3 救世主、現る
自室に入った私はそのまま天蓋付きのベッドに突伏す。
こんな時でも、王女様のために設えられたベッドはふかふかだ。
でも今は、前世の記憶にあるスプリングも禄に効かなくなった安物のベッドが恋しかった。
一度思い出してしまうと止まらない。次々に蘇る前世の記憶に涙が溢れ出し、まるで子供のように声を上げて泣いてしまう。
きっと、私に呆れ返っているのだろう。侍女達が誰も様子を見に来なかったのが幸いだった。
そうして泣いていると、いつの間にか泣きつかれたのか、段々とまぶたが重くなってくる。
(いっそ、このまま元の世界に戻れれば良いのに……)
もちろん、元の世界で一度生を終えていると思われる私に戻る場所なんてない。
あまりに贅沢な望みだけど、この世界から消えてしまいたい……そう思いながら私は目を閉じた。
どのくらいの時間が経ったのだろうか?
誰かが側にいる。
燭台に火を灯したのだろう。部屋は周りが見える程度には明るいが、窓のカーテンの向こうは真っ暗なようで、今がまだ夜だと気づく。
と、そこで自分の側にいる誰か、が男性であることに気づく。
ゆっくりと目を開いて見れば、そこにいたのはハインツ様だった。
「ハ……陛下っ!?」
「ハインツ様?」と言いかけて慌てて私は言い直す。不敬だ、とまず直されたのが陛下の呼び方だった。
「今までどおりハインツで構いませんよ? エマさん?」
「で、ですが……」
「何を言われたのか想像はつきますが、私的な場では名前呼びの王族夫婦も多いです。むしろ、婚約者に陛下などと他人行儀に呼ばれた方が少々寂しいです」
「では……ハインツ……様……」
ハインツ様にそう言われ、私は小さな声で名前を呼ぶ。と、次の瞬間、私は恐ろしいことに気づいてしまった。
「へ、陛下!? 申し訳ございません。私……晩餐会を飛び出してきてしまいました! 陛下の留守を守れず……本当に申し訳なく――」
私は数時間前、晩餐会という国の公的な行事をほっぽりだしてここへ逃げて来たのだ。
ハインツ様がここにいる、ということはきっとそれについて連絡がいったのだろう。
とにかく謝らなければ、と私は慌てて床に膝をつき、頭も床につける。
私はハインツ様の叱責を覚悟したが、上から振ってきたのは温かい声だった。
「顔を上げて、ベッドに戻ってくださいエマさん。私は怒ってなどいません。怒っているとしたら不甲斐ない自分自身にです」
「へ、陛下?」
「また呼び名が戻ってますよ?」
「ハインツ……さま?」
「よろしい。さ、床に座っていたら膝を痛めてしまいます」
そう言われたものの、私は頭だけは上げたものの、立ち上がることは出来ない。
するとハインツ様は「失礼」と一言言ってから私の膝裏に手を入れて、軽々と私をベッドの上に座らせた。
「ハインツ様!?」
前世でもなかった経験に私の顔が思わず赤く染まる。そんな私にハインツ様は申し訳なさげに微笑んだ。
「すいません、足が震えていたようなので」
「い、いえ、ありがとう……ございます」
恥ずかしくはあったが嫌だった訳ではない。その意志をなんとか示そうと、私は何度も首を振る。
そんな私の仕草を見て、ハインツ様はまたも柔らかく微笑んでくださった。
「さて……それで今回のことですが……そもそもエマさんは今回の晩餐会は欠席するはずでした――エマさんにはゆっくりこの国に慣れていただくつもりでしたからね。ただ、その予定を誰かが勝手に変更したようです。謝るのはむしろこちらの方です」
「そ、そんな! ハインツ様は留守でしたし……」
「では、今回のことは忘れましょう。貴方の退席は『体調不良』だ、と明言してあります。私の留守を守ろうと、無理をしたもののやはり途中で体調が悪化した――なんの問題もありません」
ハインツ様はそう言い切ってくださるが、しかしあの場所には多くの人がいた。
思わず私が俯くと、「大丈夫です」と再び柔らかな声が降り、私の肩に大きな手が置かれた。
「エマさんに意地の悪いことを言った宰相は私と対立しています。彼の周りを固めていた貴族も然り。しかし、この国には私の味方もいます。――あなたの味方だってこれからきっと現れるはずです」
「ハインツ……様……」
「貴方の味方を増やせば増やすほど、貴方はこの国で有利になる。今回のことなど話題にも上がらなくなりますよ」
そうしてハインツ様はそっと私の手を握る。その手は私のそれより随分大きく、温かかった。
「明日から、またこの国のことを覚えていきましょう。ゆっくりで構いません。さ、そのために今日はゆっくりと寝て……と思ったのですが、その前にエマさん? お腹が好きませんか?」
「え、え……と……」
そう言われ、私は今日朝食以降ほとんど何も口にしていないことを思い出す。そうすると、途端にお腹がグーとなり、私は思わず頬を染めた。
「実を言うと……私は空いていまして、先程簡単な食事をお願いしておりました。視察先からは魔竜で戻ってきたのですが、これが以外と体力仕事で……」
私のお腹の音には気付かないふりをして下さったハインツ様は、コートの懐から小さなベルを取り出し鳴らす。
私も何度か見たことのあるそれは、魔法を使用した呼び鈴らしかった。
と、言ったことを思っている間にもドアがノックされる。
夜中だと言うのに、ピシリとした格好をした初老の男性がすぐに現れる。彼は、サンドウィッチのようなものとティーセットを載せたカートを押して部屋に入ってきた。
「ありがとう、エミール。料理長にも礼を」
「あ、ありがとうございます! エミールさん」
「どうぞ、お気遣いなく、陛下、王女殿下。私は席を外したほうが――?」
「ああ、そうしてくれると助かる」
「かしこまりました」
ハインツ様に続いて、慌てて声を張り上げて礼を言う私。
そんな私にエミールさん、という人はほんの一瞬頬をほころばせ、それからすぐにまたキリリとした顔に戻った。
そのままエミールさんが出ていくと、ハインツ様がお茶を淹れ、サンドウィッチを取り分けてくださる。
国王陛下にそんなことさせるなんてっ、と慌てて立ち上がろうとした私だけど、ハインツ様に目で制され、そしてそのまま食事が準備された小さなテーブルにエスコートされた。
「簡単に食べれるものをと思い、サンドウィッチを用意させました。手づかみで食べていただいてかまいませんよ?」
晩餐会での騒動を意識してか、ハインツ様は私にそう言ってくださり、そして自らサンドウィッチを一切れ口に運ぶ。
それから、さ、貴方も食べて? とハインツ様に促されて、私は取り分けられたサンドウィッチを一切れ口に入れた。
「美味しい! 美味しいですっ! ハインツ様」
フランスパンみたいだけど、それよりかは柔らかいパンに挟まれているのは、ハム、チーズ、レタス。
その上には、レモンのような味のするさっぱりしたドレッシングがかけられている。
シンプルだけど、素材の味がしてそれに奥深い。私は人切れ目を飲み込むと、思わずもう一切れに手を伸ばした。
「お口にあったようで良かったです……晩餐会ではあぁいった料理がでますが、本来のこの国の食事はこういった素朴なものなのですよ」
「そうなんですね。でも、本当に美味しいです。特にこのチーズなんて……前世も含めても一番美味しいくらいです!」
「それは光栄ですね。我が国の貴重な特産品ですからね。気に入ってもらえたなら何よりです」
そういえば、授業の中で山間部の多いこの国は、ヤギや羊の飼育が盛んで、これらの家畜から絞るミルクを使った乳製品が重要な特産品だと聞いた。
その時は、覚えることで必死だったけど、実際にこうして美味しいチーズを口にすると、一気に授業の中身が身近なものになった気がした。
そんなことを話しつつ食べていると、あっという間にサンドウィッチはなくなる。ハインツ様もちょうどサンドウィッチを食べ終えたようだった。
「さて、じゃあ今日は遅いですし、そろそろ眠ってください。きっとお疲れのはずです」
そう言うと、ハインツ様は再び魔法の呼び鈴を鳴らす。
すると、今度は濃い紺のドレスを着た年嵩の女性が現れる。年齢はいつもお世話してくれる人達と同じくらいだけど、初めて見る人だった。
「彼女の寝支度を――疲れているだろうか簡単に頼む」
「かしこまりました」
簡潔に、けど柔らかい声で指示を出したハインツ様は、それからこちらに向き直る。
そうして、
「では、お休みなさいエマさん。良い夢を」
といって、私の頭をそっと2度ほど撫でる。
私はその手の感触にほわり、としたものを感じつつ、
「お休みなさい、ハインツ様」
と返したのだった。




