戻れ命令では足りない
王都工房の使者は、汚れていなかった。
革靴に泥はなく、手袋も白い。供の職人が雨よけを差し、使者は防壁の門の前で書状を開いた。
「王都工房主任バルド殿より、アルト・リーフへ命じる」
ミナが門の内側で言う。
「門の外で読んで」
使者は眉をひそめた。
「王都工房の書状だぞ」
「だから門の外で読んで」
ロッコが小声で笑いをこらえ、帳面を開く。
使者は咳払いした。
「アルト・リーフは、王都工房へ出頭し、その技術を登録せよ。以後、王都工房の管理下で修理業務に従事すること。辺境での無許可修理は、安全上の問題があるため停止すること」
広場の空気が冷えた。
ニコがミナの後ろから顔を出す。
「止めたら、灯りは?」
レムが低く言う。
「橋も」
ダン老人が杖を突く。
「わしの靴もまだだ」
ミナは一歩も引かなかった。
「命令の理由は」
「安全だ。規格外の修理品が事故を起こせば、王都工房の信用にも関わる」
使者の言葉は、ただの脅しではなかった。
アルトにもわかる。
壊れた物を作り直すには危険がある。無理に使えば、橋は落ち、鍋は割れ、灯り石は熱を持つ。
だからこそ、アルトは用途を分けていた。
完全には直せない物を、別の役に立つ形へ変えていた。
「王都工房の安全基準は、何を基準にしていますか」
アルトが聞くと、使者は少し詰まった。
「当然、王都の規格だ」
「新品の魔道具や、王都の道路や、王都の倉庫に合わせた規格ですね」
「それが最も安全だ」
「この村には、その新品が届きません。王都の道路もありません。倉庫も、昨日まで濡れる廃屋でした」
アルトは防壁を見た。
「ここでは、何もしないことも危険です」
使者は書状を握り直した。
「なら王都へ来い。工房の中で技術を使えばいい」
「行きません」
「命令だ」
「依頼なら受けます」
アルトは一歩前へ出た。
手袋の縫い目を親指で押さえる。
「王都工房からの依頼品を、この村の決まりで確認します。何に使う物か、どこまで直せるか、危ない使い方は何か。そう書いて渡します」
ミナが続ける。
「人を連れて行く命令は受けない。仕事を持ち込むなら、順番と交換条件を守って」
ロッコが帳面を掲げた。
「記録はあっしがつけますぜ。王都にも写しを出せる」
使者は顔を赤くした。
「辺境の村が、王都工房に条件を出すのか」
ミナの声は冷えた。
「村を止める命令を持ってきた相手に、条件を出している」
防壁の上で鐘が小さく鳴った。
見張り台からの合図だ。
街道に、荷車が見える。
壊れた水車の羽根を載せた荷車だった。
周辺村の依頼だ。
アルトは使者へ向き直る。
「見ていきますか」
「何を」
「この村で、壊れた物がどう役に立つ物へ変わるかを」
使者は黙った。
その沈黙は、拒絶ではなく迷いだった。
彼も職人の端にいる。
暮らしが壊れている現場を、書状だけで止められないと感じたのかもしれない。
結局、使者は書状をたたんだ。
「主任へ報告する」
「お願いします」
アルトは頭を下げた。
使者は帰り際、共同浴場の煙を見た。
石槽から湯気が上がり、子どもが笑っている。
王都の規格にはない光景だった。
夕方、ミナは作業小屋の前で言った。
「アルト。今日から、あなたは直し場の工房長」
「僕が、ですか」
「王都から命令が来るなら、肩書きが要る」
ロッコがうなずく。
「帳面にも書きやすい」
レムが短く言う。
「工房長」
ニコも真似した。
「工房長!」
アルトは困ったように笑った。
けれど、逃げなかった。
「なら、最初の仕事は水車ですね」
ミナは満足そうに鍵を鳴らした。
王都へ戻る命令では、もう足りない。
ここには、明日の仕事がある。




