14.言葉では伝わらない
◎
――新たな地獄が見つかったのは七月に突入してからだった。
半端に冷房の効いた教室の端っこ、俺は腰掛けながら空を眺めていた。前の席に横向きに座るのは当然の如く雪代だ。
特段用事もなく彼女はやって来る。
友達を作るのが怖いと言いながら、凄い寂しがり屋だ。
「今日は髪型が違うな」
「暑いしポニーテールにしてみた。でも、次はやらないかな」
「宇宙人対策ではないのか」
「は? 意味不明なんだけど、わかる言葉で言って欲しい」
「夏だな、と思ったのだけだよ。最高だな」
「へぇ、ポニーテール好きなんだ」
そっちじゃなくて夏という季節が、だが訂正するのも面倒なので無視しておいた。
夏休みは海を見に行ってみよう。江ノ島が良いか。前回行った時は堪能しきれなかったから今度はゆっくりしよう。
「そんなことより! 風車さんから訊いたよね」
「地獄のことか。俺は怜悧を経由してだけどな。あの人の連絡先は知らない」
「えぇ、付き合い長い癖に……」
「当時は必要になるとは思ってなかったんだよ。今更訊くのもおかしいし」
「これだからコミュ障は…………私が言ってあげよっか?」
「おい。善意だとしてもそれが一番傷つくわ。そんなことも一人で言えない人、と思われるのだけは嫌だ」
風車さんがそんなこと言うとは思えないが、その程度で人に頼るのは惨めにも程がある。いやいや、詰まらないプライドだ。治らないんだこれが。
「ともかく、紫の時みたいに霊的エネルギーの吹き溜まりができてるみたいだな。周辺ゴーストが強化してる、って話もある。気配濃厚だな」
「いつ行くの?」
「早い方が良いけど、テストがあるからなぁ」
「学生の本分ね」
「……まぁ、何だかんだ余裕か。次の休みにでも」
「もしかして桜坂君、って頭良い?」
ややの躊躇を感じさせる質問だ。その疑問の意図を愚行するなら、雪代さんは頭が良くないという仮説が立つんだが。今のところは完全な偏見。
「良くはないな。でも、学校のテスト程度なら平均的くらい余裕だろ」
「へぇ、そうなんだね…………」
「ちゃんと授業聞こう」
「聞いてるよ!」
聞き流して、黒板を写すだけのことを授業を聞いてる、とは言わんよ。雪代が勉強できないことと、要勉強ということは置いといて閑話休題。
地獄らしき場所は見つかった。但し、甲虫ような強力なゴーストがうじゃうじゃいる、と。
「少数精鋭で向かうべきなのは変わらない。というか、その甲虫と戦える人材自体かなり限られる」
「素朴な疑問なんだけど桜坂君と同じくらい戦える人、っているの?」
「あー、いるかもしれないけど俺は知らないな。候補は何人かいるけど」
「そうなの?」
「雪代とかな」
「え!?」
予想外と言わんばかりに目を丸くした雪代。
如何せん不明なところが多い彼女の特殊性質、その正体の一端くらいは理解しているつもりだ。俺が名付けたゴースト・スピーカーは変えなくてはならないかもしれない。
「嘘でしょ?」
「どうだろうな。殴り合いが強ければ良い、って問題でもないし。どちらにしろしばらく先の話だけどな」
「期待されても困るけどね。今は君だけ、ってことだよね?」
撃退だけなら怜悧でもできるし、雪代でも耐えられる。無傷で倒すなら俺だけ、ってだけだ。
「――一人で行くつもり?」
雪代は尋ねる。騒がしい教室に掻き消されそうな声だが、真剣味があった。
「まさか? 次の地獄は都会のど真ん中にあるらしい。そんなところに一人で行ける訳がないだろ」
「…………それって、例えば出没地点が前みたいな森だったら一人で行ってたってこと?」
質問を重ねる雪代の顔は見えなかった。何気なく黒板を見て、俺を見ようとしないが、背けるということはつまりそういうことだ。
仕方なく君を連れていくんだ、と伝わったか?
俺に置いていかれたって別に何もならないと思うが。
「森も一人じゃ怖いから誰かいたら良いよな」
「…………はっきり言ってよ!」
何故か切れられた。
人は唐突に切れる生き物ではない。
「怒んなや」
「怒ってない」
「怒ってるじゃねぇか」
「怒ってないから」
「完全に怒ってるやないか」
「怒ってない、って言ってるでしょ!」
「――うっす」
こんなに怒られたら何も言えねぇよ。
原因は何となくわかるが、雪代が俺の言うことを信じてくれないのが一番の要因だろ完全に。
俺は嘘を吐いていない。
言葉の綾でもない。
本当に森に一人で入りたくない。暗闇が怖いから。納得してもらえない理由ではないと思う。
それとも何だ? 「俺にはお前が必要だ」とでも言えばよかったのか? それはもう嘘を吐きに行ってる。俺は嘘を吐くのは好きではない。
「たったそれだけの理由でしか誰かと一緒にいれないの?」
雪代が絞り出すように漏らした台詞、思ったよりもグッサリ来た。それを言うな、と突っ込みを入れたくなる。
逆に、暗いところが怖いとか、一人じゃ道を迷いそうだとか――そんな理由じゃダメなのか?
「心細いからじゃ許されないのかよ?」
「許されることだよ。だけどそれは――誰でも良いんでしょ?」
「知り合いに決まってるだろ(幽霊の見える奴)」
「知り合いなら誰でも良いんでしょ?」
「そこは良いだろ」
「ナチュラルなノンデリ、治した方が良いよ」
抵抗虚しくバッサリ切られた。
口喧嘩するつもりはない。俺は赤い地獄で学んだ。誰でも良いから、支え合うことが大事なことを。
一人じゃない、と思えるだけで心がどれだけ救われるか。
見解の相違だ――。
俺は救いと信頼は別物だと思っている。大切な人は幸せになって欲しいけど、俺が幸せにしようとは思わない。信頼があるから、俺は相手に委ねる。
「別に俺の言うことを聞く必要も、信じる必要もない。君の人生は君が決めれば良い」
「……………………何でわかってくれないの?」
虚しい憤り――?
雪代は今にも泣きそうな顔をしていた。そして、教室の空気は凍えきっていた。だいぶ響いていたみたいだな。彼らは興味深げに俺達を見て、何やら邪推しているはず。
周囲を見回すことで視線を散らす。
「違う人間なんだからわかり合うことなんてできない。雪代をが俺を理解できないように、俺だって雪代を理解できていない。どうしてそれをわかってくれない?」
「――理解できない、って…………こんな当たり前のことなのに…………」
「その固定観念が既に傲慢だ。全員が理解して当たり前という考えに頭に来る、言ってくれなきゃわからないことだってあるのに」
言ったってわからないことの方が多い世界だが、何もしないよりはマシだ。
「君は…………失わなきゃわからない人なの?」
「その質問――答えるなら俺だけじゃなく全員が、だがな。雪代には悪いけど、俺は俺の世界を守るので手一杯なんだよ。俺には他人を思いやる余裕はない。自分を失わないだけで限界だ」
むしろ、誰かを守れるなんて考えが思い上がり。それこそ傲慢だ。
「そんなことないでしょ…………私のこと助けてくれたじゃない。あれは桜坂君じゃなきゃどうしようもなかった、それって――」
「――…………」
ため息を一つ吐く。面倒になってきたな。
柄にもなくヒートアップしてしまったから話が抉れてしまった。と、言いつつもこうして冷静に俯瞰する自分もいる。自分でも自分がわからない。それをどうして他人がわかる? 他人だからこそわかるのか?
「――雪代が思う以上に何も考えていない。それが答えなんじゃないのか」
思ったよりも物を大切にしていなかった。思ったよりも関係を軽視していた。思ったよりもどうでも良いと思っていた。
よく考えれば、例えば家族が事故でも何でも死んでしまったとしても涙を流すことはないだろう。真っ先に考えるのはこの先の生活のことで、バイトでも探し始めるのではなかろうか。
これこそ失ってからでないとわからないが、自分が悲しみに傷つく想像ができなかった。
「何となく上手くやって来たが、やっぱり普通とは全然違う感性なんだ。でなければこんなに理解できないこともない」
それで問題なかった。全員も仲良くする必要はないのだ。本来俺とは人間的に合わないタイプだが、恩を感じているから仲良くなろうとしている。捕えたつもりはないが、解放してやるのが人道だろう。
否――全てが打算な訳はない。雪代はそんなことを考えられるほどの頭脳を持ち合わせていないはずだ。
「――っと、ホームルームの時間だな。席に戻ってくれ」
「――ッ! 帰るからいい!」
鞄を持っていくとそのまま教室を出て行く。雪代は学校をサボった。
怖ぇよ。もう関わりたくない、と間違って思いたくなる。
◎
「――あれぇ? 桜子ちゃんは?」
「来てないみたいだな」
現在時刻午後六時過ぎ、橙色の空を掻き消すフラッシュライトに照らされた街。都会中の都会、こんな人混み溢れた場所に地獄は現れた。
休日ということもあって街は人で溢れ、実に不快である。
あんなにビビっていたのに普通に着いてきた怜悧が執拗に訊いてきた。
「どうして桜子ちゃんいないの? ねぇ、どうして?」
「喧嘩したからかな」
「嘘っ、京都と? 何があったらそんなことになるの?」
「さぁ? もっと俺に頼られたかったのかもしれない」
「謝った? と言うかいつ喧嘩した?」
質問ばかりだな。街中を歩いていても聞こえるくらい大声だし、落ち着いて欲しい。
「月曜日だな。それから一言も話してない」
「よくもまぁ、そんな平然としてられるね…………そうでなくちゃ京都じゃないけどさ」
「一応反省はしてるが、取り付く島もなかった。これはもう仕方ない」
「そこは強引に行かないと! そこで言うんだよ! 「好きだ! 今まで恋を知らなかっただけなんだ!」って」
言うかよそんなこと、普通に切れられて終わりだ。
「でも全然悪気とかないんだよな」
「うわ、人間の屑。そこは嘘吐けば良いじゃん」
「嫌だよ。バレるから」
「嘘、苦手なんだ。それはウケる」
「ウケないけどな」
笑えない話だ。
俺はまだ、この件を重大とも思っていない。適当に後で話せば良いか、と高を括っている。
――それでも良いのか?
アクションが起こせずにいるのは、浅い関係でも良いのか決めかねているからだ。挨拶する程度でも十分ではなかろうか、だってそれは悪くない。
「それにあまり近くにいて欲しい訳じゃないからな」
「どこまでも孤高、って感じ? カッコつけてるのか知らないけど人生詰まらなそう。私の感想とかじゃなくて普通に可哀想だよ」
意外と友達想いなんだな、怜悧。
怜悧に一つ悪いところがあっても全てがダメになるなんてことはない。俺に対して意地悪をするのと同じくらいに、雪代を大事にしているのかもしれないから。
俺は彼女との関係の名をあえて考えないようにしていたが、雪代はどう思っているのだろう?
「誤解だよ。嫌いとかじゃない。刺激が強過ぎて性的な目で見てしまうから罪悪感が凄いだけだ」
「最低な暴露だ。確かに胸大きいよね。感触も凄かった…………うん、ヤバい」
「語彙が死ぬほどか」
「想像しても無駄だから。あれは実際に触らないとわからないよ…………あれは確かにエロい」
「批判しときながら自分も最低な暴露してるじゃねぇか」
「同性ならありでしょ」
「ありだな」
百合は最高だ。現実にあってくれたらそれだけで涙しそうなくらい。だからといって怜悧と雪代がそんな関係になったら俺は出刃亀人間に成り下がってしまう。それも悪くないけど。
「即答とかちょっと気色悪いかな!」
「良い笑顔でキツいこと言うな。とにかく、人をそういう目で見る男に生まれて非常に残念と思っている」
「それが人間だからね。ということは、もしかして私のこともそういう目で…………?」
「…………………………………………」
「その反応どっち!? 呆れてものも言えないの? それととマジで思ってるの? 超怖い!? けどおもろい!」
怜悧の戯言は置くとして、順調に目的地へと進んでいた。中心街を離れれば存外人は少ないが、しばらくすれば仕事終わりのサラリーマンが押し寄せそうだ。
駅から降りる時にも見えたビルの一つには店の詰め込まれている。今回の目的はそこだ。
「正確にはその本屋か」
「本屋にもたまにゴーストいるよね。何でだろう」
「金が掛かるからじゃないか」
「結局この世界は金かぁ、金持ちになりてぇー!」
それは全人類が思っていて、ほんの一握りだけが実現できる夢と現実の混じった黒い何か。
本屋はワンフロア全体に広がっている。広いことくらいしか特徴はない。まぁ、変に尖っていても困るから普通で良いのだが。
「地獄は旅コーナーにいるんだって」
「地獄への旅か…………」
本棚の角を曲がったところに渦はあった。吹き荒れる霊的エネルギーの色は黄色――これは黄色の地獄だ。
どうにも建物の中にあると違和感がある。
「ゴーストは…………いないみたいだな」
「こんなところじゃ戦えないから、って外に誘き寄せたみたい。倒せずにそこら辺にいる、っぽいけどさ」
「放置してんのかよ。そこは責任取ろうぜ」
「あんなの京都にしか倒せないから仕方ないよ」
黄色の渦を覗けば、見覚えのない住宅があった。そこら辺を歩いて見つかる住宅街に並んでいてもおかしくない。
洋風邸宅から、宮殿に来てこれか。
一気に臨場感はなくなったが濃厚な霊的エネルギーの波は共通していた。
「黄色の地獄――行くんだよね?」
訊いてくる怜悧に頷いた。
「もしかしたら人が来るかもしれないからその時は俺が先に入った、って言っといてくれ」
「へ?」
「じゃあ、見てくる」
「ちょっ、あっさりし過ぎ!」
身体が浮き上がらんばかりの酩酊感の先、アスファルトの道路が続いている。ポツリ、と寂しく家は建っていた。
試しにインターホンを押してみよう。
何も鳴らなかった。次、ノックしてしばらくすると家の中からドタドタ、と走る音が聞こえてくる。
「パパー!」
「あー、久し振り」
地獄の番人である幼女が抱き着いてきた。
いやいや、どういう風に接すれば良いのか。ニコニコしながら話す、ってのは俺にはできない。雪代は迷いも躊躇いもなく喋りかけていたな、凄まじいコミュニケーション能力だこと。
「ずっと会いたかった!」
「それは待たせたな」
「…………ママは?」
まぁ、訊かれるだろうな。一応、赤羽さんを通じて連絡はした。大学生という身、強引に来てください、とは言えない。
どうやら来るらしいがしばらく時間が掛かる。それまでに地獄が閉じる可能性は高い。
「間に合うかどうかわからないな」
「……うん」
落ち込んだ子供の励まし方なんて知らないぞ。これ普通に抱き締めても良い奴なのか?
こんな玄関先で話していても退屈そうだ、堂々と不法侵入させてもらう。黄色のリビングにあるソファーに座れば、俺の上に乗っかってくる幼女。
「名前はママが考えてくれたから後で教えるよ」
「わかった」
「それで君がこの世界から外に出る方法を考えたんだけど」 「本当?」
「本当だよ。この世界の霊的エネルギーの濃度に適応してるなら、それを供給すれば解決だと思うんだよ」
当たり前のことだがな。水族館に魚を運ぶ時、海水をトラックに積んでその中に入れる。この幼女にとっては霊的エネルギーがそれ。
彼女の周りを霊的エネルギーで囲むこととで擬似的に地獄を再現する。ほぼ常時、そんなことができる人材は少ないがいない訳ではない。
「俺がエネルギーを分け与えれば多分だけど外に出られるはずだ」
彼女はそこら辺にいるゴーストと作りからして異なる。扱いとしては宇宙人のようなものだ。
「これからもずっと一緒にいられるの!?」
「ずっとじゃない」
「そうなんだ……」
「ずっとじゃないけど、会いたい時は会えるから」
「やったー! パパ好き!」
幼女に言われるならまぁ、受け入れられないこともない一言。
「――…………っと」
少し、思考に靄が掛かってきた。早速だな。地獄の精神攻撃だ。人肌に触れているからか少しはマシそうだ。入口が閉じるまではこうしていよう。
「…………そういえば、外にいる、っていうゴーストは大丈夫か」
外に甲虫並のゴーストがいるとして、関石さんはそれに出会うことなくここに来られるのか?




