33話 成功の兆し
月曜日の朝、川口青空澄はまだ横たわっている。元いた街から運んできたお気に入りの時計は、とうに錆びて動かない。正確な時間は示しておらず、スマホのアラームはセットしていない。学校に行くために起きる時間は、もう過ぎていた。
新年度とともにアスミは新生活を始めた。遠くの島、といっても県規模で人口は六百万で同学年は五万人。生活は今までと大きく変わらない。ただ一人暮らしを始めたから、起こしにくる人がいないのだ。
「自由だなあ……」
行きたくないのに時間だからと起こされる生活が、編入当初は染みついていた。けれども数日登校して休日を挟んだら生活リズムが整った。遅刻を許さない家からの解放感を、寝そべったまま実感していた。
出発すると通学路に生徒はいない。今歩いている人は間違いなく遅刻だから、いないのは自然なことだ。そして彼女も走らない。急いだとて間に合わないのは彼女の特殊能力で直感的に分かる。今走れば次の信号に間に合うなどのタイミングが分かる、成功する瞬間を察知する能力だ。こうした特殊能力は、同学年五万人中三十人程度しか持っている人がいない。アスミの学校には、彼女含めて二人だけだ。
だからか他校生との関わりがある。彼女と同じく今年の四月に能力者として登録された三人の同学年。彼らは彼女より数日早く能力者になっており、その仲間でノベルゲーム作成という課外活動を始めていて、先週末から彼女も合流した。
これからは学校生活の他に、その活動が本格的に始まる。それが功を奏すか徒労に終わるかは、今のアスミは後者寄りで考えている。けれどもそれはあくまで能力で直感的に判断しただけで、その未来は確定していない。濃厚だとは告げたが、それでも彼らは折れずに続けている。彼らの夢を叶えるために、これから頑張ろうと決心した。どう頑張っても無理という段階を迎えるまでは。
今出発すれば何か良いことがある。そう直感する瞬間を待ってから家を出たアスミだったが、前方に同級生の後ろ姿を発見した。こんな時間になぜと思ったが、近づくと見覚えがあった。
「あれ、おはよう。同じクラスの、チエミ?」
「え、アスミだっけ? ……時差ボケ?」
「違うわ」
間違いないと確信したアスミは声をかけた。その相手は浦和智恵実。クラスメイトだ。けれども能力者ではない。
チエミもまさか知り合いに出会すと思っていなかったので驚きつつも、アスミが編入前の生活リズムから適応できていないせいかと考え、けれどもその推測はハズレだった。
「アスミも遅刻魔?」
「うん、まあ……前は家族に起こされてたけど」
起床を強いられなければもっと遅くに登校したい気持ちは以前からあったアスミは、自分は遅刻魔だと受け止める。そして新生活に慣れたから、今後も頻繁に遅刻する自覚はある。
「そっか、一人暮らしになったから……私は起こされてるけど、嫌がってこの時間」
起こしてくれる人がいなくなったなら最初のうちは仕方ない。チエミはアスミに同情しつつも、いるのに反抗している自分にその言い訳はできないと自覚した。
お互いに意外な一面を見て、笑いが溢れる。アスミが直感した良いことはチエミとの出会いだと理解した。
「私、もっと早くに起きてたの。でも今起きても面白くないと思って、そしたら今日はこんな時間に」
「起きたい時間が毎日違うんだ。分かるよその気持ち」
アスミは寝坊ではなく、その気になれば遅刻は回避できたと言い訳する。
その気になれないことにチエミは共感した。なぜか目が覚めたとか、もっと寝ていたいとか、日によって朝を迎えたときの心境が異なる。その感覚は彼女にも分かり、そして社会のルールで縛られて生活習慣の維持を強制させられる現実に嫌気が差している。
「学校ある日も自由に起きたいよ」
「うん。でも我慢して時間守って行動するルールで……それを平気で破るの、面白いな」
「気が合いそうね、私たち」
悪いことをしている自覚はある。けれども良い子を演じて平凡な毎日を送るより効果的だと考えての判断だ。異端という自覚はあるが、身近に仲間を見つけたことにお互いは喜ぶ。自分の気持ちに肯定的で、けれどもそれぞれ若干違う原動力を持つ。それが一層、お互いに気に入った。
「私、お気に入りの目覚まし時計があるのよ。実家から持ってきた。でも、もう全然動かなくて」
お気に入りだが大事にはしておらず、雨の中で持ち歩いたり風呂にも連れていったことがあったりして、針が錆びた。
「買い替えたくなくて、もう鳴らないそれをずっと使ってたら……同じ時間に起きる習慣をつけるのが嫌になって」
アスミは普通と違う生活が定着した経緯を打ち明ける。これはチエミに告げてもダメ出しされない気がしたのだ。
「それってアンティーク時計?」
「……うん、結構珍しいみたい。見に行く?」
「あ、持ってきてないならいいよ、今度で」
アスミは詳しく知らないが多分そうだと頷き、もっと遅刻する羽目になるが引き返してみないかと提案する。ただチエミは今でなくていいと答えた。こうなるなら鞄に入れておけばよかったとアスミは残念がる。持っていっても使わない。学校はチャイムに縛られて過ごすから、自分の時計を用意するという発想がなかったのだ。
「私も持ってる。アスミのとは違うけど」
「そのアンティークってどういう意味?」
チエミの方が詳しいと思えて、聞けば快く教えてくれると思えたので意味を尋ねた。
「百年経った物? 時計の場合だと五十年でも該当したり」
明確な定義はない。金属ゆえ骨董品や家具より劣化が早いこと、ぜんまい時計に限定すると百年後でもデジタル時計は当て嵌めらなくなってしまうことから、今から五十年前に存在する物をそう呼ぶとチエミは答えた。
「私ぜんまい時計持ってるの。首に下げてパカってするやつ」
「あー、見たことある、テレビで」
その懐中時計にアスミは覚えがあった。その時計を見て遅刻だと焦る有名なシーンが思い浮かぶが、今のチエミそして自分は同じ立場ながらのんびりしているギャップが面白おかしく思える。
「あれって珍しいのよ。作るの大変だから」
「ああ、それで……実際使っている人は見たことないなって」
ただ記憶がテレビと絵本にしかない。そのわけはチエミの話で納得した。機械式の時計は生産に手間がかかり数が出回っていない。加えて古いから残っているものも少ない。だから現実で見かけないのだ。
「それが私は好きだから……皆と違うオンリーワンになりたくて」
作成が手作業ゆえ同じものが二つとない姿が錆や傷さえ魅力的に思うチエミは、それを使う自分も特有な存在になりたいと願う。
「つまり自由な人間になりたいの」
「叶わなそうな夢ね」
それが許されるなら遅刻と欠席で溢れる社会に変わってしまう。成功の兆しが見えないことにアスミは安堵する一方で、同志と期待したら無慈悲に現実を突きつけられたチエミはショックを受けた。
「ごめんね。私、実は前から能力者で……夢が叶うかは直感で分かるの」
「そうなんだ……まあ私も、どうすれば自由になれるか分からないし」
叶わないと宣告されるのは心苦しいが、チエミは反論しようにも道筋が見えていないので甘んじて受け入れた。社会のルールに従う群衆、その一角になるよりは自由でありたい。かといってはみ出せばそれはただの社会不適合者であって自由とはならない。だから叶えるビジョンが見えていないのだ。
「でも、なれたら叶うかな。ねえ、私が能力者になれるか分かる?」
「え? それは……」
アスミは返事に迷った。この島では能力は特別扱いされていない。無能力者はFランク、能力者はS、A〜Eの六段階に分けられているが、待遇に差はない。それでもあると便利で、毎月数人のペースで増えている。チエミのように今は違ってもこれから覚醒するかもしれない。
だがその可能性をジャッジできると認知されると、人の可能性を奪ってしまうかもしれないと考えた。かといっていつか叶うなんて曖昧な答えを返すのも、後々デタラメ言われたと思い込んで関係が拗れてしまう。そうなる予感もアスミには分かる。
「……今は分からない。でも、これから何かイベントがあって、これに参加すればなれるってのは分かるわ」
「なるほど、イベントか……分かった」
そこでアスミは誤魔化した。信じてもらえる理屈を思いついた瞬間に口にして、想定通りチエミを納得させた。
内心反省した。先週末、ノベルゲーム作成の活動メンバーに徒労に終わると面と向かって言ってしまったことを。たとえその未来が待っていたとして、宣告してやる気を折ろうとしたのは、その活動以外で関係を築くうえで悪手だったと。
決してその夢を叶えることが彼らのすべてではない。失敗したけど今度は別のことで頑張ろうとなったときに、そのときの態度が原因で気まずくなってしまう。だから帰ったら、チャットで謝ろうと決めた。そして気づかせてくれたチエミにお礼を言う。
「ありがとね、チエミ」
「……うん。よろしくね、一年間」
チエミは何を感謝されたのかピンとこなかったが、悪い気はしない。そして気にせず、改めて挨拶する。するとアスミは首を傾げたので、彼女は勘違いかと戸惑う。
「もしかしてもっと短いの?」
「あ、ううん。一年間、卒業まではいる。高校どうするかは、まだ」
アスミの編入は中学校卒業までの一年間の契約だ。それからどこへ進学するかは未定。島に残るか元の街に変えるか、現状はその二択だ。そして一年間は一緒と分かったチエミは安堵し、残るならそれからも一緒だと伝えた。
「良かった。ずっとこっちにいるなら、高校も一緒よ。公立だったら近くの所って決まりだから」
「そうね、考えておくわ」
この島には公立学校の場合、中学ではなく高校まで学区で進学先が決まっている。受験校を選択できると能力者が一校に偏りかねないからだ。だからもしもアスミが来年もここで暮らすなら、私立を受験しない場合は家の近いチエミと同じ高校に通うことになる。
今の生活が気に入ったらそうしようとアスミは思った。
そして学校に到着。二人揃って教室に入り、担任の授業ではなかったので最初はあまり叱られずに済んだものの、放課後にみっちり指導された。
おかげで下校が遅くなったアスミは、帰宅後すぐに"同期"のグループチャットで謝ろうとした。だがすでにメンバーで会話しており、パソコンで作業しながらグループ会話をしていることに気づく。彼女もパソコンを起動して会話に参加した。
『凄い、ちゃんと動いてる!』
『だろ? 文章や画像を差し替えれば二人のゲームにも変えられるんだ』
三郷楽阿がノベルゲーム専用ツールをテストプレイして、それを他のメンバーに画面共有で披露している。画面をクリックして会話が進み、キャラクターが現れたり背景が変わったり。
ラクアは物語はあまり作っていないが導入部分だけを試しにゲームに起こし、何ができるか、何が必要かを考えた。コンテストの応募締切に間に合わせるために。
『プログラムは置いておくから、好きに使っていいぜ。一からやるより楽だから』
この中だとゲーム作成経験のあるラクアが一番理解が早い。そこで彼が先行し、他でも使いそうなものは連携し、他のメンバーの労力を減らす。今はその情報共有だ。
『この前色々言われたけど、焦らなくていいから』
『ご、ごめんね』
『いつの間に!? ごめん悪口言ったわけじゃなくて』
ラクアはアスミが会話に参加したことに驚き、誤解しないでと弁明する。むしろ感謝している。彼女のおかげでコンテスト応募という目標を立てて、締切という期限に向けて気合いを入れられたのだから。
『私が変なこと言って皆を嫌な気分にさせて、ごめんなさい。きっと、私がいつまで居られるか分からないから、叶わないって思ったのかも』
『いいって、おかげで色々目標立てられたし。でもそうか、アスミって夏休みまでいない?』
『ううん、一年間はこっちいる』
言われてラクアは気づく。アスミが前いた街に帰り、他のメンバーも高校進学を控えて、その流れで作成途中で折れてしまう。それが彼女に叶わない夢と思われる原因と思えたが、その後に目標を決めたことでそれより前の完成に向けたから、その未来は回避できた。
『……サクラは?』
『私も一年は残ると思う』
『じゃあ皆いるってことで……完成に向けて頑張ろう』
よそから来たのは武蔵浦春桜も同じ。だがサクラも完成までは島にいると答える。ラクアと水天宮千城は生まれからこの島だから気にすることはないので、期限までにメンバーが去る心配は無いと判明した。ラクアの決起で、チームの熱意はさらに高まった。




