孤狼7
自分の席に着いて、午後の授業開始を待つ。
(まだ、頭の中がちょっとピリピリする……)
昼食に出ていたクラスメート達も、続々と戻って来た。
席に座った彼等の会話を聞くに、どうやらこの学園の学食は相当に好評みたいだ。
お金が入ったら、最初に食堂へ行ってみよう。いつになるか分からないけど。
始業時間ギリギリ、一番最後に凶也が教室に戻って来た。
満腹になったみたいだし、また自分の席で寝始めるんだろうな。
と、思って見てたけど、凶也は自分の席には座らず、教室の後ろへと向かい、犬神さんの居るテントの前で立ち止まった。
「……おい、狼女」
どうやら犬神さんに話があるようだ。宮内さんはその様子を心配そうに見ている。
「そういえば、今日は満月だけどよ。お前、夜は地下へ行くんだよな?」
(満月? 夜? 地下? 何の話をしてるんだ?)
「…………う、うん……静刃、先生……に付き添って……もらって……」
「そうか。それなら、今夜は安眠できるな」
テントがもぞもぞする。少し間を置き、犬神さんが控えめに声を出す。
「でも……も、もし……何か、あっても……凶也君が…………いるから、止めてくれる、よね?」
不安そうで消え入りそうな声。しかし、その言葉を聞いた凶也の態度が急変する。
「ふざけんなっっっ!!!」
凶也は犬神さんの居るテントを荒々しく蹴る。
「俺っちが何度、お前に殺されかけてると思ってんだ。糞がっ!!」
「ご、ごめんなさいっ。ごめんなさいっ。ごめんなさいっ」
犬神さんの泣きそうな声が聞こえる。中は見えないけど、彼女はテントの中で小さく蹲っているみたいだ。
「てめぇみたいな化物はな、この町ですら受け入れられねんだよっ!! とっとと、どこかで野垂れ死ねよ、犬っコロがっ!!!」
このセリフで俺の中の何かがブチ切れた。
「お前っ、もう黙れ!!」
気がついたら、凶也の胸倉をつかんでいた。凶也は鬼の形相でにらむ。
「あぁん? 何してんだ、お前? いい度胸だな転校生」
しかし、俺も怒りが収まらない。まるで腕が勝手に動いているみたいに凶也に殴りかかる。
その、瞬間、教室の空気が、一変した。
まるで、急に異次元空間に落とされたような感覚。
…………今度は何が、起こったんだ?凶也も呆気にとられている。
誰かが叫ぶ。
「やばいっ!! 皆、目を閉じろっ!!」
(何だって?)
「宮内さんの邪霊部屋が発現してるっ!!」
突如、背後から強烈な気配を感じた。
振り返ると、宮内さんは目を閉じたまま、意識を失っているかのように立ち尽くしている。
さっきまで宮内さんからは、何ら異質さを感じられなかったのに、今はクラスの誰よりも強い異質さを放っている。
(一体何が起こって……)
彼女の周りの空気が不自然に歪んでいた。
(ん…………!?)
ふと教室に目を移すと、奇妙な現象が起こっていた。
壁・床・机・黒板・ありとあらゆる所に文字が浮き出ている。
「死」 「刹那」
「凶也」 「友達」 「血」
「憎い」 「夜」「満月」 「許さない」
「どうして」 「地下」
「拘束」
様々な文字が、形を変え、流動し、浮かんでは消える。
この文字の1つ1つがまるで意思を持っているみたいに蠢いている。
(ここに居たらマズいな)
直感的にそう感じてはいるのに、足がすくんで動かない。
俺は、黒板に浮かび上がった「死」という文字から目が離せなくなり、強烈な悪寒に襲われた。まるで地獄の使者に足をつかまれ、地の底へと引きずり込まれていくようなおぞましい感覚が全身を支配する。
(早く、教室……から…………出、な……)
これ以上この文字を見続けるのは危険だと、頭では理解しているのに目が離せない。
次第に頭痛と吐き気に襲われ、全身から冷や汗が流れてくる。教室の前の方では、誰かが嘔吐している音がした。意識が遠くなってゆく…………………………
(…………暗い……)
その時、誰かの手が俺の目をふさいだ。
「…………落ち着いて、ゆっくり息を吸え」
軽いパニック状態だったけど、その声に反応して、言われた通りゆっくり息を吸い、ゆっくり息を吐く。
(ふぅっ……)
少し、落ち着いた。
目をふさがれているので教室がどうなっているのか分からない。
「ちっとは、落ち着いたかよ? 転校生」
この声は凶也だ。
俺の目をふさいでいるこの手はどうやら凶也の手みたいだ。宮内さんの事や、クラスの他の皆の状態やら聞きたい事がたくさんあったけど、一番知りたい疑問を口にした。
「お前、俺を助けてくれたのか?」
「あん? 俺っちのせいで死なれたら、寝覚めが悪いだろうがよ」
どうやらこの状況を直接生み出しているのは宮内さんだけど、きっかけは凶也の犬神さんに対する言動にあったみたいだ。
「これ、宮内さんがやってるのか? どうすれば止められるんだ?」
「俺っちが知るかよ。今、お前の目ェふさいでっから身動きとれねぇんだよ」
「おい、司っ!! どうすりゃいいんだ?」
凶也が、霧島に呼び掛ける。しかし、反応が無い。教室は、静まり返っている。
「おいおいおい、マジか? お前までやられちまったのかよ、司!?」
凶也も、目を閉じていて教室の状況が分からないようだ。
「ちぃっ! どいつもこいつも」
他の皆はどうなっているんだ? 教室内の異常な空気感は続いている。良く分からないけども、このままだと命に関わる犠牲者が出るかもしれない。そんな事にでもなったら、宮内さんは深く傷つくだろう。きっとこの学園には居られない。
(なんでもいい、何か出来ることは無いのか?)
「聞こえるかっ!! 宮内さんっ!! 返事をしてくれっ!!」
教室内がこんな状況なのに未だ能力を使い続けているということは、今きっと彼女は無意識状態なんだ。意識さえ取り戻せば、もしかしたら。
「無駄だって! 委員長がこの状態になったら、こっちの言葉には反応しねー」
教室で誰かが倒れる音がした。
やっぱり、宮内さんも異質な魂の持ち主だったのか。俺でもこんな異能は見たことが無いけど。どう対処すれば良いのか見当すらつかない。それでも何か打開策は無いか必死に頭を巡らせる。
《ピリッ》
その時、急に、頭がぐらついた。
くっ…………何だ? 宮内さんの能力の影響か? いや、違う、この感覚は覚えがある。
まただ。さっきの感覚。さっきより大分、軽い感じだけど。何でこんな時に?
意図して起こした現象じゃ無い。まるで宮内さんの強力な異能に呼応したみたいな。
頭の中に違和感が。そう感じると同時に視界が暗転する。
一筋の光すら射さない完全な暗闇。肉体の方の目は反応しない。
しかし今度は冷静に対処できた。俺は、再度、心の目を開く。
さっきと同じ赤銅色の世界。
視覚以外の感覚が遮断される。
振り返ると、凶也に目隠しされた俺が立っていた。
再び、精神が肉体から剥離したらしい。一度幽体離脱を経験した人間は、肉体と精神の結びつきが弱まるなんて話を聞いた事が有る。
周囲では変わらず文字が至る所に蠢いてるけど、今の状態なら特に影響は無いみたいだ。前の方では何人かが倒れ、他の皆もうなだれている。正確に状況を理解出来ているのはきっと俺だけだ。案外、今はこの精神体でいる方が動きやすいのかもしれない。
何にせよ、早く何とかしないと本気でやばそうだ。何か解決の糸口となるものは無いか、辺りをうかがう。
クラスメイトの胸のあたりにはガラス玉が浮いている。緑・赤・水色、皆それぞれに色が違う。子供の頃集めていた色付きのビー玉を思い出した。未だにこれが人間の魂だなんて信じられないけど、俺の精神の持つ感覚がそうだと告げている。
宮内さんの方を見ると、さっきと同じように教室の真ん中で目を閉じて呆然と立っていた。
彼女の魂の色は青だ。まるでサファイアのように輝いている。しかし、宮内さんの魂だけ他の人とは違っていた。
魂が光を放ち、上下左右前後に揺れ動いている。
(なんで、彼女の魂だけがこんなに不安定なんだ?)
その理由はすぐに理解出来た。理屈では無く、今の俺の感覚が教えてくれた。どうやら彼女が異能を行使しているが故に、その魂は揺れているようだ。この状況を生み出している根源は彼女の魂だ。
俺の中でそう結論付けた時、この状況の収拾を図る方法が浮かんだ。
彼女の魂の揺れを抑えることが出来たなら、この異能を解除出来る。これは思考による推論では無く、感覚的なものだけど。
試してみる価値は有るはず。そしてその方法として思い浮かんだのは、精神体である俺が彼女の魂に直接触れ、揺れを押さえ込むというもの。
なんでそんな発想が出てきたのか、自分でも不思議だったけど、それしかないと思った。
しかし、それはどう考えても危ない気がする。
彼女の魂に触れて砕けたりはしないのか?
見た目はただのガラス玉だから、なんかもろそうだ。
迷ってる間に、教室の前の方でまた一人、女生徒が倒れた。
くそ、どうする、迷っている暇は無いのか? でも、試してみるにしてもあまりに危険だ。
だけど教室内のこの現状を放置すると、死者が出る可能性が有る。
宮内さんの目の前に移動し、表情をうかがう。彼女自身もなんだか苦しそうだ。
(…………ごめん、宮内さん。もし万が一があったら、俺も心中するから)
本気でそう思った。
覚悟を決めて彼女の胸に手を伸ばす。手は彼女の体をすり抜けて、魂に触れる。触れている感触は無い。細心の注意を払い、そっと掌で包み込むように魂を固定して、少しの間、その状態を維持する。
言いようの無い恐怖が俺を襲う。
まるで生きている人間の心臓を素手でつかんでいる気分だ。
ほんの数秒の時間がとてつもなく長く感じる。
手が震えているような錯覚を覚える。
しばらくすると、少しずつ魂から光が失われていった。
恐る恐る手を離すと、彼女の魂は他の人同様に定位置に浮遊していた。
(……………………成功、したのか?)




