4.ゴースト・ザ・ウォッチャー
◎
「確かに…………さっきの〈霊纏〉の強度は驚いたが」
橋垣さんは俺の顔面を殴っている。その時、感触や手応えの有無を感じているはずだ。
嫁井さんにはその後、首を何かバットみたいなもので殴られもしたし。
「あんな硬く霊力を練る人は今まで見たいことないわ…………でも、あの化物はそんな次元じゃないと思う」
「そうですか」
流石に俺も、雪代とかに本気で殴られたら一発でKOするとは思う。あの程度の出力じゃそんなもんか。
敵の大体の実力を測れたところで、更に質問を重ねさせてもらう。
「鬼ごっこ、ってことは今も探してるんですよね? この奇妙な結界を張った方はいないんですか?」
「見てないわね、隠れてるかもしくはそもそもこの中にいないかもしれないし」
「なるほど…………」
依然として、出られる保証はない。
だが、最低限その化物とやらを倒さなければ脱出の手段を探すこともままならない訳だ。とりあえず、実際この目で見ないことには始まらない。
「この建物の地図描けますか?」
「えぇ、一通り走り回ったから。それは橋垣に任せるわ、こういうのは向いてないの」
「紙は…………お、あったあった。この建物の概形は…………――」
鉛筆で長方形を描く寸前で、橋垣さんは動きを止める。反射的に視線を見遣ると、どこにもピントが合っていなかった。
唐突に、意識がどこか飛んだような感じだ。
「――今すぐここを離れる。来やがった、例の怪物が!」
「感知系の能力ですか?」
「そういうことだ。今なら気づかれずに移動できる、行くぞ」
俺は荷物を乖離に預けた。引っ付いてくる腕を外して、彼らが進む方向とは逆へ進む。
「おい! そっちから来る、と言ってるんだ!」
「どこを集合場所にしますか?」
「…………戦いに行くつもりなの? あなたの霊力なら簡単に死ぬことはないだろうけど幾ら何でも無茶よ!」
橋垣さんも、嫁井さんも止めてくる。当たり前か、これは霊界隈では自殺しに行くようなものだ。
乖離は不安そうな顔をしているが、多分、知らない人が二人いるからだろう。俺の心配をしているようには見えない。
「駄目だと思ったら逃げますよ」
校長室を出て、左を向く。前方からゴオオオオオオオォォォ――というタンクローリーかのような轟音が響いてくる。後、一〇秒と言ったところか。
「さて、一体どんなもんかな――〈霊纏〉」
階段から黒い巨体が滑り落ちてくる。
第一印象は、トリケラトプスだった。廊下いっぱいの大きさ、禍々しい二本の角、顔の部分には蠢く二つの赤い目玉、八本の太い足。
一歩一歩が圧倒的破壊を秘めている。
確かにこりゃあ化物だが――。
「――俺はもっとヤバい化物を見たことがある」
トリケラトプスの上には人が乗っていたが、噴き出る霊力に紛れて顔はよく見えない。
化物は俺への目掛けて真っ直ぐに突っ込んでくる。呼応するように、俺も駆け出した。
殴っても吹っ飛びそうもないな。というこで蹴りを入れることにした。勢い余って上に乗っている人間に当てたりして――。
「があぁぁッ…………!」
靴底で蹴られた男は呻き声を上げた。
トリケラトプスは遥か背後、ブレーキがあってもあのタイミングで止められない速度が出ていた。あれは壁にぶつかるまで止まらなそうだ。
つまり、タイマンだ。
俺の目下には、顔面を抑えながら立ち上がろうとする青年がいる。
「てめぇ…………!」
「この結界を解除しろ、もしくはそう連絡しろさもなく――」
スムーズな〈霊纏〉だ。伏せた状態から一気に俺の背後に回った。かなり慣れている動き。
だが、あくまでも俺の目で捉えられるレベルだ。俺の方がもっと慣れている。敵の攻撃よりも早く、回し蹴りを見舞った。
奴は「がっ、はッ…………っ!?」と崩れ落ちる。この一撃はかなり効いていた。
「抵抗はお勧めしない、トリケラトプスみたいなのも間に合わないぞ。この結界を作った者の居場所を話してもらう」
「このッ、絶対に許さねぇ…………!」
首に足を振り下ろす。蛙が潰れたような声が漏れ、ようやく動きが止まった。
「良いから話せよ、時間がない」
「ッ――来い、〈ダーク・モンスター〉!」
「あ?」
刹那的に視界全体が黒く染まる。突如現れた赤い瞳がジロジロ、と俺を見た。
あぁ、いつでも呼び出せる、って訳ね。
次の瞬間には、俺は鋭利な角で持って吹っ飛ばされていた。
「確かにあの化物強いな…………ダーク・モンスターとか言ってたか…………」
とりあえず、今は引く。あの男を撃破した時に結界の製作者が何をするかわかったものじゃない。
適当な教室の扉を掴み、勢いを殺す。教室の中に入って息を整えた。
ここら辺で良いか。
「オフ」
ギシギシ、と鳴る木製の扉を開いて校舎を出た。結界も俺のオーバーライドの前には意味を為さない。
学校の敷地にある建物は他に倉庫のみ。
霊力を再びオンにする。校舎は勿論だが、倉庫からも霊的エネルギーが噴き出ていた。
「こちらを先に潰すか…………」
校舎とは独立した結界だ、遠慮なく〈霊纏〉で扉を破壊する。
中にいる人物が立ち上がった反動で椅子が倒れた。
その青年――というか、少女はキッチンに出てきたゴキブリでも見るような目で俺を見る。
完全に予想外、という顔である。
「結界を解いてください」
「…………っ…………な、ん…………出、れ…………」
「何で、か。結界に入った人間の数を知れるようだな、そりゃ驚くな」
霊的エネルギーをオフにして出てくるなんて想定できはしない。
「何でも良いが、結界を解け――さもなくば、その顔面を破壊する」
「ひっ」と、少女はありきたりな恐怖の表情を浮かべた――その端、頬が三日月型に歪んだ。
こういう手合いは面倒なことが多い。特に逃げ足が早い。ゴースト・インベーダーを思い出す。
「――死ね!」
「おっ」
地面が揺れ、壁のように迫り上がってくる。後ろ側・横も同じように角度が高まった。押し潰すつもりらしい。
それにしても死ね、と言われたことがショックだわ。一見、図書委員にいそうな人畜無害そうな女子だったのに。
無常を込めて襲い掛かる壁を破壊し尽くす。結界だけあって硬いが俺ならば問題なく突破できた。
しかし、その先には誰もいない。
「逃げたか…………意外と冷静だな。これだからああ言うのは厄介なんだよな」
既にこの倉庫は放棄されている。ここはもう彼女の掌握する結界ではないようだ。
近くにいなければ結界を維持できない、とわかっただけでも収穫と思おう。
そして、奴が逃げられる場所と言ったら校舎しかない。他に建物はないからだ。
次会う時はトリケラ野郎と、性悪図書委員は一緒だろう。その時、纏めて打ち砕く。
◎
――集合場所は校舎三階にある美術室。
ダーク・モンスターから逃げるように移動した橋垣、嫁井、乖離は無事にそこに到着することができていた。ゴースト・プレイヤー所属の彼らは下階から響いてくる爆音に眉根を寄せる。
嫁井は窓際に寄り、何となく外に意識を向けた。橋垣が手近な椅子を座らながら文句を垂れる。
「とりあえず落ち着けるな。窓見てどうすんだよ、何も動いてないだろ」
「音がした気がしたの」
それが校舎外の倉庫が潰れる音なのかそうでないのかは嫁井に判断できるはずもない。
「まぁ、何でも良いが…………あいつは何なんだ?」
「さぁね、霊能力者としては最高クラスだ、ってことはわかるけどそれ以上は何とも…………」
「お嬢さん、そこのところどうなんだ?」
「ぇ」
入口で居心地悪そうに佇んでいた乖離は縦に震えた。
彼女は、初対面の人間に声を掛けられてまともに返事できる人間ではない。辛うじて努力は認めるがちょっと、という評価は彼女のためにある。
「え、えっと…………き、きき、京都、さんは……………………何か……………………変な人です……………………でも…………女の子にモテます……………………」
「…………」「…………」
橋垣と嫁井は顔を見合わせた。考えていることは同じだった。
〈駄目だこりゃ〉――。
人見知りにも程があった。乖離の空気読みの能力は、一から説明しなければ理解できないレベルなのだ。桜坂は同類としてすぐに看破したが、普通の人にはわかりにくいことこの上ない。
「ともかく、あのまま戦闘になってたらヤバかったな。〈霊纏〉が硬過ぎる」
「あの時は思ったよりも冷静な子供だと思ったけど…………やっぱりわからないわね。えっと、君達は仲間を助けるために来たんだよね?」
「うぇ…………」
乖離の視界はぐるぐる、と混乱の極みにあった。
「そぅ……………………で、す…………」
「あ、ありがとね」
気を遣いまくって嫁井も若干吃っていた。
逆宮乖離――相当な爆弾である。彼女が言葉を発すると不思議なことに皆沈黙してしまうのだ。
「まぁ、ここを出るまでは協力した方が良いよな。生きてればの話だが」
言動も行動も、桜坂を信用はしきれない。今のところはこの程度の結論を出すしかなかった。
「こっちから敵対しない限りは大丈夫だとは思うわ。それで――目の方はどうなの?」
「何も映ってないな。敵の姿も、桜坂の姿も」
「生存は期待できそうにないわね。でも、私達は私達……………………何が起こるかわからない、休める時に休みましょう」
「……………………」
乖離は静かに、挙動不審に目を細める。
二人の会話は小さな声で行われていた。耳を澄ませても聞こえるか聞こえないかくらいの音量だった。
――ただ、乖離には聞こえていた。
人目を気にするが余り、周りの他人の会話を聞くのが癖になっていたのだ。それにより、橋垣の能力が視界を用いた索敵系スキルということがわかった。加えて、先の戦闘で嫁井が物体に霊力に込めたことから物体への〈霊纏〉の能力であることも。
「……………………」
知ったとて、何が変わる訳でもない。逆宮乖離に積極的行動を起こす気概はなかった。あるとしたら、姉妹か桜坂の指示に従う時だけ。
故に、乖離はそのまま目を閉じて妄想の世界に入り込む。
彼女にとって逃げ出したい現実とは人間がいる世界である。
◎
――ゴースト・プレイヤーで名付けられる固有能力の名称には必ず〈ザ〉が付けられている。
例えば、ゴースト・ザ・ウォッチャー。
例えば、ゴースト・ザ・ストライカー。
そこに定冠詞的な意味はない。ゴースト・ハンターズの命名と分けるためだけの識別である。
ゴースト・ハンターズとゴースト・プレイヤーに活動の違いはない。しかし、組織である以上、仲良く手を取り合う関係にはなれなかった。
正確には、しばらく前までは交流があり協力関係でもあったが、とある事件により破断したのだ。
公然には不干渉を貫いているが、水面下では未だ敵対している。
その諍いがどこで表出するかは誰にもわからない。
例えば、廃校に発生した結界の中で起きても全く不思議ではない――。
幾多の陰謀の渦は重なり合い、混ざり合い、大きなものへ生まれ変わる。やがて誰も予想の着かない方向へ進み、混沌と化す。
その戦いに勝者がいるのかは神のみぞ知る。もしくは敗者しかいないか。




