十三話 あの場所
ハルにはもう、見慣れた白い世界。
いつもなら、そろそろ次の花へ生命を咲かせる頃だ。
次は何の花なのかな?と思いながら地上を見下ろす。
地上は緑に覆われ、明るい日差しに照らされていた。
春の終わり。
夏の始まり。
二つの季節が交じり合い、地上は光と色に満ちていた。
「ハル! 少しいいか?」
ソラが、ハルに歩み寄ってくる。
「何?」
ハルは顔を上げ、ソラと視線を合わせた。
「ハル、お前は変わったな……」
ソラは、真面目な顔でハルに語りかける。
「変わった?」
「ああ……ここに来た頃に比べて、随分変わった」
「……そうかな?自分ではわからないな……」
ハルは、首をかしげながら答える。
「確かに自分では、気付きにくいかもしれんな」
「しかし私の目には、ハッキリと変化がわかる」
ソラは、落ち着いた声で淡々と話す。
「ソラから見て、どこが変わったの?」
ハルは、ごく自然に質問した。
「そうだな……」
「時折、感情や感性の芽が出始めた……と言った所だな」
「ここに来た頃は、本当に感情の起伏は無かったからな……」
「そんなにかな……?」
「うむ、全くと言っていいほどな」
ソラはクスリと笑った。
「まあ、この調子でいけば、感情の芽は蕾を付け、花を咲かせるだろう。」
「いや、いくつかの感情は咲きかけているのかもな」
「そうなったらお前を……」
ソラは一瞬言葉に詰まる。
「……人間に戻しても大丈夫だろうな」
そう言うと、スッとソラは目を逸らした。
その横顔は、
どこか諦めたような寂しさを帯びていた。
「花の暮らしも悪くないけどね……」
ハルは、少し考えてから呟いた。
「色んな人に出会えたし、ソラもいるからね」
「うん……悪くないよ」
ハルは、真っ直ぐな声で話す。
それを聞いたソラは、フンと鼻で笑った後、
「それは、お前が特別な花だからだろう?」
「全て私の力だ」
ソラは、ぐいっと胸を張る。
「だが、いつまでもそのままにはしておけないからな」
「そろそろ、人間に戻る準備をしておけ」
いつもの口調でハルにそう言うと、ソラは地上を見下ろした。
「わかったよ……」
ハルは、小さな声で返事をした。
「そろそろ行くぞ」
「次は何の花かな……」
二人はそう言うと、ゆらゆらと地上に舞い降りて行った――
淡い春の景色から、原色の夏へと移るちょうど中間。
ありとあらゆる色が集まる季節に、ハルはゆっくりと意識を咲かせようとしていた。
まだ、目を開いていないのに、瞼の裏が赤い。
ずいぶんと、眩しそうだな。
と思いながらハルは、薄く目を開いていく。
そよ風に吹かれる、草花の囁きと匂い。
どこまでも深い青空。
ハルは次第に目に入ってくる景色に、どこか懐かしさを覚えた。
チカチカと煌めく光を避けながら、ハルはしっかりと目を開けた。
「ここは……」
そう呟いたハルは、目の前に現れた見覚えのある景色に、考える力を奪われていた。
「奇跡と言うべきか……皮肉と言うべきか……」
「巡り合わせとは、残酷な物だな……」
ソラはゆっくりと辺りを見回し、そう言いながら首を振った。
「ハル……。覚えてるか?」
ソラの言葉で、ハルは我に返る。
「うん……」
「僕が……死んだ場所……」
「そうだ……」
「偶然?」
ハルは、ソラの目を覗きこむ。
「種を撒くとき、言っただろ?」
「風に任せると……」
「そうだね……」
確かにソラはそんな事はしない。
ハルはそう思った。
そうして、改めて辺りをゆっくりと見渡す。
見覚えのある枝振りの木。
どこまでも続く、なだらかな草原。
様々な花が、太陽へと伸びる花畑。
間違いない。
あの日、僕が死んだ場所。
リリと過ごしたあの場所だ。
ハルの心は、何か温かく柔らかい物に、そっと握られたような感覚を覚えた。
「まだ、一つあるぞ」
ソラはハルの心を読んだように話しかける。
「何?」
ハルも、ソラの考えがなんとなくわかった。
「今回、お前が宿った花はな……」
「白いユリ?」
ソラの話しに、被せるようにハルが尋ねると、ソラはゆっくりと頷いた。
「リリの好きな花だ……」
ハルは、思わず呟く。
「見てみるか?」
ソラの言葉に、ハルは頷く。
パチンとソラが指を鳴らすと、目の前の空間が歪み、ハルの姿が映し出された。
「綺麗に咲いてるね……」
ハルはしばらくの間、自分の姿をじっと見ていた。
あの日、リリが見せてくれた白いユリ……
ハルの心には、その光景が繰り返し映し出されていた。
「ハル……」
ソラの声と共に空間の歪みは消え去り、吸い込まれていたハルの意識も帰ってきた。
そんなハルの意識に、覚えのある気配が溶け込むように入ってくる。
柔らかく草を踏む音。
甘く懐かしい匂い。
ハルは振り返ろうとしたが、なぜか動けない。
懐かしい気配は、サクサクと草を踏み鳴らしながら、段々近づいてくる。
やがてハルの側を通り抜け、見覚えのある後ろ姿がハルの目にゆっくりと入ってきた。
陽に透ける、細い絹糸のような金色の髪。
白く細い腕。
居るだけで、周りがふわりと明るくなるその姿……
「……リリ……」
ハルはそう呟くと、リリに駆け寄ろうとした。
しかし、動けるはずもない。
ただ、風に吹かれて揺れる事しか出来ない。
ハルはこの時初めて、自分は花なんだと思い知った。
「リリ、僕だよ……」
「ハルだよ……」
ハルは、リリに語りかける。
その声は聞こえるはずもない……
それでもハルにはそれしか出来ない……
「リリ――」
ハルの言葉に反応するように、リリはパッと振り返った。
「今何か……」
リリは、キョロキョロと辺りを見回す。
「気のせいね……」
リリは、小さく呟く。
「この場所だったからかな……?」
そう呟きながら、リリは地面に目を落とす。
「あ……とっても綺麗なユリの花……」
リリはその場にしゃがみ込み、ハルをじっと見つめた。
ハルも、リリの瞳をじっと見つめる。
薄い茶色の大きな瞳。
以前は気にならなかったが、こんなに綺麗だったかな?とハルは息を飲んだ。
キラキラとした眼差しは以前のままだが、その奥に僅かに寂しさのような物も感じる。
あれから、どれほども経っていないが、落ち着いた大人の目になっていた。
「本当に綺麗……」
リリはそう呟きながら、そっとハルへ手を伸ばした。
その時リリの服の胸元から、見覚えのある首飾りがこぼれ落ちた。
「僕のあげた首飾り……」
「まだ、持っててくれたんだね……」
ハルは、リリにもう一度話しかける。
その声には反応せず、リリはハルの茎にそっと手をかけ、優しく摘みあげようとした。
ハルは、リリの瞳から目を離さない。
リリも、そのままハルを見つめる。
「……なんでかな?」
「このお花は、ここに咲いてて欲しいな……」
リリは不意にそう呟くと、その細い指をハルからゆっくりと離した。
今日は妙に、あの人の事を思いだしてしまう……
リリは、不意に訪れた不思議な感覚に戸惑った。
忘れた事など一度も無い。
忘れられるはずも無い。
しかしなぜか、今は僅かだが存在を感じる……
リリは動きを止め、そんな事を考えていた。
優しい風が吹く花畑に、一体の氷の彫像が現れたようだった。
「勘のいい娘だな……」
ソラは小さく呟いた。
やがてリリは、ゆっくりと首を振った後、静かに立ち上がりハルの元から離れて行った。
「ハル、あの娘……」
「お前の存在を感じているな……」
ソラはハルに語りかける。
「お前の存在を感じるより、雲を掴む方がはるかに容易い程だがな……」
「大した物だ……」
ソラは心から感心しているようだ。
「……そうなのかな……?」
ハルは、どう返答したら良いか分からなかった。
「照れてるのか?」
ソラは少しからかうような口振りだ。
「……よくわからないけど……。元気そうなのは嬉しかったよ」
ハルは、そう言うとリリの姿を目で追った。
リリは少し離れた所で楽しそうに、花を吟味しながら摘んでいる。
今でも変わらず、家の花屋の手伝いをしているんだな……。
自分の記憶と変わらないリリの姿に、ハルは安堵した。
その時――
「おーい!リリ!」
ハルの背後から、男の声がした。
ザクザクと草を踏み鳴らしながら、声の主はハルの側を小走りに横切って行く。
リリは男の存在に気付いたのか、一瞬顔を上げたが、また花に視線を戻す。
男は、リリの元へあっという間に辿りついた。
「リリ、花摘みの時は言ってくれっていったろ?」
男は、額の汗を拭いながらリリに話しかける。
「ゴウに手伝ってもらわなくても、別に一人で大丈夫だし……」
リリは、そう言いながら男の顔を見る。
「それに前も言ったけど、ここでは走らないで!」
「お花を踏んだら、可哀想じゃない!」
リリは、頬を膨らますような仕草を見せる。
あの癖も変わらないな……。でも僕以外にもするんだ……。
ハルは一瞬そう思ったが、
癖なんだから誰にでもするか……と、自分に言い聞かせるようにそう呟く。
「すまんすまん……」
「大事な商品だもんな。悪かったよ」
ゴウは顔の前で手を合わせ、頭を下げた。
「それもあるけど……。可哀想って言ったの!」
「人の話、聞いてる?」
リリは、再び頬を膨らませる。
ハルは、自然と目を伏せた……
「わかった。次からは絶対走らない」
「約束を破ったら、何でも言う事を聞くさ」
「だから、機嫌を直してくれ」
「別に怒ってないけど……」
そう言って二人は目を合わせると、アハハと笑った。
「とにかく!せっかく来たんだから手伝わせてくれ!」
ゴウは、ドンと胸を叩く。
「もう……。じゃあお願いしようかな……」
リリは、笑顔で答える。
「任せろ!」
ゴウは腕まくりをしながら、慎重な足取りで花畑の真ん中へ入っていく。
ゴウは腰を下ろすと、慣れた手つきで花を摘んでいく。
一見雑に見えるが、一輪一輪しっかりと観察した後に、綺麗な花だけを摘んでいく。
そして色味や形がそれぞれ違う花を、美しいグラデーションを描くように手の中で揃えた。
「僕とは全然違うな……」
その様子を伺っていたハルは、ポツリと呟いた。
一通り摘み終えたゴウは、ゆっくりと足元を見ながら花畑の外側へと抜けていく。
「こんなもんでいいか?」
リリの目の前へ、花束を差し出す。
「わー!どれも綺麗」
リリは、パッと表情を明るくする。
「これなら、お客さんも喜んでくれそう」
リリは、ゴウの花束をゆっくりと見回す。
「役に立てて嬉しいよ」
そう言うとゴウは、リリの持ってきた大きな籠に花束を納めた。
「結構役に立つだろ?」
ゴウは、胸を張る。
「そうね……ありがとう」
そう言った後リリは、
「あの人が摘んでくれた花は、酷かったな……」
小さな声で呟きながら、少し笑って、寂しい目を見せた。
ゴウはその様子を歯がゆい表情で見下ろした後、目を背けた。
「優しさが……悲しみを生む……か」
ソラはため息をついた後、ハルの姿を見つめた。
しばらくして、リリは立ち上がると空に向かって大きく手を上げ、背を反らせた。
目当ての花を、摘み終えたようだ。
「これくらいかな?早く終わった!」
そう言うとリリは、地面に置いた花いっぱいの籠に手を伸ばす。
リリが籠の取っ手を掴もうとした瞬間、籠はふわりと宙に浮いた。
「俺が持つよ」
ゴウは、籠を丁寧に抱き抱えた。
「いいよ……。花摘みも手伝ってもらったし」
「そう言うなよ。これくらい持たせてくれよ……」
そう言うと、ゴウは先に歩き出した。
リリは小さく「もう……」と言うと、少し離れてゴウの後ろについて歩いた。
「明日も来るのか?」
ゴウは、振り返りながらリリに聞く。
「うん。明日も来るよ」
「まだたくさん咲いてるし、最近よく売れるから」
リリは、ゴウの視線を躱すように花畑に目を向ける。
「じゃあ、明日も手伝いに来るよ」
ゴウは、視線を前に戻しながら言った。
「いいよ……。悪いし……」
「今日は手伝ってくれて助かったけど……」
リリは、困ったような顔でゴウに返事をする。
「なら、明日も助けてやるよ」
そう言うとゴウは、ハハハと笑った。
「いつも強引なんだから……」
そう言うとリリも、フフッと笑った。
笑い声だけを残し、二人の姿は小さくなっていった。
ハルは、二人の背中をいつまでも見送っていた。
ソラは何も言わず、ハルの側に寄り添った。
どれくらい時間が経っただろう……
日は沈み、空の星は何か言いたそうに、瞬いている。
ハルとソラは何も喋らない……
微かな虫の声と、風の音だけが辺りを包む。
「ねぇ……」
ハルが、口を開いた。
「僕を……」
「人間に戻せる……?」
ハルの声は小さかったが、ソラの心に響いた。
ソラは、しばらく考えた後、
「ああ……」
「出来るぞ……」
二人の声は、夜風に舞うように響いた――




