2 前途多難なお妃教育
「レザリア辺境伯領はドーシェル山脈沿いにあります。魔法石の産地な上、山脈を挟んでソルシア公国と接してますので軍事上も重要な地域です」
「はい」
「現当主はこちら、ケーニヒ・キーシュタイン辺境伯。王国騎士団近衛第2小隊長、第21中隊長、西方面統括参謀を歴任後、退官し辺境伯を継いでいます」
「あ、あの! ヨハナさん? その情報も全て覚える必要が……あったり……」
「当然です。国境警備を担う辺境伯にとっていかなる軍務を行ってきたかは非常に重要。その功績を王妃殿下が知らない、というわけにはいきません。あと、何度も申し上げますが、侍女に敬称は不要です」
「あっ……ごめんなさい。つい……」
「そのすぐに謝る癖も早急になおしてください。威厳に関わります」
「はっ、はい――」
私のなんとも情けない返事に、私より10以上歳上のヨハナさんが眉間をギュッと寄せる。
けれども、これ以上の小言も時間の無駄と考えたのか、彼女は
「では続きです」
と簡潔に言って、領主名鑑のページをめくった。
前世の記憶を取り戻して5日。私は受験勉強以来、いや厳しさではそれと全く比べ物にならない缶詰教育を受けていた。
それもそうだろう。本来ここに来るまでにお妃教育を受けているはずだった私が、その記憶をすっぽりと忘れてしまっているのだから。
私はこの世界ではエマという名の王女様だったそうだ。
故郷はこの国、ルメイン王国の西にあるティエアル王国。
現国王の末娘だった私は、両国の友好のためこの国に嫁いだのだという。
ただし、ルメイン王国とティエアル王国は、過去に何度となく小競り合いを繰り返している微妙な関係。
ルメイン王家の兄妹の中で、私だけが愛人の子供だったこともあり、「実際のところは体の良い厄介払い」なんだとか。
……そんなことを侍女たちがコソコソと話しているのを聞いてしまったのは昨日のことだ……
まあ、それはさておき、そんな王女として持っているはずの知識、常識もすっかり忘れている私は、なんとかして『見られる程度』の体裁を早急に整えることを侍女たちから要求されていたのだった。
陽が登る前に起きて、朝食前に座学。そこから午前中は礼儀やダンスなどの実技的な授業。午後からは夕食を挟んで日付が変わる頃まで座学。
それだけ詰め込んでも侍女たちの求めるレベルにたどり着くまでは、相当な時間がかかる見込みらしい。
ただ、そんな中でも国王の婚約者としての仕事は待ってはくれないらしかった。
「晩餐会ですか? 私が?」
「もちろんです。本来は陛下とお二人で参加する初のご公務の予定でしたが、陛下が突発的な視察をしている以上、エマ様が陛下の分もその役割をこなさねばなりません」
「しかし……その私……まだマナーも知識も……」
王宮で開かれる晩餐会となれば、それなりの格式のはず。その上先程の説明では、晩餐会には宰相はじめ国の重要人物も多く出席するらしい。
そんな場所に出席するなどあまりにも恐ろしいが、筆頭侍女のベルタさんはそんな私を一蹴した。
「何を甘えたことをおっしゃっているのですか? あなたは陛下の婚約者なのです。何かありましたら我々がフォローしますので、あなたはこれまでの成果を出すことだけを考えてください」
「……わかりました」
あなたは国王の婚約者だ。そう言われてしまえば返す言葉はない。私は不安に胸を押しつぶされそうになりつつもベルタさんの言葉に頷くしかないのだった。
晩餐会、とはつまり正式な社交の場だ。その日お昼からの授業を急遽取りやめた私は、侍女たちによって念入りに飾り立てられる。
陛下の瞳の色に合わせた濃い紫のドレスに、値段が想像できないほどまばゆい宝石。
いずれも私には不相応に見えたが、陛下が婚約者のために用意していたものだ、と言われれば断れない。
前世であれば、結婚式くらいでしかしないであろう、しっかりとしたお化粧も施される。
これで国王陛下の婚約者たる、『エマ王女』の完成らしい。
そうして、迎えた夜。私はたくさんの侍女たちに傅かれて、ゆっくりと正餐室へ向かったのだった。
今回の参加者の中では、私が一番身分が上。
そういうことで、私が部屋に入ると着飾った男女が一斉に立ち上がり、私に向けて礼をとる。
やがてその礼が解けると、人々の視線が全て私へと向くのがわかった。
「王女殿下、乾杯のご挨拶を――」
私がたくさんの視線に目を回しそうになっていると、そっと後ろからベルタさんに声をかけられる。
そうだ、この晩餐会では陛下に代わり、私が乾杯の挨拶をすることになっているらしい。
私が息を1つつき、さっと手渡されたグラスを掲げると、集まった人々が一斉にグラスを掲げた。
「え……と……今宵の歓迎に心より感謝します。ルメイン王国とティエアル王国の友好に乾杯」
「「「「「友好に乾杯」」」」」
一応乾杯の言葉はベルタさんから聞いていたのだけど、いざこれだけの人を前にすると頭が真っ白になる。
結局、本来の言葉よりは随分短くなってしまったが、なんとか乾杯を終えることは出来た。
……乾杯を唱和したあとの人々の目が懐疑的なのは気の所為ではないだろう。
王女にしてはあまりにも心もとない振る舞いに疑問を持っているのだ。
とにもかくにも乾杯を終え、晩餐が始まる。
最初にでてきたのはよく知らない野菜と薄く切られた魚をゼリー寄せにしたもの。
おそらく、今回の晩餐で出てくる料理は、前世でいうフレンチに近いのだろう。
しかし私は、コルセットでお腹をぎゅうぎゅうに締め付けられ、重たいアクセサリーを全身に身に着けた状態。
その上、ほとんど知らない人に囲まれての食事となれば、食欲など湧くはずもなかった。
それに加えて、晩餐会の主賓である私には、ひっきりなしに声がかけられる。
とはいえ、この国のことをほとんど知らない私は愛想笑いと簡単な返事でそれを切り抜けるしかない。
当然、私に話しかけてくれた人も、面白くなさそうな顔をしている。
そんな調子でなんとか2皿目の料理を前にした時、それは起こった。
目の前にあるのはポタージュのようなスープ。とりあえず一番外側にあるスプーンを手に取ったのだが、そこで非難めいた声が目の前から聞こえてきた。
「王女殿下? 差し出がましい指摘かもしれませんが、殿下がお使いのスプーンは魚料理用ですよ? 少なくとも我が国では――」
そう言って厳しい視線を私に向けるのは口ひげのいかめしい人。
……確か……レイディアル伯爵。現宰相で王国の有力者の1人だ。
「ティエアルは文化的にも成熟した国だと思っておりましたが……以外と野蛮なのですね。ククッ、いや、もしくは貴方が世間知らずなのか――」
いや、そんなことは……と言いかけて口を噤む。ここで否定したら王女としての母国が貶されることになる。――いや、反応しなければそれはそれで駄目なのか?
咄嗟のことに反応できず、頭の中がぐるぐると周り出す。意識が遠くなり、咄嗟に助けを求めて後ろのベルタさんに視線を送ると……
彼女はフッと意地悪げに笑った。
そこで私は認識した。ここは敵地なのだと。誰も助けてくれない。テーブルの貴族たちはコソコソと何か言い合っている――言葉は理解できるのが、私にとってはむしろ災いだった。
次から次へ耳に飛び込む悪意。目の前の宰相は
「どうされましたか、王女殿下? スープが冷めますよ?」
と意地悪く笑う。
そうして私は、限界を迎えた。
「すいません! その……気分が優れないので私はここでっ!」
それだけ言って私はバッと席を立ち、大広間の入口へ向かう。
誰かに止められるかと思ったけどそんなことはなく、私はただ嘲笑に見送られて部屋を出る。
そうして、私は何事か? と目を見張る城の人たちの合間を縫うようにして、自室へと駆け込んだのだった。




