其の伍:彼が奇妙な夢を見たとき
翌日の夕方、優梨は普段は入ることのない篠崎家の屋敷の中にいた。
完全にアウェイなこの場にいるのは、この家の当主である佐紋から直々に呼ばれたからだったが、優梨はいつもどおり堂々と彼の前に正座している。周囲の幹部から向けられる敵意などまったく意に介していない。重苦しい沈黙の中で彼女が一番平静を保っていた。
「で、なんでわざわざ私を呼んだのか、ご説明願えますか?」
形だけの敬語でふてぶてしい態度を取れるのも、その表れ。目の前にいるのが「祓い人」の名家の当主だということなど関係ないかというふうに。
「貴様、口を慎めっ」
「よせ。急に呼び出したこちらが悪い」
思わず飛び出しかけた幹部を佐紋が制する。彼女の態度など気にする必要もなく、その資格もないと思っていたのだ。
「最近、不自然に膨大な霊力が感知されることが度々あるのは知っておるな」
「はい。私自身もなんとなく感じていましたし」
佐紋が切りだすと同時に、場の空気が少し重くなった。優梨の目つきもプロフェッショナルのものとなり、自然と返答も淡々としたものになる。
「実はそれの正体を掴んだのだ」
「そうですか。……で、その正体とは?」
話の展開上予想していたので、たいして驚きはしない。勿論、その直後の自分の問いの答えもなんとなく予想できていた。
「『鬼』だった。それも、うちの『祓い人』十五人を惨殺するほどの、化け物じみた強さの奴だ。私たちは定義的に『百合の鬼』と呼んでいる」
「なるほど。とんでもない化け物ですね。――でも、だからこそ私は呼ばれた」
やはり予想通りだった。となれば、わざわざ嫌われ者の他家の小娘を呼びつけた理由などただ一つ。
「ああ。――綾瀬優梨。貴方に『百合の鬼』の討伐を頼みたい」
化け物じみた強さの「鬼」には化け物じみた「祓い人」を。自分の家の者ならさせはしなかっただろうが、生憎彼女は他人の娘。それも友好とは言いがたい関係の家の娘なのだから、最悪相打ちでもいいと思ってもおかしくはない。
「分かりました。その依頼受けましょう」
だが、優梨の返答はあまりにもあっさりしたもの。だが、慢心から出たとは思えぬほどの冷静さが感じられ、もしかしてすべて分かっているのではないか、とさえ思えてきた。
「ただし、私がどうなろうと『綾瀬家』を潰そうなどと考えるのはやめてくださいね」
口角を意識的に吊り上げた笑みを浮かべ、優梨は唯一の条件を告げる。その姿には一枚の絵になるような美しさはあったが、微笑みにしてはどこか薄ら寒いものすら感じられた。
「……分かった。約束しよう」
佐紋は特にその感覚を覚え、無意識的に慎重になりながら彼女の提案を認めた。年齢も経験も大きな差があったが、断ればろくなことが起こらないであろうと、彼が一番信頼する本能が察したのだ。
「では、失礼します」
「優梨殿、少しお待ちください」
「はあ」
座礼して立ち上がろうとした優梨を邦保が呼びとめる。いつもは綾瀬の小娘などと言ってはいるが、さすがに本人の目の前、それも厳粛な場で言うことは避けたようだ。おもむろに立ち上がりながら懐に手を入れ、そこから取り出したものを眉を潜めていた優梨に渡す。
「これは私どもからのちょっとした支給品のようなものです。それなりに役に立つと思うので、期があればご使用ください」
「まあ……分かりました。ありがとうございます」
彼が渡したのは一枚の御札。おそらく何らかの術式が刻まれているのだろうそれは、製作者でない優梨にも使用できるように手を加えてあるようだ。
渡された際に邦保が見せた薄っぺらい微笑が気にはなったが、わざわざ口にする気にもならなかったので、優梨も表面上で笑顔を取り繕って礼を述べておく。
「では改めて、失礼しました」
再度一礼して、優梨は部屋を出る。その背中を見送る邦保の顔が歪な笑みを浮かべていたことに、彼女は気づかない振りをした。
「ん、終わったか?」
「邪魔よ。さっさと失せて」
「ここ一応俺の家なんだけど……」
庭で素振りをしていた勇刀の質問に答えず、代わりに毒を吐く。当主の息子といえど、勇刀は幹部が集まるような場に出られるような身ではなかったようだ。
「で、何の用だったんだ? お父様がお前を読んだのは」
だから、気になった。幹部のほとんどがよく思っていない優梨を、わざわざ彼らもいる場まで呼び出してまで、自分の父親が彼女に伝えようとしたことが。
「別に。ちょっとした仕事の近況報告程度よ」
だが、優梨はさらっと嘘を吐いた。いつもなら仕事のことを話して、半強制的に連れていったが今回はわけが違う。わざわざ本当のことを話すつもりなど端からなかった。
「そうか。まあ、いいや。じゃあ、気をつけてな」
「ええ」
そんなことなど知るはずのない勇刀は、優梨が言ったことを疑いもせずに真に受けて、自然な態度で送り出す。優梨も自分の心の内を一切表面に出さずに短く応え、正門から出ていくのだった。
辺りを見回すと、火の手が迫っていた。だが、そんな状況にも関わらずゆっくりとした足取りで徘徊する。
ここは屋敷のようだが、自宅と広さは同じでも間取りは明らかに違う。だが、なぜか歩みに迷いはなく、端から見たら夢遊病者のようだと冴えない頭で思った。
何度目かの曲がり角を曲がったところで少し歩行速度が速くなった。自分の体のはずなのにそう思うのは、誰かに操られているという感じがしているからだろう。なぜ、そこに向かっているのかも未だわからない。
やがて、一枚の襖の前に立った。自然と手が伸び、半ば強引にそれを開ける。その先にあったのは、見慣れているように錯覚しそうになる風景だった。
「はあっ、はあっ……」
息を荒げながら金棒を振り上げるのは藍色の狩衣を着たひとりの女性。高く跳びあがって、目の前の巨大な蛙の化け物目掛けて振り下ろす。豪快に頭蓋を砕くその女性がなぜか自分のよく知る少女にだぶって見えた。
蛙の化け物は先ほどの衝撃で灰へと変わっていったが、まだ同じような化け物は多数いる。おそらく彼女はこれ以上の相手と戦っていたので疲弊したのだろう。助けたいと強く願ったからか、体は自然とその方向へと動いた。
「はぁっ……なっ! なんであんたが!?」
振り向いた彼女は目を大きく見開いて叫ぶ。その声がなぜか自分に向けて言われているようには感じなかった。でも、彼女のためになんとかしたいと思う気持ちは変わらない。何ができるかは分からないが、やれるだけやろう。そう考えているうちに右手が勝手に動いていることにはまだ気づかなかった。
「とりあえず、手伝っ……うっ」
気づいたのは目の前の女性が不自然に呻き声を漏らしたとき。ゆっくりと視線を落とせば、いつの間にか握っていた、青い装飾を施された刀で彼女の腹部を貫いているのが見えた。彼女の血で装飾が汚されていくのも、息遣いがだいぶ荒くなっているのも、嫌になるほど見せつけられた。
「なん…………ゆう……」
体の力が抜け、ゆっくりと崩れ落ちていくのが分かった。抱きつくように自分の体に寄りかかられるが、もうその体からは体温が感じにくくなり既に死んでいる――正確には自分が殺した――ということを非情にも突きつけられたようだった。
「なんだよ、これ」
勝手に口が動いた。漏れた声は自分のものより幾分か低く、重みのあるものだった。だが、妙に自分の心境とシンクロし、込められた感情も理解できた。
「俺が殺した、のか」
認めたくない事実を口にすると、耐えられなくなるのが目に見えた。でも、言わずにいることなどできなかった。たとえ、それで心が壊れても。
「うあっ、ああっ……うああああっ!!」
感情のまま絶叫する。いろいろなものが崩れて壊れていくのが分かったがどうしようもなかった。否、もうどうでもよかった。もうすべてがくだらなく思えて仕方なかったのだ。
「ああああっ……はあっ、はあっ」
自分の絶叫で目をさらに見開いたとき、目の前にあったのは見慣れた天井だった。燃えてもいなければ化け物もいない、住み慣れた我が家の自室の布団から見上げていた。
「夢、だったのか……」
聞きなれた声で自分の言葉を発する。だがその自分の言葉にさえも、勇刀は肯定することができなかった。




