十話 臆病者の選択
太陽の色が赤く変わり、街に少しの寂しさを落とす頃、
ケージはふらふらと、街の兵屯所に帰ってきた。
「変わりは無いか……?」
ケージは、一人の若い兵士に声をかける。
「異常ありません!」
若い兵士は、背筋を伸ばしてハッキリとした声をあげる。
「そうか……」
「王国からの増員は、もう少し先だ」
「それまで、五人で街を警備する……」
「気合いを入れてやれ……」
「はい!」
ケージは、それだけ言うと重い足取りで、屯所の二階に上がっていった。
ケージの姿が見えなくなると、側にいた中年の兵士が口を開く。
「偉そうによ……」
吐き捨てるように呟く。
「五人しかいないって、自分はいつも何処かに行っちまうから、四人じゃねーか……」
中年兵は、なあ!と言いながら若い兵士の肩を小突く。
「隊長は、いつもどこに行ってるんでしょうか?」
「お酒も飲んでいるようですし……」
若い兵士は中年兵と違い、ケージに一定の尊敬の念があるようだ。
ケージの姿が無くなっても、敬って話す。
「知らねぇよ! 街から出ていってるみたいだしよ」
「まあ居れねえよな、あんな臆病者は」
中年兵は、ケージを容赦なく貶す。
「本当に隊長は、逃げたのでしょうか……?」
「私には、そうは思えません……」
若い兵士は中年兵から目を逸らし、俯きながら話す。
「本当の所は、誰も知らねえ」
「たった一人の生き残りだからな……」
「一人だけ、無傷で帰って来たんだぜ?」
「そう言われても仕方ねえよ」
「隊長は泥だらけでした!……戦った証です!」
中年兵の言葉に負けじと、若い兵士は反論する。
「アイツの剣を見た事ないのか?」
「刃こぼれ一つありゃしない」
「大方、離れた所で死んだ振りでもしてたんだろ」
「それによ……」
「アイツは、これが最初じゃねえんだよ……」
中年兵は、舐めあげるように若い兵士を見ながら続ける。
「アイツがまだお前くらいの歳の頃……」
「同じ事があったんだよ」
「え?」
「部隊は、ほぼ全滅」
「アイツは、無傷で帰って来た……」
「わかるだろ?」
「そんなヤツなんだよ」
「……」
若い兵士は、何も反論できず黙り込んでしまった……
その会話を、ケージは屯所の二階で寝転びながら聞いていた。
別に聞き耳を立ててた訳ではない。
静かにしてれば、薄く聞こえて来るのだ。
自分以外の兵士も、その事は知っている。
聞こえよがしと言う訳ではないが、聞かれても構わないといった所だろう。
「臆病者か……」
ケージはそう呟くと、ゴロリと寝返りをうった。
ケージは、自分の若い日の事を思い出す。
初めての戦場。
土煙。
響き渡る怒号。
若き日のケージは、何も出来ず立ち尽くしていた。
怖かった。
震えていた。
戦う事も、逃げる事も出来ない。
頭は、戦えと言っている。
しかし、体は動かない。
仲間達が倒れていく……
ただ、それを見ていた。
すると、一人の兵士が何か投げて寄越した。
受けとると、使い込まれた革袋。
家族に届けろと言う。
ケージは、体が動いたと思った時には、逃げ出していた……
「そうだよな」
「俺は臆病者だ……」
ケージは、天井を見ながらまた呟く。
ケージは、それから変わった。
もう、逃げるのは嫌だ。
そう思い、毎日狂ったように剣を振った。
体が溶けて無くなった、と思うまで振り続ける。
どれほどの季節が通り過ぎたかもわからない。
次第に認められるようになり、何度目かの春に、
重要な部隊を任される程になっていた。
この街は敵国との国境付近にある、いくつかの街の内の一つだ。
そういった場所には、ケージのような勇猛な兵士が必要だった。
そして、あの日……
敵国の不穏な動きを聞いたケージ達は、僅かな兵を街に残し、偵察に出た。
隊は壊滅。
親友だった副隊長も失った。
ずっと鍛練してきた意味さえも失った……
街に帰ると、街の住人や残った兵達は、最初はケージを労った。
「よく帰って来た」
「気にするな」
ケージの話を聞いた人々は、そう言ってケージを慰めた。
しかし、誰かが言った。
「逃げて来たんじゃないか?」
その言葉をきっかけに、ケージへの不信の目がゆっくりと広がった。
臆病者、卑怯物。
仲間を盾に逃げて来た。
部隊を売った……
辛辣な言葉の雨に打たれても、ケージは反論する事は無かった。
仲間を守る力が欲しいと、死に物狂いで鍛練し、信頼も得た。
しかし、その力も肝心な時にいなければ、何の意味もない
こんな間抜けには、そんな言葉がお似合いだ……
ケージは、そう思い、降りしきる雨に傘を差そうともしなかった……
そうして居場所を無くしたケージは、毎日のように仲間の元を訪れ、酒を飲んだ。
仲間への謝罪と、鎮魂
いや、また逃げたんだ……
ケージは、そんな自分が許せなかった。
そんな事を思い出しながら、ケージは眠りに落ちた……
翌朝、焼けるような喉の乾きを覚え、ケージは目を覚ます。
一杯の水を一気に飲み干し、ふぅっと息をつく。
少しの間、まどろむような表情で宙を眺めた後、
両手の指で髪を掻き上げた後、スッと立ち上がり、
ゆっくりと階下に降りて行った。
「おはようございます!」
若い兵士が朝の挨拶を交わしてくるが、ケージは軽く手を上げながら周りを見渡す。
「お前一人か?」
ケージは訝しげな表情で、若い兵士に尋ねる。
「はい! 他の隊員は街の巡察に出ています!」
若い兵士は、ケージからほんの少し目線を外しながら答えた。
なるほど、要はサボりだ。
まあ、隊長がこの有り様なら仕方ないだろう。
隊の士気が上がる理由はどこにも無い。
この若い兵士は、皆に留守を押し付けられたんだろう……
ケージは、まだ完全に起きてない頭で状況を整理しながら、若い兵士に歩みよる。
「悪いな……」
「もう少し辛抱してくれ……」
ケージは、若い兵士の肩に手を置きながら語りかける。
「兵の増員は三日後……」
「新しい隊長も要請してある……」
「それまで耐えてくれ」
ケージはそう呟くと、屯所の外へ歩みだした。
「どういう事ですか!? 隊長!」
若い兵士は、ケージの背中に呼び掛ける。
「隊長は、この隊から移動するのですか!?」
ケージは、背中を向けたまま答える。
「辞めるんだよ」
「もう兵士は、辞める……」
「辞めるって……どうしてですか!?」
若い兵士の語気が強まる。
「自分は、あんな噂を信じていません!」
「隊長程、腕の立つ人間が逃げる訳が無いです!」
ケージは、小さく肩を揺らしながら苦笑した。
「どんなに腕が立っても、戦場にいなければ意味はない」
「臆病者は、戦えないからな」
「自分は、隊長が臆病者とも思いません!」
若い兵士は引き下がらない。
ケージは、顔だけ若い兵士に向け、
「現に、今も逃げようとしてるだろ?」
何かを軽蔑したような冷たい声だ。
若い兵士は、返す言葉を無くしたのか、唇を噛むようにして少し俯く。
その様子を見たケージは、再び歩きだしながら若い兵士に声をかける。
「今日も出てくる……しっかり頼む」
「隊長は、毎日どこに行かれてるのですか!?」
若い兵士はケージに問いかけたが、ケージは軽く手を上げ行ってしまった……
若い兵士は、やり場を無くした感情をぶつけるように壁を殴りつける素振りをしたが、思いとどまり、ゆっくりと手を下ろした。
ケージは街で酒を買い、三時間程の道のりをゆっくりと歩きだした……
しばらくして、
ハルは、今日も森の中の海を静かに眺めていた。
この場所は、ハルの性分に合っているようで、何も無い時間を堪能してる様子だ。
代わりにソラは退屈そうだ。
不満こそ漏らさないが、暇を持て余しているのは明白だった。
「しかし、人のこない場所だな……」
「そうだね……」
「墓なら、もう少し誰か来てもおかしくないんじゃないか?」
「そうだけど……」
「人里からは随分離れてるようだし……」
「あんな戦闘があった場所だから、危険なんじゃないかな……?」
「そうだな……」
「こんな場所に来る物好きは、いつものあの男くらいだろうな」
「物好きとは思わないけど……」
「あの人以外は、見た事ないね……」
「今日もそろそろ来る頃じゃないか?」
二人がそんな話をしていると、ちょうどケージがやって来た。
いつもの様に祈りを捧げ、お決まりの場所で酒を飲む……
と思っていたが、この日は様子が違う。
手に持っていた酒瓶を地面に置くと、ゆっくりと剣を抜き、構えた。
ふぅっと息を吐くと、ケージは剣を振るいだした。
「見事な剣さばきだな」
ソラは、暇潰しの余興になると思ったのか、ケージの動きを目で追い始めた。
「あの日、この男がいれば、結果は違ったかもしれないな……」
ソラは、男の腕前に感心しているようだ。
「詳しい事は、僕はわからないけど……」
「そんな気はするね……」
ハルも、男の様子を見ながらそう答えた。
「だからこそ、悔やんでいるんだろうな」
「そうかもね……」
二人は、いつもと違うケージをずっと見守っていた。
随分長い時間、剣を振っていたが、やがて、はぁはぁと息を切らしケージは動きを止めた。
鍛練と言うよりは、何かを振りほどいているような印象をハルは受けた。
少し息が整うと、ケージは剣を納め、酒瓶を手に取ると、いつもの場所へ戻る。
いよいよ、酒盛りを始めるのかと思ったが、ケージは地面に突き立てられた剣に酒をかけ、手を合わせた。
そうして、全ての剣に同じようにすると、ケージはハルへ視線を移した。
今日は、何を言ってくるんだろう?
ハルは少し身構えたが、しばらくハルを見つめた後、何も言わず帰って行った。
「今日は、いつもと違ったね……」
「そうだな……」
「まあ、お前も怒鳴られなくて良かったじゃないか」
「そうだけど……」
「なんとなく……今日はそれでも良かったかな……」
ハルはケージと視線を合わせた時、なんとなくだが、寂しそうな目をしていると感じていた……
日が傾き、仄かに昼の終わりを告げる頃、
ケージは街に帰ってきた。
今日は酒を飲んでない為、いつもより早い帰還となった。
兵屯所が見えると、ケージはため息をつきながら首を振った。
遠目にも、一人の兵士を除き、ダラダラと過ごしてるのがわかる。
ケージは早足で屯所へ向かった。
「変わりないか?」
ケージが屯所に入り、そう声をかけると、兵士達はバタバタと体裁を整えるように立ち上がった。
「異常ありません」
若い兵士は答える。
「異常は無いか……」
ケージは、苦笑いを浮かべながら呟く。
その様子に腹を立てたのか、中年兵がくってかかる。
「隊長さんよ、言いたい事があるなら言ったらどうなんだ?」
悪びれた様子もなくケージに詰め寄る。
周りの兵士が「寄せよ」と止めるが、お構い無しに続ける。
「隊長のあんたも毎日居ない、増員も来ない」
「そんなんで、士気が上がる訳ないだろ?」
ケージは、何も言わずに中年兵と目を合わす。
「あんたも、毎日酒を飲んでるじゃねぇか」
「俺達が少しくらい、息抜きしてても良いだろ?」
中年兵は、ケージの目を睨み返しながらそう言った。
当然ではあるが……
もう、威厳も何もあったもんじゃないな
ケージは、そう思いながら口を開く。
「何も悪いなどと言ってないだろ……」
「ただな……」
「そんな調子で、何かあった時に対応できるのか?」
ケージは、冷たい視線を中年兵に送る。
中年兵は一瞬気圧されたような様子を見せるが、負けずに言い返す。
「何かあったらって……四人や五人で何が出来るんだよ?」
「二十人以上いた隊長のほとんどが、やられちまってよ!」
「その原因を作ったのは、あんただろ?」
「大勢引き連れて、偵察に行くって言ったきり」
「仲間を見捨てて、逃げてきたんだろうが!」
興奮していく中年兵の様子に、流石に周りの兵士が「やめろ!」と言って止めに入るが、自分の言葉に腹を立てるようにして、中年兵は更に興奮していく。
「ここらじゃ一番の剣の使い手って言われてよ!」
「いい気になってたんじゃねぇか?」
「だけどよ! あんたは若い頃のまんまだよ!」
「いざとなったら逃げ帰る、臆病者なんだよ!」
ケージは、中年兵の罵声を遮る事なく浴び続ける。
面と向かって言う人間は初めてだが、そう言われても仕方ないと思っていた。
だが……
「あんたの親友で、あんたと違って気の良いヤツだった副隊長だってよ!」
「あんたが見殺しにして――」
中年兵が、アイズの事を口にした途端、ケージは素早い動きで剣に手をかけた。
「ひっ……」
中年兵の顔に恐怖が浮かぶ。
「隊長!」
若い兵士が後ろから、ケージの両腕を抱えるように抑えた。
ケージの剣が鞘の中でカタカタと音を立てる。
若い兵士は必死にケージを抑えている。
気を抜けば両腕が、弾き飛ばされそうだ。
そうなれば中年兵は、自分に何が起きたのかも分からないまま崩れ落ちるだろう。
背筋に冷たい汗が流れた。
「早く行け!」
若い兵士は、中年兵に叫ぶ。
しかし、中年兵は動けない。
先ほどまでの威勢は、どこにも無い。
もう、耐えられない……
そう思った時、ケージの体から力が抜けた。
「もう大丈夫だ、離してくれ……」
ケージは、落ち着いた声で若い兵士に言った。
若い兵士は、ゆっくりと手をほどいた。
両腕の感覚が無い。
「おい……」
ケージは、中年兵に近づき声をかける。
「三日後には、後任の隊長と増員が来る……」
「俺は、兵士を辞める……」
「それでいいだろう……?」
ケージは、中年兵の肩に手を乗せながら語りかける。
「あと少しだけ、辛抱してくれ……」
「口うるさくは、言わん……」
「見回りだけは頼む」
そう言うと、ケージは屯所の二階に消えていった。
中年兵はケージの言葉に、コクコクと頷く事しかできなかった。
若い兵士は、自分の手のひらを見ていた。
まだ痺れている。
やはり隊長は、戦わずに逃げるような人間じゃない……
若い兵士は、そう確信していた。
だれもが押し黙ったまま、ゆっくりと一日が終わっていった……
翌日、ケージはいつもより早く目を覚まし、そっと屯所を出た。
昨日の出来事で皆に合わせる顔が無い、と言うより、残りの二日間、なるべく顔を合わせない方がいい、と判断したからだ。
自分に不満があって当然だ。
仕事を部下に押し付け、遊び回っている隊長など、誰も良く思わない。
顔を合わせば、また何か揉め事になる可能性もある。
もちろん、何を言われても黙っているつもりだったが、昨日は親友の名前を出された途端に我を忘れてしまった。
中年兵の言う通り、アイズは誰からも好かれていたし、ケージにとっても無二の友だ。
剣の腕もケージに引けを取らないし、いつも影で支えてくれた……
そんなアイズを見殺しにしたと言われたら、我慢ができなかった。
ケージの隊長としての最後の任務は、他の兵士と顔を合わせない事だった……
ケージは、酒瓶を手にゆっくりと森へ消えていった……
その頃、
ハルは、森の中から不穏な気配を感じていた。
「何か聞こえる……」
ハルが呟く。
「あの男か?」
「いつもより、随分早いが……」
「違うと思う……」
「いつもと反対の方向……それに足音が沢山する……」
「反対側の街の人間かもな」
「あの男にとっては、敵国の……」
「分からない……けど……馬? 人間の足音じゃない……」
「だんだんこっちに、近づいて来る……」
「ならその内、正体はわかるな」
ソラは、特別気にする様子は無い。
「そうだね……」
ハルは、そう返事をしながら、何故か胸にざわつきを覚えていた……
しばらくすると、森の木々の隙間から馬に跨がった数人の男が現れた。
各々、武器を携えている。
それに、数人の服には血のようなシミが付いている……
「なんだか、開けた場所があったぜ」
「ここらで、休憩するか?」
一人の男がそう口を開くと、残りの男達はダラダラと馬から降りた。
「なんだここ? 墓場か?」
「みたいだな、気味が悪いな」
男の一人が、へへっと笑う。
「ここじゃねえか? 兵隊達が鉢合わせになって、やり合った場所は」
また別の男がそう言った。
「あー! そうだな。間違いねぇや」
「すげえ戦いだったんだろ?」
男達は、まとまり無く話を続ける。
「ま、お陰で俺達の仕事がやりやすくなったってワケだ」
そう言った男は、ギャハハと笑った。
「そうだな! お互いの街には、兵士がほとんど居ないらしいからな」
「やりたい放題できるって事だ!」
男達は、ヘラヘラと笑いながら話を続ける。
「けど、さっきの街はショボかったな!」
「金目の物なんて全然無かったぜ……」
「まあ、次の街にはもう少し何かあるだろ!」
「そうだな、次の街は部隊が全滅したって話だ! 更に手薄だぜ!」
男達の会話は、盛り上がりを見せる。
「ま、さっきの街の分まで、次の街で取り返すか」
「何も無いからって、次は腹いせに暴れるなよ!」
男達の会話を、二人はじっと聞いていた。
「ソラ、この人達……」
「ああ、野盗の類いだろうな」
「どうやら、ここで戦闘があったのを聞きつけ、疲弊した両方の街を襲う計画らしい」
「こんなヤツラでも、頭を使うようだな」
ソラは、フンと鼻で笑った。
「あっちから来たから、次は……」
「ああ、あの男の来る方向だろうな」
「途中で鉢合わせになるかな……?」
「可能性は高いだろうな」
ソラは淡々と答える。
ハルは、しばらく考えた後……
「ソラ、お願いがある……」
「なんだ?」
「何でもいい、虫の知らせでいいから……」
「あの人が、こっちに来ないようにして」
ハルは、ソラにそう切り出した。
「なるほどな……」
「考えはわかる」
「しかし無理だ……」
「どうして……?」
ハルは少し不満そうだ。
「あっちを見てみろ」
ソラは、ハルの視線を誘導する。
「もう来ている」
ソラの言う方向を見ると、木の影からケージが息を殺して様子を伺っているのが見えた。
「なんで……?」
「いつも、もっと遅い時間に……」
ハルは、少し困惑しているようだ。
「さあな? しかし来ている」
ソラは、変わらず素っ気ない。
しかしハルは、逆に良かったかもしれないと思っていた。
野盗の連中が、いつまでここに居るかは分からないが、突然鉢合わせるより、息を殺してやり過ごす方が危険は無さそうだ……
そう思うと、胸が少し軽くなった。
「あのまま隠れていれば……」
ハルがそう呟くと、
「どうかな? ただ隠れている様には見えんがな……」
ソラは、ケージの様子を見ながら言った。
ケージは、仲間達の眠る場所に湧いて出た野卑な集団を、じっくり観察していた。
会話の内容から、先日の戦闘で手薄になった街を襲う野盗である事は明白だ。
数は、八……九……十人。
全員が武装している。
すでに敵国の街を襲撃し、次は自分の街を襲う予定らしい。
金品の略奪以外にも、街の人間に手を掛けているのを、服に付いたまだ新しい血痕がケージに知らせた。
ここまで理解するのは、一瞬だった。
しかしその先、ここからどうするかの答えが出せずにいた。
この場をそっと離れ、街に危険を知らせる……
一番にそう思ったが、ヤツラは馬を連れている。
いくら進みにくい、うっそうとした森の中でも馬の足には敵わない。
しばらく、ここに留まっていてくれたら可能性はあるが……望みは薄そうだ。
このままやり過ごし、街の兵士達に託すのも厳しい。
昨日の様子では、何も出来ずやられるだろう……
自分一人で戦う……
まあ、十人相手では勝ち目はほぼ無い。
ジリジリとした緊張の中、考えを巡らせるが答えは出せずにいた。
ケージは、この森よりも遥かに深い、思考の迷路に迷い込んでいた。
時間だけが過ぎて行く。
早く決めないと、ヤツラが動き出す……
そんな風に考えている途中、一つの考えが頭を過る……
所詮自分は、臆病者だ……
このまま逃げてしまえばいい……
ほんの一瞬考えた事だが、次第にケージの頭の中を埋め尽くしていく……
仲間達からは、馬鹿にされ…
自分自身も、そう思っている。
どうせ、あと二日もすれば兵士でも無くなる。
命をかけて、仲間や街を守る価値はあるのか?
自分を嘲笑うヤツラを、助ける必要があるのか……
ケージの頭の黒い霧が、どんどん深くなっていく……
こいつ等と戦って、何になる……
そうだ、逃げよう……
そう思った時だった。
ケージの目に、一輪の赤い花が飛び込んできた。
青い花の海に、撒いた記憶の無い赤い花。
なぜか、その花を見ると腹が立つ。
いつも、酒を飲んでは怒鳴りあげた。
一輪だけ周りと違う花が、悪びれもせず真っ直ぐに咲いている。
どうにも気に入らない。
それが何故かも、薄々気付いている。
自分と一緒なのだ……
そんな花が、こっちを見てる気がした……
ケージの頭から、黒い霧が少しずつ晴れる。
怒りが、胸に広がった迷いを焼き払っていくようだった。
そうしていると、
「この墓の剣もいくらかで売れるかな?」
野盗の一人がそう言うと、一つの剣の品定めを始めた。
「なかなか良さそうな剣だぜ」
まじまじと観察する。
「ダメだ! 錆びてる上に、名前も彫ってある!」
「ア……イズ? 偉そうな名前だな! 売り物にならねぇよ!」
そう言うと、男はアイズの剣を蹴ってみせた。
その瞬間――
ケージは、音も無く木陰から飛び出し、
アイズの剣を蹴った男を斬り、
近くにいた二人も斬り伏せた。
一瞬の出来事に、野盗達は理解が追い付かず動く事が出来ない。
更にケージは、他の野盗に走り寄り、
一人、二人と斬り倒した。
「なんだコイツは!」
野盗の一人が叫ぶと、一斉に野盗達は後退りした。
「すごいね……」
ハルは、ソラに呟く。
「確かに……大した物だな」
ソラも静かに頷く。
「半分倒した……これなら……」
「いや……厳しいな……」
ソラは、冷静に戦況を見ていた。
ケージも、ソラと同様の考えだった。
唯一、勝機があるとすれば、
奇襲をしかけ、相手が混乱している内に全員倒すしかない……
そう考えていたが、半数倒した所で距離を取られた。
まだ、平常心では無いだろうが、状況は理解しているだろう……
事実、距離を取りながら自分を取り囲むように動いている……
戦い慣れているのだろう。
「後五人か……」
そう呟くとケージは、ぐっと剣を握り直した……
「勝てないの?」
ハルは、ソラに問いかける。
「ああ……難しいな」
ソラは淡々と返事をする。
「なんとかならない?」
ハルは、ソラに再び願いを伝える。
「それも無理だ」
ソラは、少し小さな声で返した。
「ケチ……」
ハルは小さく呟いた。
ソラは何も言い返さなかった……
ケージは、ふうーっと大きく息を吐き、一瞬目を瞑った。
もう、やるしかない……
最後の一瞬まで剣を振る。
それしか、ケージに残された術は無かった。
覚悟を決めたケージは、一番近くにいた野盗に斬りかかった。
しかし距離があるので、野盗はヒラリとケージの攻撃を躱す。
更に、ケージの背後の野盗が、ケージの背中を斬り付ける。
ケージは、痛みを堪えながら体を捻り、背後の野盗を斬り倒した。
後四人……
ケージは、一人一人の顔を見渡す。
警戒を更に強めたような表情だ。
ここから、更に厳しくなる……
ケージは、そう確信していた。
背中から流れる血が、青い花を赤く染める……
野盗達は、無理に攻めて来ない。
ケージの出血を見て、無理に攻める必要も無いと判断したのだろう。
軽く踏み込み、倒す気のない攻撃をチクチクと加える。
ケージが反撃しようにも、その時にはもうそこにいない。
野盗達はいたぶるように、じわじわとケージの体力を削っていく……
すると勝利を確信したのか、今度はニヤニヤと笑いだした。
ケージもいよいよ、意識が遠くなってきた。
ヤケになったのか、ケージは腰に下げていた短剣を取り、正面の野盗に投げつけた。
しかし短剣は、的外れな方向へ飛び、森の繁みにガサガサと音をたて消えていった。
野盗は、短剣の行方を見ながらニヤニヤと笑う。
「どこ狙ってんだ?」
そう言いながら、ケージの絶望した顔を拝んでやろうと、正面に向き直した時――
ケージは、手にしていた長剣を力の限り投げつけ、
野盗の胸に命中させた。
残った野盗は一瞬唖然としたが、武器を失ったケージに一斉に飛びかかる。
ケージは素手で、がむしゃらに立ち向かう。
次々に斬り付けて来る、野盗の一人に突進して、組倒した。
そうして、最後の力で野盗を締め上げる。
「離せこの野郎!」
残りの野盗が、激しくケージの背中を斬りつけた。
ケージは、力なく転がるようにして、組倒していた野盗から離れた……
「あ……」
野盗の一人が声にならない声で呟く。
倒れた野盗からは生気が消えていた。
残った二人の野盗は顔を見合せ、手にしていた武器を力なく落とした……
「なんてヤツだ……」
突然現れた、獣のような男の気迫と実力に、毒気が抜かれたのか、静かに来た方角へ消えていった。
ケージは、微かに残る意識の中でその足音を聞いていた。
兵士として街を守れた安堵や責任感、自分の生命が消えていく恐怖は無かった。
ただ、共に戦い死ねなかった仲間達の前で戦い、同じ地に眠れる……
不思議な満足感だけがあった。
ケージは、最後の力を振り絞り、
自分の剣が刺さった野盗の方へ這って行く……
自分の剣を杖代わりに立ち上がり、野盗からそのまま引き抜いた。
そうして、ふらふらと歩き、
アイズの墓の前まで行くと、自分の剣を親友の剣の横に突き立てた。
「俺には、立ててくれるヤツは居ないからな……」
ニッと笑いながら呟くと、
手足の壊れた人形のように、その場に崩れ落ちた……
「ねぇ……」
「なんだ?」
「僕、どうなってる?」
ハルはソラに訊ねる。
「ああ、誰かに踏まれたようだな……」
ソラがハルの方を見ると、戦闘に巻き込まれ、根本からポキリと折れたハルの姿があった。
「そっか……」
「じゃあ、もうすぐこの花の生命も終わりだね」
「そうだな」
「ねぇ……あの人を埋葬してあげれない?」
「無理だな」
「ケチ……」
「……」
「じゃあさ……」
「なんだ?」
「僕を、あの人の近くに置いてくれないかな……」
「……献花のつもりか?」
「わからない……」
「でも、そうした方がいい気がする……」
「そうか」
「出来る?」
「まあ……いいだろう」
ソラがそう言うと、小さな一輪の赤い花がふわりとケージの胸の上へ落ちた……
同時に、ハルの意識も空に舞い上がっていく。
「ねぇ……」
「あの人、笑ってたよ……」
「そうか……」
「うん……」
「きっと、あっちが本当の顔だよ……」
ハルは、空からケージを見つめている
青い海が優しくケージを包み込み、
そっと光を放っていた――




