17 王女様の疑問
「メル? 戻ったばかりで申し訳ないけど少しお使い物を頼まれてくれる? 郵便室に行ったらそのまま休憩に入っていいから」
「かしこまりました、王女殿下」
私室に戻った私は、文机から先日お茶会に伺った公爵夫人宛ての手紙を取り出し、メルに託す。
彼女が部屋を出たのを確認して、ハンナに目配せをすれば、彼女は「かしこまりました」と表情1つ変えずに頷き、パンッと手を叩いた。
「これで自由にお話いただけます。何か気がかりなことがお有りなのですね」
「……ええそうよ、ハンナ。さすがね」
ハンナが先程した仕草は、部屋に結界魔法を貼るためのもの。
よく目を凝らせば、部屋全体を囲うように薄く透明な膜が張っているようになっているのが分かり、少しだけど、声も反響しているのが分かった。
「聞きたいのはね、私の過去についてなの。……私と陛下って……もともとどんな関係だったのかしら?」
「どんな……にございますか?」
「ええ……陛下は私のことをとても気遣ってくれるでしょう?」
「はい。王女殿下の婚約者としては、然るべき姿かとも思いますが……」
私の言葉にハンナはやや首を傾げてみせる。たしかに私達の関係は結婚まであと一月もない男女としては普通なのかもしれない。
――けど、それは元からの関係があった場合だ。
「とってもおかしな疑問だとは思うけど、私はそれが不思議なの。私は敵か味方か微妙な立ち位置にある国の王女で、陛下とは元々ほとんど交流がなかったはず。……しかも記憶をなくしているわ。普通に考えればお荷物意外の何ものでもなくない?」
「……さすがにそれはご自身を卑下しすぎかとは思いますが……おっしゃりたいことは分かります」
自分で話していても贅沢な悩みだとは思うが、しかしどこかおかしい。
私はハンナがポットを手にしつつ、頷いてくれたのを見て、さらに続けた。
「そもそも、私はなぜ陛下の相手に選ばれたのかしら? 周りの人たちはみんな、突然陛下が結婚相手を連れてきた、って言うし……私の存在自体、王国ではあまり知られてなかったのよね?」
「はい。私も正直に申し上げますと、この職をいただくまで存じ挙げておりませんでした。そもそもティエアルの現国王陛下は好戦的なお方ですので……」
「そうよね……」
ハンナの言葉に私は、やっぱりそうかと頷く。
ルメイン王国がそうであるように、ティエアル王国の内部もまた、近隣国との関係において融和派と緊張派の対立を繰り返している。
現在の国王、つまり私の父は緊張派だ。
「どうして陛下はわざわざこの時期に、私との結婚をお決めになったのかしら? ルメイン王国にとっての利益は何? それが気になるの」
私が呟くと、ハンナは少し黙り込み、それからゆっくりと口を開いた。
「それは……私にも測りかねます。ですが、もしかするとアルジェ侯爵令嬢ならお答えをご存知かもしれません。親しくなさっていらっしゃいますよね?」
「ミリセント? 彼女が答えを?」
ハンナが口に出したのは、最近仲良くなった友人ミリセント・アルジェ侯爵令嬢の名前。
私がその名前を反芻すると、ハンナは大きく頷いてみせた。
「アルジェ侯爵令嬢はもとより陛下寄りのお方で、かつ諜報めいたことを得意とされています。特に近頃はティエアル王国へ頻繁かつ非公式に……王女殿下の婚約の話がまとまった時期と重なります」
「非正式に……つまり、そういうことね」
「はい。王女殿下はティエアルでは表舞台にほとんどお出でになられなかったとお聞きしますが、あるいは彼女なら、何かご存知かもしれません。――お茶にご招待されますか?」
「……ええ、お願いハンナ、近い内に。ここ数日で予定の空いている日は……」
「明後日の午後でしたら。至急、アルジェ侯爵家へお手紙を。それに陛下へも念の為お伺いが必要ですね」
「そうね、ありがとう、ハンナ! やっぱり頼りになるわ」
思わず昔の癖で両手を合わせて大きく頭を下げてしまう私に、ハンナは思い切り顔を顰める(王女の威厳がないからやめろ、と口酸っぱく言われていた)
慌てて姿勢を戻して背筋を伸ばしつつ、私もこれからの予定をシュミレーションし始めた。
「まぁ! この前プリムベリーが好きって言ったのを覚えていてくれたのですねっ! それにこのパイとっても美味しいです。お城の料理人はさすがですわね」
「ありがとうございます、ミリセントさん。料理人にもお伝えしますわ。きっと喜びます」
宰相に絡まれた翌々日。急なお誘いにも関わらず、ミリセントさんは本当にお城にやって来てくれた。
今二人で囲んでいるのは、真っ赤なベリーのジャムがたっぷり詰められたパイ。
私の大好物を親友にも褒めてもらい、ちょっと頬が緩けど、次に続いた言葉を聞いて、私はもう一度気を引き締め直した。
「それで、王女殿下? お話されたいことってなんでしょう? わざわざ厳重に結界魔法を張ってお茶会なんて物騒ですわ」
ちょっとわざとらしく周りを見回し、それからいたずらっぽい表情でそういうミリセントさん。
でも、その目はあんまり笑ってなくて、このお茶会がただの世間話ではないことを気づいていらっしゃるようだった。
「ごめんなさい、ミリセントさん。ちょっと周りには聞かれたくないお話で……単刀直入に申し上げると、私の過去についてですわ」
「過去? つまり、王女殿下がティエアルにいらっしゃる時の記憶についてですか?」
「……その通りです。ミリセントさんなら何かご存知かと……」
一応結界魔法は貼られているけど、人間の習性かミリセントさんの声が少し潜められる。
私もそれに釣られるようにして、声を小さくした。
「そうですね……確かに多少は存じてますけど、どうしてまた急にそんなことを? 記憶はゆっくり取り戻す、というお話になっていましたよね?」
「はい。ですが……そうも言ってられないことになってきた気がするのです」
そうして、私は一昨日の話をする。すると、意外にもミリセントさんはさもありなん、といった表情をして小さく笑った。
「『替え玉』……まあ、確かにこの状況を見れば最初に思いつくのはそれですわよね。で、陛下は何と?」
「はい。宰相様達の動きを注視すると……私は気にしなくても良いともおっしゃられました」
「まぁ……そうおっしゃるでしょうね。陛下はそういうお方だわ……でも、王女殿下はそうしたくないのですね」
ミリセントさんの目がキラリと光る。普段は明るくて楽しい彼女。
けれども諜報員としての一面もあるだけあって、そういう顔すると、途端に部屋の温度が数度下がったような気がした。
「はい……お医者様からも記憶を取り戻すのは焦らないほうが良い、とは言われてます。でも、もしかしたら私の記憶にはとてつもなく重要なことがあるのじゃないかと――私自身の過去を知れば、それをとっかかりに何か思い出すんじゃないか、とおもったのです」
そう彼女に訴えれば、ミリセントさんは「なるほど」と1つ頷く。と、それから不意に空中に向けて手を突き出した。
すると、どこからともなく光が集まり、ブワッと彼女の手が明るく光る。
その光が消えたかと思うと、彼女は一冊の古い本を手にしていた。
「王女殿下の考えは理解いたしました。私からお伝えすることも出来ますが、それよりこれを読むことが近道かと存じます――あなたの日記です」
と、言うと突然ガタンっと音がして、ミリセントさんが席を立つ。
そして何事か、と思う間もなくミリセントさんは私の足元に身を投げ出すようにして、頭を下げていた。
「ど、どうしたのですか!? ミリセントさん?」
「王女殿下に心より謝罪いたします。私は陛下の命でこれをティエアルより盗み、陛下にお渡ししました。……人としてあるまじき行為にございます……」
「日記を……ティエアルから?」
一瞬、言葉を失う私。けど、すぐに我を取り戻す。
そして、私は椅子から立ち上がり、ミリセントさんのすぐ傍に膝をついた。
「ミリセントさんが、仕事柄そういったこともしているのは陛下からお聞きしております。それが国のためなことも……私の日記をお持ちだったのも、王国のためなのですよね」
「はい。……だからといってそれを隠して、王女殿下と親しくさせていただくなど、裏切りも――」
「いいえ、違いますわ」
彼女の言葉を遮って私はきっぱり言う。反論の余地を許さないよう、はっきりと――それはこの前前王妃様からレクチャーされたことの1つだった。
「王族は極限なまでプライベートがないとヴァルディモア卿に教わりました。私的な日記であろうと、そこに国の機密が載っていれば、他人に読まれることもあるでしょう。……それと、ミリセントさんとの友情は別物ですわ」
私は王女。彼女は諜報員。平和な国から来た私だけど、その立場の差を理解して彼女と付き合う程度にはこの世界にも慣れてきたつもりだ。
そう言って、今度は陛下を参考に微笑んでみた。
「王女殿下! あなたは女神のようなお方にございます。今後、一生をかけてあなたにお仕えすることをお誓い申し上げます!」
「そ、それより……一生お友達でいてくれる方が嬉しいのだけど……」
おもわず苦笑いでそう言えば、ミリセントさんは感極まったように、私に抱きついてきた。
ミリセントさんにあらためて席に座ってもらい、お茶をすすめる。彼女が落ち着いたところで、私はゆっくりと目の前にある古い本――私の知らない過去の私が書いた日記を手にとった。
「じゃあ……ミリセントさん。読みますわね」
私の言葉にミリセントさんがコクリと頷く。
そうしてゆっくり日記を開いた瞬間、コンコンコンっと高いノック音が部屋に響いた。
「あら? どなたかしら? 今日は誰も取り次がないようお願いしていたのだけど……」
今回のお茶会は秘密の話をする、ということで侍女長のハンナ一人だけについてきてもらっている。
そのハンナも、お茶の用意を整えたあとは、前室で待機してもらっていて、どんなお客様も通さないように伝えてある。
職務に忠実なハンナがそれでも通すお客様といえば……
そう思っていると、もう一度高いノック音が響く。
そして、「エマさん? 開けますよ」という声と共に、施錠されていたはずのドアが大きく開かれた。
「陛下っ!」
「エマさんっ! どうして結界なんて……それは……」
なるほど、普段お茶会に結界を張ったりなどしない私が、幾重にも結界魔法をかけてお茶会をしていたから、陛下は不審に思ったのだろう。
陛下は私に親しい人物や、逆に敵対している人物が私の傍で強力な魔法を使えば、感知出来るようにしているという。
それ自体は私の身の安全を守るためのものだけど、今回はそれが仇となったようだった。
と、それよりも今は陛下の目線の先にあるもののほうが問題だ。
本来、私に見せるつもりはなかったであろう、私の日記。それを私が手にしていることに気づいた陛下は、まず苦いものを食べたような顔で私を見つめ、それからキッとミリセントさんを睨みつけた。




