其の仇:彼と「彼女」がぶつかるとき
絶叫した。感情のままに叫んだ。
「鬼」に取り憑かれた場合、手早く処理すれば依代となった人間も助けられる。だが、今回は違う。
憑依した依代自体を壊してしまうほどの力を持っているので、喰われた段階でとっくに消えてしまっている可能性の方が高い。それ以前に優梨は彼女自身の魂を「百合の鬼」ごと封印したと言った。その封印の中で喰われているのだろう。たとえ偶然喰われていなかったとしても、もう表に出ることはない。
叫ぶことは、大きすぎる感情の変動を整理し、落ち着かせる働きがあるという。だが、勇刀は叫ぶだけでは収まりそうにもなかった。
「……ふざけるなよ。こんなことがあってたまるか」
漏れた言葉は怨嗟のようで、収まることのないドス黒い感情が漏れているようだった。
そもそもなぜこんなことが起こったのか。まず、自分があのときにミスをしたから。さらに言えば、あの「鬼」が彼女を喰ったから。――そして、この依頼を篠崎家が彼女にしたから。
その結論に達した瞬間、彼の中の澱んだ感情が臨界点を超えた。抑えられない気持ちは実際の行動と結果によって解消してやる。溢れるどうしようもない怒りが自分の奥にある何かをこじ開けたような気がした。
「殺す……殺してヤル、すべテヲ、何モカモ」
彼自身の気持ちを映したようなその目は奈落の底のような深い闇を湛えていた。機械的になりつつある声は彼自身に起こりつつある変化を表しているようだった。
『何ふざけたこと言ってんのよ、この馬鹿』
「……ンなっ!?」
そんな中、彼は聞こえるはずのない声を聞いた。聞くだけで、顔を見なくてもどんな表情を浮かべている想像できる声だった。
『もしかしたらこうなるんじゃないかと思っていたけど、こうもちゃんと当たるとはね』
「な、なんで……」
馬鹿にしているのになぜか心に染み渡っていく。澱んでいた視界が穏やかな光に包まれ、陽の光のような暖かさに包まれる。ほんの少しまでどうしようもなかった怒りがすっと引いていくのがわかった。
『あんたの刀を見なさい』
そう言われて純白の刀を探すと、足下にあったそれに赤い鳥がちょこんと乗っているのが分かった。なんどか見たことのあるそれは、さきほどまで優梨の左手で弓となっていた式神だった。
『あたしの魂になんかあったとき、それに意識の一部を置いておけるようにしておいたの。……制限時間は短いけど』
「そうだったのか」
なんでわざわざそんなことをしたのかは分からなかったが、勇刀はただ優梨の意識と言葉を交わせただけで嬉しかった。
『手短に言うわね。――この火雁を含めて、私の式神をあんたの命令も聞くようにした。ま、自由に使ってあげて』
「えっ、なんで?」
『質問は禁止。時間がないって言ったでしょ』
「すまん。ありがとう」
結局意図は分からなかったが、ここはありがたく貰っておこう。火雁とは例の赤い鳥のことだろう。だが、正直この化け物娘の式神たちを自分が扱えるのかは微妙なところだ。
『一応言っておくけど、今のあんたなら大丈夫でしょ。予兆はあったし、さっき完全に箍が外れたみたいだから。……正直、危なかったけどね』
「あ、ああ……」
今度の彼女の言葉は理解できた。予兆とは、おそらく自分が友哉たちを吹っ飛ばしたこと。箍が外れたとは、さきほどまでの、ドス黒い感情だけを抱えた自分の様子を言っているのだろう。彼女がそれを危なかったと言ったことも分かる。あのときの自分が明らかにおかしかったことに今更ながら気づいた。
『だから、後のことを頼むわ』
「ああ、分かった」
曖昧な言葉だったが、優梨の思いがわからないほど勇刀も愚鈍ではない。彼女の声が消えていくのももう怖くなかった。
視界が晴れ、さきほど涙を流したあの風景が目に入る。だが、さっきまで「鬼」に喰われていた少女は床に横たわっていた。
「ウウ……」
地面を這いずるような声が響く。それはさきほどまで優梨だった少女から。当然、その声も優梨のものではない。
「ウアア……」
見えない糸に引っ張られるように彼女は立ち上がる。その目は虚ろでこれから何かが宿るのだろうと勇刀は分かった。そして、その何かがなんであるかも。
再び少女の体が妖しい光に包まれる。その光が収まったとき、そこにいたのは優梨の体を依代とした「百合の鬼」だった。
「妙に体に馴染む。ふふっ、最高だわ」
「百合の鬼」は蠱惑的な笑みを浮かべる。これまでの依代とは何か違った。ほとんど違和感がなく動ける。魂の影響を受けて体が成長するとするなら、あの少女の魂が自分に似ていたということか。何にせよ、これほど充実した気分になったのは初めてだった。
「封印をこじ開けたのか。くそっ、なんでお前だけが……」
言いたいことはあったが、勇刀はそれ以上言わなかった。これ以上口を開けばまたドス黒い感情が噴き出すのが安易に予想できたから。今、やるべきは目の前の「鬼」を何とかすることのみ。
刀を拾い、すっと前に突き出す。すると、その先端に優梨が火雁と呼んでいた赤い鳥がちょこんと乗った。不思議と重さを感じず、刀と一体化しているような感覚さえあった。
(一緒に戦ってくれるんだな)
心の中で浮かべた問いに、火雁は頷くように頭を下げた。それだけで十分だった。
「憑依武装」
小さく呟き、自身の霊力を刀とその切っ先に乗る鳥に注ぎ込む。すると、鳥の体から赤い炎が噴き出し、刀ごとその体を包み込んだ。勇刀は刀を持って間近に立っていたが、思いのほか熱くなく先ほど自分を包んだ暖かさを手に感じていた。
右手を軽く振って炎を払えば、紅緋色に染まった刀身が姿を現す。両手で握ると優梨の力を感じたような気がした。
「――紅緋、とでも名付けるか」
ふっ、と笑って中段に構える。「百合の鬼」は優梨の体が妙に馴染むといったが、勇刀にとってこの紅緋は思った通りによく馴染む代物だった。――これならいけると、直感で確信した。
「まだ……居たノカァッ!」
こちらの存在を再認識した「百合の鬼」が一気に向かってきた。以前のような狂暴さを持って勇刀の頭蓋を砕こうと金棒を袈裟斬りの形で振り下ろしてくる。
「……アッ!?」
「へへっ、どうだ」
だが、彼女の手に伝わるのは骨を砕いた感触ではなく、硬い何かに受け止められる感触。驚きを隠せずにいる彼女に、金棒を紅緋色の刀で受け止めた勇刀は汗をこぼしながらも馬鹿にしたように笑う。
刀は思いのほかかなり強靭。自身の霊力も爆発的に上昇していて、足に回して踏ん張ることも簡単にできる。
「うおらああっ!!」
「ヌグッ……」
霊力をさらに手に回して力任せに振り抜く。思いのほか相手が吹っ飛び、数メートル退がって足をついた。
「まだまだっ」
手応えは感じたがこれで終わらせるつもりはない。右上段に構えてこちらから一気に間合いを詰める。この一撃で仕留めるとばかりに振り下ろす。が、相手は寸前で体をずらして躱し、前傾姿勢になったこちらの脳天を今度こそ叩き割ろうとする。
「ふっ……」
しかし、それも予想済み。刀が床につく寸前で手首を返して刃を水平にし、体を強引に捻ったうえで体勢を低くして「百合の鬼」に向かって突っ込む。
「ぐぅっ……らああっ!」
左肩を重い衝撃が襲ったが、寸前のカバーはできているから問題ない。痛みに呻くことなく一気に刀を振り抜く。ほぼ自動的に刀身が高熱を帯びて「百合の鬼」の足を刈る。
「ヅアアッ!」
わずかにずれて物打ちで斬ることはできなかったが、深い裂傷を入れることはできた。絶叫と目視ででそれだけ確認し、一気に間合いを取る。位置的に、このまま背後を取られるのは避けたかった。
だが、間合いを取っても安心できなかった。振り向いたときには、相手の金棒の先端がこちらを向いて妖しく光っているのが見えた。
こちらも迎え撃つべく、右足を引いて、刀の鍔を右腰につけて刀身を背中に隠す。脇構えというこの構えを取ったところで霊力を刀身に回して精錬して、刃に沿う形の炎へと変える。
「鬼吼砲ッ」
「百合の鬼」の声とともに金棒の先端からエネルギーの弾丸が放たれた。それを確認した勇刀も横薙ぎに振るう。
「伍の太刀――白薙……いや、炎月」
放たれた斬撃は白い刃ではなく三日月型の炎の刃。訂正して正解だったと、比較的どうでもいいことを考えているとうちにエネルギーの弾丸と炎の刃は激突。相殺とはいかなったが弾丸の軌道をずらすことくらいはできた。結界にヒビが入ることもない。
「はああっ!」
「ガアアッ!」
叫びながらそれぞれの武器を構えて二人は激突した。一度鍔競り合いして互いに睨みまた距離を取る。そこからは激突と退避の繰り返し。当然間合いは一定ではなく、位置も常に入れ替わる。単純な作業ではないゆえに、攻防の駆け引きも厳しく精神をすり減らす。激突の度に振るわれる斬撃と殴打の速度の速度も回数を追うごとに増し、裂傷と赤い痣が増えていった。
「はあっ、くっ……」
何度目か分からない鍔迫り合いから一気に間合いを切って、刀を中段に構える。そこにあちらが飛び込んでくるような素振りはない。互いに限界が近い以上、次あたりで決めたいところ。
「ふぅっ……」
構えを解いて、無駄な力を抜く。切っ先は相手の喉元の方向から逸れて床を向く。自分と周囲の空気が一体化するように意識して、霊力を周りになじませていく。
十分馴染んだところで歩を進め始める。すうっと浮いているかのように静かで動きのないその歩みは、纏う雰囲気とは相反して速い。
「ガアアッ!」
「百合の鬼」が奇声を上げながら向かってくる。だが、妙に自然で堂々と待ち構えることができた。――すでに手は打っている。
「ウオアアッ!! ……アアッ!?」
振り下ろした「百合の鬼」は金棒の手応えの軽さと妙な暑さに違和感を覚えた。驚きつつ顔を上げるとそこには狙い定めて金棒を振り下ろしたはずの勇刀が紅緋色の刀を冗談に振りかぶって笑っていた。それを見た瞬間「百合の鬼」は理解した。自分は次の一手に誘われまんまと騙されたのだと。一瞬視線を落とせば、振り下ろした金棒が彼の左足の二十センチほど横で少し溶けかかっているのが見えた。高熱の壁とその弊害である視覚の誤認に見事にやられた。
「弐の太刀――白帳改め、陽炎」




