15 ダンスの時間
そうして夜。私は昼間に試着した衣装を身に纏い、普段とは随分違う雰囲気の夜会に参加していた。
「エマさん? 楽しんでいただけてるかい?」
「はい、ハインツ様! 衣装も音楽も料理も! 全部いつもとは違って……とっても新鮮です!」
「おぉ! それは王女殿下。お気に召していただけたなら何よりだ。これこそ我々のアイデンティティですからね」
「商会長様! ドレスも……無理を通していただいてみたいで申し訳ございません」
「いやいや……ティエアルの王女殿が当店の衣装を着ていただけるなど……一生の誉れにございます」
そう言って福々と笑うのは、南の王領の中心都市リーゼルの商会長さん。今日、私が着ている衣装を制作して下さった街一番のメゾンのオーナーでもいらっしゃる。
顔見知りばかりのこの夜会では珍しい新参者の私。
そんな訳で私のもとには、次々といろんな人が挨拶にやってきた。
女性たちは私のように刺繍とレースのドレス、男性陣はさり気なく刺繍の入った白いシャツに色鮮やかなジレを合わせている。
会場を照らすのは魔法石のシャンデリアではなく、いくつもの燭台。
流れるのは、ヴァイオリンと横笛の音色が楽しげで、ちょっと独特なリズムの音楽。
今まで参加したどの夜会とも違う、特別な雰囲気に私の気持ちは否応なく高揚していた。
そして、それはハインツ様も同じらしい。
普段の夜会ではいかにもそつなく振る舞っていらっしゃるハインツ様だけど、今日は見知った人ばかりだからか普段よりも砕けた様子。
お酒を召し上がるペースも心なしか早い。ちょっぴり砕けた口調で微笑まれれば、私の鼓動はドクンと跳ね上がった。
思わず私も手にしていたグラスの中身を飲み干す。
もはやお馴染みとなったベリーを使った果実酒を炭酸で割ったそれは、前世ではあまりお酒を飲まなかった私にも美味しく飲める。
と、グラスが空になったと気づいた時には、参加者同様に民族衣装を来た給仕の方が来て、グラスを回収し、新しいグラスを渡してくれる。
それはお酒が進むはずだ、と納得した。
もっともそんなにお酒に強くない私はうっかりグラスを重ねないよう気を付けないと……
そんなことを考えていると、不意に見知った声が後ろから降ってくる。
それは私がちょっぴり苦手な社交術の先生、ヴァルディモア公爵のものだった。
「おや……そんなに驚かれなくてもよろしいのでは、王女殿下?」
やや意地悪な口調でそういうヴァルディモア卿。でもその目は随分楽しそうに笑っていて、なんだかいつもより随分陽気な雰囲気だった。
「も、申し訳ございませんっ! ヴァルディモア卿。奥様に置かれましてはお初にお目にかかります。ティエアル王女、エマにございます」
「ハハハ――冗句ですよ。その衣装は初めて見ましたがよくお似合いです。王国式の礼も随分様になっております。とても努力なさったようだ」
「そうおっしゃるなら下手な冗句はおやめなさいませ、旦那様。――はじめまして王女殿下。ご挨拶遅れまして申し訳ございません。妻のレーヌと申します。陛下におかれましてはお久しゅうございます」
緑色のスカートを優雅に広げてお辞儀をしてくださるのは、ヴァルディモア卿の奥様。
少し体が弱く冬の間は比較的暖かい領地にいらっしゃるという。
「それにしても本当によくお似合いですわね、エマ王女殿下。私の若い頃を思い出しますわ」
「奥様は帝国のご出身であられましたね」
ヴァルディモア卿の奥様は、ルメイン王国やティエアル王国をまとめ上げる帝国のさる伯爵家出身。
帝国からの降嫁は属国にとっては一大事で、当時はとんでもない大騒ぎだったと聞く。
しかし実際にお会いすれば、下がった目尻とコロコロとした笑い声が印象的な優しい雰囲気の方だった。
「えぇ、私もここに嫁いだ当時、そんなドレスを着たことを思い出しましたわ。きっと異国でお困りになることもあるでしょう。何かあったらお力になれることもありますでしょうから、お手紙でも下さい……夫にいじめられたりとか……」
「私はそんなことはせんぞっ! レーヌ」
「フフフッ……それはどうかしら……では王女殿下、あまりお時間いただいてもなんですので、失礼いたしますわね」
そしてヴァルディモア卿の奥様は鈴のような声で笑い、見事な所作で美しくドレスの裾を翻す。
そんな奥様の後を、ヴァルディモア卿はちょっぴり慌てたように追いかけていった。
「……なんだかいつものヴァルディモア卿とは違った雰囲気でしたわね、ハインツ様」
「ハハハッ……奥方といる時は大抵あんな感じだよ。彼は愛妻家でかつ、奥方に尻に敷かれていることで有名だからね」
「まぁっ……」
いつもの厳格な雰囲気とは違う卿の様子に私が目を白黒させていると、ハインツ様が愉快そうに笑う。
と、今度はどこからか「ダンスの時間だ!」という声が聞こえだした。
すると、音楽の調子が小気味よい三拍子に変わり、どこからともなくダンスの輪が出来始める。
さらに熱を帯び始める会場に私はそっとハインツ様の袖を引っ張った。
「ダンスの時間……ですか?」
「ああ、もうそんな頃合いだね。こういう夜会では最初からルメイン王国のダンスを踊るんだ」
「そうっだったのですね……では私は……」
王国のダンスは普段舞踏会で踊るワルツやカドリーユといったダンスとはまた違うものだ。
男女で向かい合って、手を繋いだり離したりしながらステップを踏む。
一応習ってはいるのだが、独特のリズムとステップはなかなか難しく、こういうダンスの時は壁の花となっていた私。
今日もそうするつもりだったんだけど……そんな思惑は予想外な声で壊されることになった。
「ハインツ! 王女殿下もさあ踊りましょうっ!」
「えっと! ……でも私、実はまだ……」
「大丈夫よエマさん。私だってダンスは不得手だもの。でも誰も笑わないわ」
「いえ……その……どうしましょう、ハインツ様?」
声の主は前王陛下と王太后殿下。
そうそう断れない2人に誘われた私は、思わずハインツ様に助けを求める。
するとハインツ様はまたしても苦笑いをしつつ、そっと私の手を取った。
「仕方ありませんね。ここは踊るしかないでしょう……大丈夫です! 以前練習されているのを見ましたけど充分及第点でしたから……さ、音楽を聞いてエマさんっ!」
そう言うとハインツ様は私の手をグッと自分の方に引きつける。
その勢いのまま、私はハインツ様と一緒にダンスの輪に飛び込むことになった。
「上手いじゃないですか。ちゃんと踊れてるよ、エマさん!」
「そんな……でも皆さんについてくので精一杯です!」
普通のダンスならある程度お話しながら踊れる程度の余裕が出てきた私。
でも今日のダンスはステップが複雑だし、その上拍子が早いので本当についていくだけで必死。
でも、弾むリズムに合わせて前へ後ろへとステップを繰り返し、ハインツ様に手を取ってもらいながらクルリと身体を回転させると、少し楽しい気分にもなってきた。
「本当に上手だわ、エマさん。さ、次は私と踊りましょ!」
そして、いつの間にやらダンスの相手は王太后殿下に変わっている。
男女ペアが基本の王国のダンスだが、実際には男同士、女同士なんでもありらしい。
苦手と言いつつ、そしてそれなりなお歳なはずなのに可憐にステップを踏む王太后殿下の足さばきに必死についていけば、いつの間にか集まっていた皆さんが盛大な拍手をして下さった。
「王女殿下! お上手ですよ!」
「王国にいらして半年とは思えませんわ」
お世辞とは分かっていても褒められるのは嬉しい。王太后殿下に導かれるまま、少しばかり難しいステップにも挑戦したら、音楽の合間に小さくお辞儀。そして次のお相手は前王陛下だ。
そうして、次から次へダンスの相手は変わっていく。
いわゆるホールドをするダンスではなく、みんなで次々とペアを変えて行くダンスだから、いつもみたいに誰と踊るか悩むことはない。
むしろ、ステップが早くてそんなことを考える暇もないのだ。
気づいたら、給仕の人や楽団員さんまで輪に入って踊っている。
いつの間にかステップを失敗したら……とか、そういう気持ちはどこかに消え去ってしまっていて、ただ踊るのが楽しい、という気持ちだけが残っていた。
「遅くなってしまい申し訳ありませんエマさん。さすがに飲みすぎたようで、酔いを冷ましてから来ました」
「いえ……私もさっき湯を使ったばかりです。むしろこちらこそ、こんな日にまでハインツ様のお手を煩わせてしまい申し訳ない限りです……」
随分遅くまで盛り上がった夜会の後、興奮冷めやらぬまま湯を使い、寝支度を整えた私は、寝室に置かれたソファでハインツ様と向かい合っていた。
防寒魔法をかけてもらうためだ。
王都より暖かい南の離宮。とはいえ寒いことには変わりないし、雪もちらついている。
結局、私はハインツ様の魔法なしでは満足に眠ることすら出来ない。
私はそのことをハインツ様に謝るけど、彼は大きく首を振ってフワリと微笑んだ。
「このぐらいどうってことはありません。お気になさらず。――では魔法をかけますね」
そう言うと、ハインツ様はそっと私の頭のてっぺんに手を置く。
すると、ほどなく彼の手を通して、じんわりと暖かい何かが体中にひろがっていくのだ。
ハインツ様曰く、それが魔力なのだそう。
人の魔力は時に、自分の体質と合わず反発し合う時もあるそうだけど、私とハインツ様の場合は幸いそんなことはなかった。
むしろ暖かくて、心地よい。以前そんな話をしたら、ハインツ様は少し顔を赤くして、珍しく目をそらしてしまわれた。
と、そんな昔話を思い出している間に、ハインツ様は魔法をかけ終えたらしく、そっとその手が離される。
そしてハインツ様はゆっくりとソファから立ち上がった。
――のだけど
「どうされましたか、エマさん? もしかして魔法が足りてないとか?」
「い、いえっ! 違うんです。ごめんなさいっ! ハインツ様。……その……」
立ち上がろうとしたハインツ様は、突然その動作をやめ、こちらを見下ろす。
それもそうだろう、私が彼の裾を掴んでいるのだ。ハインツ様の不思議そうな顔で我に帰った私は、慌てて手を振りほどこうとするけど、どうしてか腕は言うことを聞いてくれなかった。
「なにかお話されたいことがあるのですか? ……構いませんよ、夜は長いですし、明日はお休みです」
何も口にできない私だけど、ハインツ様はそう微笑んでソファに深く座り直した。
「そ、その……何か話したいわけではないのですが……もう少しだけお話出来ればと……」
「……」
僅かに沈黙が落ちる。
日々忙しいハインツ様に、こんなお願いをするべきでない。そんなことは百も承知だけど、それでも身のうちに烟る興奮を誰かと分かち合いたい。
その感情を今の私はどうにも留めることが出来なかった。
さすがに怒られるか、眉を潜められるか。そう思って思わず視線を落とした私だけど、頭の上に振ってきたのはさっきと同じ暖かい声だった。
「もちろん良いですよ。――夜会で何かあったのかと思って焦りました」
「す、すいませんハインツ様。勿体ぶった言い方をしてしまいました。……むしろ夜会はすごく楽しかったです――今まで参加した中で一番楽しかったです!」
「そうですか。それは良かった。ダンスも見事でした」
「そんな……まだまだですわ。でも、ありがとうございます」
そうして私達はゆっくりとお話をする。ダンスのこと、ドレスのこと、食べ物のこと。
今日初めて触れた文化も多く、質問を重ねる私にハインツ様は呆れることなく1つ1つ応えて下さった。
「ハハハっ……エマさんは随分王国の文化に興味を持って下さったようですね。嬉しい限りですよ」
「いえ! ――むしろ遅いくらいです。……ここが私が生きる国なんですから」
私が拳をギュッと握りしめてそういえば、ハインツ様は嬉しそうに頷いてくださる。その表情に勇気を得て、私はグッとハインツ様ににじり寄った。
「あの……ハインツ様……」
「どうされましたか?」
夜会が終わってからずっと考えていたこと。それを言葉にしたくて、でもまとまらなかった。
でも構わない。それでもこの気持ちをお伝えしたかった。
「私……今までずっとフワフワしていたんです。今、この瞬間が現実なのかわからなくて……どうして前世の記憶があるのかわからなくて……」
「理解しますよ。私があなたの立場でも混乱します」
「でも! 今日たくさんの人と踊って、やっぱりここが現実なんだって強く感じたんです。――私、ハインツ様の隣に立ちたいです」
半ば求婚みたいな言葉が飛び出て、私はボッと顔を赤くする。思わず顔を伏せた私の頭に、ハインツ様の頭がそっとのった。
「あなたは努力家です。あなたが思うよりずっと早くこの国の王妃として相応しい人になれると思います」
「……ハインツ様……」
そうしてハインツ様は、ゆっくり何度か私の頭を撫で、立ち上がる。
その笑顔は積もりたての雪みたいに柔らかく、暖炉の火みたいに温かかった。
「無理はしてほしくありません。でもあなたの気持ちはとても嬉しいです。城に戻ったら、また一緒に頑張りましょう。エマさん」
「はいっ! ハインツ様」
私がそう答えると、ハインツ様はさらに笑みを深め
、そして
「ではそろそろ寝ましょうか。良い夢を……エマさん」
とおっしゃって、一房私の髪をとって口づけしてから、ドアへ向かう。
思わぬことにまた赤面した私が気付いた時には、すでにハインツ様はドアを開けていらして、その背中に私は慌てて、
「おやすみなさいませ、ハインツ様!」
と声を投げたのだった。




