11.地獄の番人
◎
――足を踏み入れた瞬間、世界に紫色が差し込まれた。
間違いなくここは地獄。紫の地獄と呼ぶべき災禍級のゴースト空間だ。
心への圧迫感は赤い地獄とは違う。効能は別だろう。とてもじゃないが耐性ができているとは思えない。
「すげぇ宮殿だ」
「だね……」
雪代も呆然と頷く。この反応から見るに、青い地獄の方にもここまで巨大な建築物はなかったのだろう。
右見ても、左見ても終わりなく庭園が続いていた。当然のように噴水があると思ったら、大きな池まである。等間隔に並んだ木立はゆうに一〇〇メートルを超えていた。
「それにしても紫か……」
「見て、桜坂君!」
「急に何だよ」
「扉に誰かいた……!」
「何だと?」
俺達よりも先に来た奴が?
半日過ごしただけでも精神に多大なる被害が出る空間、渦がある内にここから叩き出さなければ。それにしても雪代は目が良いな。霊視しても目の良さは変わらない、元来目が良いのだろう。
雪代は一目散に駆け出した。だいぶささくれだってるな。心を落ち着かせるために俺は歩いていく。
「紫は赤と青を混ぜたもの……何かの因果か。それよりも雪代か」
扉は雪代が開けたまま放されていた。全面の広大なエントランスホールだけで探索したくなくなる。
どこかから〈誰かいませんかー〉という雪代の声が響いた。
さて、どこから探そうか。
「前の場合だと食料から探したな……」
武器も探してたけど。
歴史ある西洋建築なのだろうが、現代の生活と掛け離れ過ぎてて合理性を感じらない。一体どこから探せば良いのやら。
「――――!?」
――ズボンをチョン、と引っ張られた。
まるで子供が大人の気を引かせるような感触。いや、靴を裾に引っ掛けてもこんな感じになりそうだ。
ここは紫の地獄。
何が起こるかわからない。異様に強い甲虫がいたんだ、ここに変種ゴーストがいる恐れもある。
警戒しつつ、振り向いた。
花の模様の壁――? 異常はない。
次の瞬間、「うおっ」と、感情そのままな声を出してしまう。幽霊でも出たかと思った。
違う、これは……少女だ。
小学くらいの幼い女の子が目の前にいる。円ながら鋭い瞳で俺の顔を不躾に見詰めていた。
反射的に目を逸らす。
雪代が言っていたの人影というのは子供のことだろう。
後から入った俺が見つけられた、というのは何ともできた話ではある。一緒に行かなくて良かった。
この少女は偶々、この地獄に紛れ込んでしまったとか? まずは現実世界に送り返さなければ。
一旦、雪代と合流した方が良いか? などと、考えている時だった。
「パパー!」
幼女が俺に抱き着いてきた。
男子高校生にとっては不穏な二文字だ。
パパ…………パパ? 俺は誰のパパにもなったつもりはないし、これからもなるつもりはないのだが。
「よし、なかったことにしよう」
何もなかった、何も起きなかった。
特に意味はない、特に意味はないけど目下を見てみる。どうせ何もないけどな?
「…………気持ちを誤魔化しでどうするんだよ」
「どうしたのパパ?」
幼女は可愛らしく首を傾げた。
なるほど、紫の地獄はこういうタイプの奴なのね。非現実的な修羅場を侵入者に与える、という精神攻撃か。
◎
――まぁ、そんな訳はないのだが。
「俺は桜坂京都。君の名前を教えてくれ」
「わたしのこと?」
「そうだ」
「わたし名前ないよ!」
手近なところにあった椅子をニ脚を拝借し、正面エントランスにて幼女と向き合っている。
背中を覆い隠すほどの緑の黒髪はどこか見覚えがあるような気がした。幼女は足をぷらんぷらん、させながら言葉を紡ぐ。
「パパが名前つけて!」
「……………………」
パパであることも、名前をつけることも是非共拒否したいところだ。
名前はともかく、パパに関して雪代に何と説明すれば良いんだ? 絶対に変態扱いされる。
「本当に名前ないのか?」
「うん、ないよ」
「ないのか……」
そんな訳もないはずだがな。
まぁ、教えたくないと言うならそれで良い。外国人みたいな名前で呼んでやろうか。ルーシーとか、サラとか……。
冗談はともかく、何て呑気な子供だ。
「後、俺のことをパパと呼ぶのはやめてくれ。他の呼び方で頼む」
「パパはパパだから……」
「何故寂しそうにする?」
まるで俺が本当の父親かのような反応だ。
「俺のことは桜坂さん、って呼んでくれ」
「やー」
「子供みたいなこと言うな、って子供か。せめて京都と呼んでくれ」
「きょーと?」
「そう、京都」
「京都」
これならばただの生意気で可愛い子供だ。
彼女はきょーときょーと、としきりに呟くと椅子から下りた。縋り付いてきた、と思ったら膝に乗り上げられる。
いや、可愛いけど。
可愛いから良いか。
「俺は何をやっているんだ……」
「あ、桜坂君、って、ええええええええええええええええええええぇ! 誰それ!?」
雪代が螺旋階段から下り、俺の上に座る幼女を指差して叫んだ。紫色の世界にあてられて気が立っているんだろう。恐る恐る近づいてくる。
「その娘、ここにいたのよね?」
「そうだ」
「えっと、こんにちは。私は雪代桜子と言います」
雪代は中腰に、目線を合わせながら名乗ったが幼女からの反応は芳しくない。「いや。この人いや」と椅子の後ろに隠れてしまった。
「な、何でぇ? 子供からは好かれるのに……」
「パパ、この人嫌い!」
「おい、京都な!」
「ちょ、ちょっと……………………桜坂君?」
「何故危惧していたことを完全に理解していたのに実際に起こってしまったんだ」
「――説明してくれるよね?」
絶対信じてくれないけど、説明するだけはしよう。不意に現れた幼女からパパと呼ばれてるだけなんだよ、と。
案の定、信じてくれない。
その間も、幼女は俺に抱き着いて離れようとしなかった。
「それにしては懐き過ぎじゃ……」
「ゴーストがいるんだ。出会った初日で懐いて、パパと呼ぶ子供がいてもおかしくない」
「おかしいから!」
「だが、実際起こっているんだよな。不思議だ」
「受け入れるの早過ぎでしょ」
――ですよね。
「あれ? ちょっと待って…………君、顔見せて?」
唐突に雪代が動きを止め、訝しげな視線を幼女へ向けた。友好的な表情は一変している。
言外の恐怖がありあり、と伝わってきた。
「雪代?」
「ねぇ、顔見せてよ? ねぇ」
幼女は俺にぴったりくっついて頑なに顔を見せようとしない。その様子はまるで心当たりがあるかのようなものだった。
俺もどこかで見た気はしていたが。
「やっぱり…そうなんだ! あなたはあの時の!」
「何を気づいた?」
「さ、桜坂君…………私、この娘に会ったことある」
「俺もデジャヴを感じているけれども」
雪代の唇は怯えていた。異様に怖がっているように見える。
「私は、青い地獄でこの娘を見た……!」
青い地獄にいた娘が、紫の地獄にもいた?
そんな偶然、ある訳がなかった。
◎
「――ごめんパパ」
その娘は、桜坂君に謝るとゆっくりと離れた。
えも言えない違和感だった。
脳裏に焼き付いた青い記憶は一片も忘れられない。顔を見てはっきりと確信できた。
確かに私は彼女を押す青い地獄の日本邸宅の中で見たんだ。
「家の中を走り回ってた時に、あなたは私を見ていた……」
「その反応を見る限り、本当のことみたいだが?」
桜坂君はどちらの味方とも取れない言い方をした。
地獄だからか、この娘から特別霊力を感じ取ることはできないけどゴーストである確率は高いと思う。
それにしても、ここまで喋るゴーストは今までいなかった。
コミュニケーションは取れても、あちらから喋りかけられたことは一度もない。感情があるゴースト、まるで人間だ。
「さしづめ、地獄の番人か……」
「パパとママに会いたかっただけなの……」
その女の子は絞り出すようにそう言うと、俯いてしまった。
「ママ、ね」と、桜坂君ら意味深な相槌を打った。
この反応は何か知っている時のものだ。とりあえず納得して見せるがその実、ゴチャゴチャと考えている。
その時、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――と、いう長く重い地響きが起こった。
世界自体が揺れている。
空を見れば軋みで亀裂が入っていた。その先は真っ白で何もない。
女の子が私の下まで走ってくる。「はい」と何かを押し付けられた。
「これは!? 私が探してた…………持ってきてくれたの?」
「もうあの家はないから」
それだけ言って、再び桜坂君の下へ行ってしまった。
数ヶ月振りに手元に戻ってきた幼馴染の形見――。
あまりにも唐突なことで実感がわかない。これで、私の目的は達せられたの?
二人は何やら話している。
「――また会えるか?」
「わかんない。いつどこに家ができるかわかんないから……」
「ここから出る方法は?」
「わかんない」
「そうか。なら方法を考えておく」
「本当? やったー!」
「俺はそろそろ行く。また、会える日を」
「今度はママにも会いたい!」
「それはどうだろうな……まぁ、訊いてはみる」
崩壊は進み、空から紫の破片が落ちては光の塵と化した。無傷なのは宮殿とその煉瓦道だけで、広大な庭は見る影がない。
好都合な状況、この娘が何かしているとした思えなかった。
「雪代、帰るぞ」
「この娘は良いの?」
消滅させる必要はなさそうだけど、ここに放置するのもまずそう。
「今までもそうだったんだ、大丈夫だろうさ」
「楽観的……」
「探しものも見つかったんだろ、悪くはない」
「桜坂君の目的にも近づいた?」
「わからん」
「あの娘と同じこと言ってるじゃん。というか名前なんなの?」
私が改めて訊いても教えてくれるかは微妙だと思う。何故だか嫌われてるみたいだし。
「次までには決めておく。俺だけで決められることじゃないからな」
「?」
「じゃあ、またな」
桜坂君らカッコつけて後ろ向きで手を振り、割れかけの入口に飛び込んだ。追って私も紫の世界を後にする。振り向くと、少女がこちらをじっ、と見ていた。
「何なんだろう、あの娘……?」
「森に戻ってきたな」
霊視によって森は青白く見える。
空はすっかり暗闇に染まっていた。数十分ほど紫の世界で過ごした。時間の流れは同じらしい。
そして、目の前には怜悧がいた。
「待っててくれたんだね」
「……止める前に勝手に行くんだもん」
「それはごめん」
「でも、無事に帰ってきてくれて良かった」
怜悧が私に抱き着いてきた。引き寄せる力は思ったよりも強い、それだけ心配させたということだろう。私も応えるように腕を回した。
「それと、京都も」
「あぁ、予定通り帰ってきた」
「本当に馬鹿なんだから」
文句を言いながらも、私にやったように桜坂君にも抱き着いた。男子としては自分から女子に抵抗があるらしい、桜坂君の抱き留める手はどこかぎこちない。何か笑えた。
しばらくして身体を離すと、怜悧は両手を桜坂君の頬に添えるのだった。そのまま背伸びをし、顔を近づける。
――キスだ。
二人の影は重なった。それを目の前で見せつけられる私は一体。
「わ、うわぁ……目の前で……」
背徳感が凄い。ヤバい顔が熱い。
「――甘いな」と、桜坂君は詰まらなさそうに言った。
甘いの?
怜悧の唇が甘く蕩けていた、という訳ではなさそう。
なるほど、キスする直前に指を挟んでいたらしかった。抜け目がない。
驚いて損した。
「やれやれだ」
「意外と大胆だよね、怜悧って……」
「雰囲気的に行けると思ったんだけどね。女に恥かかせないでよね」
狡い、っていうか狡い。頭が良い、と言いたいだけなんだけど上手い言葉が見つからない。
「帰ろうか、もう暗いし虫も嫌だし。明日も学校あるしさ」
そうして長いようで短い一日は終わった。
目的を達した私がこれから何をするかは、明日考えることにする。




