18 結婚の理由
「アルジェ侯爵令嬢。その日記はエマさんには見せないようにお伝えしていたはずですが……」
「はい陛下。大変申し訳なく――」
「お待ち下さい。ハインツ様」
日記を私に渡したことを問い詰めるハインツ様と、ドレスの裾を大きく広げて膝を折り、頭を垂れて謝罪しようとするミリセントさん。
私はその間に飛び込み、ハインツ様のことを睨みつけた。
「エマ……さん?」
「日記を見たい、と言ったのは私です。お叱りでしたら私に……ですが! これは私の日記です。私が読むことになんの問題があるのでしょうか!?」
「いや……しかしそれは……」
「そもそも、魔法が使えるからって鍵も結界も無視して入室されるのは、デリカシーがなさすぎます。少なくとも私の元いた世界ではそうでした!」
これまでハインツ様に強く反抗したことなんてなかったからか、ハインツ様は驚きの表情で固まっていらっしゃる。
けど、ここで引いたら絶対良くない。そう思って視線を逸らさずに、ハインツ様の瞳を見つめ続けた。
そうして睨み合うこと数分。不意にハインツ様がそっと視線を逸らし、降参、と言うように大きく手を上げてみせた。
「私の負けですね、エマさん。どうやら私の中でのエマさんここにいらした頃の印象のままだったようです。――いつの間にか随分強くなられたようだ」
「それは……ハインツ様やたくさんの方が支えて下さったからですわ」
ハインツ様に合わせて私も頬を緩める。そこでようやく、緊迫していた部屋の空気が少しばかり和らいだ。
「それで……エマさんはこの日記をどこまで? あぁ、その前にアルジェ侯爵令嬢は申し訳ありませんが少し席を外していただけますか? ここからは2人で話がしたいのです」
「かしこまりました。陛下、王女殿下」
「ミリセントさんっ! ……その、お茶会はまたあらためてしましょうね」
ハインツ様の指示に従いドレスを翻そうとするミリセントさんに、私は慌てて声をかける。
するとミリセントさんは、にっこり笑って
「はい、王女殿下。楽しみにしておりますわ」
と言い、それから部屋を後にした。
彼女を見送った私は、再度ハインツ様に視線を向ける。ちょっと和らいだとはいえ、2人きりになれば、ふたたび部屋は緊張感に包まれた。
「日記は……まだ何も読んでおりません。これから読むところだったのです」
「……そうですか。忠告しますが、それは面白いものではありませんよ」
「もちろん承知しております。でも本当は私、ハインツ様に教えていただきたいですわ」
「私に……ですか?」
「はい。私達の結婚には何か秘密があるのでしょう?」
消えた記憶。それを積極的に取り戻させようとはしないハインツ様。どうにかしてこの結婚を破談にしようとする宰相様。
そこから導き出されるのは、ある意味当然の推論だった。
ハインツ様はきっと何かを秘密にしているはず。そっと机の上の日記を手に取り、ギュッと力をいれる。
と、そこでフッと笑ったハインツ様が私の腕から日記を抜き取った。
「なるほど。そこまで見破られていましたか。……分かりました、ではお伝えしましょう。長くなりますよ」
「はい、お願いします、ハインツ様」
覚悟を決めたような表情のハインツ様に、私も大きく頷き返す。2人して席につくと、ハインツ様はゆっくりと古い日記を開き始めた。
「これはすでにご存知かと思いますが、エマさんは現ティエアル国王と愛人の間のお生まれで、ティエアルでは冷遇されていらっしゃいました。日記によれば、裏庭という名の深い森に接する小さな離れに閉じ込められ、教育もろくに施されなかったとか。エマさんがこちらへ来て苦労された理由はそこにもあると思います」
ハインツ様は日記をめくりつつ、ポツポツと話し出す。私は身を乗り出すようにして、その一言一言を聞き漏らすまいとした。
「使用人の選定や監督も適当だったようで、彼らはサボり放題。食事を抜かれることもしょっちゅうだった。なのであなたは、離れの裏から続く森を食料庫としていたそうです。魚を釣り、野ウサギを狩り、まあ……それなりに楽しんでもいらっしゃったようですが……」
「随分お転婆でしたのね……」
冷遇された姫君、という言葉から想像する様子とはちょっぴり違う、アグレッシブな過去の自分に思わず遠い目をする私。
ハインツ様も「確かに」とばかりに頷いた。
「そうしてある日、森の奥深くまで入ったエマさんは、不思議なウサギを見かけます。まるで酩酊しているような……そのウサギを追ってあなたが見つけたものが、宰相一派が犯している最大の罪、魔物を操る魔法の実験施設だったのです」
「魔物を! あやつる……ですか?」
あまりの衝撃に声が上ずり、慌ててそれを潜める。
部屋には厳重な結界が張っているのにも関わらずだ。そのぐらい、ハインツ様の言葉は衝撃的だった。
「魔法石はいくつかかけ合わせて鋳造すると、元々とは別の効果を発することがあります。この研究もその1つだとか。過去にそういった研究がなされたものの、あまりにも非人道的なので禁忌とされていたのですが……」
「宰相様達が、再び手を染めたのですね」
「はい。本来人間の言うことを聞いてくれる魔物は、魔竜などほんの一部。それでも意思を交わすにはそれなりの時間がかかります。もし魔法で魔物を操ることが出来れば、とんでもない武器となるでしょう」
王国にいる竜騎士は数十人。それでも宗主国たる帝国にとっては相当な脅威で、王国の竜騎士団は常に帝国の監視下にあるという。
もし、王国を囲む山々に無限にいる、と言われる魔物を使役出来れば……想像するだに恐ろしい景色に私は思わず身震いした。
「酩酊したウサギは、おそらく魔ウサギです。魔力は持ちますが、特段攻撃力が強い訳ではないので、実験に使われたのでしょう……」
「そんな! なんてことを……」
ハインツ様が淡々と告げる事実に私は思わず悲鳴を上げる。そんな私の頭にそっとハインツ様の手が載せられた。
「宰相一派は、私よりも好戦的なティエアル王に近づき、この研究を進めていたようです。その疑惑に気づいた我々が、ティエアルで諜報活動を行う中で偶然たどり着いたのがこの日記でした」
「あっ……でも……宰相様はティエアルを敵視しているのでは?」
「確かにその通りですが、彼らの最終目標は帝国からの完全な独立。現ティエアル国王の目標と根っこでは一致します」
「……なるほど……敵の敵は味方ですね……」
ハインツ様の言葉に私は頷く。魔法石を独占したい、という野望を持つ宰相一派にとって、確かにルメイン王国の政治に干渉する帝国の存在は究極の邪魔者だろう。
そして……仮に魔物を使役出来たとしたら……帝国との全面戦争でも勝ち目があると考えるのは、無理もなさそうに思えた。
「では……私と婚約されたのは……」
「証人の確保が半分、あなたの身の安全の確保が半分ですね。幻滅されましたか?」
「いえ。全く」
自嘲的な表情でおっしゃるハインツ様に私はきっぱりと言う。
ほんの少しハインツ様の表情が和らいだのに安心した私は、そこでふとある疑問に思い至った。
「ですが、ハインツ様? でしたら……どうしてハインツ様は私が記憶を取り戻すのを急かされないのですか?」
一応、あの襲撃事件以来、定期的に『魔力あたり』に詳しい、というお医者様の診察を受けてはいる私。
けど、その方曰く、『魔力あたり』には本質的な治療法がなく、時間が解決するのを待つしかないそうだ。
――けど、
「そんな重要な証人に私がなり得るのなら、どんな手を使ってでも、記憶を取り戻させたいと思われるものかと……」
ハインツ様がヒュッと息を呑む。
表情を歪めたハインツ様は、やがて言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「……最初はそのつもりでした。ですが、慣れない生活に押し潰されそうになったあなたを見て、それから城の生活に慣れはじめて生き生きとし始めたあなたを見て、それは間違いではないか? と思うようになったのです」
「ハインツ様……」
「過去を思い出せば、ティエアルにいた時の辛い記憶も一緒に思い出すことになる。宰相一派に命を狙われる危険も増すでしょう。それに、襲撃の失敗で彼らの勢いは弱まり、時間に猶予が出来ました。これならあなたの記憶なしでも、宰相一派の企みが暴けるのでは? と……」
「……つまり、守って下さっていたのですね」
「あれで守ったとは言えません」
……私がここへ来て以来の嫌がらせは、私がこの国に嫌気が差して、祖国へ逃げ帰ることを期待していたらしい。あわよくばその道中、ルメイン王国領を出たところで再び襲撃を……
ハインツ様は静かに首を振る。
――本当に真面目で、強いお方だ。
「いいえ、守ってくださいました。ハインツ様がいなければ、今の私はいません。……だから! 今度は私がハインツ様の力になりたいです」
「エマ……さん?」
「どんな方法でも構いません。苦しくても、なんでも……どうにかして、私の記憶を取り戻すことはできませんか?」
「エマさんっ! さっきのお話を聞いていらっしゃいましたか? 記憶が戻れば、命を狙われかねません。護衛のために、あなたの自由を大幅に制限する必要もあります」
「構いません。折込済みです」
ハインツ様が部屋に入ってきた時と同じように、再び私とハインツ様が睨み合う。
決意は硬いです。そう示すように微笑めば、やはり先に折れて下さったのはハインツ様だった。
「……本当に、本当に強くなられましたね。分かりました。……実を言うと、方法はあります」
「ハインツ様!?」
「宗主たる帝国には、魔力にまつわる病を専門に研究する医者がいるそうです。中でも権威とされる先生は『魔力あたり』による記憶喪失の治療でも実績があるとか。……皇帝陛下は彼を我が国に派遣しても構わない、と仰っています」
やはり、内々に相談はしていたのだろう。それでも私の安全を天秤にかけて、悩んで下さっていたハインツ様に、私は胸の奥がズキリ、とするのを感じた。
でも、今はそんな場合じゃない。
「はい。お願いします、ハインツ様。必ず記憶を取り戻して、宰相一派の罪を白昼にさらして見せますわ」
一言一言ゆっくりと、ハインツ様から目をそらさずに伝える。
そうすれば、ハインツ様は
「分かりました。手配しましょう」
と低い声で言った。




