第6話 カン、カン、カン
それからの1か月間、俺とアイリスは何度もセイン流の遊びをして、時にはフィオナさんに治療されることもあった。
父さんも、俺たちの遊びには積極的に口を出した。
「よし! 2人とも今日はそこまでだ!! 休むのも遊びの一つだ!!」
さすが、父さん!
鍛練を遊びというのはうまい!
アイリスの前では完璧に遊びとして成立している。
アイリスも嬉しそうだ……かわいい。
ギルベルトさんも満足そうに腕を組みながらうなずいている。
この2人は、アイリスの前ではあくまで遊びとして扱うつもりだな?
母さんは少し眉間に皺を寄せた。
「本当にこれでいいのかしら……ねえ、フィオナはどう思う?」
「うーん……騎士爵家に生まれた子どもの宿命かしらね……。遊びと言っていいのか、鍛練と言うべきなのか、何とも言えないけど……」
「ハア……まだ早いと思うのよ。今は普通に遊ばせた方が、婚約者である2人のためだと思うけどな」
「そうね……私もクレアと同じ意見よ……でも主人たちは、このチャンスを逃したくないのね……」
2人は顔を見合わせ、同時にため息をついた。
「ハア……」
エーレンフェルト家が帰る時、ギルベルトさんは満面の笑みでアイリスを抱っこしていた。
「よし! アイリス! 帰ったらセイン殿との遊びを毎日パパともやるぞ!!」
「ほんと!? パパも毎日あそんでくれるの!?」
「ああ! もちろんだとも! すごく素晴らしいことだからな!!」
「やったー!! すばらしい!!」
フィオナさんは苦笑しながら、母さんに向き直る。
「ではまた。今度はそちらがいらしてくださいね」
父さんはすぐに頷いた。
「ああ、近いうちに必ず行く」
母さんも穏やかに頭を下げる。
「皆さん、気を付けてお帰りくださいね」
「じゃあ、アノルド、またな!」
ギルベルトさんはアイリスを抱っこしたまま馬車に乗り込む。
アイリスも満面の笑みで、俺に手を振った。
「セイン! またあそぼうね! すごくたのしかったよ!!」
「うん! また、あそぼう!」
馬車が動き始めても、アイリスは窓から顔を出して、何度も嬉しそうに手を振っていた。
◇◇◇◇
あれから2年、エーレンフェルト家とグランベル家は何度も交流を重ねた。
俺たちは歩く、走る、しゃがむことから始まり、時が経つにつれて、追いかけっこや競争、木登りもするようになった。
時には2家族で川辺に泊まり、泳げるようにもなった。
「プハー! セイン! 泳ぐのは私の勝ちね!!」
「ああ、アイリスは泳ぎの上達が早いな……」
「えへへっ! 初めてセインに勝った!!」
クソッ!!
泳ぐのは前世でも得意じゃなかった。
しかも、同じ時期に教わったから、時間的なアドバンテージもない。
けれど、それ以外は俺の方が上だ!
ま、まあ……いい。
子どもの言うことだ。
俺は自分のペースでやる。
川辺では、父さんが俺たちに声をかけた。
「2人とも! そろそろ暗くなるから上がってこいよ!」
母さんも焼けた魚を取りながら、俺たちに手を振る。
「お魚が焼けたよ! 早くこちらに来なさい」
「はーい! セイン、最後にどちらがパパたちの所に早く行けるか、競争よ!」
言い終わる前に、アイリスが泳ぎ始めた。
「あっ! アイリス、ずるいぞ!」
「あはははは!! また私の勝ちかもね!」
この2年間で、かなりできることが増えた。
走る。
止まる。
泳ぐ。
登る。
少しずつ、身体が思い通りに動くようになってきた。
同年代の子どもはアイリス以外にほとんど見たことがない。
けれど、俺とアイリスは順調に運動神経が良くなっているのではないか?
◇◇◇◇
そんな交流の日々が続いていたが、ある日、アイリスはふと疑問に思った。
「ねえ、ママ……」
「なあに? アイリス」
「婚約者との遊びって、何でこんなに疲れるのかな? セインと遊んだら、明日には必ず全身痛くなるし……」
「うーん……それは……人によるかもね」
フィオナは困ったように言う。
アイリスはさらに首を傾げた。
「他の人は違うの? みんなはどんな遊びをしているの?」
フィオナは答えに困って考え込んだ。
そこへ、すかさずギルベルトが答える。
「アイリス、子どもはみんなこんなもんだよ。子どもの遊びは身体を動かすことが一番健康的なんだ」
「そうか……みんなこんなに走り回っているのね」
ギルベルトはフィオナに目配せする。
フィオナは呆れたような表情を浮かべた。
◇◇◇◇
その日も、エーレンフェルト家の3人がグランベル家を訪れていた。
俺とアイリスは、広い庭でいつものように遊んでいた。
「セイン! あの遠くに見える木まで5往復、競争よ!」
そう言った途端、アイリスは走り始めた。
「フッ……アイリス、走りなら負けない! むしろ、その程度のハンデでいいのかな?」
アイリスは後ろを振り返らずに叫ぶ。
「今日は絶対に負けない!!」
俺は笑いながら、すぐにアイリスの後ろへついた。
「アイリス、もう息を切らしているのか? ほらほら、抜かしちゃうぞ?」
「セインのバカあああー!!」
「ハッハッハ! アイリスはまだまだだな!!」
そのまま俺が、ぶっちぎりで先にゴールした。
少し遅れて、アイリスが顔を真っ赤にして走ってくる。
アイリス、ますますかわいくなったなあ……。
本当にお人形さんを人間にしたようだ。
「ハア……ハア……ハア……何で走りでセインに勝てないのよ!! 悔しい!!」
「まあ、俺も頑張ってるからね」
その時だった。
村の高台から鐘が鳴った。
カン、カン、カン――。
乾いた金属音が、庭に響いた。
アイリスの笑い声が止まる。
母さんが皿を取ろうとしていた手を止める。
フィオナさんの表情から、柔らかな笑みが消える。
俺も、すぐに意味が分かった。
魔物だ。
この鐘を聞くのは初めてではない。
グランベル領でも、エーレンフェルト領でも、1年に何度かは魔物が出る。
そのたびに大人たちは顔を変え、父さんは剣を持って出ていった。
だから、今さら驚きはしない。
けれど、胸の奥が重くなる。
さっきまで庭を走っていた。
アイリスと競争して、勝って、笑っていた。
でも、鐘が鳴った瞬間、自分はただの5歳児に戻される。
走れるようになった。
止まれるようになった。
泳げるようになった。
木にも登れるようになった。
それでも、魔物が出た時、自分はまだ家の中で待つことしかできない。
父さんとギルベルトさんは、すぐにそれぞれの馬へ向かった。
ギルベルトさんがフィオナさんに手を伸ばす。
「フィオナも一緒に来るんだ! 俺の後ろに乗れ!!」
父さんが俺とアイリスに向かって声を張り上げる。
「お前たち!! すぐに家に入れ!! 魔物が出たぞ!! 俺たちが戻るまで外に出るな!!」
俺は唇を噛んだ。
分かっている。
外に出てはいけない。
今の自分では邪魔になる。
それでも、悔しかった。
母さんが父さんに駆け寄る。
「あんた! 無理をするんじゃないよ! ギルベルトも気を付けて!」
ギルベルトさんがすぐに答える。
「ああ! 心配するな! フィオナがいるからな!」
フィオナさんもギルベルトさんの腰にしがみつきながら言う。
「クレア! 子どもたちをお願いね!」
父さんが叫ぶ。
「ギルベルト! 準備はいいか! 行くぞ!!」
「ああ!!」
馬の蹄が土を蹴った。
父さんを乗せた馬と、ギルベルトさんとフィオナさんを乗せた馬が、鐘の鳴る方へ走っていく。
魔物。
俺は、まだ震えている自分の手を見下ろした。
さっきまでアイリスと競争していた足は、今は一歩も前に出せなかった。




