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其の拾:「彼女」が彼女になったとき

 袈裟斬りの形で振るわれた一太刀のもとに、「百合の鬼」は切り伏せられる。藍色の着物に特大の裂け目が入り、そこから灰のような粉が一気に噴き出す。叫ぶこともなく尻餅をついて彼女は勇刀を見上げる。その瞳は何か言いたそうに揺らめいていた。

「なんで……」

「ん?」

「なんで手加減したっ!?」

 彼女の叫びは大きな声ではあったが、先程までのケダモノのような野蛮さは感じられなかった。より人間的な、彼女本来の言葉のようだ。

 そして、彼女が言ったことは事実だった。確かに深い一撃だったが、彼が本気を出して霊力をさらにこめれば、「百合の鬼」を灰燼に変えることはできたはず。でも、彼はそうしなかった。

「あんたに聞きたいことがある」

 勇刀はそれに答えつつ、自分がまだ喋ることを同時に示した。すっ、と目先につけられた紅緋色の刀が「百合の鬼」に有無を言わせない。

「封印のなかで優梨を喰ったのか?」

「……ええ」

 勇刀の質問に「百合の鬼」は躊躇いつつも答える。こう答えた瞬間に刺されるだろうと思ったから、返答に時間がかかったのだろう。

「そうか。分かった」

 だが、勇刀は短くそう言うだけ。その後ふっと遠くを見つめるような素振りを見せたが、「百合の鬼」にはもうそこを襲う気力も気持ちもなかった。この少年に非常に興味が湧いたのだ。

「そのままあたしを刺さないのか?」

 その理由である疑問をぶつけてみる。見たところあの少女と結構親しいのだから、仇である自分を刀ですぐに刺しても文句は言えない。

「一瞬、そう思ったんだけどな……」

 空いた左手で頭を掻きながら勇刀は呟くように答える。悩んでいるのかと思われたが頬が緩んでいる様子から、何か名案が浮かんで喜んでいるようだった。

「ちょっと、面白いこと思いついた」





 翌日の夕方。篠崎家の一室に、ここにいるはずのない少女が居た。だが、周囲を囲む幹部の面々にもまったく怖気づいていないその姿は彼女そのものだった。

 それには、幹部全員が目を見開いて驚愕の表情を浮かべていた。間違いなく彼女は死に、代わりに最高の切り札が手に入ると全員が目論んでいたからだ。

 絶句する幹部達だったが、彼女の口から話された言葉にさらに驚愕せねばならなかった。

「――というわけで今回、そちらのご子息の尊い犠牲のもと、辛くも『百合の鬼』を祓うことができました。私がいながら本当に申し訳ありません。骨の一本も持って帰れなかったのは残念でなりません。心からお悔やみ申し上げます」

 彼女の代わりに死んだのは、昨晩飛び出したこの家の次男坊だった。唐突に起こった予想外の出来事にフリーズする一同だったが、比較的早く回復した者もいた。

「ふ、ふざけるなっ! うちの本家のご子息を見殺しにしておいて何を言う。腹を切れっ、今すぐに!」

「あ゛!?」

「し、失礼。なんでもない」

 だが、彼女のたった一言で再び何も言えなくなる。思えば会議の最初から彼女のペースだった。しかも、彼女の奥底から溢れる何かに反応した本能が告げていた。――彼女に逆らえば何をしでかすか分からない、と。

「では、失礼します」

 座礼した後に最高の笑みを浮かべて去っていく。そのあいだ、彼女の足が畳を擦る音しか響かなかった。





「お前が『優梨』の代わりになれ」

「は?」

 勇刀が口にした面白いことを聞いて、「百合の鬼」は間抜けな声をあげた。正直、彼が何を言っているのか分からなかった。

「だから、お前が『優梨』の体を使って『優梨』として、生活して『鬼』を祓う。そうすれば『綾瀬優梨』という『祓い人』は存在するし、『祓い人』としての綾瀬家も保たれる。うん、完璧」

「いや、待ちなさいよ」

 あらかた説明して一人頷く勇刀に「百合の鬼」は待ったをかける。「祓い人」の先輩としていろいろ言っておかなくては気が済まない。

「まず、あたしの霊力はあんたも知っているでしょ。膨大すぎて目立つから、すぐに篠崎家とかにばれるわよ。……それにいくら馴染んでいるとはいえ、この娘の体がいつまでも耐えられるとは限らない」

「ああ、確かに」

 そもそも「百合の鬼」はとんでもない霊力と強さがあるから危険視されていた。また、彼女が見つかったのも彼女自身の霊力が膨大すぎて感知されたからだ。

「それに、あたしは所詮『鬼』。簡単に従うと思う? ……それにあたしは放っといたらいずれ消えるだろうし」

 そして、一番の理由がこれ。そもそも勇刀の所有物ではないのだから、従う義理も責任もない。手加減はされたとしてもあくまで話を聞く程度のもの。いずれ消えていくのはわかっていた。だからこそ、こうやって話をしているのだが。

「ああ、それなら大丈夫。――お前を俺の式神にするから」

「はあっ!?」

 「百合の鬼」は思わず叫んだ。突飛もない解決法に頭が痛くなった。

 「祓い人」が式神を得るには二つの方法がある。

 一つは、自分の魂の一部と霊力を糧に作る方法。自分自身がベースなので比較的扱いやすく、用途も幅広いために業界では一般的な方法ではある。

 そしてもう一つは、既存の「鬼」や霊魂と契約して式神とする方法。こちらはまず、対象を調伏するなどして契約できる状況にする必要がある。また、ベースが意識ある「個」の魂なので、扱いは難しいとされている。

「ほら、それならお前の霊力を俺に回してカモフラージュすることもできるだろ?」

「ええ、それはそうだけど……」

 確かに理には適っているし、もう一つの弱点も克服できる。だが、簡単には頷けない。

「でも、あんた一人で私に制約をかけられるの?」

 その問題点は、「祓い人」の実力がその霊魂を抑えられるほどあるのか、ということ。契約してもクーデターを起こされる心配がないわけではない。

「それは大丈夫だ」

「なんでよ」

「なんとなく……お前なら信じられそうだから」

「はぁ? ……まあ、もうどうでもいいわ」

 答えになっていない答えに頭を抱えつつも、その一方で理由などどうでもよく思えてきた。彼の阿呆が伝染ってしまったのだろうか。

「話変わるけどよ」

「ん、何?」

 もう十分呆れたので何と聞かれようとも驚かない自信があった。自分が「鬼」だということを忘れそうになるほどに穏やかな気持ちでいられている。

「なんで俺を見て驚いて、襲ってきたんだ」

「ん……ちょっと、知り合いに似ていただけよ」

 まだ、自分が「祓い人」だった頃に互いに切磋琢磨していたあの男に、喧嘩しつつも唯一気の合う異性だったあの男に、そして――自分をこの手で刺し殺したあの男に、この少年は似ていた。だから、感情が暴走して「鬼」である自分は暴力に訴えた。ただ、それだけ。

「そうか……じゃ、やるぞ。俺がお前を式神にする。で、表向きでは俺がお前の式神になる」

「は? いや、ちょっと言ってる意味がわからない」

 勝手に準備に入ろうとした勇刀を「百合の鬼」は慌てて止める。前半は聞いて理解したが、後半は言っている意味がわからなかった。

「だから、俺はここで名誉の戦死をしたことにして、表向きでは俺がお前の式神になるの。……お前の霊力を俺に回して俺が無事でいられるわけないだろ。百パーセント、一日の三分の二は睡眠することになる」

「まあ……そうだけど」

 彼が言っていることはよく分かる。自分がよく馴染むこの少女はともかく、この少年が耐えられる保証は皆無なのだ。だが、これを実践することは一人の人生が終わることを意味している。

「俺はあいつにあとを任された。篠崎家は兄さんやお父様がなんとかしてくれる。――でも綾瀬家は違う。あいつが誇りに思っていたことを残すためにも。あいつの存在を残すためにも。俺はこの身を捧げたい」

「……本気で言ってるの?」

 これは最後の質問だと言うように問う。そこまで勇刀があの娘を思っていたことが「百合の鬼」には意外で、妙に羨ましくもあった。

「ああ……本気だ」

 勇刀が答える。その目にはもう一切の迷いも無く、確固たる意思が宿っていた。

「俺のせいであいつはお前に喰われた。……これは、俺達が償うべき罪過なんだ」

 自分たちに罪状を述べるように言葉を紡ぐ。あのときこうしていればなどとはもう言わない。これから何ができるかが重要なことだと分かっていたからこその言葉だ。

「……こっちはいずれ消える身。好きにすれば」

 その決意を受け止めたのか、「百合の鬼」は視線を落としてぶっきらぼうにそう言い放つ。勇刀に見えない死角で彼女の口角は上がっていて、その顔に穏やかな笑みが浮かんでいることは誰も知らない。

 ――そして、篠崎勇刀だった彼は後に鬼塚幽人を名乗るようになり、「百合の鬼」と呼ばれた「彼女」は綾瀬優梨となった。




「見つけたぞ、ユリ……」

 勇刀と「百合の鬼」が契約を交わすのを、隣のビルの一室から見るものがいた。結界など意味のないように見透かすその目は奈落の底のように暗く深く、みすぼらしい外套と無駄に伸びた黒髪から乞食のような印象を与える。足元には数匹の蛇がうねり、外套の中に入っていく者もいた。一言で言うなら、異様で不気味だった。

「待ってろ。――期が来たら、迎えにいくぞ」

 ククッと笑う彼の周りには彼の内面を表すようなドス黒い瘴気が渦巻いていた。


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