第17話 一冊目の文芸誌①
「ねぇ、武藤くん」
「なんだ」
それは、ある暑い夏のこと。世間はすっかり夏休みだ。なのに二人は今、文芸サークルの部室にいた。ブゥン……と慰めのように、古いエアコンがほんのり涼しい風を届けている。
「武藤くんは小説とか書かないの?」
「最初の自己紹介でも言ったと思うが、俺は“読み専”だ」
猫柳が一生懸命パソコンと睨めっこしている傍で、武藤は悠々とソファに座り、過去の文芸誌を読んでいる。
「みんな、家で書いているんだろう?猫はどうして家じゃないんだ?」
「うーん……武藤くん、あの部屋見て、俺が集中できると思う?」
「思わんな。むしろレポートができてること自体が驚きなぐらいだ」
「じゃあ、この状況わかるよね!?」
「ああ、分かる。お前が『文芸誌の締め切り』に追われていることはな」
武藤はいつも思う。どうしてこの馬鹿猫はギリギリにならないと動かないのか。サークルでも夏コミ合わせの文芸誌の原稿締め切りは早めに告知されていた。
「で、武藤くんはどうしてここにいるのさ」
「どうしてって……文芸誌を読みに来てるだけだが?今日はお前以外にメンバーが来てないから、騒がしくなくて助かっている」
「もしかして、今までも結構ここにいた?」
「そうだな。部室が静かな時は大体いるぞ」
「気づかなかった……!!」
がくりと猫柳が項垂れる。確かに1回目のフィールドワークより以前は、あまり武藤は視界に入るタイプではなかった。だけど、今となってはなんと勿体ないことをしていたのだろうと悔やまれる。
なぜだか武藤の傍はとても呼吸がしやすい。今まで猫を被って生きてきた自分にとって、武藤という男の存在はどこか安心できるものだった。
どさどさと、数個の段ボールが部室内に運ばれてきて、部長である柿原が言った。
「夏コミ合わせの文芸誌ができたぞ~!」
その言葉に部員たちがワッとテーブルに群がる。珍しくその中には武藤も混ざっていた。今まではコミケで頒布されているものを買うだけだったが、今回は『出来上がってすぐのもの』が見られるのだ。顔には出さないが武藤だってわくわくする。
ビーッと段ボールのガムテープが剥がされ、箱が開けられた。新しい紙とインクの匂い。箱の中に凝縮されていたその香りがブワッと広がるように感じて、武藤は半ば呆然とそれを見ていた。中に詰まった本たち。新しく出来上がったばかりの文芸誌。
「はい、武藤くん」
すっと本を差し出され、武藤がハッと気がついたように顔を上げる。そこにはにっこりと笑みを浮かべた環が立っていた。
「読み専の武藤くんに。はい、最初の一冊。しっかり講評してもらうからね?」
「ええ……?あの話、本当だったんですか……?」
「もちろんよ。“読みたい”だけでこのサークルに入ってきたの、たぶん武藤くんが初めてなんじゃないかな?それだけたくさんの小説を読んできたんでしょ?期待してるんだからね!」
「でも俺、読むっていってもフィクション小説ばっかりなので……もし、エッセイとか評論とか哲学とか、そういうのが入ってたら、ちゃんと意見が言えるかどうか……」
「なるほどねー。うーん、でも今回はほとんどフィクションばっかりだから大丈夫だと思うわよ?今の4年のアホに評論とか哲学とか無理ゲーだから」
「聞こえてるぞ、環!」
柿原の鋭い指摘に「やべっ」と言って舌を出した環は、本を武藤に手渡すと、また部員の輪の中に戻っていった。手の中に残った文芸誌。コミケはまだ先だ。
このサークルでは、完成した本はまず部員に手渡すべし、というルールが設けられているらしく、イベントに直接搬入はせずに、もう少し早い時期に印刷に出して、こうして大学に届くようにしている。その方が印刷代も安くすむそうだ。
武藤は自分のカバンの中に文芸誌を押し込むと、さっそく読むべく部室を出ようとした。その背後から聞きなれた声がかかる。猫柳だ。
「あれ?武藤くん帰るの?」
「ああ。この騒々しさではじっくり読めないからな。家で読むことにする」
「やっぱり武藤くんって、武藤くんだよねー」
「……どういう意味だ?騒音猫」
「えっ、なんで今悪口言われたの、俺!?」
「悪口じゃない。事実を言ったまでだ。だいたい部室が騒がしい時はお前がいるからな。そういうわけで俺は帰る。じゃあな」
「うーん……じゃあ、俺も帰ろうっと」
「は!?」
まさかついてくる気なのかと思い、恐る恐る後ろを振り返ると、にこっとした笑みを浮かべて、猫柳がボディバッグを手に駆けてきた。ちゃんと手には文芸誌を持っている。
「……うちには来るなよ」
「まだ何も言ってないじゃん!?」
「今日の俺は一日、この文芸誌を読み込むのに費やすんだ。邪魔をするな」
「えー、じゃあ、邪魔しないから、行っていい?」
「やっぱり来る気だったんじゃないか……」
「だって武藤くんちって、見た目はアレだけど、すごく居心地がいいんだもん」
「見た目がアレなのは余計だ。しかし……お前がいるだけで気が散る」
「じゃあさ、武藤くんは文芸誌を自分の部屋で読めばいいじゃん。俺はリビングのソファにでも寝っ転がって読むからさ」
「意地でも来るのか……迷惑猫め」
一度レポートを書かせるために家へ招いた結果、週に1~2度、猫柳が遊びに来るようになった。別に何かをするでもなく、ただゴロゴロしに来るだけ。しかも、うまく武藤のバイトの時間を避けているのが腹立たしい。そもそもどうしてバイトの予定を知っているのか。
その答えを、猫柳は意外とあっさり白状した。
「古書店の店長さんに訊いたら教えてくれたよ?」
店長……シフトは個人情報じゃないのか……?そう心の中で武藤が嘆いたのは当然のことであった。
次回へ続く!!
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