崩す音
羊は鳴かなかった。
ただ、こちらを見ていた。
呼吸だけがある。
吸う。
止まる。
吐く。
風が同じ間で揺れる。
ミアの肩が、小さく震えた。
「……だめ」
声が掠れる。
「合わせちゃう」
羊が、一歩近づく。
音がしない。
草を踏んでいるはずなのに、擦れる音だけが遅れて届く。
リュカは舌打ちした。
嫌な感じだった。
獣を前にした恐怖じゃない。
“混ざる”。
そんな感覚。
ミアの呼吸が浅くなる。
吸って。
止まって。
吐いて。
羊と同じ間になりかける。
「ミア!」
リュカは強く地面を踏み鳴らした。
乾いた音が、丘に響く。
揃っていた風が、一瞬だけ乱れた。
ミアがはっと息を呑む。
「……っ」
「こっち見ろ!」
もう一度、強く踏む。
石を蹴る。
ばらばらの音。
不揃いな間。
羊の耳が、ぴくりと動いた。
初めて。
動きが遅れる。
リュカはミアの腕を掴んだ。
「走るぞ!」
二人は斜面を駆け下りる。
後ろは見ない。
風を崩すように。
呼吸を乱すように。
肺が焼ける。
それでも走る。
しばらくして。
丘の空気が、ようやく軽くなった。
振り返る。
羊は追ってこなかった。
ただ、丘の上に立っている。
静かに。
こちらを見たまま。
その姿が、小さく風景に溶けていった。




