第1話 プロローグ①
こちらは、2026年4月まで掲載していた『化ける猫と黒縁眼鏡』を全面的にブラッシュアップし、追加エピソード・後日譚を加えた完全版です。
ストーリー展開は大きく変わりませんが、追加エピソード+後日譚も載せたものになります。
以前のものを読んでくださっていた方にも、新鮮な気持ちで読んでいただけると嬉しいです!
【“恋”を知った、或る読者の話】
俺は今、恋をしている。
相手は人じゃない。小説だ。
まるで『無機物』に惚れた変人だろう?
しかし、俺はそれを否定する。
物語には作家の感情や思想が入る。
そして、それらは『人間』が持つ。
だから――――俺のこの気持ちは、恋と定義していい。
これは、武藤という男がある大学に入る5年前の話である。
彼は読書が好きであった。趣味の範囲とするには少々度が過ぎている。
小学生の頃から図書室や図書館に入り浸り、いわゆる『フィクション小説』……物語を読むのが大好きで、その場で読み、借りて読み、気がつけば虚構の物語とも呼べるものは、ほぼ網羅していた。
だが、彼はあくまでフィクションが好きなのであり、ノンフィクションや、エッセイ、哲学書、評論などの類には一切興味がなかった。作家の脳が作り上げる幻想、書き手本人の感情の見えない、つるりとした文章の手触り。それらが紡ぎ出すストーリーをこよなく愛していたのだ。
その条件さえあれば、文学小説であろうとライトノベルであろうと、彼はまったく気にしない。個々の作家独特の表現、構成、文章。フィクションならば、同じ作家でも手触りが変わる。その変化を楽しむのもまた一興。そうやって武藤という少年は少しずつ成長していった。
ところが、ここで問題が生じた。
「……どれも読んだ本ばかりだ……」
図書室や図書館には、定期的に新刊が入りはするけれど、乗り遅れたら借りる順番待ちが長くなる。なので、特に図書館では入荷予定の本には、1番で予約を入れるくらいの素早さをみせていたが、逆に言えば常に『入荷待ち』の状態に陥ってしまったのだ。
すでに置かれている本はとうに読み尽くした。繰り返し読みたくなる本には、あまり出会えていない。
「……どうしようかな」
しかし、中学2年の夏。友だちから聞いたある場所に光を見出すこととなる。
巨大な展示場を借り切っての年に2回のお祭り。
そう、コミケだ。
とんでもない人混みと呼び込みの声に辟易しながら、文芸ジャンルの場所まで辿り着くと、そこは他より少し落ち着いた雰囲気で、武藤は知らずホッと胸を撫で下ろしていた。
机の並びを左右に見ながら通り抜けていく。文芸といってもジャンルはたくさんあるようで、フィクション小説もあれば、エッセイや評論、哲学、更には趣味を突き詰めた研究レポートのような本を出しているところまである。だが、己の求めているものはそこではない。
小遣いのことを考えると、あまりたくさんは買えない。個人が少部数刷ったからだろうか、1冊の単価がそれなりなのだ。もちろんここまですべて自分でやった対価と考えれば妥当だとも思うが、それにしたってこれでは5冊買うのがいいところだろう。
悩んでいると、ふと、とあるスペースが目に入った。
「あ……」
それは、他のスペースにある本と比べるとかなり分厚い本……というより文芸誌のようだった。表紙も中の紙もペラペラで、けれどそれすらも魅力的だった。
「わあ……」
その本の中にはたくさんの作家がいた。ざっと見た限りでも10人以上はいる。エッセイは少しあるようだが、評論や哲学論などはないようだった。
「お、なんかちっこいのが来てるな?ゆっくり見てってくれな」
「あ……あの、この本、なんでこんなにたくさんの作家さんがいるんですか?」
「ああ、これはうちの大学の文芸サークル……まぁ、俺らのことなんだけどな、その部員が書いたものを1冊にまとめたものなんだよ」
自分よりずいぶん体格の良い男がのそりと現れて、細々と文芸サークルが出す本の基本を教えてくれた。なるほど、1冊単価はそれなりだが、こういう形なら1冊でそれだけたくさんの作品を読めるということだ。
これはむしろラッキーなのではないか?
「すいません、これを1冊ください」
「おっ、ありがとうございまーす!」
手にしていた本を指して言えば、テーブルを挟んだ向こうにいる男は、にんまりといい笑顔を見せたのだった。
そうして、他にも違う大学が似たような文芸誌を出しているのを見つけると、それらも吟味し2~3冊手に入れ、ホクホクしながら武藤は家へと帰ったのだった。
家に帰り、武藤は自室にこもるとリュックを机の上にそっと置いた。この中にはお宝が山ほど入っているのだ。
図書館にあるようなハードカバーでも文庫でもない、不思議な大きさ、形式の本。そしてそこにはまだ未知の物語が溢れている。
武藤はいそいそとキッチンでカフェオレを淹れる。角砂糖は2つ。牛乳は多め。そうして部屋に戻って、リュックから本を出し机に置くと、椅子に座った。
(……よし。)
準備は完了。読書時のお菓子は厳禁。こぼして汚したら大変だ。カフェオレを入れたマグカップも少し遠くへ離してある。完璧だ。
それを確認して満足すると、重ねて置いた中の一番上の本を手にしたのだった。
最後の一冊、と手に取った本は、今日買った最初の一冊だった。そういえばこれを買う時に、文芸誌というものを教わったのだったなぁ、と武藤は表紙を見ながらあの時のやり取りを思い出していた。
時間はあっという間に過ぎて、気がつけば外は真っ暗になっていた。立ち上がって武藤はカーテンを閉めると再び椅子に戻り、最後の一冊のページを開いた。
大学生の作品とはいえ、やはりみんなフィクション小説の作りがうまい。手触りが綺麗だ。
まるで全部が作り物みたいに、つるりとしている。この感触が楽しくて武藤はフィクション小説を愛していると言っても過言ではなかった。
作家ごとに色はあるが、全体を通して言えるのは、つるりとした感触だ。虚構のコーティング。手触りがよく滑るほど、心地よい気分が味わえた。
ところが、ある作品を読み始めたとき、手触りに違和感を覚えた。最後まで読んだが、他の作品と比べると物語自体の出来はあまりに拙い。少年漫画のようなノリをした冒険小説。普通に考えたらこれは完全にフィクション。
それなのに。
(……なんだこれ。)
ちゃんとフィクションのはずなのに、どこかざらりとしている。こんな手触りは初めてだ。ページを前に戻し、もう一度冒頭から読み直す。それでも、このざらりとした感触は手の中に残った。
他の作家の作品も読み返してみるが、ざらりとした独特な感触は、この1作だけだ。最後にもう一回だけ、感触の違う作品を辿る。
確か、友だちに聞いた話では冬にもコミケがあったはず。同じ大学の文芸誌なら、新刊にも載るのではないかと思い、武藤は冬も訪れようと決めて作者の名前と大学名を頭の中に入れた。
「東都翠陵大学……東雲、朔夜。」
これが、この先“恋”をすることになる“小説”との出会いだった。
次回へ続く!!
☆面白かったときは評価や感想、レビューなどお待ちしています☆




