10 初めての舞踏会
やや雪が残る馬車止めに馬車が止まると、すぐにドアが開かれる。
まずヒラリと馬車から降りるのはハインツ様。
それから私は、差し出された手をとってゆっくりと馬車を降りる。
舞踏会向けの靴はたとえ僅かな雪でも簡単に滑ってしまう代物だから、私は細心の注意を払ってゆっくりと歩いた。
屋敷に入ると、すでにたくさんの人が集まっているらしい。どこからかガヤガヤとした喧騒が聞こえてきた。
その声に若干鼓動が上がるのを感じていると、急にハインツ様に、キュッと軽く手を握られた。
「緊張する必要はありませんよエマさん。今日までたくさん練習されたのですから。落ち着いて楽しみましょう」
「は、はいッ! ハインツ様」
ハインツ様の気遣いに嬉しくなりつつも、緊張と手を握られたドキドキで返事が上ずってしまう。
思わずといった風にククッと笑うハインツ様。
そして、その向こうでは夜会服の御婦人も同じようにクスクスッと笑っていた。
その声はこちらを嘲笑するようなものではなく、むしろ微笑ましげなもの。
私は少し安心しつつ、それはそれで恥ずかしくて、穴にでも入りたい気分にもなった。
と、そんな話をしているともう目の前は大広間。今日の夜会の舞台だ。
ハインツ様は一度立ち止まり、「落ち着いて?」とばかりに私に微笑んでくださった。
「さあ、では行きましょうか。みんなが待っています」
「はい。――ハインツ様」
ここからは本当に本番だ。私は自分に喝を淹れるように1つ息を吸って、それから自分に出来る一番の笑顔を作ってみせた。
「本日は王女殿下のご披露の場に当家をお選びいただき、心より感謝申し上げます。今日のことは当家創設以来の栄誉として語り継いで参ります」
「こちらこそ、急な頼みにも関わらず万事を整えてもらい感謝している。警備の手配だの大変だったであろう?」
「まさか。陛下をお迎えするためでしたら、いかなる苦労も厭わぬ所存にございます」
私の前で、ハインツ様とお話しているのは現アルジェ侯爵。騎士団長も務めたことがある、という人物だ。
今はおじいさん、という印象だが騎士時代はそれはそれは強い武人として知られていたらしい。
先程握手させていただきた時も、確かに物腰の柔らかさとは裏腹に、その握力はかなりのものだった。
「王女殿下におかれましては、もうこの国には馴染まれましたでしょうか? とにかく冬の厳しい国ですが、少しでも楽しく過ごしていらっしゃればと――」
「御心遣い痛み入ります。祖国では得難かった経験をさせていただき、とても楽しく過ごしておりますわ」
今度は私に向けて発せられたアルジェ卿の言葉に、私はやや緊張しつつ返事をする。
前世では使い慣れない言葉のオンパレードに噛みそうになりつつも、なんとかそう言い切れば、アルジェ卿も
「ほう――それは安心いたしました」
と満足げ。
私は思わずホット胸を撫で下ろして息をつく――けど続く卿の言葉に私はビクッと固まることになった。
「さて……ではそろそろダンスの時間ですな。本日のファーストダンスは是非お二人にお願いしたいのですが――いかがでしょうか?」
そう、ダンスだ。多くの異世界を舞台とした創作でそうであるように、この世界でも夜会といえばすなわち舞踏会。
ちなみにこの国の舞踏会は、最初はワルツやカドリーユといった前世でも聞いたことのある(ついでにこの世界でも定番らしい)ダンスに始まり、後半は王国で古くから親しまれてきた民族舞踊を踊るのが定番らしい。
ダンスと言えば、運動会で多少……な私としては冷や汗ものだけど、さすがにアルジェ卿の提案は予想している。
ハインツ様と私も対策を練ってきていた。
「うむ。では主催を差し置くこととなるが……」
「感謝いたしますわ」
まずはハインツ様と2人でアルジェ卿に感謝を伝える。それから私達は大広間の中心にぽっかりと空いたスペースへと移動した。
「大丈夫ですよ、エマさん。練習を思い出して」
「分かりました。ハインツ様」
私達の作戦は至ってシンプル。とにかく1曲だけ踊れるようにすること。
アルジェ卿には前もって『エマ王女はダンスが極端に苦手だ』ということで話を通してあって、1曲目の曲を教えてもらっていた。
ハインツ様が腰を折るお辞儀をするのにあわせ、私もゆっくりとドレスの裾を広げてお辞儀をする。
またゆっくりと姿勢を戻せば、ハインツ様が右手を私の腰に回し、もう一方の手で私の左手をギュッと握る。
それに合わせて私もハインツ様の肩に右手を伸ばせば、図ったように三拍子のメロディーが流れ始めた。
最初のワルツは、この国ではよく演奏されるという曲だ。スローテンポの三拍子は、リズム感のない私でも比較的掴みやすいし、その上踊っているのは私達だけだから、周りを気にすることもない。
初めてダンスを披露する場としては、この上ない状況だった。
「上手ですよ、エマさん。みんな、あなたの花のような美しさに釘付けです」
「そ、それは困ります……」
出来ればみんな私の下手なダンスなんて見ずに、食事と会話を楽しんでいて欲しい。
思わず目立つことが苦手な日本人全開の返事を返すと、ハインツ様はクスッと笑い、
「それは……難しいかもしれませんね。諦めましょう」
と冗談めかして言った。
その後も一言二言会話を交わしつつ、フロアを回る。
正直なところ緊張で頭が真っ白になりそうだったのだが、何度も体に染み込ませたおかげか、意外と勝手に体は動く。
もちろん、これがハインツ様の上手なリードのおかげなのはいうまでもなかった。
最後の1音に合わせて動きを止めれば、会場中から拍手が振ってくる。
やや気まずさを感じつつも、私はハインツ様に合わせて大きな礼をするのだった。
私達がダンスの輪から抜けると、そこからは本格的にダンスの時間だ。
もちろん、まだ1曲しか踊れない私はそこには混じらない。正確には現状、数曲なら踊れるのだが無理はしないほうが良いだろう……とハインツ様と決めていた。
もちろん私達の他にもダンスの輪に交わらない人はいて、そういった人は「今がチャンス」とばかりに私達に話しかけてくる。
会話は基本的にハインツ様が進めてくださるが、それでもたくさんの人とお話をした私は、だんだんと目が回ってくるのを感じていた。
「どうされましたか、エマさん? ご気分が?」
「え、えぇ……ちょっと人酔いを……」
「それはいけない。無理をさせましたね。少し外の空気を吸いましょうか」
少し目が回るかな? と思った途端にすかさず声をかけてくださるハインツ様。
そうして彼は、そっと私の髪に触れ、防寒魔法をかけてくださる。
そうして、バルコニーへ向かおうとしたところで、慇懃とした声が振ってきて、ハインツ様が少し顔をしかめた。
「これはこれは陛下に王女殿下。素晴らしい夜ですな」
「あぁ、レイディアル伯爵。良い夜だな」
「お久しゅうございますわ」
レイディアル伯爵と言えば反現王派筆頭の宰相。この国に来てすぐの夕食会で私の無作法を嘲笑った人物でもある。
思わず私がビクッと肩を揺らすと、レイディアル伯爵の瞳が意地悪く細められた。
「本当に久方ぶりにでございますね、王女殿下。お会いしたかったですよ」
「えぇ、私もにございます。以前は随分な不調法を……」
一応夕食会でのことについては、あの後詫びの手紙を書く出席者に送っているが、実際にレイディアル伯爵と会うのはあの日以来だ。
私が頭を下げると、レイディアル伯爵は「いえいえ」とゆっくりと首を振った。
「こちらこそ、我が王国へいらしたばかりの王女殿下に酷なことを……お手紙もいただきましたしあの件は水に流しましょう」
そうしてニコリと笑みを浮かべるレイディアル伯爵。しかしその次に続く言葉に私はピキリと固まることになった。
「そうだ、王女殿下。もしよろしければお近づきの証に1曲お相手願えますか? 今日は陛下以外、誰とも踊っていらっしゃらないでしょう?」
「は、はい……しかし……」
ここは冷静にお断りを……と思う私だけど、あの夜会の時の記憶がハッと蘇り言葉が出てこない。
と、私がアタフタしている間に陛下がスッと私の視界を遮った。
「済まないが王女殿下は気分が優れないそうだ。それに今日は公平を期すため、私意外誰とも踊らないと決めている」
「それはそれは……では少しお休みになられてからでは? 私はこの国の宰相。陛下の次に踊る相手として不足はないでしょう?」
2人の会話は平行線だ。その間にも私はさっきよりもぐるぐると目が回る心地がしてくる。
――と、そこへ不意に救世主が現れた。
「王女殿下〜! お久しぶりにございます。あっレイディアル伯爵、申し訳ございませんが彼女には先約がありますの。勝手をして申し訳ございませんが、ここは主催ということで1つ……」
声の主は、教会の鐘の音のようなよく通る声を張って、私の手をグッと握る。
栗色の髪にえんじのドレスがよく似合うはつらつとした雰囲気の彼女に、レイディアル伯爵はあからさまない目を顰めた。
「……しかしだな……」
「気分の優れない方を引き留めるなど、真っ当な殿方の所業ではありませんわ……では、ということで。陛下、少し彼女をお借りしますね」
「あ、あぁ。頼んだ――」
しかし、彼女はレイディアル伯爵のことなど全く意にも介さない。ハインツ様でさえ、自分のペースに引き込むと、私の手をとってカーテンの向こうのバルコニーへと連れて行ってくれた。
「ありがとうございます。アルジェ侯爵令嬢。……エマ・ティエアルです」
「ま、まぁ! 覚えていて下さいましたのね。光栄にございますっ! ミリセント・アルジェにございますわ、以後お見知り置き下さいませ」
私の窮地を見て、助けてくださったであろう彼女は、この夜会を主催するアルジェ侯爵家の長女。
今日は、別件で出席しないと聞いていたが、間に合ったらしい。
そんなことを考えていた私。
ところが次に彼女が小声で告げた言葉は、あまりにもとんでもないものだった。
「私、エマ王女にずっとお会いしたかったのですの。なので大急ぎで戻って参りましたわ。私達の知らない世界からいらっしゃったのですわよね!」
『私達の知らない世界』。
口調は弾んでいるが、そもそもそのこと自体がごく限られた人だけが知る超機密事項だ。
それが知られている。
つまり誰かがばらした、ということで……でも、誰が? ……というよりまずは陛下にご報告を……
瞬間的にパニックになる私なりつつ、対処法を考える私。
けどもともと人酔いでぐるぐるしていた頭は急な出来事に耐えられず、何かを考える前に私の視界は真っ白になる。
「王女殿下? 王女殿下!」
慌てて私を呼ぶ声を聞きつつ、私の身体はグラリと倒れるだった。




