73話 考えない
「私降りなきゃ」
「またね。お疲れ様」
武蔵浦春桜は川口青空澄と西浦あかりに別れを告げて電車を乗り換える。当初は一人で間違えず行けるかアカリに心配されたが、もう慣れたもの。彼女も不安な顔をせずサクラを見送る。サクラも降りてすぐ振り返り、アカリたちの電車が発車して遠ざかるまで見送り返してからプラットフォームを移動した。
「大丈夫かなぁ」
「やっぱりまだ心配なのね」
なお内心サクラが大丈夫か不安なアカリは、別れてからため息をつく。アスミはさっきの彼女の表情が本心を隠したものだったと確信した。だがサクラのことは信じている。
「確かに行先はいくつかあるけど、レールは続いているし……方向さえ合っていれば帰れるわ」
「その方向が問題なの。普通に別方面のも来るから」
電車にはどこ行きかが表記されているが、サクラは特定のを待つ必要がない。終点行きでも途中駅止まりでも、彼女が行きたい駅はそれらの手前だから、どっちに乗っても着く。身に覚えのない行先の車輌に乗ってもきっと帰れるとアスミは考えるも、その油断が危ないとアカリは言い返す。
知らない行き先でもこのホームに停車している車輌に乗ればいい、という覚え方をしていると、別路線に向かってしまうことがあるのが、このターミナル駅のややこしいところだ。
「でもどっちから来たかで区別つくし」
「階段どっちにもあるの。例えば降りた方向に向かうって覚え方だと、どっちの階段を降りるかが曖昧だったら間違えるし」
ホームを挟む形でレールがあり、右手から来た方に乗る、では、どっちを向いて待つかで行き先が反対になる。そのホームへの連絡通路はT字路で、左右に階段がある。降りた方向に帰るという覚え方なら、階段を間違えると逆方面に行ってしまう。
とはいえ通る道も帰れる行き先も把握していれば間違えることはないから、アスミは不安視していない。
「それは気にし過ぎじゃない?」
「色々考えちゃうのよ。だってサクラ、消えそうな雰囲気あって…… さっきだって、あれが最後の挨拶みたいなオーラが」
相手がサクラだから過剰に心配してしまう。それがアカリの言い分だ。"またね"と言わなかったことといい佇まいといい、もう会えないと予感させられる言動が、それを現実にし得る要素を考えさせてくる。家と違う方向へ行く可能性を無理やり捻り出すのはそのせいだ。
「普段はそんなことないよ。 ……ふと横顔を見ると、そういうオーラを感じるというか」
「横顔…… そういえばさっきずっとこっち見てたね」
アスミはサクラの横顔を思い出せないが、そもそも見ていない、というより意図的に見られないようにしている気がした。アカリにはバレたが、気づかれないよう振る舞っているのなら、彼女の直感は当たっているのかもしれないと思えた。
「さっきも、動いて姿が見えなくなってから急に嫌な予感がして」
そんなに心配ならアカリも一緒に降りてサクラが間違えず帰るのを見届ければよかったのだが、そのときは平気だっただけで、発車して顔が見えなくなるほど遠く離れてから、本当に消えてしまう気がして、あらゆるケースを想定してしまった。
「スマホで伝えたら?」
「そうする。どこだっけサクラの最寄り……いいや、とりあえずここまで行くから」
アスミの助言でサクラにチャットを送る。アカリはスマホで経路を調べる。焦って咄嗟に到着駅に設定するべき場所が思い浮かばないが、その経由地ならすぐ分かる。一旦そこを設定し、何分発のどこ行きに乗るのが正しいのか伝え、気づいてくれるのを願った。既読がついてくれれば安心できるので、そう表示されまでスマホを見つめる。
「あ、大丈夫そう」
すぐに反応があり、アカリは安心した。今送れば気づいてくれるとアスミの予感は的中した。サクラが無事に帰れたと分かったのと同時に、もう彼女に会えないかもしれない不安も消え去り、二重の意味で安堵した。
一方で考え事をして適当に歩いていてうっかり方面を間違えそうだったサクラは、アカリからの連絡に気づいて正しい車輌に乗ってから再び物思いに耽る。
アカリたちと一緒に乗っていたときに聞いた二人の進路を思い返し、しっかり自分の将来を考えていて凄いなと感じていた。
対極的にサクラは自分の将来のことを何も考えていない。中学校を卒業したらどうするか、いつまでこの島に残るか。自分で考えない理由は自覚している。同学年の妹がどうしたいかに合わせる気でいるからだ。ついていくなら自分で考える必要はない。そう割り切っているのだが、良くないことだとは思わない。妹に寂しい思いをさせないためなのだから。
「おかえり、お姉ちゃん」
家の最寄り駅で、広小路冬雪がサクラを待っていた。何時に帰るかは先ほどチャットで伝えていたから、その時間に合わせてフユキは家を出ていたのだろう。長く待たせたわけではないが、往復の手間がかかる。
「駅まで迎えにきてくれたのは嬉しいわ。でももう迷わず帰れるから、ゆっくりしてていいのよ」
先月の今ごろはサクラ一人で帰るには不安だったから迎えは心強かったが、ずっと手を貸してもらいフユキの時間を拘束してしまうのも申し訳ない。迎えのために早く帰らず、遅い時間まで友達と過ごしてもいいのだと伝えようとした。
「いいの。お話したくて、来たんだから」
家に着いてから話すのでは物足りない。サクラはさっきまでノベルゲーム制作仲間と集まって作業をしていたが、帰宅後に自室でも作業を続ける。内容はフユキに内緒で進めているから、一緒に家にいても話せる時間を削ってしまっているという自覚はあり、移動時間を少しでも有効活用しようとする妹の思いは無下にできなかった。
「今日も帰ったらパソコンやるんでしょ?」
「そうね。とりあえず今月中に、結構進めておきたいし」
アカリの留学など、ゲーム制作以外の活動に手を出して両立できるか。留学の応募期限である今月末時点の進み具合で、両立できると証明したい。だから今月は頑張って、翌月以降に余裕を持てるようにしたい。そのためフユキに構う時間は当面削られてしまうと遠回しに告げた。
「せめて移動を減らせたらな…… 酷いよね。いくらあの辺りに固まっているからってお姉ちゃんたちを遠出させて」
サクラが望んで始めた"同期"との課外活動だということにフユキは納得している。問題はそのメンバーの過半数が同じ市に住んでいて、集まるときはそこになりがちでサクラにとっては遠い点だ。そのせいで往復の移動時間が延び、フリーな時間が減っている。
電車で帰ったのが三人なのは、残り四人は徒歩で帰れるからなのだ。
「まあ、そう何度も行くわけじゃないから」
「そうだけど」
とはいえオフ会の頻度は多くないから、突っかかることでもないとサクラは宥める。しかしアカリたちの目標を聞いてしまってからは、その時間の積み重ねが人生を左右するかもしれないと思えて、彼女らに負担のかからない場所で今後集まれないか提案してみようと考えた。
「そっちに引っ越す手もあるね。カリンの家ってあの辺だって聞いた」
フユキとサクラは二ヶ月前、特殊能力で風に乗って空を散歩していたら、揉めて風が乱れ離ればなれになった。フユキが落ちた先で出会ったのが、その家で暮らす同学年女子の久里浜華燐で、以来一緒に住まわせてもらっている。そして先月、帰ってきたサクラも居候として迎え入れてもらった。
そこはカリンの祖父母の家で、二年前までは両親と暮らしていた。その家がさっきサクラが行った市にある。カリンが両親の家に戻り、便乗して彼女らも引っ越せば、今日の集まりの地域へのアクセスが良くなる。移動時間が減って、フユキと過ごす時間が延びるというわけだ。
「……まあ、そう簡単にはいかないよね」
「それもあるけど、これから集まるのはアカリたちの家に寄せたいから、そっちに行っても結局遠いかも」
カリンが一人で引っ越したのは友達との喧嘩が原因。怖くなって転校し、遠くの祖父母の家から近くの中学校に身を隠した。今も気配を感じるだけで体が震えて動けなくなる。その友達がまだいるであろうその街に戻る決意は固まっていない。
もし和解できたらカリンはきっと元の家に戻れるが、仮にサクラもついていって今日の集合場所に近くなったとして、今後そこへ行く機会は減るだろうから、フユキの望む結果にならないとサクラは告げた。
今後はメンバーが固まっているエリアではなく、多忙なメンバーがあまり移動しなくていい場所にしたい。そしてその場所は、サクラが引っ越したところで劇的に近くなることはない。
「なんで?」
「留学とか受験とか考えてるんだって」
場所を変える理由が気になるフユキにサクラは事情を伝える。ノベルゲーム制作とは関係ないが、並行して取り込む個々の活動を応援したいから、彼女らが移動に時間をかけなくて済む場所に変えたい。サクラは自分にメリットがなくても、応援したい気持ちで集合場所を選ぶ。
「そうして私との時間が減っていくのね」
「ごめんね。でも私たち、そういうの考えてないでしょ」
そのせいで妹と過ごす時間が削られるわけで、友達の将来のために優先度を下げられる自分は可哀想だとフユキは落ち込んだ。確かに妹といたいからたまには家の近くがいい、なんてわがままをメンバーに言う気はなかった。だがそれは、我慢しても自分たちの運命が分かれることはないと思えるから。他に頑張らないといけないことがあるわけではないから、ゲーム制作に時間を取られても平気というスタンスで、サクラは周りを優先する。
「アスミはあの私立目指すって。フユキはどう?」
「いいよ、遠いし。大変そうだし」
だがもしフユキが何か目標を持っているなら、それが叶うようにメンバーに相談してもいいと思ったが、彼女は特に持っていない。特殊能力評価が同じBランクで仲の良いアスミが進学を目指していると聞いても、後追いする気は起きなかった。
それにカリンと離れるのも寂しい。高校も一緒がいいから、わざわざ私立を受けるつもりはない。今の家のまま近くの高校に行くにしても、前の家に帰ってその近くの高校に行くにしても、一緒に通う気でいる。
「お姉ちゃん、もしかしてやっぱり」
「ううん、私はフユキと一緒よ」
フユキは以前サクラが自室にその私立の資料を置いているのを見て密かに受験する気かと疑ったが、アスミが受験すると聞いて改めて疑った。だが前にも言った通り、ゲーム制作仲間こと"同期"の学校生活を知るために貰ったものであり、別々の高校に行くつもりはないと答える。
「ねえ、私も手伝っちゃ駄目?」
「ゲームのこと? 完成までのお楽しみ」
話は戻ってサクラのゲーム制作の件。熱中するあまり一緒に過ごせる時間を取れないのをフユキは改善するべく、家での作業を手伝えないか尋ねた。サクラは手伝ってもらうのは可能と考えるものの、そのゲームは自分とフユキがモデルで、シナリオも彼女らの過去を意識している。
そのことを知ったらフユキは恥ずかしがってゲームの公開に反対するかもしれない。そうさせないためにも詳細は秘密で取り組みたいから、アシスタントは頼めない。
とはいえ彼女に内緒で公開する気もない。完成したらぜひプレイして、ゲームに込めたメッセージを受け取ってもらいたい。サクラはフユキに遊んでもらうために作っている。だから完成まで一緒に過ごす時間が減ってしまうのを承知で、続けるモチベーションがあるのだ。
しかし少しやる気が下がっている。完成したゲームをフユキにプレイしてもらい、クリアしたときに自分の正体が明かされるサプライズを仕掛ける算段だった。
サクラは当初、自分の正体をフユキに隠していた。ゲームを制作しようという話が上がったとき、それを通じて正体を明かそうと考えた。自分とフユキをモデルとした登場人物が、一緒に日常を送るなかで自分の正体に辿り着くミステリーもの。クリアしたらサクラ自身の正体も分かるというからくりだ。
五ヶ月かけて完成させる予定だが、たった一ヶ月でゲームと関係なくうっかり口に出して、サクラはフユキに正体を教えてしまった。
もったいぶっている割にネタバレしてしまってもったいないことをした。だがそう吐き出してしまうのは、どんなゲームを作っているかフユキにバラすも同然の行為。手伝ってもらうのは諦め、こっそり頑張ることにした。




