第31話 東雲朔夜③
図書館の出入り口近くにある、レンガ造りの花壇。そこに腰かけて猫柳はぼんやりと中空を見つめていた。ひらりひらりと舞う雪の冷たさも、今はあまり感じない。ただ、鼻先に当たった雪が溶けたときに、寒いな、とは思ったけれど。
そんな猫柳を、人影が覆った。ふと見上げると武藤が立っている。どこか困った表情をして。……いや、困らせているのはきっと自分だ。
すっと立ち上がり、武藤の横をすり抜けて去ろうとしたその背に、声がかかった。
「待て。……東雲、朔夜」
思わず立ち止まる。それが答えとなってしまった。
「やっぱり、本当は知っているんだな、猫柳」
「さあ……ちょっと心当たりないなぁ……」
「誤魔化さなくていい。もう俺は分かってる」
「え……?」
振り向くと、まっすぐに射貫くような視線で武藤がこちらを見ている。今の言葉をそのまま受け取るなら、もうバレているということか。
「……どうして、気づいたの」
「ぽんずの小説を読めば分かる。どれだけ長いこと、お前の小説を繰り返し読んできたと思っているんだ」
「それって……」
「東雲朔夜でも、ぽんずでも、ペンネームに大した意味はない。ファン歴の長いコアなファンなんだぞ、俺は。なにせ中学2年の時からだからな」
腕組みをして、武藤は少し得意げに胸を張った。
「ははっ……中学2年って……俺が書いたやつ、最初っから読んでたんだ……?」
「そうだな。初めてお前の……東雲朔夜の小説に触れたときから、ずっとその作品に描かれている感情が好きだった」
「……そんな理由で?」
「普通、フィクションに作者の意図が入ることがあったとしても、ああまで感情が分かりやすく見えることはない。正直に言うと、小説としては下手な部類だ」
「うぐっ……」
「……だが、お前の作品に見え隠れしていた、お前の感情……悪くなかった。他にそんな作品は読んだ覚えがなくてな、これがお前の『作風』というやつなんだろう」
少し俯いて足元の砂を蹴りながら、武藤が静かに話す。
「そして、俺は何も知らないままお前と出会い、お前を知り……好きになった」
「えっ……?」
次に顔を上げた時、武藤は東雲朔夜の小説を撫でていた時と同じ、愛おしいものを見る目をして、猫柳を見つめていた。
「俺が愛していたのは、初めからお前だったんだな。……猫柳。」
あまりにも衝撃が大きすぎて、猫柳は何かを言おうと口を開けたり、でも言えずに閉じたり、それだけを繰り返していた。何をどう伝えればいいのか分からないのだ。
ただ、とくん、とくんと心臓は主張している。お前のことだぞ、と。今お前は、武藤の心からの言葉を受け取ったんだぞ、と。
(……つまり、俺が東雲朔夜だと知る前から、武藤くんはずっと俺を見てたってこと……?)
やはり言葉にならない。ずるずるとその場にしゃがみ込んで、猫柳は頭を抱えた。
「ダメ。頭がパンクしそう」
「俺はそんなに難しいことを言ったか?」
「言ってない。言ってないけど……もう、ずるいなぁ……」
顔が熱い。こんな姿を武藤に見せたくなくて、しゃがんだ膝に顔を押し付けた。嬉しい。心がこんなに喜んでいる。でも、その表し方が分からない。ずっと猫を被って生きてきたからか、笑うのが正解なのか泣くのが正解なのかすら判断がつかない。
「どうしよう……俺、武藤くんを逃がしてあげられなくなっちゃう」
「別に逃げたいと思ったことはないが……」
ザッと地面を擦る靴の音がして、猫柳がちら、と視線だけで見上げる。穏やかな顔をした武藤が、しゃんと立て、とでも言うように手を差し出していた。
「フィールドワークは全力で逃げるぞ」
「……あははっ、武藤くんがそう言うなら、」
武藤の手に掴まり、猫柳は勢いをつけて立ち上がった。
「全力で捕まえる。」
顔を近づけ、にんまりと笑う。次のフィールドワークも絶対に連れ出してやる。あっはっはと笑いながら、武藤に正面から抱きついた。
「何度も言うが、俺は法学部だ」
「そんなの知ってるよ。でも、そんなの別に関係ないよね?」
「あるに決まってるだろ、馬鹿猫!!」
ばしんと強く背中を叩かれて、猫柳は武藤を解放すると痛そうに背中をさすった。
「武藤くん、容赦ない……。これって愛する相手にする仕打ち?」
「“そんなの別に関係ないよね”」
「棒読みやめて!!」
「ふっ……ははっ」
穏やかに、でも我慢できなかったように武藤が笑う。こんなにも互いの感情が分かりやすかったことに今さら気づくなんて、本当にどうかしている。
「帰ろうか、民俗猫」
「何それちょっと新しいね!?」
そして、それでも変わらなかったこの関係に、二人は心から感謝した。
次回へ続く!!
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