第3話 小さな異変
「ふわぁ〜。」
軽く髪をとかしながら、私は大きく欠伸をした。結局昨日はつらつらと考え事をしているうちに眠ってしまったようで、目が覚めると朝になっていた。私はパジャマから夏用の着物に手早く着替えてご飯を食べる部屋に向かった。迷いそうなほど広いこの家にも、だんだんと慣れてきて、今では一人でも大体の部屋には行けるようになった。しみじみと自分の成長を感じながらふと縁側から外を見ると、青々とした空が広がっていた。
(今日も暑そうだな。)
まだ朝なのにジリジリと照りつける太陽を眺めながら、私はそう思った。
ご飯を食べる部屋に入ると、着物の袖を腕にたくしあげた伯母さんがにこやかな表情を浮かべて挨拶をしてくれた。
「おはよう、美怜ちゃん。」
「伯母さん!おはようございます。」
「伯父さんもここに居るよ、美怜ちゃん!」
「おはようございます、伯父さん。」
多少苦笑しながら伯父さんにも挨拶をすると、伯父さんはジト目で伯母さんの方を向き、羨ましがるような声を出した。
「深世はいいなぁ美怜ちゃんに好かれてて。」
そんな伯父さんの言葉は、伯母さん流されている。
「もう、挨拶ぐらいで妬かないの。親バカならぬ、姪バカね。」
ここに来て早一週間。もうこの光景も慣れっこだ。
「おはようございます、深世様、清平様。」
「真理おはよ〜。」
「おはよう、美怜。」
私よりも少し遅れて真理も部屋に入り、四人で机を囲み朝ごはんを食べ始めた。(真理は使用人だけど、伯父さん達にとっては娘みたいなものらしい)テレビでは、いつもと同じアナウンサーの口から、耳慣れた『今日も猛暑日に』や、『例年の気温から』などの言葉が出てきている。そのアナウンサーの声をぼんやりと聞きながらご飯を口に運んでいると、真理がニュースの内容に反応してか、話し出した。
「そういえば……今年は極端に雨が少ないとか。」
「えっそうなの?」
思わず聞き返すと、真理よりも早く伯父さんが答えた。
「ああ、そうらしいね。なんでも、七月に入ってから一回も首都圏を含めた都市圏で雨が降ってないとか。」
伯父さんがそう答えた直後に、アナウンサーが専門家に『なぜ、今年はこんなにも雨が降らないのでしょう?』と問いていた。専門家は気圧の配置が云々などと言っていたが、よく分からなかった。伯母さんも意外そうな顔をした後に何かを考えているような顔になったが、私が、その時に思い出した昨日のユニークな参拝客の話を始めたためすぐにいつもの穏やかな表情に戻った。その話をしながら、私は雨が降らないなんて、農家の人も大変だな、と思ったが、特に深く考えることはなかった。
昨日と同じように容赦なく照りつける太陽を見上げ、私はおでこに伝ってくる汗を拭った。いくら森效果で涼しくても、元の気温が高ければ暑いことに変わりは無いのだ。
(はぁぁー暑ーい。うぅ、汗気持ち悪い……。)
こんな心の声が少し漏れ、私の口からは少しのうめき声が出ていた。
(これは今日も倒れ込み即寝確定だな……はぁぁ。)
昨日よりもキレのないグダグダとした動きで箒を動かしていると、後ろから聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「あらあら、美怜さん?動きにキレがありませんよ?」
「ひゃぁ!?奈結子さん?!」
素っ頓狂な声を上げて後ろをギギギと錆びた機械のように動かすと、目を細めた奈結子さんが立っていた。
「美怜さん。暑いのはわかるけれど、シャンとしなさい。巫女は参拝する方の目に触れますから、そのような動きをしていると、参拝する方も気持ちが落ちてしまいますよ。」
にこりと笑顔を保ったままのお説教に、先程までの暑さは吹っ飛び、代わりに寒気が襲ってきた。
(どうやれば笑顔のまま叱れるんだ?気持ちが読めなくて怖い……。)
こんな考えさえ見透かされていそうで、私は背筋を正して箒を持ち直し、ぎこちない笑みを零した。
「は、はい!しっかり、シャンと立って、掃除します……えへへ。」
そうすると奈結子さんは一度すっと更に目を細めた後、やれやれといった感じで肩を竦めた。
「では、よろしくお願いしますよ。」
「も、もちろんです!」
奈結子さんは怒ると怖いんだと身に染みてわかった瞬間だった。
一日の仕事の大半が片付いたとき、ふと私の脳裏に昨日池で出会った少女の姿が浮かんだ。そして、昨日まともに池を見れなかったことにも気づいたので、池に行くことにした。なにか少女に関するヒントが池にあるのではないかとも思ったからだ。夕日を背にして道を歩くと、すぐに池は見えてきた。林をぬけると、夕方の風が私の髪を靡かせた。
(あっ……いる。)
特徴的な銀髪を揺らし、今日も少女は佇んでいた。
「やぁまた会ったね。」
表情一つ変えず、感情の乗っていない声で少女はそう言った。私も少しはこの少女に慣れたのか、昨日ほどの緊張は感じない。
「こんにちは。池の神様。」
私がそう放つと、糊か何かで固められていると思っていた少女の眉は少し上がった。私の言ったことに驚いたようだった。
「それは……我のこと?」
「だって、他に呼び方がないから。」
苦笑いをしつつそう言うと、少女は何かを考えるように下を向いた。けれど、すぐに顔を上げると、そのサファイアブルーの瞳を前髪の合間から覗かせて言った。
「神様……か。悪いが、我にその言葉は当てはまらん。なにせ、我はただの分体だからな。」
「分……体?」
聞いたことも無い言葉に曖昧な笑みを浮かべて少女の方を向くと、少女の姿は影と光に割れているように見えた。なにか深刻な雰囲気を纏っているように見える。
「我がここに来た理由は一つ。それは、貴方が、導く存在だから。そして、導かれる存在だから。」
「誰かに私は今、導かれてるの?」
少女の言うことはよく分からなくて、私は少女の言うことに全て質問をつけて聞いた。私の質問に少女は肩を竦めて言った。
「さぁ?まぁ、強いて言うならば……性だな。運命という名の。」
「そう……。ねぇ、私になんの運命があるの?」
そう言うと少女の瞳は風に揺られた髪に隠れ、風が吹くだけの静まり返った時間が訪れた。少女は、言葉を探しているように見えた。
「運命とは、どれだけ長い年月が経とうと、生まれ変わろうと、変わらないものだ。そして貴方の運命は、使者となることだった。」
少女の言うことは全てが抽象的で、私が真に知りたい事が返ってこない。苛立ちを抱えたまま、私は少女を見た。
「使者ってなんの?」
「……。導く者。それ即ち使者ということだよ。」
私が何を導くというのか。なぜ、こんなにも会話が噛み合わないのか。
「ねぇ、もっと聞いたことに答えてよ!」
「悪いが、それは無理だ。」
「っ……!なんで……?」
少し乱暴にそういうと、少女は少し私に近づいてきて、
「我はそういう者だから。本質的には貴方と変わらない。こういう、運命にあるから。」
少し寂しげな雰囲気でそうポツリと少女は独りごちた。表情は動かない。ただ、声音だけが、少しだけ悲哀を帯びていた。そう、聞こえた。
「っ……。」
何か言葉を発そうとしたが、結局は口の中で消えてしまった。少女はくるりと踵を返し、もう、私にはその少女の表情は分からなくなってしまった。そして次に少女から発せられた言葉は、最初の感情の乗っていない声に戻っていた。
「近いうちに、必ず貴方は知ることになる。そして、変えることになるんだ。運命に沿って。」
「どういう……。」
私の口から辛うじて出た言葉の答えは少女の口からは出てこなかった。しかし、少女は少しだけこちらを向くと、小さな声で言った。
「頼んだ。貴方に……貴女にかかっているから……。」
その瞬間、前と同じように強風とともにシャボン玉のようなものが当たりを包み込み、目を開くと波紋立たぬ池の近くに私は一人、佇んでいた。あの言葉に込められた気持ちは切望だったのか、それとも───期待だったのか考えながら。




