十二話 夜の終わり
ゆっくりと閉じられるドアの隙間から、ひんやりとした新鮮な空気が店内に流れ込んだ。
ハルは若い二人を見送ると、視線を店内に戻した。
一組の客が帰った以外の変化と言えば、青と黒のペチュニアのテーブルに、料理が並んだ事くらいだ。
いや、ソラの顔もほんのり血色が良くなっている。
そうしてハルが、店内の様子を伺っていると、
「お待たせしました」
店の女性が、追加の酒と料理を持ってきた。
ソラは、にこりと笑い、
「これも美味しそうだ。待ちわびてたよ」
店の女性に声をかけながら、運ばれてきた料理を見つめる。
さっきとは違う酒のボトルと、
エビや牡蠣など、海の幸を美しく盛り付けた皿。
ソラの目が輝きを増す。
店の女性は、ソラのグラスを新しい物に取り替え、
新しい酒をソラの方に軽く傾ける。
ソラは少し頭を下げた後、自然にグラスを差し出す。
初めての人間の食事とは思えないほど、自然な所作だ。
薄い金色の透明な酒をグラスに注ぐと、女性はテーブルを離れた。
ソラは、ゆっくりと酒を口に含む。
「これも美味いな! 実に爽やかだ……」
ソラから、感嘆のため息が漏れる。
その様子を見届けると、ハルはまた店内の様子をぐるりと見渡す。
その途中、青いペチュニアの席に視線を止めた。
その席に座る、ベレー帽の男性と、眼鏡の男性は、
運ばれた料理にあまり手をつけず、深刻な表情で話をしている。
「僕はどうしたらいいか、わからなくなったよ……」
ベレー帽の男性は頭を抱えながら、眼鏡の男性に言う。
「お前の人生なんだから、好きに生きろよ……」
眼鏡の男性は、うんざりしたような口調で返す。
「僕だって、絵の勉強をしに王都に行きたいさ……」
「だけど、それで食べて行けるかは別の話なんだ……」
「お前にとって絵は、生き甲斐だろ?」
「行かないで後悔しないのか?」
「後悔は……するかもしれないけど……」
「絵で食べていける人なんて、ほんの僅かだ……」
「お前、自分の才能に自信が無いのか?」
「無くは無いけど……絵が確実に売れるかはわからないから……」
「じゃあ、この街で細々と生きて、趣味で描けばいいじゃないか」
「それが現実的だけど……王都で勝負するのも夢なんだ……」
何やら煮え切らない態度のベレー帽の男性に、眼鏡の男性は、お手上げとばかりに両手を少しあげた後、冷めた料理に手を伸ばした。
ベレー帽の男性は、頭を抱えてしまっている。
「なかなか深刻そうだな……」
ソラは、料理をムシャムシャと食べながらハルに呟く。
「みたいだね……」
「お前は無縁だったが、若い内に良くある悩みだ」
「苦しいが、喜びでもある……放っておいてやれ」
「そうだね……」
二人は、そう言うと青いペチュニアの席から、視線を外した。
ハルは、なぜか自然に壁に掛かっている小さな絵画に視線を送った。
草原に立つ赤いレンガの風車小屋。
青い空には薄く雲があり、風に揺れる青々とした草。
ハルは絵などに興味は無かったが、壁に掛かっている絵画は、見ていて心地よかった。
特に、抜けるような空の色使いは、いつまでも眺めていられた。
ハルが、ぼーっと絵画を眺めていると、
「いい加減にしろよ!」
バンとテーブルを叩く音と共に、怒鳴り声が店に響いた。
見ると、眼鏡の男性が立ち上がっている。
「男らしく、いい加減にハッキリさせろよ!」
眼鏡の男性は、ベレー帽の男性に語気を強めて詰め寄る。
「自分の人生がかかってるんだ……そんな簡単に決められないよ……」
ベレー帽の男性は、眼鏡の男性から目線を外しながら呟く。
「行けばいいじゃないか! 本当は王都に行きたいんだろ?」
「それで失敗しても、またここに帰って来て、のんびり暮らせばいいだろ?」
「お前は、絵で身を立てられるのかが不安じゃなくて、自分の絵が認められないのを怖がってるんだよ!」
そう言われると、ベレー帽の男性は眼鏡の男性の目をキッと睨んだ。
「キミに――」
ベレー帽の男性が、何か反論しかけた時、
「すまないが、大事な話をしてるんだ」
「少し静かにしてくれないか?」
黒いペチュニアの席の紳士風の男性が、二人を嗜めるように言った。
穏やかな口調だが、店全体の温度を下げるような冷たさと、何か纏わりつくような黒さを含んだ声だった。
二人は、すみません。と頭を下げ、静かに話を続けた。
紳士風の中年男性は軽く手を上げ、連れの中年女性に視線を戻した。
「大声は控えてね……」
店の女性が、そっと青いペチュニアの席に近づく。
「料理も冷めちゃうわよ? 早く食べてね」
二人の間を取り持つように、優しく声をかけ、交互に視線を送る。
二人は、ごめんなさい。と頭を下げた後、料理に手を伸ばす。
「まだ、迷ってるの?」
女性は、ベレー帽の男性に声をかける。
「はい……」
ベレー帽の男性は、力無く答える。
「私は、あなたは才能があると思うけど……」
そう言って、壁にある絵に視線を送る。
「あなたが描いた絵……私は好きよ?」
どうやら、壁の絵はベレー帽の男性の作品のようだ。
「コイツは、怖がってるんですよ……」
眼鏡の男性が突き放すように呟く。
「自分の生き甲斐に、評価が下るのを……」
「ダメならダメで良いじゃないですか? それなのに、いつまでもウジウジと……」
眼鏡の男性の言葉に、ベレー帽の男性はナイフを持った手を、強く握りしめる。
「キミに何がわかる?」
ベレー帽の男性は、小さいが芯のある声で反論を始めた。
「僕の唯一の取り柄は、絵だ」
「他には何も無い」
「それがもし否定されたら……死んだも同じだよ」
「慎重にもなるさ」
その言葉に、眼鏡の男性も反論する。
「だったら、趣味でいいだろと言っているんだ」
「しかし現に、お前の絵が好きな人はいるんだし」
そう言って、店の女性をチラっと見る。
「俺も、お前の絵は好きだしな……」
「だから、王都に行って試して欲しいんだ」
「絵が売れなくても、否定されても、俺達の評価は変わらないだろ?」
「それじゃ不服か?」
その言葉に、ベレー帽の男性は黙りこんでしまった。
店の女性は、困った顔で二人を見つめる。
「だいたいな――」
眼鏡の男性の声がまた、だんだんと大きくなった所で、黒いペチュニアの席の紳士風の中年が、横目で眼鏡の男性を睨みつける。
蛇のような、冷たい視線だ。
その視線に、眼鏡の男性も黙りこんでしまった。
「ソラ、あの二人困ってるみたいだ……」
「放っておけ……」
「店の人も……隣の席の人は怒ってるみたい……」
「……」
「なんか良い方法はないかな?」
ハルの言葉に、ソラはため息をつく。
「まあ……せっかくの酒と料理が不味くなるしな……」
「……三つ目だぞ」
そう言うと、ソラは席を立ち、手のひらを握った。
そのまま、青いペチュニアの席に歩いて行く。
その途中、ソラの手の中が小さく光った。
青いペチュニアの席に着くと、
「申し訳ないが、話が聞こえてしまった」
そう言って二人を見る。
「お客様、お騒がせして申し訳ございません」
「うるさくして、すみませんでした……」
店の女性と、二人は揃って頭を下げる。
「いやいや、気にしてない」
「ただキミ達のやり取りを聞いて、少しお節介を焼きに来たんだ」
ソラは、三人に頭を上げるように促す仕草をしながら、話だした。
「若い内の選択や、友を思う気持ちに、正解なんかない」
「なかなか答えは出ないさ……」
「もしかしたら、最初から答えは無いかもしれないな……」
ソラは優しく語りかける。
二人は、頷きながら話を聞いている。
「しかし、決断しなければならない時は来るんだ」
ソラが、そう言うとベレー帽の男性は、
「わかってはいるんですが……」
「どうにも、勇気が……」
そう言って、再び目を伏せる。
すると、眼鏡の男性が、
「言い過ぎた事は謝る」
「でもこの人の言うように、いつかは決めなきゃいけないんだぞ?」
「本当にやりたい事をやってみろよ……」
そう言って、ベレー帽の男性に優しい視線を送った。
しかし、ベレー帽の男性は、その言葉にも頷く事はできずにいた。
その様子を見ていたソラは、テーブルの上にパチリと一枚のコインを置いた。
「これは?」
眼鏡の男性は、ソラとコインを交互に見ながら言った。
「何か物事が決まらない時は、そんな手もある」
ソラは、ニヤリと笑った。
ベレー帽の男性は、コインを手に取り見つめる。
ソラが出したコインは、金色の縁取りの、銀のコインで、片面には女神のように美しい女性、片面には美しい花の模様が浮き上がっていた。
「凄い綺麗なコインだ……こんなの見たことがない……」
ベレー帽の男性は、コインに吸い込まれそうな程、関心を見せている。
「私がキミ達に、どうしろとは言わない……」
「だが、これも何かの縁だ。そのコインはキミにやるよ」
そう言うと、ソラは自分のテーブルに帰っていった。
ベレー帽の男性は、
「……うん、そうだな……」
「やってみるか。」
そう言うと、テーブルにコインを立て、左手の人差し指で上から押さえた。
「散々悩んで、それで決めるのか?」
眼鏡の男性は、呆れたように薄笑いを浮かべて言った。
「とりあえず、コインに聞いてみるよ」
「女神なら王都、花ならこの街に残る……」
「いいんじゃないか? やってみろよ」
二人は、そう言うとコインに視線を落とした。
ベレー帽の男性は、ゆっくりと、息を吐いた後に、右手の人差し指でコインを弾いた。
チーン……と、高く美しい音が店内に響いた後に、シュルシュルとコインの回る音だけが聞こえる。
ソラとハルは、背中でそれを聞いていた。
しばらくすると、コインの回る音が小さくなり、
チン……とコインの倒れた音が聞こえた。
青いペチュニアのテーブルからは、クックックと二人が小さく笑ってる声が聞こえてきた。
「どうなったのかな?」
「さあな……」
「ま、どちらにせよ、これで少しは話が進むだろう」
そう言うと、ソラはグラスに酒を注いだ。
しばらくすると、会計を済ませたのか、青年二人が店を出ようとしていた。
ドアの前で二人は立ち止まり、ソラに向かって小さく頭を下げた。
それを見たソラは、手に持ったグラスを少しだけ高く上げた。
カランとベルが鳴り、ドアが開くと二人は帰って行った。
眼鏡の男性の安堵したような表情と、ベレー帽の男性の少し凛々しい表情が、ハルには印象的だった。
「なんか……上手くまとまったみたいだね」
「そうか、なら良かったな」
そう言うと、ソラはグラスの酒を飲み干した。
ソラは、随分顔が赤くなってきている。
そうしていると、
「先ほどは、ありがとうございました」
店の女性が、ソラに声をかけてきた。
「あの二人、常連さんなんです。ここ最近、ずっとあの調子で悩んでいたので……心配してたのですが、おかげさまで、踏ん切りがついたようです。」
そう言うと、女性は頭を下げた。
「私は、別に何もしていないよ」
ソラは、さらりと答える。
「良いきっかけになったようです」
「そうか……お節介も少しは役に立ったなら良かった」
二人は笑みを浮かべながら、話す。
「よかったら、こちらをどうぞ。サービスです」
そう言うと、女性は手に持っていたボトルを差し出す。
「おお! ご厚意に甘えよう。感謝する」
ソラは、嬉しそうにボトルを受け取る。
「では、この酒に合う料理を注文したい。かまわないかな?」
ソラは、にこりと微笑む。
「たくさん召し上がられるのですね。喜んで用意させていただきます」
そう言うと、女性は笑顔を残しテーブルを離れた。
「ハル! お前の願いのお陰で良い物が手に入ったぞ」
ソラは、上機嫌でボトルを眺めている。
「良かったね、でも……飲み過ぎじゃない?」
ハルは、不安そうな声で聞く。
「少し酔ってきたが、問題無い。早速いただこう」
そう言うと、ソラは酒をグラスに注いだ。
ハルは、少し呆れながらも、放っておくことにした。
ソラが、はしゃいでいると、なんだか気分が良い。
ハルは、黒いペチュニアの席に視線を移した。
食事を終えた紳士風の中年男性と、地味な印象の中年女性が、酒を飲みながら談笑している。
「騒がしい二人が帰って静かになりましたね」
中年男性が、そう語りかける。
「わたしは、気にしてませんよ」
中年女性は、顔の前で手を振る。
「お優しいですね、私はあなたとの時間を邪魔されて、少しムキになってしまったかもしれません」
男性は、そう言うと頭を軽く下げた。
「いいえ、そう言われると嬉しいです」
女性は、頬を押さえながら言った。
紳士風の男性は、いかにも女性の扱いに慣れた感じで、女性の気分を高めていた。
しかしハルは、さっきの青いペチュニアのテーブルの二人とのやり取りで、この紳士風の中年男性に黒い物を感じていた。
「さっきの若いお二人も、仲直りされたようで良かったです」
女性は、グラスを傾けながら話す。
「そうですね。若い内は些細な事で争いもしますが、仲直りも早いですね」
男性は、頷きながら返す。
「仲裁に入られた、あちらの男性も素敵でした……」
女性が、そう言うと、
「チッ……」
男性は、小さく舌打ちした。
「え?」
女性は、驚いた表情を見せる。
「いや、すみません……」
「歯の間に、食べた物が……品の無い行為でした」
男性は頭を下げ、口元を隠しながら爪楊枝を取る。
「そんな事は気にしませんよ」
女性は、ほっとしたような笑顔を見せた。
しかしハルは、男性から黒い物を感じ、
しばらく様子を見る事にした。
ソラの元に、新しい料理が届き、ソラがはしゃいでいるのを感じながらも、目を離さない。
中年男性は、ふうっと息を吐くと、改まった様子で女性に話を切り出す。
「例の件……考えてくれましたか?」
女性の目を真っ直ぐ見つめて話す。
「えぇ……」
女性は、頬を赤く染めながら頷く。
「結婚の話ですね……。わたしも……あなたと一緒にいたいです……」
女性は、上目遣いで男性を見ながら返事をした。
男性は、やや大袈裟に喜びながら、
「ありがとうございます! きっと幸せにしてみせます!」
そう言って、女性の手を両の手で包んだ。
女性は、少し恥ずかしそうにしているが、幸せな笑みを浮かべている。
プロポーズか……。ハルはそう思いながらも、胸にある違和感の正体を探る。
中年男性は、歳こそ少し重ねているが、
整った顔立ちで、スラリと背が高く、
髪の毛も黒くフサフサとしていて、一見派手な服装も嫌味なく着こなしている。
一方の、中年女性は、
少しおとなしめな顔立ちに、化粧も薄く、
少し口元に、シワも見られる。
服装は、地味というか、ありきたりというか、特に特色は無く、髪の毛にも少し白い物が混じっている。
ハルは、別に容姿をどうこう思ったりはしない。
むしろ会話を聞く限り、穏やかで優しそうな魅力ある女性だ。
しかし、中年男性が好みそうには思えないタイプだ。
ハルは、違和感の正体をひとまずそう結論付けた。
「いやあ、安心しました」
「私にとって、あなた以上の女性はいない……」
「断られたら、もう生きていけないと思ってましたよ」
男性は、ホッとしたのか饒舌になっていく。
「あなたに出会えたのが、私の人生の最大の幸福です」
「私より幸せな男は、この世にいない」
など、歯の浮くようなセリフが次々に出てくる。
女性は、そんな……。と照れ笑いを繰り返す。
ハルは、この世で一番幸せそうな顔で、料理を頬張るソラを見上げてから、視線を黒いペチュニアのテーブルに戻した。
「わたしも、幸せです……」
「あの……それで……」
女性が、モジモジと話しを切り出す。
「式はいつ……?」
女性は、上目遣いでちらりと男性を見る。
男性は、先ほどまでの笑顔を消し、スッと真顔に戻った。
「それなんですが……」
男性は、テーブルの上で両手を合わせ、項垂れるように俯く。
「実は今……私の手掛ける事業が……不味い状況でして……」
「資金繰りに奔走してる最中でして……」
男性は、深刻な雰囲気で切り出す。
「もちろん、ここを乗り切れば大丈夫なんですが……」
「式は、その後にしていただきたい……」
男性は、ちらりと女性に視線を送る。
「そんな……」
女性は、不安そうな声で呟く。
「なんで、話してくれなかったのですか?」
女性は、男性に聞いた。
「突然の事でして……。信頼してた人間にお金を持ち逃げされて……」
「あなたを不安に、させたくなかった……」
「しばらく待っていただいたら、元通りになります。」
「それまで待って欲しい……」
男性は、弁明の言葉を並べる。
ハルは、どこかで聞いた事のあるような話だな……と首を傾げた。
「結婚詐欺というヤツだな……」
ソラが、グラスを傾けながら呟く。
「結婚詐欺って、よく聞くあの結婚詐欺?」
「そうだろうな」
「でも、それだったらもう少し考えない? 物語に出てきそうな……こんなんじゃ、誰も騙されないよ?」
「普通はな……」
二人がひそひそと話をしていると、
「しばらく待つ……どれくらいでしょうか?」
女性は、身を乗り出すようにして男性に聞く。
「一年……いや、二年で全て解決します……」
男性は、絞り出すように声を出す。
「二年……」
女性は、絶望の表情を浮かべる。
「わかって下さい。今、一緒になるとあなたに苦労をさせてしまう……」
男性は、更に項垂れる。
「わたしは、あなたとだったら苦労してもかまわないです」
女性は、泣きそうな顔で訴える。
「そういうワケには……私の不注意でお金の苦労をかけるワケには……」
男性は、何度か首を横に振る……。
「お金……」
女性は、少し考えた後に意を決したように声を出した。
「いくら必要なんですか?」
その言葉を聞いて、ソラは酒を少し吹き出した。
「引っ掛かったな……」
ソラは、口元を拭いながら呟く。
「そうだね……でもなんで……?」
ハルは、理解が追い付かないようだ。
ソラは、横目で黒いペチュニアのテーブルを見た後にゆっくり喋りだした。
「まあ、あの男が上手くやったんだろう」
「傍目には、見え見えの手口でも、あの女は夢の中にいる……」
「気付かないんだろう……いや、気付かないフリかもしれんな……」
「どういう事?」
「あの女は、おそらく浮いた話が少なかったんだろう。そこに現れた身なりの良い、甘い言葉をかける男……」
「少し浮かれても無理は無い」
「……そうか……」
「あの男は、そんな女を狙ってるんだろう」
「随分慣れた様子だ。何人も騙してきたんだろうな」
「ひどい……」
二人が会話をしている間に、黒いペチュニアのテーブルでは、話が進んでいく。
「わたしには、少し貯えがあります」
「わたしにも、手伝わせて下さい……」
女性の顔は真剣だ。
男性は、手を女性の顔の前にかざしながら、
「あなたに、そんな事をさせるワケにはいきません!」
と言って断る。
「わたし達、夫婦になるんじゃないですか!」
「なら、一緒の事です!」
「わたしのお金を使って下さい!」
女性も引き下がらない。
男性は、両手で顔を覆い天井を見上げる。
ハルは、手の隙間から男の歪んだ笑顔を見た。
「間違いないよ、あの人結婚詐欺師だ」
「だろうな」
「止めなきゃ!」
ハルは、ソラに訴えかける。
「放っておけ」
「騙される方も、どうかしてるんだ……」
「見てみろ、あの男を。女を騙す為の華やかな衣服に、言動……あんなのに引っ掛かる方も悪い」
ソラはそう言うと、男の全身を見回して、男の頭に目を止めた。
「身なりも嘘で固めているな……」
ソラは、吐き捨てるように呟く。
「でも……あの女の人は悪い人じゃないし、たまたま悪い男に目をつけられたんだよ……」
「今までも、たまたま良い人に出会わなかっただけでしょ?」
ハルは、女性に同情的だ。
そうしている間にも、女性はどんどん男の罠に身を沈めていく。
「確かに……そうしていただければ、すぐにでも式を挙げれます……しかし……」
詐欺師は、躊躇う演技を見せる。
「遠慮しないで下さい。わたしが言い出した事です」
女性は、逆に頼み込むような詐欺師に言葉をかける。
「私も今すぐにでも、あなたと一緒になりたい……しかしそれでも……」
詐欺師は、更に躊躇う様子を見せつける。
「わたしのお金を使って下さい! わたしがそうしたいんです!」
女性は、詐欺師の手を取り顔を近づける。
詐欺師は、根負けしたような素振りで俯いた。
決定的な言葉を引き出した詐欺師は、俯いたその先で、卑劣な笑顔を浮かべた。
「ソラ! お願い! 助けてあげて」
ハルは、ソラにすがるように言った。
ソラはグラスを置き、諦めたような顔で、
「わかった……四つ目だ……」
そう言うと、横目で詐欺師の様子を伺いだした。
詐欺師は、女性の手を取り、瞳を見つめた。
「必ず幸せにします、あなたのお金を使わせて下さい……」
詐欺師は、優しい穏やかな声で女性に言った。
「……どうぞ使って下さい。あなたと幸せになりたいです」
女性の目には、うっすらと涙が浮かんでいる……。
「ありがとう!」
男性は、そう言うとテーブルに両手を付き、勢いよく頭を下げた……その瞬間、
パチン。
ソラが指を弾いた。
同時にズルリと、詐欺師のテーブルに黒い塊が落ちた。
一瞬、店内の時間が止まった。
さっきまで、詐欺師の頭の上にあった髪の毛がごっそり無くなっている。
詐欺師は、目の前に突然現れた黒い塊に、
女性は、目の前に現れた光る頭頂部に、
お互い、何が起きたか理解できずにいた。
先に動いたのは詐欺師だった。
カツラを頭に乗せながら、
「なんで突然……いや! これは心労で! 突然髪の毛が……」
あたふたと、言い訳しながらカツラを被り直す。
女性は表情が無くなったまま、ゆっくりと立ち上がった。
「あの……やっぱり少し考えさせて下さい……」
そう言って、ふらふらと出口に向かった。
「待て!」
詐欺師は、そう叫びながら女性の後を追いかけようとしたが、何かに躓き転んだ。
「落とし物ですよ……」
ソラが満面の笑みでカツラを差し出した。
詐欺師は、カツラを乱暴にもぎ取ると、バタバタとテーブルに戻り、荷物を手にし、
財布から、数枚の硬貨を出し、
テーブルに叩きつけるように置いて、走って出ていってしまった。
ソラは、フンと鼻で笑い、
再び、酒のボトルを手にした。
「ありがとう」
ハルが、ソラに礼を言うと、
「案外楽しめた」
ソラは、ニヤリと笑いボトルを傾けた。
ボトルからは、雫すら落ちない。
空のようだ。
「まだ飲むの?」
ハルが訊ねる。
「いや……どうやら今日はここまでだな」
ソラは、自分の手を見つめながら、返事をした。
「この体は、そろそろ限界だな。酔ったせいか、力を使いすぎたせいか、体を維持できなくなってきた」
「そうなんだ……」
ハルは、願いを言い過ぎたかな? と少し後悔した。
「では、帰るか!」
ソラは、そう言うと店の女性を手招きした。
「とても満足のいく食事だった。会計をお願いしたい」
ソラは、赤くなった顔でニコリと微笑む。
「たくさん召し上がっていただいて、私共も嬉しいです」
店の女性も、微笑みを返す。
ソラは、これで足りるかな? と数枚の硬貨を店の女性に手渡した。
女性は、結構です。と頭を下げた。
ソラは、ハルを指差しながら女性に、
「ところで、あの花は明日も飾るのかな?」
と聞いた。
「いえ、毎日一番綺麗に咲いた花に取り替えています。少しでもお客様に喜んでいただきたいので……」
女性は、そう答えた。
「そうか……。なら、あの花を貰っても構わないだろうか? 一緒に食事をした仲なんだ」
ソラがそう言うと、女性は笑顔で頷いた。
ソラは、水差しからハルを抜き取ると、出口に向かいドアを開けた。
カランとベルの音がなり、背後からはありがとうございましたと、女性の声が聞こえた。
外は、すっかり暗くなり、
少し、ひんやりとした空気が流れている。
ソラは、少し怪しい足取りでゆっくり歩きだした。
「最初の願いも叶えたぞ」
「うん……ありがとう」
「後一つ残っているが、どうする?」
「……別にいいよ。無理に考える事じゃないし……」
ソラは、誰もいない夜道を歩きながら、ハルをゆっくり胸のポケットに挿した。
「ではもう、ケチとは言わないな?」
「言わないよ」
「そうか……ならいい」
「うん……」
「ところで、どこに行くの?」
ハルは、ソラに訊ねる。
「あぁ……、この身体もそろそろ限界だからな」
「人目の無い場所に行って、処理しないとな」
「処理?」
「この世界から少しずつ集めたエネルギーや、物資を、世界に返す」
「人間のように埋葬するワケではない」
「そうか……」
「人に見られるのは良くないだろ?」
「確かにね」
ソラは、宵闇の中をコツコツと靴音だけを残して歩いていく。
「その時、お前の意識も花から抜いてやる」
「どうしたって、長くは咲いてられないからな」
「……わかった」
「それでいいよ」
二人は、ぽつぽつと話をしながら町外れまで来た。
ソラは、辺りを見回し、
「ここら辺でいいだろ」
そう言うと、ハルを胸ポケットから抜き出し、
近くにあった、木の根元にそっと置いた。
ソラも、その隣にゆっくり腰をおろす。
「では、私とお前の意識を抜くぞ」
そう言うと、パチンと指を鳴らした。
乾いた音が、やけに夜空に響いた。
ハルの意識は、ゆっくりと舞い上がり始めた。
「よし、空へ帰るぞ」
ソラの意識もとなりに感じる。
「身体はどうするの?」
「見てみろ」
ソラの言葉に、さっきまでのソラの身体を見ると、
その身体は、足元からゆっくりと崩れていった。
きめ細かい、砂粒のようにサラサラと崩れ、
そよ風に乗って、宙に舞い上がっている。
その小さな一粒一粒が、一瞬だけ淡く光って消えていった。
「なんだか綺麗だ」
「そうだろう?」
二人は、その様子をしばらく見ていた。
「ソラ、初めての食事どうだった?」
ハルがソラに訊ねる。
「そうだな……まあまあだったな」
「もう一度くらい、あの店なら行ってもいいな」
ソラの声は、満足気だった。
「お前こそ、今回の花はどうだった?」
「今回は、一日にも満たなかったが……」
ソラは、問い返す。
「僕は……」
ハルは、今日一日の出来事を思い返す。
「ふふっ」
ハルは、小さく笑った。
「笑ってるのか?」
「うん……なんだか可笑しかったな……」
「そうか……」
ソラもつられて、小さく笑った――




