其の参:彼が彼女に釣られたとき
優梨が偽った時間、八時が過ぎた。当然、二人とも遅刻せず、教室でたっぷりある時間を潰していた。
本来は、余裕のある穏やかな時間だったが、勇刀の心中はまったく穏やかではなかった。
「俺、あんなきれいな土下座初めてみたぞ」
「うるさい」
「大人になったら参考にさせてもらうよ」
「すんな! というか、そんな状況にならないようにしろよ」
「さすが。やっぱり言うことが違うよ、土下崎は」
「土下崎言うな!!」
その理由はクラスメイトからの執拗な「土下座いじり」だった。土下座した際に聞こえたシャッター音は気のせいでもなんでもなかった。ばっちり撮った優梨は、クラスメイト全員にしっかり送っていたのだ。だから、朝っぱらから勇刀はクラスメイト全員のネタにされ、先程のようにしつこく弄られていたのだ。
「一体何のつもりだ、優梨。なんか俺に恨みでもあんのかよ?」
「別に。恨みなんかないわよ」
「じゃあなんでだ?」
張本人に問うても、携帯端末片手にどうでもよさそうに答えるだけ。それでもじっと睨んでいたら、端末を閉じて面倒臭そうに視線を返してくる。
「ただあんたがおもしろいもの見せてくれたから、みんなに伝えてあげただけ。あんただってネタになりそうなもの見つけたら、友達との話で口に出すでしょ」
「いや、規模が違うからな」
何を当たり前のことを、とばかりの口調で彼女は言う。その言葉の意味は分からない訳ではない。
だが、それはあくまで数人程度の他愛のない話だ。優梨はクラスメイト全員に、半強制的なかたちでネタを提供しているのだ。
さらに言えば、勇刀がネタにされるのは今回が初めてではない。優梨はほぼ毎日のペースで、勇刀関連の何かしらのネタをクラス中にばらまいているのだ。お陰で、勇刀のクラスでの立ち位置は全員の弄られ役となってしまった。
「毎度毎度ネタにされる俺の身にもなってくれよ」
「うん、無理」
懇願に近い言葉を、最高の笑顔で一刀両断された。中学校での勇刀の立ち位置は不動のものとなった。
「何やってんだぁ。ホームルームはじめるぞ」
勇刀の目元が無意識にピクピクと動いたとき、ガラガラっと音を立ててドアを開いた。
入ってきたのは担任である、無精髭を生やした二十代後半の男性だ。寝ているようにも見える目と気の抜ける声のせいで、やる気がないと思われるのが最近の悩みだ。
「さっさと席につけ。……あと、土下崎もさっきからうるさいぞ」
「篠崎ですけど」
担任のノリに勇刀は淡々と返す。生徒だけでなく先生にも回す優梨の周到さに、毎度毎度感心させられる。悪い意味で、だが。
勇刀は今日一日は「土下座いじり」が続くことを覚悟した。
「……むぅ」
別世界へ行っていた意識を呼び戻したのは、頭部への軽い衝撃だった。おもむろに顔を上げれば教室にはクラスメイトの姿がほとんど消え、屋外から聞こえる威勢の良い掛け声が放課後であることを告げていた。
「おはよう。午後の授業全部使っての睡眠はさぞ気持ちよかったでしょうね」
「えっと……すまん」
皮肉るような声に視線を向ければ、まったく笑っていない幼なじみの顔があった。とりあえず素直に謝っておく。
「まあいいわ。鈍器を探しにいく手間が省けたし」
「本当にすいませんでした」
謝って正解だった。危うく永遠の眠りにつくところだった。
「で、なんで俺をわざわざ起こしたんだ」
流れを切るように勇刀は問う。そもそも放っておけばよかったのに、鈍器を使おうとするまで自分が起こしたのにはなんか理由があるはずだ。嫌な予感しかしないのが本音だが。
「いや、たまには一緒に帰ろうかと思ってね」
若干上目遣いで言うと、もともと美形な方だった顔が視界でより強調される。いつもとのギャップもあって、どこか魅力的にも見えた
「本音は?」
「寺の掃除を手伝え」
たった一言で崩れるくらいの猫かぶりならするな、と勇刀は本気で言いたくなった。語尾が命令形になっているということはもう強制なのだろうか。
「別にただって訳じゃないわよ。お父さんが京都で羊羹もらってきたから、自由に食べていいって」
「お供させていただきます」
結局はギブアンドテイク。働きに見合った報酬が得られるなら断る必要はない。ありがたくご馳走になろう。
となれば、ゆっくりしている必要もない。
迅速に教科書類を鞄に突っ込み、早足で下駄箱に向かい、手早く靴を履きかえて、飛び出すように校門を出た。
今の彼の頭の中には羊羹しかなかった。
優梨もそんな彼に追いついてほぼ同じペースで歩いている。その中でわずかに緩んだ口元が妙な色っぽさと不気味さを放っていた。
「あの二人って実際どうなの?」
「う~ん、微妙なところじゃない?」
二人が校門を出て少し時間がたったところで、休憩中の女子ソフトボール部の部員数人がひそひそと言葉を交わす。彼女らは勇刀らと同じクラスの二年生で、話題に上がっていたのもその勇刀と優梨に関してだった。
他人の恋愛話を面白がったりするのは、やはり女子の方が顕著なようだ。
幼なじみとは言え、互いに一番親交が厚いであろう二人なのだ。異性として特徴が出だすこの時期には何かしらあってもおかしくないだろう。
「うーん。でも正直なところ、なんか篠崎君が優梨に振り回されてるかわいそうな被害者にしか見えないんだよね」
「ああ……うん」
だが、現在の二人の状況を説明するには、それが一番適切に思えるのが現実だった。




