人の女。霊力が見えなくとも何が異常なのかをすぐさま感じ取ってしまう。
「人目を恐れないのならどうぞ、私の霊力を支配してください」
「こんなやり方をしてまで私を…………」
「責任というものですよ、それが。自分が危険を孕んだ存在だということは理解しているでしょう? 不安の芽は摘んでおく。別段変わったことではありません」
淡々と話しながら、弾丸を雪代へ差し向けた。球は分厚い〈霊纏〉に弾き飛ばされ、天井へ激突する。
無数の球体は反射を繰り返し、やがて――被害者を出した。
「があああああッ…………!!!」
「きゃああああッ…………!!!」
弾丸は無関係の一般市民を吹き飛ばした。腕や足を抑え、絶叫する。霊力を防御できずに食らったのだ、骨はまず間違いなく砕けていた。
雪代は目を見開き、怒りのままに園田に非難を浴びせる。
「何てことを! 無関係の人を巻き込むなんて…………!」
客は脱兎の如き勢いでスーパーを出る。叫びと足音で聴覚はまともに効かない中、園田はもう一発球を射出した。避ければまた新たな被害者を出してしまう。だからといって弾けば、反射した末に被害者を出してしまう。
「〈ダイレクト・コントロール〉」
雪代の纏った〈霊纏〉がアメジストの紫色から、光を飲み込む暗黒色に変化する。高速で迫る弾丸も黒きオーラに触れた瞬間に動きが止まり、やがて霊力の塵と化した。
園田は現象に目を光らせ、端的な言葉で表す。
「自分に触れた霊力を操る、と言ったところでしょうか。絞れる範囲は今のところ一か百…………一でもそれだけで最強の盾になりますね」
「えぇ、正解です。どうしようもないでしょう?」
「霊能力の格では勝てないのは前から確定していました。だから、盤外戦術に持ち込んだんです――」
彼女の周囲に無数の霊力の塊が浮かび上がる。青白く光る塊は次々と弾丸を撃ち出し、目まぐるしい包囲網を作り出した。ありとあらゆる障害物の中に一般人が含まれない道理はない。
弾丸は親子連れに目掛けて飛んだ。
「霊纏ッ――!」
地面に掌を押し付け、〈霊纏〉を拡張することでインパクトは障壁が引き受けた。球体は天井を突き破り、空へ消えていく。
蛮行に対し、雪代が鋭い眼光で睨みつけても、園田は変わらず冷たい鉄のような態度を取る。
「思った通り、あなたならそうすると思いました。無関係の人間は守りますよね」
「――――」
「ただそれだけの理由ですよ、一縷の誤解なくただそれだけの理由です。ここを選んだのは。だから彼らの誰も逃がすつもりはありません」
スーパーの出入口に青色の障壁が迫り上がり、この場から逃げ出そうとする人々の道を防いだ。
〈霊纏〉は基本的に自分の周囲でしか発動することができない。確かに遠隔操作の能力者はいるがしかし、園田がスーパーボールの能力だとしたら、遠隔で使えるのはおかしい。
必然的にもう一人の存在が示唆される。
「糾弾はご勝手に。こちらは戦争のつもりでやってきました、どんな手段でも使います。人間の尊厳など、大局の前では脆いものですよ」
理論武装を済ませると園田は弾丸の装填とばかりに霊力の球を周囲に浮かせた。
雪代は静かに息を吐く。自分でも驚くほど心は静かだった。
いつもの調子なら、憤怒の波に飲まれて駆け抜けていただろう。何故こうも状況を俯瞰できているのか不思議だったが、節があった。
そう――桜坂ならば、こんなことを言うのだ。
「短絡的な方法を選んだのね。楽して手に入るなんて甘過ぎるんじゃないの?」
「…………………………………………」
彼は逆撫でる。人と言う個を一意的に捉え、お前は凡人と宣言する。歯車の人間を代替すら利かない何もできない個、と決めつける。そうして人の尊厳を無視する挑発が得意だった。
こんな時こそ小馬鹿にした挑発が必要だと。
「そこまで対策して失敗した時の言い訳が楽しみよ」
「……………………」
園田の表情は相変わらず硬いが、警戒心は一段階引き上げられた。意識している、その仕草がわかっただけでも収穫だ。
雪代は深呼吸を一つして、全身に黒色の霊力を流し込む。臨戦態勢だ。
「まぁ、何とかなるよね」
どこかで聞いたような台詞を呟き、一歩を踏み出す。桜坂のような楽観ではない。不安を拭う呪文としてだった。
◎
――抉らんばかりの膂力で持って地面を蹴ることで俺は横に飛んだ。瞬間、次々と硝子が砕け甲高い音が鳴り響く。真っ直ぐ並んだ蛍光灯も砕けて破片が降り注いだ。
スーパーは客は異常を察して既にここを離れている。しかし、中には野次馬根性を剥き出しにしてスマホを掲げる者もいて実にやりにくい。
「霊的エネルギーを波として放出する能力か…………」
今のは衝撃波を飛ばして硝子を粉砕した、と言ったところか。流石に俺の〈霊纏〉を貫いてくることはないだろうが見えない攻撃というのは存外厄介である。
「一々器物破損しないと攻撃できないんですか?」
「お前が避けなければ壊れなかったものだな」
そりゃそうだ。
胸の内から湧き出る黒色のエネルギーで全身を包み込む。
俺の〈霊纏〉に男は目を見開いた。何だかんだこんな反応も新鮮だ。
「何だこの霊力の色は…………!? 黒い…………」
雪代のことしか聞いていないのか? ゴースト・インベーダーとの抗争のことはあまり知られていない?
というか、俺を知らないことに違和感を抱く。これでも一応、ハンターズの看板だったのだが。自意識過剰と切り捨てて良い範囲は超えている。
まさか、抗争で死んだと思われているのか? 寺が爆散したことを考えれば、仕方ないのかもしれないが。
「知られてないなら重畳」
「こいつは骨が折れそうだ…………」
奴は距離を取りつつ、霊的エネルギーの鎧を濃密に纏う。
当たり前だが、警戒は怠ってくれない。俺の姿を見ると大抵は油断してくれるのだが事が事だ。こんなものだろう、元より期待してない。
俺が飛び出すのに合わせ、衝撃波が放たれる。
「吹っ飛ばせ――!」
足を止め、地面を抉りながら俺に迫る攻撃を避ける。背後のしゃぶしゃぶ肉が冷蔵庫ごと弾けて舞った。五〇〇円はすると言うのに容易く価値を失ってしまう。店舗からしたら溜まったもんじゃない。
そのまま走り込み、奴に接近する。拳には既に〈霊纏〉を砕くだけの霊的エネルギーが込められている。死にはしないように調整はした。
「――――は」
――思考がぶれた。
膝に力が入らないと思ったのも束の間、強烈な不快感と共に視界が明滅する。次の瞬間にはカレールーの箱が目下に飛び込んできた。これは確か、敵が暴れた衝撃で――…………?
理解できない。何故こうなったのかも、思考が纏まらない理由も、身体が動かないことも。
「がぐッ」
俺の腹に何者かの爪先が突き刺さり、無抵抗に転がされる。喉の奥から不快の塊が押し寄せ、息が詰まった。ここでものを吐き出した場合のストレスが勝り、辛うじて奥へしまい込むの も束の間第二の衝撃が全身を痺れさせる。
痛い。
痛い――? 人に殴られたかのような痛み。こんなもの知らない。俺は知らない。
だって、俺は常に不可視の鎧を纏っていて。
これを貫かれたことなんて一度も。
「ぐあァッ――!」
「…………やは…………果覿面だ……………………だ……………………状態でさえ…………纏〉強度…………物だな…………――だが!」
数十秒振りに定まった視界に収まったのは、踵に取り付けられた霊的エネルギーに形作られた凄まじく尖った針だった。他の何もが見えないくらいの距離だ。
受け入れる他ない。
覚悟を決める余裕もなかった。辛うじて目を閉じることはできた。風船を割ったように現れた右頬を駆け巡る痛みと熱に俺は絶叫する。
「ぐ、がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!」
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。頭が痛い。腹が痛い。響く痛みだ、内出血の中でも酷い方だ。青紫色に染まっている違いない。気持ち悪い、自分の身体でそんな悍ましいことが起きたことに嫌悪を感じざる負えない。嫌だ。痛いのは嫌だ。痛みを感じるくらいならひとおもいに殺してくれ。死んだ方がマシだ。早く頭を叩き割ってくれ。喉を貫いてくれ。
反射行動として右頬に手を添える。見なくてもわかるくらい腫れている。口の中に切っていて気持ち悪い鉄の味でいっぱいだ。
まだ、頭が痛い。膝も震える。だけど、立ててしまうくらいには回復している。だが、もう立ちたくないから動かずに考えた。
急速に這い寄ってきた眠気に抗いながら思考を重ねる。
「ぐぁっ――!」記憶が飛んだのは殴りかかった瞬間だ。「ぐはぁっ!」その際、あの男は俺に掌を向けていた。「ぎいッ――!」まるで何かを飛ばすかのように。「ぐっ…………!」能力からすればまず間違いなく衝撃波だ。「がああああああ――!」その作用としてこの状態異常が引き起こされている。「かッ、ッく…………ッ…………――」
――瞼が重い。
衝撃波とはつまり波だ。奴は波を操っている。
そう仮定した時、俺が倒れたのは超音波にでとやられた可能性が浮上する。
霊的エネルギーの波では俺の〈霊纏〉を貫くことはできない。だが、本物の音波はその限りではない。音も光も遮断したら何もできなくなってしまう。波の能力で、本物の超音波を結果として生み出した。それが真相ではないのか?
これは必殺だ――誰よりも霊的エネルギーを有するであろう俺に届くくらいだ、この能力はほぼ最強クラスと言っても過言ではない。
それは〈霊纏〉で防げないのなら、雪代の支配にだって止められないことを意味する。本気なのだ、本気で雪代を殺す気だ。
正直、嘗めていた。慢心もしていた。
端的に言えば俺の敗因は――想像力の欠如だ。実に愚かしい理由だ。全人類に共通する愚かさ、その集大成。
失敗だ。ほんの少し、不運だったら取り返しがつかなかった。
だけどまだチャンスがある――失敗は無条件に悪いことではない。
「――オン」
魔法の呪文を唱えれば踵落としの直前に消していた霊的エネルギーが甦る。
ここが最寄りのスーパーだとか心配してられる余裕はない。勝つためにどんな手段でも使わなくてはならないのだ。
黒色の霊的エネルギーを惜しげもなくこの身に纏い、立ち上がる。ここまで心がささくれて、攻撃的になったことは今までにはなかった。
「敵だ。あなたは俺の敵だ、だからもう容赦はしない。何が何でも打ち砕く」
「……………………おいおい、イカれてやがる」
男は笑おうとするも、実に苦々しい表情を見せる。
一挙手一投足に全神経を傾ける。不出来ながらも足の向きから、掌の角度、視線に気を配った。超音波だけは幾ら霊的エネルギーの鎧を纏っても防ぎ用がない。
明暗を、勝敗を分けるのはその一点――それはお互いに理解し、剣客のように間合い斗タイミングを図り合う。
五四秒後、男の右腕が振り上げられ、その掌は俺を捉えようと伸ばされる。
その一呼吸前に俺は一歩踏み出し、莫大な霊的エネルギーを腕から放射していた。壁のように、津波のように押し寄せるエネルギーの奔流に奴は飲み込まれる。
不可視の音波を避けるのは難しい、だからタイミングだけは逃せなかった。時機さえ合えば強引に滅茶苦茶にしてやることはできる。
「同じ攻撃はもう通用しない。もう、油断もしない」
「化物かよ…………」
「ゴースト・オーバーライダーだ」
この名を知っている者はそうはいない、ゴースト・ハンターズでさえ少数。最早意味はないだろうが、何者か問われればこう答える他ない。
中世の騎士か、昔の侍か――何の矜持を刺激したのか、男も名乗り上げる。
「…………ゴースト・ウェーバー。俺はゴースト・ウェーバーだ」
本番はこれからだ。そして、終わりは呆気ない。
きっと、何もかもが――。




