第56話 初めてのダンジョン
俺たちは王都に一番近い、学園が管理しているダンジョンの入り口前に来ていた。
目の前には、地中へ続く暗い洞窟がぽっかりと口を開けている。
入り口から冷たい空気が流れ出し、頬を撫でていった。
ダンジョンは、今まで多くの研究者が調べてきたが、いまだに謎が多い。
地形そのものは変わらなくても、罠や宝箱の位置、出現する魔物は定期的に変化する。さらに、内部で死んだ冒険者や魔物の死体も、いつの間にか消えてしまうそうだ。
そのため、ダンジョンが死体を吸収し、それを動力にして生き物のように活動しているという説が有力らしい。
魔物が好む洞窟や香りで外部の魔物を誘い込むものや、宝箱を多く配置して人間を誘い込むものまであるという。
ただし、これから入る管理ダンジョンは宝箱が少なく、魔物を誘う香りも発していない。
比較的安定した、難易度の低いダンジョンだ。
それでも、暗闇の奥から何かに見られているような気がして、俺は無意識に剣の柄へ手を置いた。
ザック先生が俺たちを見回す。
「これから3日かけて3階層まで行く。それから3日かけて地上に戻る。1週間の予定だが、残りの1日は予備日だ。比較的安定したダンジョンでも、イレギュラーが発生するかもしれないからな」
俺たちはそれぞれ、大きなリュックサックを背負わされていた。
肩へ食い込む紐を直しながら、アイリスが不服そうに言う。
「1週間の行程なのに、この荷物量は多すぎではないですか?」
ザック先生はニヤリと笑った。
「ダンジョンでは何が起こるかわからないからな。通常は行程の3倍の食糧や薬、水を持つのが普通だ。重い荷物を抱えての行軍も訓練の1つと思え!」
この荷物を背負って、毎日8時間も歩くのか……。
入る前から肩が痛くなってきた。
「他に質問があるやつはいるか? ……いないな。それじゃあ、ダンジョンに入るぞ! 斥候役のマリウスが先頭を歩け! 地形はマッピングされている。最短距離で、なおかつ慎重に進むぞ!」
マリウスが地図を広げ、入り口の奥と見比べる。
「地図上では、2時間歩けば2階層へ続く階段に着きそうだべ」
「普通に歩けばな。だが、魔物を索敵しながら罠にも警戒する。8時間かけて進むぞ」
同じ道を、普通に歩く場合の4倍。
8時間ずっと気を張り続けるのは、かなりきつそうだ。
ザック先生の言う通り、ダンジョン探索は一筋縄ではいかないらしい。
マリウスを先頭に、俺たちは暗い洞窟へ足を踏み入れた。
外の光が少しずつ遠ざかり、代わりにエルナが出した火球の明かりが、濡れた岩肌を赤く照らす。
俺たちは足音を立てないように、かなりゆっくり進んでいった。
マリウスが地面や壁を調べている間は立ち止まり、何もないことを確認してから、また数歩進む。
ピチャン。
洞窟の奥で水が跳ねた。
俺たちは一斉に足を止め、それぞれの武器へ手をかけた。
しばらく待っても、何も現れない。
ただの水音か……。
息を吐いて歩き始めても、すぐに別の物音が耳へ入る。
自分たちの足音が壁に反響しただけなのか。
それとも、見えない場所を何かが歩いているのか。
判断できないたびに立ち止まり、周囲を警戒した。
重い荷物が肩へ食い込み、背中に汗が流れる。
魔物とは一度も遭遇していない。それなのに、肉体的にも精神的にもかなり消耗していた。
やがて、狭かった通路が少し開けた。
その先に、下の階層へ続く石造りの階段が見える。
初日の目標地点である階段室に、一度も魔物と遭遇せず到着した。
何も出なくてよかった。
そう思ったはずなのに、俺の胸には妙な引っかかりが残った。
ここから16時間、睡眠と休憩に入る。
見張りは2人体制の4時間交代だ。
リュックを下ろすと、急に身体が軽くなった。肩を回している俺の隣で、ジークが首を傾げる。
「ザック先生。ダンジョンの階段室には、ダンジョン内で発生した魔物は来ないと教本に書いていました。どうして見張りが必要なんですか?」
ザック先生が頷いた。
「ジーク、いい質問だ。確かに、ダンジョン内で発生した魔物は、なぜか階段室には入ってこない。だが、ダンジョンの外からやって来た魔物は普通に入ってくるぞ」
アイリスが目を見開く。
「えっ……!? 外から魔物がダンジョンに入ってくるんですか!?」
ザック先生は大きくため息をついた。
「当たり前だ! 少しは教本を読め!」
「読んだもん! そこだけ忘れてたの!」
「それを読んでないって言うんだ!」
ザック先生は額を押さえてから、階段の下へ目を向けた。
「深い階層まで外部の魔物が入り込むことは少ない。大抵は、ダンジョン内の魔物に途中で殺されるからな。逆に言えば、深い場所まで来られる外部の魔物は、それだけ強いということだ」
安全地帯だと思い込んで眠っているところに、そんな魔物が現れたら……。
目を覚ました時には、パーティーが壊滅していてもおかしくない。
「だから、どの階層でも必ず1人以上の見張りを置く。警戒を怠らないのが常識だ」
ザック先生が全員へ指示を出す。
「最初の見張りはジークとアイリス。次がセインとマリウス。その次は俺とエルナでやるぞ!」
「はい!!」
それぞれが休憩の準備を始める中、ザック先生だけは俺たちが通ってきた暗い通路を見つめていた。
「しかし、1階層に魔物がいないなんて珍しいな……」
小さな呟きだった。
俺は暗闇へ目を向ける。
何事もなければいいけど……。
翌日、俺たちは2階層へ下りた。
昨日と同じように、マリウスを先頭にして慎重に進んでいく。
水が落ちる音。
靴底が石を擦る音。
何度耳を澄ませても、それ以外の音は聞こえない。
魔物の足跡も、糞も、食べ残しも見つからなかった。
何も襲ってこないことに安心するより、何もいないことへの不安の方が少しずつ大きくなっていく。
ザック先生も、昨日より頻繁に周囲を見回していた。
「ザック先生。ダンジョンに入って、こんなに魔物が出ないことはあるんですか?」
「ここのダンジョンだけなら、あり得る」
ザック先生は歩みを止めずに答える。
「ここは学園の管理ダンジョンだ。直近では5年生のSクラスが入っている。そろそろ魔物が復活する頃だと思ったが、少し早かったのかもしれないな」
それを聞いて、胸に溜まっていた息を少し吐き出した。
「5年生のSクラスは、魔物を狩り尽くすほど強いんですか?」
「ああ、あいつらは強い。何より、パーティーが安定している。冒険者パーティーとして見ても、平均より断然上だろうな」
俺たちより4年も先に進んでいるSクラス。
いつか一緒に戦ってみたいな。
結局、2階層でも魔物とは遭遇しなかった。
俺たちは昨日と同じように階段室へ入り、2人ずつ4時間交代で見張りに立った。
2日間ずっと気を張り続けていたせいか、横になると、驚くほど簡単に眠れた。
3日目。
俺たちは3階層に到達した。
最終目標地点は、この階層にある階段室だ。
1階層、2階層と同じように慎重に進んでいく。
相変わらず、魔物の姿はない。
やっぱり、5年生のSクラスが狩り尽くしたのかもしれない。
そう思い始めた頃、通路の先に大きな空間が見えた。
あの空間を越えれば、目標の階段室に着く。
その手前で、マリウスが突然片手を上げた。
俺たちは足を止め、それぞれの武器を構える。
暗闇の向こうから、硬いものが石床を叩く音が近づいてきた。
現れたのは、スケルトン2体、ゾンビ4体、ゴースト1体。
3日目にして、初めての魔物だ。
ザック先生が指示を飛ばす。
「ゴーストがいるぞ!! 霊気弾と怨嗟の囁きに注意しろ!!」
アイリスが剣を構えながら叫ぶ。
「怨嗟の囁きって何!?」
エルナが即答した。
「恐怖と幻聴で精神に干渉する全体魔法や!! 教本に載ってあったで!!」
「ここからは無駄な声を出すな!!」
ザック先生の怒声が洞窟内に響いた。
「聞こえた声をすぐに信じるな!! 声を出す時は、必ず相手と目を合わせてからだ!!」
背筋が冷えた。
声を信じるな。
それは、これから聞こえる声の中に、仲間のものではない声が混ざるということだ。
「気を強く持て!! 恐怖に持っていかれるな!! ゴーストは魔法に弱い!! すぐに落とせ!!」
エルナが6つの火球を出す。
1つがゴーストを捉え、青白い身体を焼き尽くした。
残る5つの火球がゾンビへ殺到し、4体すべてを炎で包み込む。
俺とジークは同時に駆け出し、残ったスケルトンへ斬りかかった。
俺の剣が骨に食い込む。
一撃では倒しきれない!
そう思った直後、目の前にいたスケルトンの頭が吹き飛んだ。
遅れて、砕けた骨が石床へ散らばる。
マリウスの長弓の矢だ。
なんて威力だ……。
てか、危ないじゃないか!!
マリウスに絶対の自信があるのはわかるけど、少しくらい合図してくれ!
隣では、ジークがスケルトンを盾で押し倒し、首と胴を斬り離していた。
戦闘は、すぐに終わった。
誰も怪我をしていない。
初めての魔物を問題なく倒せたはずなのに、ザック先生の表情は晴れなかった。
倒れたアンデッドと、先ほどまで俺たちが歩いてきた通路を交互に見ている。
「ザック先生?」
「……階段室までは、すぐそこだ。とりあえず進むぞ!」
俺たちは隊列を組み直し、通路の先にある大きな空間へ足を踏み入れた。
その瞬間、俺の足が止まった。
そこには、魔物の群れがいた。
何体ものスケルトンとゾンビ。
その頭上には、青白いゴーストが何体も漂っている。
そして、一番奥には、剣を構えた魔物がいた。
腐りきった死体ではない。
だが、生きている人間でもない。
古い鎧の隙間から、干からびた皮膚が覗いている。
眼窩の奥には、赤黒い光。
その魔物が剣を掲げる。
ばらばらに立っていたゾンビとスケルトンが、一斉に俺たちの方を向いた。
ザック先生が叫ぶ。
「ワイトだ!! まずいぞ!! しかも統率型だ!!」
統率型魔物……。
こいつが、ダンジョン内の魔物を集めていたのか?
全身から冷たい汗が噴き出し、剣を握る手が震えた。
「先生!! 撤退しましょう!!」
そう叫んだ直後だった。
背後の通路から、骨が石床を叩く音が聞こえた。
振り返る。
さっき通ってきたはずの通路に、ゾンビとスケルトンが立っていた。
さらにその奥で、ゴーストの青白い影が揺れている。
退路を塞がれている。
そう理解した瞬間、喉が乾いた。
前方では、ワイトが掲げていた剣を振り下ろした。
それを合図に、大空間を埋める魔物の群れが一斉にこちらへ迫ってくる。
「撤退したいが、無理だ!! もう完全に挟まれてる!!」
ザック先生の声が、今まで聞いたことがないほど鋭くなった。
「退路の魔物へ向き直った瞬間、前方のゴーストに背中を晒す!! 一斉に霊気弾を撃ち込まれるぞ!!」
前へ進めば、ワイトが率いる魔物の群れ。
後ろへ戻ろうとすれば、前方のゴーストに背中を晒す。
逃げ道がない。
「ここで陣形を崩したら、全滅するぞ!!」




