1 記憶を失くした王女様
彼が纏うのは降り積もる雪とはまた違う、異質な冷たい雰囲気。
キラリと光る青い鱗が恐ろしい程美しい竜を巧みに駆る美青年は、手から次々に鋭い氷を打ち出して、彼らを囲う無数の竜に対峙する。
「これ……が……ハインツ様の本気の魔法……」
己の婚約者の強さに恐怖し、思わず呟いた言葉を最後に私の意識はぷっつりと途切れたのだった。
「王女殿下! お目覚めになられたのですね!」
「お具合は? 誰か? お医者様を――」
パチリと目を覚ませば、そこはフッカフカのベッドの上。ほのかな花の香りに、私を囲む黒のお仕着せを来た女性たち。――私、瀬野明日香は起きて数秒で、ここが現実世界……少なくとも今まで生きていた世界ではないことを認識した。
と、同時に私の中に誰か別の人の記憶があることに気づく。いや、むしろこれがこの体の持ち主の記憶か?
ただ、その記憶はほんの一瞬だけしかなかった。
何匹もの大きな空飛ぶ生き物に囲まれる恐怖。そして、その直後に助けに来てくれたらしい青年が使った氷の魔法。
これだけでは、今の自分が誰なのかすら分からない。
思わず私が
「ここはどこ? ……私はだぁれ?」
と口にすると、私を囲んでいた人たちの表情が一瞬固まった。
「つまり……王女殿下はこの世界とは全く別の世界で生きていた前世の記憶を持っており、かつ今世でエマ王女として生きていたときの記憶をほとんど忘れていると――」
「はい……申し訳ございません……」
「何をおっしゃるのですか。記憶など自分で好きに失えるものではありません。エマさんのように魔力の少ない女性ならなおのことです。気にすることは微塵もありません」
私が記憶を失っていると理解し、一瞬パニックに陥ったお仕着せ姿の人々(なんでも全員私付きの侍女らしい)だったが、一度冷静さを取り戻すと、そこからは早かった。
意識を失ってから3日3晩眠ったままだった、ということでお風呂にいれてもらい、着替えをする。
裾が大きく広がった濃い薔薇色のドレスを着終わったところで、「ハインツ」と名乗る男性が私を訪ねてきた。
彼はこの国の国王。そして……私の婚約者らしかった。
長身でがっしりとした体躯に一括りにした銀髪。王というより剣士といった風貌のハインツ様。
ただ、その振る舞いはとても紳士的で
「私は……お隣の国からこちらへ嫁いで来る道中だったのですよね? ……その、王妃になるため……」
「えぇ、その通りです。ただその道中で獰猛な魔竜に襲われ、やむなく私が魔法で応戦しました。おそらく王女殿下の記憶喪失は、『魔力あたり』だと思います」
「『マリョクアタリ』ですか?」
私が思わず聞き返すと、一瞬周囲がざわめくのがわかる。おそらくこの国、いやこの世界では常識なのだろう。表情を変えないのはハインツ様だけだった。
「人には魔力に対する許容量というものがあります。日常生活で使われる魔法程度なら問題はありませんが、それを超えると体に異常をきたす場合も……もちろん私もその可能性が知っておりましたが、あれ以外方法がなく……」
「いえっ! ハインツ様。……その、守って下さったこと、心より感謝しております」
一瞬、ハインツ様の瞳に後悔が走るのを感じ、私は慌てて言い募る。またしても周囲がざわめいたけど、ハインツ様はふわりと私に微笑んでくれた。
と、急にハインツ様は表情を引き締められ、私を囲む侍女たちと、自身の後ろに控える人々に視線を巡らせる。その顔は、明らかに為政者のものだった。
「今回の件については、私が許可するまで秘匿することとします。王女殿下付きの者達は秘密が漏れぬよう全力をあげてください。ベルタは彼女の今後の予定について再考するので私と共に執務室に」
ハインツ様がよく通る声で指示を出すと、私以外の人々が一斉に頭を低くする。
「王女殿下。本来は私もあなたの傍にいたいのですが、これから数日、どうしても外せない視察があります。城には私の侍従長、エミールが残りますので、何かあれば遠慮なく言付けを」
「はい、ハインツ様。私こそ……お忙しいのに時間を取らせてしまい申し訳ございませんでした」
ハインツ様の服は明らかに外出向きで、出立までの僅かな時間にここへ来て下さったことがわかる。
私がなんとか感謝を示そうと、見様見真似で腰を低くすると、
「お気になさらず。あなたは私の婚約者なのですから」
と言い、軽くポンポンと私の頭を撫でる。
それからハインツ様は踵を返し、大勢の人を引き連れて部屋の外へ出ていかれたのだった。




