第5話 ママー!! あしがいたいよお~
翌朝、アイリスが泣いていた。
「ママー!! あしがいたいよお~!!」
居間に響いた声に、俺は思わず顔を上げた。
アイリスはフィオナさんに抱きつき、涙で目を潤ませている。
昨日は何度も歩いて、最後にはスクワットまでした。
そして今、足を押さえて泣いている。
ああ。
完全に筋肉痛だ。
フィオナさんが困ったように微笑む。
「あらあら……やっぱり足が痛くなったのね。ママが治してあげるから」
「うええええ~~~ん!!」
フィオナさんはアイリスの足に手をかざした。
次の瞬間、手のひらが白く光る。
俺はその光景に目を見開いた。
な、何だ……?
あれは……?
手のひらが白く光っている。
ま、まさか……魔法……なのか?
魔物がいる世界だ。
魔法があってもおかしくない……か……?
いやいや、おかしいだろ!?
手が光っているんだぞ!?
フィオナさんの手から溢れた白い光は、アイリスの足を包み込むように広がった。
強い光ではない。
暖炉の火よりも柔らかい、温かい光だった。
アイリスの泣き声が、少しずつ小さくなっていく。
「……あれ? いたくない」
「うん。もう大丈夫よ」
フィオナさんが優しく頭を撫でると、アイリスは涙を拭きながらこくりと頷いた。
俺はその光景から目を離せなかった。
痛みが消えた?
本当に治したのか?
まるで奇跡ではないか……。
これはすごい。
この世界、魔物だけじゃなくて魔法まであるのか。
フィオナさんが俺に向かって微笑む。
「セインくんは足は痛くないかな? 痛いなら治してあげるよ」
マジか……!?
これはヤバい!?
ガチでテンションが上がる。
俺の太ももも、昨日から少し重い。
痛いと言えば痛い。
「ちょっと、いたい、かも」
フィオナさんが手を伸ばす。
「うんうん。こっちにおいで」
俺は素直に近づいた。
フィオナさんの手のひらから、また白い光が溢れる。
光が足に触れた瞬間、うっすらと温かいものが染み込んできた。
冷えた身体を湯に浸けた時のような、じんわりとした感覚。
重かった太ももが、少しずつ軽くなる。
痛みが薄れていく。
筋肉の奥に残っていた張りが、ほどけるように消えていく。
「す、すごい……」
フィオナさんが微笑みながら答える。
「フフッ……すごいかな? これはね、ヒールっていう魔法だよ」
ヒール……。
前世でゲーム系に疎かった俺でも聞いたことがある。
いわゆる治療魔法か……。
痛みが消えるのはすごい。
でも、ここで勘違いしてはいけない。
父さんが言っていた。
壊したら鍛練ではない。
休むのも鍛練だ。
ヒールがあるから無茶をしていいわけじゃない。
昨日より少しだけ。
できることを少しだけ増やす。
それでいい。
フィオナさんの手のひらから白い光が消えた。
「これで痛みはなくなったよね?」
「うん、ありがとう」
「フフッ……いえいえ、どういたしまして」
フィオナさん、やっぱりかわいい……。
アイリスが母親似なのも納得だ。
その様子を見ていたアイリスが、頬を軽く膨らませながら俺とフィオナさんの間に入ってくる。
「セイン、ダメ!! ママはわたしのなの!!」
俺は目を丸くした。
あれ……?
俺の心の声がバレた……?
思わず声に出ていたかな?
いやいや、そんなわけない。
俺はまだスラスラ話せない。
フィオナさんが困ったようにアイリスの頭を撫でる。
「あらあら……困った子ね。こらっ、アイリス。治療の邪魔をしちゃいけないんだよ」
怒り方まで優しい。
アイリスはフィオナさんを振り返り、悲しそうな顔をした。
「だって……ママ……」
母さんが間に入り、アイリスを抱き締める。
「まあまあ、アイリスちゃんはお母さんを取られたくないんだもんね」
アイリスは母さんに抱き締められながらも、まだフィオナさんの服の裾を握っていた。
昨日は礼儀正しく挨拶していたけれど、こうして見ると、やっぱり3歳の女の子だ。
俺は母さんに素朴な疑問をぶつけた。
「母さん、ヒール、できる?」
その瞬間、父さんとギルベルトさんは顔を見合わせた。
母さんは一瞬だけ戸惑った表情を浮かべたが、すぐに笑いながら俺を抱き上げた。
「ハハッ! お母さんは回復魔法は使えないんだよ。セインは、お母さんが回復魔法を使える方が良かった?」
「うーん、うん」
だって筋肉痛が消えるのは画期的じゃないか!
母さんはイタズラっぽく笑った。
「セインがそう言うなら、お母さんがんばっちゃおっかな?」
フィオナさんがため息交じりに話した。
「コラコラ、クレア。あなたならできそうな雰囲気はあるけど、あなたが回復魔法を使ったら大ニュースになるわよ。全く……!」
どういう意味だ?
母さんは魔法自体は使えるのか?
全く見たことがないぞ?
その様子を見ていたギルベルトさんが、明るい声でアイリスに言う。
「アイリス! 足が痛くなくなったのなら、セイン殿と遊んできなさい!」
「えっ」
俺もすぐに頷く。
「アイリス、あそぶ」
「……また、あしがいたくなる?」
「いたい、また、なおす。でも、きょうは、すこしだけ」
「すこしだけ?」
「うん。こわしたら、だめ」
アイリスは少し考えたあと、フィオナさんを見る。
フィオナさんが優しく微笑んだ。
「無理をしないなら、遊んでいらっしゃい」
「うん! あそぼう!」
俺たちは手を繋いで庭に出た。
庭には、昨日と同じ2本の木が立っている。
その間の土には、昨日何度も往復した足跡が少し残っていた。
アイリスはその足跡を見て、小さく首を傾げる。
「また木のあいだをあるくの?」
「うん。きのうより、できるから」
「うん、わかった! やろう!」
昨日は何も知らずに歩いた。
今日は足が痛くなることを知っている。
それでも、アイリスは逃げなかった。
1往復。
3往復。
5往復。
アイリスはうっすらと汗を滲ませた。
昨日より少し慎重に歩いている。
向きを変える時に足がもつれかけた。
でも、今度は自分で体勢を立て直した。
「アイリス、すごい。ころぶ、なかった」
「えへへ……! みててくれたんだ!」
「うん、ちゃんと、みてる」
昨日はすぐに転びそうになった。
今日はまだ転んでいない。
たったそれだけだ。
でも、3歳の身体には大きな違いだった。
往復が終わり、インターバルに入ると、アイリスが俺の隣に座った。
「アイリス、きのうより、ころぶ、なかった。いい」
「ハア……ハア……すごいでしょ!?」
「うん。すごい」
「えへへっ……セイン、たのしいね!!」
「うん!」
アイリスは昨日ほど息を切らしていない。
それでも頬は赤くなり、額には汗が浮かんでいる。
楽しそうに笑っているが、足は少し震えていた。
俺はその足を見た。
無理は駄目だ。
父さんも言っていた。
壊したら鍛練ではない。
今日は少しだけ。
そう思ったところで、アイリスが立ち上がった。
「じゃあ、つぎは、あれだよね!? やろう!」
アイリスは昨日の俺を思い出すように、後頭部に両手を当てた。
背筋を伸ばし、両足を肩幅くらいまで広げる。
俺は少し驚いた。
昨日は最後にやっただけだ。
しかも、そのせいで朝から泣くほど足が痛くなった。
それなのに、アイリスは自分からやろうとしている。
「アイリス、すこしだけ」
「うん! すこしだけ!」
アイリスが膝を曲げる。
少しふらつく。
でも、倒れずにしゃがむ。
膝をプルプルと震わせながら立ち上がった。
1回。
2回。
アイリスの顔が苦しそうに歪む。
3回目。
膝が震える。
足が内側に入りそうになる。
「アイリス、ゆっくり。ひざ、まっすぐ」
「う、うん……!」
アイリスは苦しそうな顔をしながらも、3回やり切った。
そして倒れそうになったところで、俺は全身でアイリスを抱き止めた。
「アイリス、ゆっくり、すわる」
俺はアイリスをゆっくりと座らせ、休ませる。
「ハア……ハア……できた!!」
「うん、できた。つよい」
「つよい……?」
「アイリス、きのうより、つよい」
「うん! セイン、ありがとう!」
アイリスは汗を浮かべながら、満面の笑みを見せた。
その顔を見て、俺は素直にかわいいと思った。
昨日より少しだけできるようになって、嬉しそうに笑っている。
それだけなのに、なぜか胸の奥が少し温かくなった。
「セイン」
「なに?」
「これ、つかれるけど……できるようになると、うれしいね」
「うん。できること、ふえる、から」
アイリスは、まだよく分かっていないような顔をしていた。
それでも、昨日より転ばずに歩けたことが嬉しいのか、満足そうに笑っている。
アイリスは息を整えながら、もう一度俺を見た。
「セイン」
「なに?」
「婚約者とあそぶって、つかれるんだね」
俺は少し考えた。
昨日も今日も、確かにかなり疲れている。
でも、疲れるのは悪いことじゃない。
ちゃんと動いて、ちゃんと休んで、昨日より少しできるようになるなら、それは良い疲れだ。
「うん。いい、つかれ」
「いい、つかれ?」
「うん。つよくなる」
アイリスは不思議そうに首を傾げた。
それから、ふにゃっと笑った。
「そっか。じゃあ、いいつかれだね」
その時、居間の方からフィオナさんの声が聞こえた。
「アイリス、セインくん。そろそろお水を飲みなさい」
「はーい!」
アイリスは元気よく返事をした。
立ち上がろうとして、少しだけ足がふらつく。
けれど、今度は転ばなかった。
アイリスは自分の足を見て、ぱっと顔を明るくする。
「セイン! いま、ころばなかった!」
「うん。ころばなかった」
「えへへ!」
アイリスは笑いながら、俺の手を取った。
俺はその小さな手を握り返す。
同い年の相手がいると、できることが増える。
昨日よりも今日。
今日よりも明日。
少しずつでも動けるようになる。
それは、俺が前世で欲しかったものだった。
「アイリス、また、あそぶ」
「うん! また、あそぼう!」
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