3.幽玄なる迷宮
◎
逆宮姉妹を助けに行く上で決めておかなくてはならないことがある。
鳳の処遇だ。この世界では彼女は完全に適応することができない。一定の霊的エネルギーを周囲に纏わせる等して、供給しなかれば衰弱してしまう。生物にとっての空気みたいなもの。
俺以外に供給できるのは関石さんしかいない。
という訳で連日のように彼女に鳳を預けた。
「すみません、立て続けに…………」
「それは良いんだけど、結構大変そうな案件なの?」
「少なくとも二人は行方不明になってます、かなりきな臭いです」
「帰って来ないなんてことないよね?」
少し、心配させたか。
ないよね、と訊かれても保証することはできない。死ぬ時は大抵あっさりだし、一人だから。
「流石に地獄程ではない、と思います。つまり、大丈夫です。帰ってきます」
「うん。その言葉が聞けて良かった…………前なら絶対そんなこと言わなかったし。どっちでも良い感じだったよね」
「勝手に娘ができたもので責任感が芽生えまして」
「それは…………――」
何を考えているのか大体予想は着く。関石さんは頬を赤くして、湿っぽい視線を俺に向けてきた。乗り気なんだよな、この人は。
何だか背中が痒い。というか冷たい、むしろ鳥肌っぽい。
あまり軽率なことは口にしない方が良いな。
「ともかく、よろしくお願いします。何日掛かるかもわかりません」
「…………そうなの? 鳳ちゃん、パパのこと好きだからすぐに帰ってきてよ」
マジでそういう台詞言わないで欲しい。名実共に、娘を認知してしまうのはまずい、って。
「じゃあ、しばらく会えないけどお母さんに迷惑掛けないようにな」
「わかったー、またね」
「うっす」
手を繋いで歩いていく二人の背中を見詰めていると、隣に少女が並んできた。人目に怯えているのかやたらと猫背だ。
「あ、あの方があの娘お母さんなの?」
「そういうことになっている。参考までにどんな気持ちで見てた?」
「えっと…………あの女殺したい、とか…………?」
「怖ぇよ。どれだけ俺のこと好きなんだよ」
まぁ、乖離にそんな度胸はないだろうけど。それとも、こういうタイプが暴れた時に手がつけられないのか。
鳳をどうにかできれば行動の選択肢は無限だ。今すぐにでも現場へ迎える。
――逆宮姉妹がゴースト退治に向かったのは、どうやら県外のとある廃校らしい。
数十年前に建てられたもので、古びて使い物にならないまま放置されていたものだが、今になって取り壊しが決まった。しかし、工事中に妙な現象が起きて延期を余儀なくされた、というのが序章。
物理的影響を起こすとは言ってもゴーストの格としては中級扱い。調査班――どんな組織化はわからないがそんな分隊――によれば特殊な能力も確認できなかった、ということだ。
それなのに蓋を開けたら、あんな結果になっている。
電車で最寄りの駅まで行き、そこから一時間弱バスで揺られ、さらに三〇分程歩いたところ――田舎も田舎、人の一人も見掛けない過疎地域の一角に廃校はある。
いかにもな木造の校舎。校門は錆びた鎖でグルグル巻きにされているが、すぐ横の鉄柵に人が通れる程の穴が開けられていた。
「何とか昼過ぎまでに来れたな――ここから先、どれくらいの長期戦になるかわからないぞ」
「うん、何となく…………そんな気もするけど…………いや、根拠はなくて…………」
ここに来るまでに様々な店に寄って、飲み物・食品から簡易トイレと言った非常時に使える物品を購入している。怜悧鋭利が飢餓に陥っている可能性もあるからな。すっかり重くなったリュックを背負い、校舎へ向かう。
「校舎全体から霊的エネルギーが滲み出てるように見えるな」
「…………中級ゴーストが出せる出力じゃない…………これを見たら怜悧も鋭利も引き返すか連絡くれると思うけど…………」
「乖離ならそうする、と。ゴーストの能力が発揮された後、ってのが妥当なところか」
中級以上のゴーストという可能性が濃厚。
そんな建物に今から足を踏み入れる。地獄には程遠い、しかし、何が起こるわからない、という点では同等。〈異界接続〉していてもおかしくない。
校舎への入口で立ち止まる。窓硝子が割られており、鍵は空いていた。青色の霊的エネルギーが漏れ出ている。
「一応手でも繋いでおくか」
「えっ…………そういうのは勇気が必要だから…………待ってよ…………」
乙女みたいにナヨナヨすんな。ニヤけるな。
うへへ、と笑う乖離の手を取り、校舎に入った。
瞬間――視界にある全てが霊的エネルギーにより置換され、世界から完全に隔絶された。
◎
「――これは〈異界接続〉ではないな。上から霊的エネルギーを塗って擬似的な異界を生み出してる。ここにいて精神攻撃を受けることはなさそうだ」
一見はただの学校。だが、目につく全てに霊的エネルギーを感じる。霊的エネルギーで再構築された学校、と言っても良い。
ただ、窓から見る景色は写真のように動かない。窓の霊的エネルギーによるその時を再現しているだけ。そのおかげか、暑さも遮断されているので中は快適だった。
「あ…………入口の扉開かない…………」
うっすい反応で乖離が言った。
扉を押しても引いてもびくともしない。〈霊纏〉で殴ってみても良いが、それは救出してからだ。下手に壊すと取り返しが着かない気がする。
「と言うか、いつまで手を繋ぐつもりだ?」
「え…………勝手に掴んできたのは京都、さんじゃん…………私が悪いの…………?」
「善悪の問題ではないが、動きにくいだろ」
手を繋いだのは逸れないようにするためでしかない。
まぁ、手を繋ぐくらいなら別に問題もなさそうなのも事実。ならば放置していても構わないか。
「…………戦闘になったら離してくれよ」
「それはわかってるよ…………わかってない、と思われてたんだ私…………そんな感じはしてた…………」
ブツブツ、と呟きながら俺の左腕に身体を預けてくる。行動と発言と性格が滅茶苦茶だ。逆宮姉妹一番の混沌は乖離だ、名前通りの乖離である。
ゴーストの仕業だとすれば、ここは謂わば狩場。有利になる理由があるからこうした空間を作り出している。
霊的エネルギーを発露し、感知を強めておく。
「さて、どこから向かうべきか…………」
田舎への偏見だが――敷地だけは広そうなので時間が掛かる。建物自体は三階建、横にも縦にも長い。地図が入口に置いてある訳もなく、道に迷いそうだ。
と
「一階から探すか。それで良いと思うか?」
「…………え、何で私に訊くの?」
「一緒に行動するからだが…………流れに身を任せ過ぎな奴だなぁ」
当たり前だが、教室が立ち並んでいる。黒板というものが全く進化していないことはともかく、机も椅子も完全に木製なのがノスタルジーを感じさせた。
職員室らしき場所にも入ってみる。廃校になった時点で資料は持ち帰られているのだろう、棚はすっからかんだ。
とりあえずここを拠点にしようか。机が多くて遮蔽が多いため敵が来ても時間を稼ぐことができる。
その刹那――机の影から、何が飛び出した。
少なくとも俺よりも体格が良い男が拳を振り上げ、飛び出してくる。その手には霊的エネルギーが込められていた。
男は食い縛って、拳を放つ。
「〈霊拳〉――!」
顔面に拳が突き刺さる。
額に触れる柔らかな感触。俺の〈霊纏〉を貫けてはいない。実質ノーダメージだ。
「なッ――」と、男が驚きながら後ろに下がる。
今度は首元に冷たい物が押し当てられた。
乖離の腕を掴む力が強まる。霊的エネルギーが込められ過ぎて痛いくらいだ。いや、戦えよ。助けてよ。
振り向くと、背の高い女性が俺を忌々しそうに睨みつけている。手にはナイフが握られていた。
二人組――そして、どちらも霊能力者。
記憶には自信はないが、ゴースト・ハンターズの集会で彼らのような者を見たことはない。
ふむ、珍しいこともある。
「話し合いをしましょう、あなた達の敵ではありません。二つの意味で」
できるだけの作り笑顔で言ってのだが、帰ってきたのは疑いの眼差しだった。俺達じゃやっていけねぇよ。
◎
――ゴースト・ハンターズという組織がある。
対霊互助機関、というのが正式名称のそれは霊能力者がゴーストに脅かされることのない生活を送るための支援をすることを目的に作られた。
創設者八坂を始めたとした者が数年前に作ったもので、国内最大の対霊組織である。
最大の、ということはそれ以下に存在する。ゴースト・ハンターズの拠点は関東圏内であり、地方までカバーしきれていない。
ないのなら――同じようなことを考える者が必然的に現れる。
例えば、東北を中心として活動する対霊組織。名を――ゴースト・プレイヤーと言う。
「――実際出会うのは初めてだな…………」
場所は少し変わって校長室、机を挟んで並べられているソファーに四人で座っていた。俺の隣に乖離、前に男――橋垣さん、斜向かいに女――嫁井さんという形。
「いきなり攻撃して悪かった。こちらも切羽詰まっててな」
橋垣さんは、両膝に手を置いて頭を下げた。
「いえ、お互い様ですよ。こちらもその立場だったら同じことをしたでしょう」
「そう言って貰えるとありがたい。それに食料も分けてもらって」
「そのために持ってきたんですよ。代わりにお話を聞かせてください、この現象が何なのか」
何をおいてもまずは情報だ。ここに数日いたのなら、それに匹敵するだけの密度がある。流石にここから実地で情報を得るのは面倒過ぎた。
その前に、女性が掌を前に突き出した。
「それは勿論だけど――先に訊きたいことがあるわ」
「はい、どうぞ」
「あなた達は中級のゴーストを倒しに来たのよね?」
質問の意図を汲み取るなら――中級ゴースト討伐以外にも目的があってもおかしくない、と言うことか?
ますます怪しい風向きである。
「正確には、中級ゴーストを倒しに来た仲間の救出です。五日前にここに来てから連絡が断っています」
「教えてくれてありがとうね、でも他の人は見てないわ…………この分だと説明は一から行った方が良さそうね」
「お願いします」
「薄々勘づいてそうだけどね」軽く微笑むと、嫁井さんが説明を開始した。「まず、結論を言えば、この脱出不能の空間だけど中級ゴーストの仕業じゃない」
「迷宮、ですか…………」
「それならまだ良かったんだけどね」
一瞬、表情に陰が差した。
俺の考えていた嫌な予感はどうやら当たりみたいだ。
「ゴーストじゃなければ何ですか?」
「さぁね。でも、一つだけ言えることは私達と同じ霊能力者の仕業、ってことだけ」
「…………能力は空間製作、ってところですか」
「それともう一人――鳥籠に囚われた私達の命を狙う襲撃者」
「――…………なるほど、迷路じゃなくて鬼ごっこですか」
「そいつも、そう言っていたわ」
趣味が悪いにも程がある。つまりは、中級ゴーストを出汁にして霊能力者を集めてデスゲームを行っているのだ。
状況は想像以上に悪い、この分だと怜悧達の生存も危うい。
「敵はどんなのですか?」
「化物よ。昔の気持ち悪い妖怪みたいな使い魔を放ってきた。この廊下にぎっしりの大きさのね。遠目で見ただけでもとんでもない霊力量だったわ」
使い魔系の能力は強いことが多い。ゴースト・ハンターズにも大怪鳥を操る能力者がいるが、乗られたら一方的な展開になってしまう。
デカいだけで単純に力で勝てない。
捕食者とでも言うべき敵がいる。そいつと戦わずにここを出ることはできないだろう。目的を、救出と敵の排除に定め直す。
「敵は強いんですよね」
「えぇ、だから私達はこうして隠れてる」
「それは、俺よりも強いと思いますか? 俺なら、その化物とやらを打ち倒せると思いますか?」
一番大事なことはそれだけ。
自分で言うのもなんだが、俺は最強のゴースト・ハンターだ。どんな小細工をされようと、最終的に勝つ自信――はないが、前に立つことに躊躇はない。
「――こんな下らない世界は俺が壊します」
どうやら、やることはいつもと変わらないらしい。




