第51話 嫌いじゃないよ
翌日の午前。
訓練場の土の上を、マリウスが勢いよく転がった。
すぐに起き上がったものの、悔しそうに奥歯を噛み締めている。
今日からアイリスも加わり、ロウエン爺が相手をするのは俺、ジーク、マリウス、アイリスの4人になった。
さすがに4人全員を1人で相手にするのは厳しいんじゃないか?
そんな俺の心配をよそに、ロウエン爺はいつもと変わらない。俺たちを順番に相手にしては、何度も土の上へ転がしていく。
「マリウス様、今、少しだけ逃げの姿勢がありましたな。もっと殺気を出して向かってきてもいいんですぞ」
マリウスは土を払いながら立ち上がり、悔しさを叩きつけるように叫んだ。
「クソッ……! ウオアアアーー!!」
「そう、それでよろしい」
ロウエン爺は満足そうに頷き、真正面からマリウスを迎え撃った。
そして、最後はアイリスの番だ。
アイリスは持ち前の素早さと剣速に、軽業師のような身のこなしを織り交ぜて、ロウエン爺を攻め立てる。
だが、ロウエン爺はアイリスの剣を受けながら、わずかに目を細めた。
「体勢が崩れすぎですな」
次の瞬間、アイリスの身体が宙に浮き、土の上へ転がされた。
アイリスの目つきが一段と鋭くなる。
「ロウエン爺の転がすことだけを狙った戦い方、なかなか腹が立つわね」
鉄剣を握り直し、地面を蹴った。
「ハアアアーーー!!」
カン、カン、キン、カンカンカン!
アイリスの連撃を、ロウエン爺は最小限の動きで受け、かわしていく。
一瞬、ロウエン爺の右足が持ち上がった。
前蹴りだ。
アイリスは素早く右へかわす。
避けた――そう思った直後、ロウエン爺は蹴り足を下ろさず、そのまま身体を回転させた。
風を切る後ろ回し蹴りが、アイリスの頭上を通り過ぎる。
アイリスはしゃがんでかわしたが、ロウエン爺の動きは止まらない。回転の勢いを利用して一気に背後へ回り込み、アイリスの首筋へ鉄剣を突きつけた。
「……っ!」
背中に鳥肌が立った。
前蹴りから後ろ回し蹴り、さらに相手の背後へ回る動き。
アイリスの戦い方の原点は、ロウエン爺なんだ。
「アイリス様の弱点は、変則的な動きの中で体勢を崩しやすいこと。そして、自分が攻撃に乗っている時に相手が変則的な動きをすると、対応しきれないことですな」
ロウエン爺は鉄剣を下ろし、静かに続けた。
「無理に突っ込まず、相手の動きも見ながら、戦いを自分で組み立てなされ」
その言葉が、俺の中にもスッと入ってきた。
武器試験の時も、アイリスは勢いのまま突っ込んでいた。あの時はマリウスを含め、誰もその速さに対応できなかったが、ロウエン爺のような手練れには通用しない。
アイリスは悔しそうに唇を噛んだ。
「アイリス、少し俺と――」
「嫌よ!!」
ジークが言い切る前に、アイリスは即座に拒絶した。
「な、何故だ!! 本当に何故なんだ!! 頼む! 1回だけでいい!!」
ジークは縋るような目を向けたが、アイリスは冷たい目で睨み返すだけだ。
ロウエン爺が顎に手を当てた。
「ジーク様。女性に物事をお願いする時は、相手への配慮が必要ですな。ただ真っ直ぐお願いするだけでは、女性はますます頑なになりますぞ」
ジークは目を見開いて、ロウエン爺を見た。
伸ばしかけていた指先が、かすかに震えている。
俺も、ようやく気づいた。
もしかして、アイリスが腹を立てていたのは、ジークが自分を立ち合う相手としてしか見ていなかったからなのか?
俺にとって、アイリスは大好きな女の子で、婚約者だ。強い剣士であることは、アイリスの一部でしかない。
でも、ジークは違う。
今まで、アイリスの強さしか見ていなかったのかもしれない。
ジークはしばらくアイリスを見つめたあと、俺たちの方へ目を向けた。何かを迷うように唇を結び、やがて震える声で話しかける。
「ア、アイリス。周りの目が気になるのであれば、場所を変えてもいい。俺と立ち合いをしてくれないか?」
アイリスは不機嫌そうに顔を背けた。
だが、返ってきた声には、さっきまでの拒絶の鋭さがなかった。
「フンッ! ロウエン爺に言われてから気づいたのは腹立たしいけど、そういう態度は嫌いじゃないわ。1回だけよ!」
やっぱり、そうだったんだ。
「あと、場所を変えたらリリアがうるさそうだから、ここで結構よ」
少し離れた場所で見ていたリリアが、なぜか嬉しそうに微笑んだ。
ジークは自分を恥じるように顔を歪め、震える拳を握り締めた。
「アイリス、ありがとう。そして、今まですまなかった。俺は騎士を目指す者として、その根幹である騎士道に背いていたようだ」
「はいはい。もういいから、早く始めるわよ。構えなさい」
アイリスが鉄剣を構える。
ジークも表情を引き締め、剣と盾を構えた。
「ああ。よろしく頼む!」
向かい合っても、アイリスはすぐには踏み込まなかった。
さっきのロウエン爺の助言を、もう試すつもりか。
先に動いたのはジークだった。
盾を前に出し、じわじわと距離を詰めていく。
間合いに入った瞬間、アイリスの姿勢が沈んだ。
下から斜め上へ、鋭い斬り上げが走る。
ガンッ!
ジークは盾で受けると同時に、上から剣を振り下ろした。
アイリスは右へかわし、そのままジークの身体を踏み台にして跳び上がる。頭上から振り下ろされた剣を、ジークは再び盾で受け止めた。
そのまま盾を左へ振り抜く。
「くっ……!」
着地しようとしたアイリスの身体が押され、わずかに傾いた。
ジークはその瞬間を逃さず、一気に間合いを潰す。
横薙ぎの剣を、アイリスは鉄剣で受け止めながら着地した。
だが、ジークの盾がすぐさま持ち上がり、アイリスの視界を塞いだ。
あの構えは――!
盾の陰から、ジークの足が伸びる。
着地したばかりのアイリスは動けない。足を払われ、身体が土の上へ転がった。
次の瞬間には、喉元へ剣先が突きつけられていた。
「そこまでですな」
ロウエン爺の声が響く。
上手い!
アイリスの速さを生かさせず、着地の瞬間を狙った。
今の足払いは、ジークが初日にロウエン爺から教わり、この2週間、何度も失敗しながら練習していた技だ。
それを、初めての立ち合いで成功させた。
アイリスは目を丸くして剣先を見つめ、すぐに悔しそうに唇を噛んだ。
ジークが剣を引き、手を差し出す。
「良い立ち合いだった」
アイリスはその手を取って立ち上がった。
「最初の1回で勝った気にならないでよね。また時間がある時にやるわよ」
ジークの目が潤んだ。
「ああ! もちろんだ! またやろう!!」
少し離れたところで見ていたリリアが頬を赤くし、俺の耳にかろうじて届くほどの小声で呟いた。
「あぁ……なんて眩しくて尊いのかしら……興奮で身体が熱くなります……」
やっぱり、場所を変えなくても十分うるさかった。
午後からは、母さんたちとの魔法鍛練が始まった。
エルナはいつも通り標的台の前に立ち、周囲に5つの火球を浮かべる。
4つは形も大きさも揃っているが、最後に出した1つだけが不安定に揺れていた。
母さんがすかさず口を開く。
「エルナ、5個目の火球だけ特別扱いしすぎだね。5個全部をギュッとすればいいんだよ。ギュッと」
エルナは助けを求めるようにアンドリューへ視線を向けかけて、踏みとどまった。
眉間にしわを寄せ、母さんの言葉を頭の中で組み立て直している。
「つまり、5個の火球を別々に考えず、1つの魔法として認識しろということですか?」
「そう! だから、そう言ってるじゃないか。まずはそれで安定させな。1個ずつ別々に操るのは、そのあとだよ」
母さん、まったくそんなふうには言ってなかったよ……。
アンドリューを見ると、何度も頷きながら感無量の表情を浮かべていた。
ついに母さんの言葉を理解できる人が現れたことが、よほど嬉しいらしい。
エルナは一度すべての火球を消し、もう一度、5つの火球を浮かべた。
今度はすべての形が揃い、揺れていない。
「ホンマや! さっきより全部安定してる! じゃあクレア様、6個目も7個目も同じ感覚ですか!? その時、魔力配分はどんな感じですか!?」
母さんは少し考えてから答えた。
「うん。何個出そうがギュッは変わらないね。あとは必要な魔力をボワッと出すんだよ。要は、ボワッと出してギュッだよ。何個出しても一緒」
母さん、要はって……。
全然、要約されていない。
言葉の数だけなら、確かに短くまとまっているけど……。
エルナは顎に手を当て、宙を見つめた。
しばらく考えたあと、力強く頷く。
「よし!」
目を閉じ、ゆっくりと魔力を練り始めた。
火球が1つ、2つと浮かび上がる。
5つ目までが同じ大きさで揃い、その隣に6つ目の火球が生まれた。
一瞬、表面が揺れる。
崩れるか?
俺が息を止めて見守る中、揺れはすぐに収まった。
6つすべての火球が、形を崩さずにエルナの周囲へ浮かんでいる。
「本当にできた!! やったー!!」
エルナは飛び跳ねて喜んだ。
驚きのあまり、心の声がそのまま口から飛び出した。
「ウソでしょ!? 何で!? 今の助言で分かったの!?」
エルナは興奮したまま、母さんへ振り返る。
「クレア様!! やりました!! 6個出せたことも嬉しいですけど、クレア様語が何となく分かり始めたことが一番嬉しいです!!」
母さんは優しく微笑み、エルナをそっと抱き締めた。
「あたいは、エルナみたいに素直で、魔法が好きなだけの真っ直ぐな魔法士は嫌いじゃないよ」
エルナの顔が、一瞬で真っ赤になった。
次の瞬間、鼻から血が噴き出す。
「あぁ……ク、クレア様が近……い……幸……せ……」
恍惚とした笑みを浮かべたまま、エルナの身体から力が抜けた。
「エルナ!?」
母さんが慌てて抱き止めると、フィオナさんがすぐに駆け寄ってきた。
「クレア、ダメよ。あなたを信奉している子には、もう少し距離を取らないと! 王都でも、あなたの魔法を見た子がこうなったことがあるでしょう?」
母さんはエルナを抱えたまま、しゅんと肩を落とした。
「だって……久しぶりに真っ直ぐな魔法士を見たから、思わず……」
「魔法が使えるだけで、自分は神に選ばれた人間だって顔をする魔法士は多いものね。プライドばかり高くて、鼻持ちならない人も少なくないし」
フィオナさんはため息をつきながら、エルナの鼻血を治療した。
母さんの感覚的な説明をエルナが理解できるなら、これからも時々、母さんに見てもらうのはありだ。
それにしても、エルナの才能には驚かされる。
あんな感覚だけの助言を聞いて、すぐに6つ目を安定させるなんて普通じゃない。
ふと視線を感じて振り返ると、アイリスが呆れたように俺を見ていた。その隣では、リリアが俺とアイリスを見比べながら楽しそうに微笑んでいる。
リリア、また人の反応を観察して、1人で楽しんでるな。
そんな鍛練の日々が続き、夏休みは残すところ1週間になった。
俺たちはグランベル領とエーレンフェルト領の馬車に分乗し、2台で王都へ向かうことになった。
アイリスの両親は、俺たちを王都まで送ったあと、エーレンフェルト領へ帰る。それは分かるが、なぜか母さんまで馬車へ乗り込んでいた。
「母さんも、また王都に行くの?」
「ええ。レイフォルト伯爵様に直接お礼を申し上げないと、筋が通りませんから」
母さんの口調は、すっかり貴族のものに戻っていた。
レイフォルト伯爵様は、どんな人なんだろう?
エルナみたいな人だったら、母さんと会わせた瞬間に大騒ぎになりそうだ。
だが、グランベル領が多大な恩を受けたのは間違いない。
母さんがわざわざ王都まで礼を言いに行く相手だ。
少し、興味が湧いてきた。




