↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/34

第33話 黒縁眼鏡②

 猫柳の作品は、いつも通り『ざらついたフィクション小説』だった。武藤は黙って物語を読み進める。

 確か、猫柳は「武藤くんの名前を貸してほしい」と言っていた。だからだろうか、一人称の視点なので地の文は“俺”なのだが、周りのキャラクターが『武藤』『武藤くん』『武藤さん』などと声をかけてくる。それがどこか読んでいてこそばゆい。全部、猫柳に呼ばれているような気がして。

 誰かが「武藤くん」と声をかける度に、脳内でその声が猫柳のものに自動変換されるのだ。読みにくいったらない。また名前を貸せと言われたら、絶対に断ろうと武藤は決心した。






 猫柳は武藤の作品のページを開く。たった1ページで、しかも数行。とても短編とすら言えない短文。



 理解不能な感情の発生について。

 結論から言えば、発生そのものの否定はできない。

 有意な変化が継続しているものだからだ。

 一時的なものではない可能性があり、常に流動的である。

 注意深く観察しても、掴もうとしても、水のように零れていく。

 論理では説明がつかない、それが“感情”だからだ。

 うまく言語化できない。きっとこれも“感情”の成せる業だ。


 【シュレーディンガーの猫】



 なんだろう?と猫柳は小さく首を傾げた。武藤らしい文章といえばそうだが、どこか違和感が拭えない。シュレーディンガーの猫、というペンネームだと武藤は言っていたが……本当はタイトルなのではないか?

 シュレーディンガーの猫。箱の中に入っている猫は、生きているか、死んでいるか。それは箱を開け、第三者に観測されるまで確定しない。観測できない状態では、その箱の中には『生きている猫』と『死んでいる猫』の両方が存在している。確かそういう理論だったはず。

 武藤は“感情”を『シュレーディンガーの猫』に見立てているような気がした。開けてみないと分からない、感情が入った『箱』。しかも感情は無形物だから常に変わっていて、『生きている』か『死んでいる』かの二択どころじゃない。そして、心の箱は、自らが開けて見せないと誰にも観測してもらえないのだ。

 きっとこの文章は、武藤が自分で開けた『箱』なのだろう。しかし。


(なんか……まるで俺のこと、書かれてる気がしてきた……)


 猫を被った猫柳。その中の“感情”は、被った皮の下を覗かないと分からない。そう言われてる気がして、少しだけ鼓動が早くなった気がした。

 しかし、まだ何か違和感が消えない。引っかかりを感じるのだ。武藤のことだ、きっとこれだけじゃないのだろう。絶対に見つけてやる、そう気合いを入れて、猫柳はそのたった1ページの文章を何度も何度も繰り返し読み込んだ。







 物語も終盤に差しかかった。今回のテーマは『青春』……なのだろうか?と武藤は考える。恋愛小説とも少し違う。猫柳の小説全体を見ていつも思うのが、『何が言いたいのか分からない』だ。

 小説というものは、文学であれライトノベルであれ、現実世界でも異世界転生でも、どれにしても『テーマ』がある。たとえば、主人公が仲間と共に成長して魔王を倒す、でもいいし、異世界に転生した会社員が、己がもともと持つ営業スキルを駆使して成り上がっていく、というのもテーマといえばテーマだ。

 何巻も出ているような小説だと先が読めないので、最終的な着地点は終盤にならないと分からないことが多いが、文芸誌に載せるような短い小説では、起承転結がハッキリしていないと、小説として成り立たない。

 そして『ぽんず』の作品は、起承転結の起こそあれど、あとは結構いい加減だ。起承転結ではなく、起承承転結の時もあれば、起転承転承、で終わることもある。これは東雲朔夜の時からそうだった。だから、小説としてはいつまで経っても下手くそで、だけど手触りだけは、こんなに愛おしくて。

 今回の終わり方など、こうである。


「――あ、春希くん!」

そう呼ばれて、俺は振り返った。


 <完>


 振り返って、どうしたんだ?なぜそこで終わる?だから下手猫って言いたくなるのだ。しかし。しかしである。


(……春希……って、)


 文芸誌を持つ手が、僅かに震えた。







 猫柳はまだ考えていた。小難しい男の思考を探るのは難しい。法学部に在籍している誰かさんなんて特に。引っかかりの正体が分からない。絶対に何か隠してる、それだけは分かるのに。

 最後まで気づかずにいたら、また「馬鹿猫」と揶揄われてしまうではないか。「こんなことも分からないとはな、駄猫め」まで言われそう。そこまで想像して猫柳はちょっと泣きそうになった。

 もう一度、文章を読んでみる。今度は音読だ。ただし、声は出さずに、空気だけを吐くようにして。


 理解不能な感情の発生について。

 結論から言えば、発生そのものの否定はできない。

 有意な変化が継続しているものだからだ。

 一時的なものではない可能性があり、常に流動的である。

 注意深く観察しても、掴もうとしても、水のように零れていく。

 論理では説明がつかない、それが“感情”だからだ。

 うまく言語化できない。きっとこれも“感情”の成せる業だ。


(……ん……あれ?)


 口にして初めて気がついた。最初の一音が気になる。もう一度、口を動かしてみる。

“り・け・う・い・ち・ろ・う”。

 なるほど縦読みか。猫柳はそこで一瞬無言になった。傍から見ればずっと無言なのだが、口を噤んで猫柳が眉を顰める。なんとなく分かるような、だけど何かがおかしいような。あと少しなのに喉から出てこない、この気持ち悪さ。

 読み方がおかしいのか。武藤ならどういう意地悪をしてくる?縦読みに気づくのまでは想定済みだろう。となれば、あとは文字の読み方。

 「理」は「り」または「ことわり」。「結」は「けつ」または「ゆう」「むすぶ」。「有」は「ゆう」か「あり」だが、今回は「う」だ。

 そうやって一文字ずつ解体していく。次の文字は……と「一」という漢字を見た時、猫柳の思考はぴたりと止まった。


(『一』……これだけでも“いち”だけど、下の『注』と合わせても“いち”……)


 すべてが繋がった。やはりこれは縦読みが正しい。そして読み方を変えなければならないのは、「結」だ。

“り・ゆ・う・い・ち・ろ・う”

 これが正解だ。そして――――



「「 なんで知ってんだよ!! 」」



 武藤と猫柳が文芸誌を床に叩きつけたのは、同時だった。肩で息をして、収まってきた頃にチラ、とお互いに目配せする。

「ねぇ……武藤、春希くん」

「なんだ……猫柳、隆一郎」

 改めて名前を呼び合って、ぷっと同時に吹き出し、二人揃ってゲラゲラと笑った。原稿の中身なんて知らない。武藤など、猫柳が知る前にもう提出済みだった。なのに、まさかやってることが同じだったとは。

「やばっ、笑いが、ふひっ、止まんな…ッ、あっはははははははは!!」

「な、んで、ははっ、ここが、被るんだ!腹いてッ…あははははは!!」

 ヒーヒーと二人、ソファで笑い転げる。時には腹を抱えて、あるいは肩を、背中を叩きあって。腹の底から気持ちよく声を上げて、二人は思う存分笑いあった。



次回へ続く!!

☆面白かったときは評価や感想、レビューなどお待ちしています☆

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。