4 陛下と朝食を
分厚いカーテンから陽が差し込むのを感じる。
ここ数日は毎日朝起きる度に寒さと戦っていたのだけど、今日はなんだか身体の内側からポカポカするような心地だ。
それもそうだろう。最近いつも起き出すのは陽が昇るずっと前。石造りの城はたとえ分厚いカーテンで遮られていても冷える。
……と、そこで私の意識が急に覚醒した。
駄目だ。完全に寝坊した!
バタリ、と掛け布団をはねのけようとしたところで、トン、トン、トンというドアを叩く上品な音がする。
そこで私は慌てて、乱れた布団を直す。寝坊も怒られるが、王女様らしくない振る舞いも怒られるのだ。
とはいえ、すでにあの「バタン」という音は外にも聞こえていただろう。
(どうしよう……また怒られる……)
と朝から顔を青ざめさせた私だが、意を決して告げた
「入ってください」
私の声に呼応するように寝室に入ってきたのは、昨日寝支度を整えて暮れた年嵩の女性だった。
「改めましてエマ王女殿下。わたくしは国王執務室付きの女官で、ソフィーと申します。これから数日間貴方様のお世話をさせていただきます」
「ソフィーさん? こちらこそよろしくお願いします。……ところでいつもの方々は?」
昨日に引き続き、専属の侍女に代わりやってきた彼女。思わず私が口に出した疑問に、ソフィーさんはふわりと微笑んだ。
「王女殿下付きの侍女たちでしたら、昨日付けで全員配置転換となりました。すぐに新しい侍女の手配を行う手筈なのですが、それまでは私と、私の部下がお世話に参ります」
「は、配置転換? も……もしかして……」
昨日、私がやらかしたからその責任を取らされて……
思わず顔を青ざめさせる私。けどソフィーさんはそんな私にゆっくりと首を振ってみせた。
「彼女たちの異動に責任を感じる必要は全くありません。これは彼女たちの職務怠慢の結果。詳しくは陛下が説明してくださいます。とりあえず……朝食の時間が迫ってますのでお召替えを、と思うのですが……」
「は、はい! お願いします」
そうだ。私が起きたのは普段よりずっと遅い時間。そのことにあらためて気づき、飛び跳ねた私に、ソフィーさんは顔色1つ変えず、私の着替えを始めてくれたのだった。
明るい黄色のドレスに着替えさせてもらい、東向きのサンルームへと向かう私。
いつもは寝室の続きの間で3食を取っていたのだけど、今日の朝食はそこで食べるのだという。
ドアを開けてもらうと、この国では贅沢な程に朝の眩しい光が飛び込んでくる。
思わず目を瞑った私がゆっくりと顔をあげると、そこではハインツ様が私を見て微笑んでいらっしゃった。
「へ、陛下? どうしてここに――」
朝の陽の光を浴びたハインツ様は、もはや1枚の絵のように美しい。
思わず挙動不審になってしまう私だけど、ハインツ様の声はどこまでも優しかった。
「おはようエマさん。ところで呼び方を間違えていませんか?」
「あ……え、と、ハインツ様。おはようございます」
「よろしい。あらためておはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
そう言ってハインツ様は少しばかりいたずらな表情をする。なんとなくだが、部屋の中にいるお仕着せ姿の人達も微笑んでいる気がした。
「はい。お陰様で……ぐっすり眠ることができました。むしろお寝坊してしまったくらい……」
「寝坊だなんてとんでもない。大体この国は陽が昇るのが遅いですから、貴族たちは大体遅起きですよ。エマさんはまだ旅の疲れもあるでしょう? 好きなだけ眠れば良いのです。さ、それはそうと、朝食を食べましょうか?」
そう言って、テーブルを示すハインツ様。テーブルを見ると、そこにはふかふかしてそうなパンにハム、チーズ。それに葉野菜のサラダと数種類の果物などが載っていた。
昨日は夜遅くにお夜食をいただいたが、それでもお腹はすでに空いている。
ただ、それはそれとして、その前に私は気になっていたことを口にした。
「あの……ハインツ様? とても美味しそうなのですが……私がご一緒してよろしいのですか?」
朝食は3食の中でも特に私的な時間だから、貴族の場合、夫婦でも別室で取ることが多いとか……少なくとも侍女達にはそう習った。
けれども、私が思わず不安そうな顔をすると、ハインツ様はゆっくりと微笑みつつ「もちろん」と言った。
「おそらく侍女たちにこの国の習慣を習ったのでしょうが……それは別に決まりではありません。実際私の両親はいつも一緒に朝食を取ってましたし……エマさんが嫌でなければですが……」
「嫌だなんて! ただ、その、ハインツ様にとって負担ではないかと……」
「全く。そこは気にしなくてよろしい。もちろん、忙しくてご一緒出来ない日もあるでしょうが、できるだけ私は貴方との時間を作りたいと考えています。あと、こうして一緒に食事をすれば、貴方にこの国の食事の仕方をお教えすることも出来ますしね」
「ハインツ様……!」
ハインツ様は昨日、私が食事のマナーを間違えて食堂から逃げ出したことを気にかけてくださっているのだろう。
よく考えてみれば、いつもの朝食の時と比べると使用人の皆さんの数が格段に少ない。本来護衛が大勢いるはずのハインツ様がいるのに、だ。
きっとこれもハインツ様の配慮だと思うと、なんだか心がポカポカしてくるのを感じた。
私はハインツ様と共に祈りを捧げてから、朝食を食べ始める。
一緒に食べる相手がいて、部屋の中にいる人達がみんなニコニコしているだけで、その味はすごく美味しく感じられた。
「エマさんはこのサラダが気に入りましたか?」
「はい! とっても新鮮で、ドレッシングも美味しいです。……でもこの時期の葉野菜って貴重なんですよね?」
ハインツ様に声をかけていただき、私はハッと我に帰る。
どの皿も美味しいし、どれを食べる時も美味しく食べていたつもりだったけど、実は表情に出ていたのかもしれない。
「別に好きなものは好きだ、と言っていただいて構いませんよ。少なくとも私的な場では……用意するのが難しいものはそうだ、と答えられる使用人を用意します。――それはそれとして、この葉野菜はそんなに貴重なものでもありません」
王の婚約者という立場でうっかり好き嫌いをいえば、周りにとんでもない影響があるのでは? とドキッとした私。
けどハインツ様は的確に私の不安を言い当て、取り除いてくださった。
「そう……なのですか? 好き嫌いも……葉野菜も……」
「もちろんです。人が大勢いる場ではそれ相応の振る舞いが必要ですが、それはおいおい学べることです。ずっと自分を押し殺しては心を病んでしまうでしょう?」
「ハインツ様……」
「そういうことです。それからこの野菜は、冬場にこの国で自生するものでして……癖が強いので上流の人間は嫌うものも多いのですが、口に合ったようで良かったです。私はその季節のものをその季節に食べるのが好きな質なので――」
「そうなのですね! 私も同じ考えです! その……他にも季節の食べ物について教えていただけますか?」
この国は前世の記憶にある世界。つまり日本と比べると季節の変化に乏しいけど、それでも食べ物で季節を感じられるのは嬉しい。
私が思わず軽く身を乗り出すと、ハインツ様は「もちろんですよ」と微笑んでくださった。
「例えば……この赤いベリーのジャム。これは冬場に取れる作物が少ないこの国では非常に重宝されているものです。冬になる前に収穫したベリーをこうして保存しておくのですね。少々酸味は強いですが……どうです?」
そう言うと、ハインツ様は一口大にちぎったパンにジャムを塗り、私の皿へ載せてくださる。
そのパンを頬張ってみると、確かに強い酸味とその後から脳を震わせるような甘みが押し寄せてきた。
「ハハハっ、酸っぱくて……甘いでしょう? 一冬超えるためにはそれなりの量の砂糖が必要なのです。たくさん砂糖を使いますから希少な品ですが……同時に我が国の民にとって欠かせない食べ物です」
「そうなんですね。とっても美味しいです!」
「良かった。あと、冬といえば保存食ですね。この魚の燻製なんかも冬の食卓によく登場しますよ……」
そうして私はハインツ様に、この国の冬の食糧事情を伺いつつ朝食を終える。
テーブルの上が片付けられ、お茶だけになったところで、ハインツ様は「さて……」と少し真面目な顔を作りそれからパチンと指を弾いた。
途端、ボワンとテーブルの周りに薄い膜が貼られる。それが音や視線を遮る結界術であることは、授業で習っていた。
「ところで、エマさん? 起きがけに軽く聞いたかもしれませんが……貴方の侍女については全員入れ替えることにしました」
「は、はい……!」
わざわざ結界を貼る、ということはそれなりに重い話なのだろう。思わず暗くなりそうな自分を叱咤し、ハインツ様に視線を向ける。
そんな私にハインツ様は一旦表情を緩めてみせてくださった。
「そんなに構えなくても構いませんよ。まあ……あまり楽しい話ではありませんが、彼女たちの解雇の原因は貴方ではありません。理由は主に2つです」
「2つ……ですか?」
私が反芻すると、ハインツ様はゆっくりと頷きを返してくださる。
「ええ……まず1つは貴方の予定を勝手に変更したこと。これは首謀者が筆頭侍女のベルタであることが把握出来ています。貴方は私の婚約者で常に厳重な護衛が必要な身です。そんな貴方の予定を勝手に変えるのは、それだけで一発アウトなのですよ」
「そ、そうなのですね……っ! ということは……」
私はとんでもないことをしたのでは? 思わず顔を歪める私にハインツ様は笑みを浮かべたまま頷いた。
「気づいてくださったようですね。昨夜のことは仕方ありませんが、これからはいかなる事情があっても侍女や護衛から逃げるようなことはしないでください。……心配せずとも、昨日の侍女や護衛をその点で罰するつもりはありませんので、これ以上気に病む必要はありません。ただ、今後は肝に命じていただければ」
「はい、ハインツ様」
ハインツ様の言葉に私は神妙に頷く。私がなにかやれば、罰せられるのは自分でなく周りの人間。私はそのことをあらためて頭に叩き込んだ。
「よろしい。それから……こちらの方が問題なのですが2つ目の理由。貴方の元侍女達ですが、この国に対して反逆している可能性が浮上しました」
「反……逆……ですか?」
なんとも物騒な言葉に私は思わずぎょっとする。しかしハインツ様はよくあること、とばかりに飄々とした表情を浮かべていた。
「こればかりは謝るしかありませんが……私には敵も多く、中でも貴方を昨日いじめた宰相レイディアル伯爵の一派がその最たるものだったりします。この宰相一派が貴方の記憶喪失に関わっている可能性がでてきたのです」
「そ、それは……またどうして?」
「簡単に言えば、王国との融和を避けるためですね。輿入れ途中の王女が襲われれば、当然外交問題となる。多少こちらの国が不利になっても、王国と仲良くやるなどまっぴらごめん、という連中が宰相一派なのです」
「そんな……」
「彼らは自己保身欲も強いので、この国内であなたに危害を与えることは良しとしないはずですが……代わりにあなたが自分からこの国を出ていくよう画策したようです。正直油断しておりました……申し訳ない……」
「いえっ! ハインツ様が謝る必要など……」
そんな風に言うハインツ様に私は慌てて言い募る。
するとハインツ様は、「ありがとうございます、エマさん」と言って、ゆるく微笑んだ。
「エマさんの前世がどんな暮らしだったかはわかりませんが、おそらく貴方にとっては気分のよくないことも多いでしょう。ですが、こればかりは我々の持って生まれた義務です。……エマさんは前世の記憶があるからこそ、自分の『正しい』と思うこと、その感覚を大事にしてください」
「はい! ハインツ様」
政治など何一つ分からない私にとって、この世界はあまりにも厳しいけど、自分の感覚を大事にして良い、というハインツ様の言葉は心強い。
そこまで行って結界術を解くため指を鳴らしたハインツ様に、私はコクリと大きく頷いてみせたのだった。




