其の肆:彼女が本音を言ったとき
祓霊寺。時宗を宗派とするこの寺は、古くからの檀家も多く、町でもけっこう知られた寺だ。墓地も併設されていて、休日には墓参りに来る人もちらほらいる。
「うおらあああっ」
常時であれば静かで落ち着いた雰囲気のあるこの寺で、今日に限ってはその雰囲気に合わない声が聞こえていた。
その声の主は勇刀で、彼は気合いを声で表しながら床を全速力で雑巾掛けしていたのだ。正方形の辺のような形をした回廊の半分を終わり、このストレートを終えれば次で最後だ。気合いを入れ直し、一気に駆け抜ける。
「らあああがっ!?」
「うるさい」
最後のカーブを曲がろうとしたところで、頭部に圧力が掛かり、突っ伏すように急停止。直後に頭上から降る淡々とした声は、この寺の娘である優梨のもの。ということは、感覚から察するに、勇刀の頭を押さえているのは優梨の足。
生憎、変態的な趣味は持ち合わせていないので、抱く感情は屈辱しかない。
「危ないな。なんで邪魔するんだよ?」
「うるさいからに決まってんでしょ。雑巾掛けくらい黙ってしなさいよ」
「別に良いだろ。こっちの方が気合い入るし」
「あ、そ……」
気分も乗っていたところを邪魔されて不満そうな勇刀に、優梨はただただ呆れたような表情を浮かべる。変に体育会系なところは嫌いではないのだが、たまに鬱陶しい。
結局、それも個性かと割り切り、皿ごと持ってきた羊羹を一切れ咀嚼する。
「ま、はんばりなさい」
「……堂々と先に食うなよ」
だから、ジト目で見られていながらも、何食わぬ顔で羊羹をおいしく頂くことも、個性だということにした。
「早くしないとなくなるわよ。お父さんは『自由に』食べていいって言ったから」
「こんちくしょおっ」
悲鳴に近い気合いを口にしながら、勇刀はラストスパートをかけるのだった。
「じゃ、あと三十周頑張って。あと、それ終わったら本堂の掃除ね」
「ふざけんなああっ!」
「――お、終わった……」
「お疲れ様。手伝ってくれて助かったよ。羊羹も自由に食べていいからね」
倒れこむのをなんとかこらえながら、勇刀は腰を下ろす。あれから優梨に散々こき使われ、歩くことすら億劫になりつつあった。それでも羊羹のため、必死に食らいついて、感覚が軽く麻痺するまで頑張った。
優梨の父である和尚さんに報酬を出されたとき、正直泣きそうになった。
「あ、もう一つ貰おうっと」
「あ゛?」
それを目の前で優梨にあっさり取られたとき、勇刀の心に久しぶりに殺意の炎が燃え盛った。
「何よ。羊羹ひとつでそんなに怖い顔する?」
「その羊羹ひとつのために俺がどんな思いしたと思ってるんだ!?」
修行か何かと思うほどの体力的ダメージと、小姑かと思うほどのねちっこい精神的ダメージのダブルパンチを乗り越えてやっとたどり着いた報酬。最初は軽い気持ちだったが、ここまで来ると意地でも食さなければ気がすまない。
「はぁ、仕方ないわね。ほら、口開けて」
「は?」
「いいから早く」
溜息から唐突な言葉を口にする優梨。勇刀は訳が分からなかったがとりあえず言われたとおりにしてみた。すると、優梨は右手の爪楊枝に刺した羊羹をゆっくりと近づけてきた。
「ちょっ、優梨さん?」
「じっとしてなさい」
これは俗にいう「あーん」という奴ではないだろうか。中学生になったからか妙に気恥ずかしい。だが、羊羹はほとんど口の中に入った。仕方ない。ただの自然な気遣いだと割り切ろう。
そう考えた瞬間に、羊羹を刺していた爪楊枝を舌に刺された。
「ひへええっ!」
「あ、ごめん。手が滑った」
チクッではなくブスッという擬音が適切なほどに刺さったので、勇刀が痛みに悶えても仕方ない。その際に羊羹だけは口内に収めたのは執念の賜物か。
一方、刺した本人はあっさりと心にもないことを口走る。勇刀も、「こいつ百パーセントわざとだろ」と思ったが、自分のことで精一杯だった。
「こら、優梨。やり過ぎだよ。……勇刀君、大丈夫かい?」
「へえ、なんほか」
血の味はしなかったので、音の割には浅かったようだ。ぎりぎり流血しないところで止めるのが、彼女の厄介なところ。おかげで羊羹の味もよく分からなかった。
「ごめんね。優梨もやりすぎだから」
「はいはい」
「ひてて……和尚さんが謝る必要はありませんよ。でも、こいつに甘すぎです」
優梨の父であるこの寺の和尚は穏やかな性分で、その人柄から大勢の人に慕われている。ただそれゆえに、勇刀に対する優梨の行動も見逃している部分があるのも事実だった。
要するに人が良すぎて怒ることがあまり得意ではないのだ。
「……で、今夜の仕事なんだけど」
「また、ついてこいってか?」
勇刀の痛みがだいぶ引いたところで、優梨が口を開く。その言葉には今までとは違う雰囲気が感じられ、部屋の空気もわずかに変わった。
それでも勇刀がいつものペースで答えられるのは、彼も仕事の前線に立っていて、尚且つ彼女との付き合いが長いからだろう。
「毎回思うけど、別に俺が行かなくてもいいだろ」
優梨は「没家の神童」と呼ばれるほどに実力があった。だから、勇刀の言うように、大半の仕事は別に単独でもこなせるのだ。だが、優梨は毎回昨夜のように勇刀を半ば強引に連れて行っているのだ。
「馬鹿ね。あんたに仕事与えて少しでも評価を上げてやろうというありがたい配慮よ。感謝して欲しいくらいだわ」
「本音は?」
「あんたが馬鹿みたいなミスをするのと、翌朝に篠崎家の人達にいろいろ言われるのを見物するため」
「こいつ、ひどい」
相変わらずひどい性格だと、勇刀は嫌が応にも確認させられた。実力のあるものはそれなりに人格者が多いものだと思っていたが、彼女によってその見方を全否定された気分だ。
「ちょっと和尚さんもなにか言ってくださいよ。このままじゃもっと調子に乗りますよ」
このままいけば人格者でない実力者になってしまう。彼女の未来も考えて、ここは父親に一言びしっと言ってもらうべきだ。
「優梨、そんなに『祓い人』の仕事しなくてもいいんじゃないかな?」
だが、和尚さんの口から出たのは勇刀のまったく予想していなかった言葉だった。
「ほら、ウチの家は寺として十分やっていけている。わざわざ失った『祓い人』としてのブランドを立て直そうとする必要もないんだよ」
「また、その話? もう聞き飽きた」
「あ、あれ……?」
予想外の雲行きの怪しさに勇刀は戸惑う。確かに説教は望んだが、その内容も予想とは違う。だが、多少予想はしていた親子喧嘩が目の前で起こりつつある。
何か、自分の考えていたシナリオとは違う方向へ進んで行っているような気がしたが、正直どうしようもなかった。
「もしかしてあたしに嫉妬してるの? お父さんは『祓い人』としては中途半端な力しか持ってなかったからね」
「そんなんじゃない。私はただ、無理して怪我して欲しくないだけだよ」
「そうやって安全圏にいて腐っていくのは嫌なの」
「だからってわざわざ危険に飛び込まなくてもいいだろ」
「だったらそんな危険な仕事をこの代まで残してきたのは誰? 落ちぶれたなら私が生まれる前に廃業させればよかったじゃない。私に仕事を教えなくてもよかったじゃない」
「そういうわけにはいかなかったんだよ。篠崎家の人ともよく話したけど、まだできなかったんだ」
徐々に感情的になっていく二人、というか優梨。彼女がここまで熱くなるのを見るのが初めてだった勇刀はただ驚くばかりで、場を収めるには役たたずだった。
「また篠崎……もういい。ちょっと出てくる」
「あっ、おい」
これ以上はうんざりという風に、優梨は立ち上がる。襖を強引に開けて、そのまま部屋の外へと出ていった。
「はぁ……やっぱり上手いこといかないものだね」
「そういうもんですかね」
娘と同じような溜息をつく和尚に勇刀は曖昧な言葉しかかけられなかった。
「本当は今すぐにでも辞めさせたいけど、この家系はまだ消すことができない。そのこともあの娘は知っている。――あの娘がどういう存在なのかも」
「はあ」
頭を抱えて語り始めた和尚の言葉にも、中途半端な相槌を打つだけ。正直、何を言っているのかいまいち計りかねているのだ。
「いや、一応君も関わってるんだけど」
「え、そうでしたっけ?」
だから、唐突に自分に言葉が向いたとき、阿呆みたいにとぼけることしかできなかった。
「……そうだね。今はわからなくてもいいかもしれない。――でも頼んだよ、あの娘のこと」
「えっと……はい」
含みのある言葉の後に、妙に引っかかる頼み。それでも、勇刀は戸惑いながらも甘んじて受けた。
「じゃあ、ちょっと優梨の様子見てきます」
おもむろに立ち上がり、静かに部屋を出る。優梨にはいろいろと聞きたいことがあり、彼女自身の様子も気になった。
自分の知らないところで、この家族は何かを抱えている。それも、自分――いや、自分達篠崎家が関わっているのだ。ほとほと自分の無知が嫌になる。
幼少の頃から半強制的に連れてこられてきたから、寺の中は歩きなれている。優梨がこういう時にどこに行くのかも大体予想がつく。
外履きを履いて、屋外へ出る。併設された墓地へと視線を向けると、数メートル先に石壁に腰掛けてぼおっとしている優梨の姿が見えた。周りにこの墓地にいる霊が話しかけても――「祓い人」であるので、霊視や霊との会話も問題なくできる――完全に無視しているようだ。その対応もすべて予想通りだと思いつつ、勇刀は少し駆け足で彼女のもとに向かう。
「何してるんだよ」
「別に……」
「あっそ」
声を掛けても、ふてくされたように答えるだけ。らしくないと思いつつも、とりあえず様子を見てみる。
「こうやって自分の家見てるとさ、なんか皮肉に思えるんだよね」
そうして数分立つと優梨も少し落ち着いたのか、覇気のない声で呟くように話しはじめた。
「寺は元々は人々を極楽浄土に行けるように導くための場所。……でも、実際のところ、未練に縛られた霊や、結果的に憎悪の化物となった『鬼』と関わる機会の方があたしには多い。寺の娘なのによ。――まさに皮肉以外の何者でもないわ」
環境ゆえに仏教には触れてきた優梨だからこそ分かる。自分の家が抱える矛盾が。そして、落ちぶれてなお矛盾を取り除かなかった親の姿が。
「悪人正機」
「は?」
勇刀が唐突に発した言葉に優梨は反射的に反応する。まさか彼の口から仏教の言葉が出るとは思わなかったのだ。
「俺は宗派とかよくわからないけどさ、社会かなんかで聞いたことあるぞ。確か、善人が救われるのなら、悪人も救われて当然、とかいう考えだったか。――悪人がより救われるというなら、『鬼』を祓い、輪廻の輪に戻す俺達はそんなに離れた存在じゃないかもしれないだろ」
「ふぅん、なるほど」
拙い知識でなんとか自分の考えを纏める勇刀の姿を見て、優梨の口角が自然と少しだけ上がった。不器用なりに自分を励まそうとしているのも分かり、なんとなく晴れ晴れしくなった。
「浄土真宗の宗祖である親鸞の考えね。……まあ、彼の言う悪人の定義自体、阿弥陀仏の光を通して見た自分を認められるか――自らの悪性を自覚している人間のことっていう変わった概念だけど」
「いや……って、俺そこまで知らないし」
だから、これはちょっとした意地悪。自分もそこまでがっつり詳しくはないが、彼が返答に困る程度の補足はできる。
「で、改めて気になったんだけど」
「何?」
そんな優梨の変化を感じたのか、勇刀は流れを切るように口を開く。寺での親子喧嘩みたいなものを見て、少し思ったことがあったのだ。
「なんでそこまで『祓い人』に拘るんだ?」
あくまで単純な疑問。和尚とのやり取りから、妙に「祓い人」に固執しているように感じたのだ。
「何よ、悪い?」
「いや、別に和尚さんみたいに否定するつもりはないから。単に気になっただけ」
重ねるが、あくまで単純な疑問。寺でのやり取りもあるので、聞き方によっては不快感を露わにするのも分からなくもない。
「親にも心配されて、篠崎……というか、邦保さん達にもあまり良いようには見られていないんだろ」
「まあ、しょうもない嫌がらせは結構受けたわね。式神けしかけられたこともあったし」
今朝のとおり、優梨は邦保を筆頭とする篠崎の面々からはあまりよく思われていない。友哉や佐紋はそこまで穿った見方はしていないが、ほかの門下がどう思っているかは明白で、彼らに優梨が目をつけられていることも事実だった。勇刀も何度か注意をしたが、どうも収まりそうにない。尤も、優梨にはずば抜けた実力があったので、彼女自身の被害は皆無だったのだが。
「だから、そこまでされてなんでまだやれるのかと思ったんだよ」
「そうね……自分のすることに初めて意味を見いだせたことだから、かな」
ゆっくりと確かめるように紡がれた言葉はその割に自然で、本心を表現しているように思えた。
「ま、本音を言うと、あんたの残念な姿をまだ見てたいからだけどね」
「やっぱりこいつひどい」
直後に出たのは照れ隠しでもあったが、目の前の馬鹿はいつものように返してくれる。――その間抜け面には、先の本心を抱かせたのが自分だという自覚などまったくないようだった。
夜も更け、所属する「祓い人」が半分ほど出払った篠崎の屋敷の一室。広間と言った方が適切なこの部屋の空気はいやに重苦しかった。
「……真か、邦保?」
篠崎佐紋は一同に会した六名の幹部を前に、眉間に皺を寄せる。狭まったその視界の中には、嫡男である友哉もいた。
「ええ、事実で間違いないかと。詳細は修健殿から」
邦保は指で眼鏡の位置を整えながら、鳥をモチーフにした仮面をつけた男性に、空いた手を向ける。
目上の人を前に仮面をつけてはいるが、別に彼はふざけている訳ではない。しっかりした理由があり、ちゃんと佐紋からも許可を得ているのだ。
「はい。ここ数週間で莫大な霊力が何度か感知されているのはご存知ですね」
「ああ。それにつられるように、魑魅魍魎の類も増えておることも承知済みだ」
修験の声は仮面の内に篭ることなくよく透る。それに応じるように佐紋もはっきりと返答する。
だが、修験の声は次の証言から僅かに透りが悪くなる。
「そこで、私達の方で調査することにしました。町中に十五名配置し、妙な霊力を探知した際には近くの者から様子を見る手筈でした……」
ついに語尾に覇気がなくなった。一同が異変を何となく感じるなか、修験は仮面の内でもごもごと逡巡したあとにゆっくりと口を開く。
「結論から言いますと、全滅しました」
「なっ……」
その一言で一同に衝撃が走った。それに気を留めることなく、修験は続ける。
「現場となった廃ビルの一室は惨状と化し、彼らも死していました。――そして、何より奇異だったのは、彼らとは別に心身ともにぼろぼろになった女性の死体があったことです。死亡推定時刻は私達の部下とほぼ同じでした」
できる限り淡々と語る修験の言葉に、一同は驚くかに見えた。だが、この場の誰もが得心したように頷いていた。
「……やはり、存在していたのか」
低い声で呟く佐紋の表情は優れない。
できればあって欲しくなかった者、起きて欲しくなかったことが起こりつつある現実にうんざりしそうになった。
「佐紋様、ご決断を。私めの案に託して頂けませんか」
「邦保さん、本気でやる気ですか!」
ここぞとばかりに乗り出す邦保に、友哉が珍しく感情を露わにする。基本的に穏やかな彼でも、邦保の案は安易に認められるものではなかった。
「別段、根拠のない当てずっぽうの考えではないことは友哉様もお分かりですよね。――勇刀様やあの小娘のことも当然」
「だからこそ、ここで芽を摘むわけには!」
「生憎、花が咲くまで待つ時間はありませんよ。あの方が存在された以上、奴の存在も確実なのですから」
「分かっている! 分かっているが……」
篠崎と綾瀬の間に生まれた過去からの因縁。その過程で偶発的に生まれた勇刀と優梨という存在。
若くして呪いを負った二人を簡単に見限れないほどに、友哉も若かった。
「……仕方ない」
重たく響いた佐紋の声が友哉を絶望に叩きこむ。ほかの面々は邦保と同じようなもの。自分以外が犠牲になれば良いという、腐ったような目。
「先祖の罪は子孫に償ってもらわなくてはね」
邦保のその言葉が妙に心に重たくのしかかった。




